第136話 ナーリヤ
世界の滅びは人の悪意が故に。
その負の感情が崩壊の雲を迫らせ、全てを飲み込ませる。
そしてその進みはもう止める事など叶わないという。
こうも言われてしまえば、誰しもが絶望せざるを得ない。
ここまでの旅で多く悪意を摘んで来たのに。
それも無意味だったと知れば尚の事。
「力を持つ者が必ずしも救世主となれる訳では無い。だからこそわらわ達は其方の存在に気付けなかったのじゃろう」
けど、希望が無い訳じゃなかったんだ。
陽珠の君達が見えない場所で奇跡は着実に育っていたのだから。
輝操術という名の、奇跡の力が。
「だが其方の方から歩み寄って来てくれた。その事にわらわは心から感謝したい」
「……という事は、輝操術の生まれた意味を知っているのか?」
「うむ。ただし知っているというよりも察せるといった程度ではあるがの」
そう語る中、陽珠の君が俺の頬に充てていた手を離す。
すると今度は大気を抱く様にして腕を拡げていて。
それも、うっとりとした笑顔に拍車をかけながら。
それはただただ悦びの余りに。
「その力こそ新たな世界を創る力。すなわち、其方が新世界の神なのじゃ」
そうして満を持して放たれた一言が驚愕を誘う。
誰が自身を神だと認識するだろうか。
そんな事、実際の創造者か奇人変人くらいなものだろう。
だからこそ俺自身が神だったなどと言われても信じられなかったんだ。
そこまで尊大だなんて全く思ってもいなかったしな。
「世界は一つ二つではない。隣世界の更に隣にも別の世界があるであろう。ならその先々も言わずもがな。そうして多くの世界が繋がり、その存在を支え合い続けておる。例えるならばそう、蔓を伸ばして芳醇な果実を実らせる葡萄の如く」
ただ、その様な存在の誕生は、連なる世界の理には必須の出来事なのだろう。
そうして伸び続け、実を生らすというプロセスにおいては。
そして神とはその実を膨らませるキッカケ的存在に過ぎない。
「しかし末端の世界が腐ってしまえばどうだろう? さすればその腐食はいずれ蔓をも弱らせ、世界の繋がりそのものを脅かそう。新たな世界を産む事が出来なくなってのぉ」
「……それが虹空界という訳か」
「そう。この様な姿へと成り果てて、新たな実さえ生まれ得ない環境に育ってしまった。それ故に我が同胞達は種子を求めて旅立ったという訳じゃ。新世界を産むに足る創造の子をな」
だがその神がいなければ世界は続かない。
しかも虹空界からは新たな神が生まれる可能性は非常に乏しかったのだ。
だから古代人達は別の世界へと希望を抱く事にしたのだと。
「しかしまさか其方がこの様な特異な存在であったとは思いもせなんだ。だから気付けなかったのであろうな」
「なっ……それは一体どういう意味だ!?」
「そうか、実感もしておらんのだな。まぁ無理も無いか……」
でもそれは、彼等が俺の様な存在を察知出来なかったからに過ぎない。
必ずしも彼等の望む者が〝人〟とは限らないからこそ。
「――其方は人ではない。世界そのものが産み落とした理の子なのじゃ」
わかる訳も無かったんだ。
人ならざるヒトが生まれるなどとは。
科学を極めた彼等でさえも、理解の範疇でしか物事を見る事が出来なくて。
なにせ、俺自身さえ自分の正体に気付けなかったのだから。
「俺が人ではない、だと……!?」
「ヒトという種ではあろう。だが女子の胎から生まれし者ではないという事じゃ」
「「「ええッ!?」」」
「恐らくではあるが、虹空界そのものが苦しむ余りに排斥した可能性の芽なのかもしれぬ。故に無より生まれ、神である事にも気付かれず育て上げられたのであろう」
「俺が……無から、生まれた存在……」
ただ考えても見れば、そう思える兆候は幾つもあった。
輝操術という力以外においても。
例えば、やたらと人の真意が見えて来る事。
相手の言葉から真実・虚実が感覚でなんとなくわかるんだ。
特に冒険を始めてからそれが顕著になった気がする。
父からも読唇術を教わった訳でも無いのにな。
でも気付けば認められ、人の思惑を読める体で育て上げられていた。
そもそも、その父との出会いもそう。
なぜあの方は俺を育てようと思ったのか、と。
本来なら只の一奴隷に過ぎなかったのに。
その出会いが今ではまるで運命とさえ思えてならない。
それは単に、俺が人ではなかったから。
神となるべくして世界が産んだ運命の子だったから。
――いや違う、きっと俺自身が運命を引き寄せていたんだ。
新たな世界を産み出す為に、そう育つ為に。
「そして今、遂にその実りが熟した。これでようやく世界は新たな一歩を踏み出す事が出来よう。この時をどれだけ待ちわびた事か」
「陽珠の君……」
「フフッ、其方が現れた今、もはや我が使命は終わった。なれば【ナーリヤ】と呼んで欲しい。わらわを只の女へと戻してくれた者達よ、どうか……」
そう言って、ナーリヤが己を抱いて歓喜に打ち震える。
艶めかしく身悶えしながら、光悦な微笑みを浮かべて。
なにせ俺が来るまでの数千年、彼女はここに籠りっきりだったから。
例え使命と言えど、その日々は退屈で仕方なかったに違いない。
その使命から解き放たれれば当然な姿なのかもしれないな。
……ほんの少し、無駄に艶っぽい気もするが。
しかしお陰で俺の存在意義は見つかった。
それも旅を始めておおよそ三ヶ月という短期間で。
まさかここまで早く見つかるとは思わなかったよ。
けど、だからこそこの旅はもう終わりだ。
新たな世界の始まりと、連結世界の補完と共に。
そしてここからきっと、俺だけの旅が始まるのだろう。




