閑話 アークィン、ありし日の思い出
それはおよそ五年前。
過酷な修行にも慣れ始めた時の事だった。
「アークィンよ、今日は少し趣向を変えるとしよう。題目は〝力を奮う事への責任について〟といった所か」
あの日の事は今でも明瞭に思い出せる。
それだけ印象深い出来事の一つだったから。
座学の時は特に、こうして父の声が優しかったしな。
というのも我が父、武聖ウーイールーは常々厳しい。
もちろん俺だけでなく、誰にも厳しい男という事で有名になるくらいに。
同行者、旅先で出会った者、悪人など分け隔てなく。
その所為で故郷の村でも村人達が恐れていたって話さ。
「父よ、確か今日は〝如何にして敵の急所を瞬時に見極めるか〟という話をするのではなかったのですか?」
「う、む……ちとお前は焦り過ぎなのだ。目先の事に囚われては、いつか大事と打ち当たった時に機を仕損じるぞ」
「はいッ! 心に強く戒めます!」
でも俺もそんな父にも慣れていたからな、大体がこの調子だ。
ノオン達と馴れ合った今だからわかるが、なかなかに頑なだったと思う。
とはいえ、俺もこの時は相当に焦っていたものでね。
早く父に追い付きたいと思う一心であらゆる修行をこなして来た。
例え戒めや罰だろうと喜んで受け入れるくらいにな。
それだけ父の姿が尊大で、憧れで、頼もしかったから。
この人の様になりたい、絶対になるんだって想いが止まらなかったんだ。
ま、そのお陰で本質も見えてなかった訳だが。
……今も見えているかと言えば怪しいけども。
「儂が力を奮う理由は何度も教えて来た。それはお前もよく知っておろう?」
「はい。〝弱き者を守るため、平穏な世を紡がせるため〟と。その為にならば愚か者どもを全て滅殺する事も厭わないとも」
「……まぁそれでも良かろ。ではその〝愚か〟をどう見出す?」
「えと、他者を虐げていたり、殺意を露わにしていた者を見つけたら?」
だからこうして浅はかな答えしか出せないでいた。
その所為で放たれた史上最強のデコピンは痛かったなぁ。
「馬鹿者。それでは悪人が虐げられていた時にうっかり善人を滅殺する事になるであろう」
「あ……」
「力を奮う前に、まずはその見極めが必要なのだ。でなければお前の方が愚か者となってしまうからのぉ」
「き、気を付けます。イテテ……」
強過ぎる力は暴力となり、時に人を苦しめる。
それが例え正義を貫いたつもりであろうとも。
いや、正義なんて所詮は一方的な言い分に過ぎない。
暴力を行使する為の大義名分でしかないんだ。
世間を〝自分が信じる正しい道〟に矯正する為のな。
その事を父はよく知っていた。
力を奮う事の恐ろしさを誰よりも理解しているから。
誰一人追従しえない圧倒的な力を何十年も奮い続けた御方だからこそ。
「ではどうして父はその見極めが出来るのです?」
「儂は長年の経験で他者の心が読める様になった。お陰で見抜くのに難は無い。今でもその感覚は衰えてはおらぬ」
「つまり、勘、ですか」
「その通り。だがお前はまだ若い。そんな勘どころか人が考えている事など露ほどもわからぬであろう? 故に心の在り方が大事なのだ。〝何故この者は他者を虐げるのだろうか〟と一歩立ち止まれる心がな。そうも知らず手当たり次第に滅殺してしまえば、いずれ人などいなくなってしまうぞ?」
「う……」
そんな生涯で父は色んな世界を見て、色んな人を知った。
その末に自己流で学び、見極め、罰し続けて来た。
己が信じる正しき未来の為にと。
けど、失敗した事もあったに違いない。
故に父は俺に教えようとしていたんだろう。
自分が舐めた苦渋を味合わせたくなくて。
「つまり、見極められれば幾ら滅殺しても構わないという事ですね!」
「アークィン、少しは滅殺から離れよ? その言葉が気に入ったのはわかるけど」
ま、別の意味での苦渋なら知らぬ内に舐めまくっていたがな。
今でも思い出すと顔がニヨニヨしてしまうくらいに深い業だ。
なにせ当時はそれなりに力が付いてきた頃だったし。
奮いたくてウズウズしていたもので、魔物狩りの時は嬉々として馳せていたよ。
必殺技名とか叫んで戦ったりしてな。
そんな血気盛んだった俺だったから、父の言葉がイマイチわかっていなかった。
父もその事に悩み、頭を抱えていたものさ。
でも実は、この日がその悩みの消えた日でもあるんだ。
「しかしその見極めは他者と一線を引ける儂だからこそ出来る事。孤高を貫くという覚悟と信念、そして自身の本質が必要不可欠なのだ」
「ふむふむ」
「しかしお前は儂と違って優しい。その本質がある限り、儂と同じ直感での見極めは恐らく無理であろう」
「えっ……!?」
「その優しさが情を生み、判断を鈍らせかねぬからのう」
父の悩みは『俺がウーイールーになろうとしている』という事で。
上辺だけを真似て頑なとなり、戦い方も似ていく事に呆れていたそうだ。
夢中になり過ぎた結果だったんだろうな。
だから父はここで一旦、俺にも線を引いた。
俺と自分は全く違うのだと。
どんなに足掻いても同じにはなれないのだと。
「故にアークィンよ、お前はお前らしい見極め方を学ぶのだ。幸い、お前には儂には無いその賢さがある。今も頭に幾重と言葉を連ねているであろうその知恵がな」
「知恵……」
「その知恵で考え抜き、理詰めで見極めるのも良かろう。決して間違える事の無く、徹底的に突き詰めた後でな」
ただ、この言葉は俺にとって寝耳に水だった。
それだけ痛いくらいに理解出来る事だったから。
どうしても父に届かないと密かに悩んでいた俺にとって何よりも。
技術ならきっと同等にまで成長も出来るだろう。
あと十数年もしたら追い付けると父自身も豪語していたしな。
だけど心だけはそうもいかないから。
性格や思考、その本質はどうしても変えようがないから。
だから父はこうして問うてくれたんだ。
「その手段を導く為にも、一つお前に問いを課そう。〝お前は如何にして悪人を救う〟?」
「え……そんなの滅殺しかないじゃないですか」
「それは『儂の答え』だ。求めしは『お前だけの答え』よ。ただし解答期限は設けぬ。一生を通して考え抜き、見事答えを見出してみよ。出来うる事ならば儂が生きている内にな」
この問い以降、俺は自分にとっての見極め方を考える様になった。
自分と父とで何が違うのか、とね。
後は、父が示してくれた事以外にも何か手段があるんじゃないかって。
とはいえ実の所、この問いの答えは今もまだ出ていない。
それどころか、結論を出すのにまだ十何年と掛かる気がする。
それだけ抽象的で正解がなさそうな内容だったから。
それでもまだ考える事を止めてはいないよ。
今でも時々考えるんだ。俺にとっての正義とは何かって。
まるで己に言い聞かせる様に自問自答してな。
もしかしたら、こう悩ませる事こそが真の目的だったのかもしれないけどね。
ただ、そのお陰で今の俺がある。
そう信じずにはいられない。
故にいつか必ず答えを導き出したいものだ。
父が生きている内、という副題は果たせなかったからこそ。
俺が願っていた者になるのではなく、父が願った者となる為にも。




