第121話 至高の欲
「遂に来たね。君ならきっと辿り着けると信じていたよ」
「あぁ、決して楽な道では無かったがな」
仲間達を囮にし、ジェオスという壁を乗り越えて。
その末に俺達は遂にアルケティと対峙した。
全ては人類選別計画を止める為に。
その結果、例え俺達が祭り上げられようとも。
平和的に世界を導く為の御旗とされようとも。
それでも俺達はここへと辿り着かなければならなかったんだ。
この計画を最も望んでいなかったアルケティの苦悩を取り払えるならばと。
その末に世界も救えるならお安い御用さ。
「それでも約束は果たしたぞ。これでお前の最終計画を止める事が出来た訳だ」
「そう、だね……」
ただ、そんなアルケティの表情には陰りが生まれていて。
笑顔のままではあるのだが、どこか心残りがある様にも感じる。
確かに、選別計画が止められた事には喜んでいるのだろう。
けどそれがまるで心を偽っている様にも見えて。
それで思わず、俺は一歩を踏み出していた。
あたかも問い質すかの様に。
疚しい事を考えていないのであれば堂々と待っているハズ。
俺に敗北した事を認め、帝位を降りる事を望むハズ。
そう思っていたのだが。
「……何故、下がる?」
アルケティは今、そんな俺を前にして一歩を退いていた。
未だ帝位という淡い象徴に縋っているかの如く。
それが俺には信じられなかった。
アルケティの事は一度話しただけでわかったつもりだったから。
彼は決して帝位などという小さな器に拘らない人物なのだと。
それは間違いだったのだろうか?
そんな疑問が過り、思わず顔をしかめさせる。
今の状況を受け入れようとしない事に不安さえ抱きながら。
「……もしかしたら、私は君を待ち望んでいたのかもしれない。エルナーシェ姫の様な意志が強いだけの者ではなく、大いなる力を伴った者を」
「一体何を言って……?」
けど、そんな俺に返って来たのは突拍子も無い事で。
それで首を傾げるも、アルケティの口は一向に留まらなかった。
「今の戦いは魔動機越しに見させてもらったよ。その上で圧倒的な力を知った。君が常識をどれだけ凌駕しているか、という事実をね」
それでいて退かせていた身を正す。
まるで融和姿勢から居直るかの様に。
それでも笑顔が絶える事は無かったが。
ただ、その笑顔は逆に不穏さえ呼び込むかの様で。
「本当はジェオス相手に苦戦するかと思っていたんだ。それも仲間達と揃って戦った上で。けれど君はたった一人で、しかも傷一つ負う事無く彼を倒してしまった。これは余りにも想定外過ぎたのさ」
きっとその笑顔は俺一人へと向けていたのだろう。
決して今の争いを終結させた事にではなく。
もしかして今回の戦いを望んだのは、ただ計画を止めて貰う為では無かった?
まさかアルケティは最初から試すつもりだったのか?
輝操術を始め、俺の潜在能力を確かめる為にと。
「だから私は君に期待をしてしまったんだ……! もしかしたら今以上の、絶対的な象徴になれるかもしれないって!」
「えっ……」
それも決して騙すだとかそういう事の為ではない。
あくまでも今以上の成果を望んだが故に。
今のままでは足りない、真なる世界の象徴となる為のあと一歩を。
「君も気付いているんじゃないかい? 例え私を倒した所で象徴としては今一つ主張が足りないと。このままでは人の心を掴むに心許ないと」
「それは――」
「だからだよ! だから私は今、欲を抱いた!」
確かに、このままアルケティを打倒して黄空界を制圧しても印象は薄い。
一般人には「トップ同士のいざこざ」にしか見えず、我が身事とは思わないだろう。
それで例え俺やテッシャが帝になった所で、また不満が出かねない。
だからこそ必要だと考えたのだろう。
そんな民衆さえもが心酔するまでの圧倒的な存在感が。
それこそまさに虹空界の王、【真王】の様な存在として。
そう考えるとラターシュの野望もあながち間違いではなかったのかもしれない。
曲がりなりにも、世界を纏めて意志を統一するという意味では。
手法こそ邪道だったが、彼の目的もまたアルケティと似ていたから。
しかしアルケティの望む道は邪道ではない。
だからこそ相応に痛みも生じさせる必要がある。
その痛みが、俺は今回の戦いの事だと思っていた。
けどそれはどうやら違ったらしい。
アルケティは更にその先、【真王】たる絶対的象徴の誕生を願っていたんだ。
それこそ己を犠牲にする事も厭わないという覚悟の下で。
しかも、その意志の表れが今、アルケティの手に握られていて。
「そ、それは一体!?」
「これは私の最期の希望さ。君がより強く、より誇り高い象徴となる為のね」
それは小さなシリンジだった。
人差し指ほどしかない細長さで、かつ紫色の液体が納められているという。
ただ、それ目の当たりにした時――俺とフィーはつい身を固まらせていた。
見た目はちっぽけで、なんて事の無さそうな物だったのに。
だが何故か、蛇に睨まれた蛙の如く身じろぎ一つ出来やしない。
心が、魂が、あれを危険だと思い込んでいて。
まるで畏怖そのものだったのだ。
あれだけは絶対にそのままにしてはならないと思える程に……!
だから次の瞬間、俺とフィーは思わず手を伸ばしていた。
アルケティへと向けて駆けながら。
だけどそれは既に手遅れだった。
そのシリンジの先端はもう、彼自身の首へと押し当てられていたのだから。
「これでッ、全ての終わりがカハッ、始まるよ……ッ! だからさぁアークィンッ!! 止めて見せてよ、君の力で、私を、殺す事でえッ!!」
「アルケティーーーッ!!? うおあッ!?」
しかもその途端、アルケティの身体から異様なまでの波動が打ち放たれる。
俺とフィーが堪らず跳ね飛ばされる程の衝撃と共に。
それで遂には壁にさえ打ち付けられ、床へと転がって。
共にダメージは殆ど無いものの、思った以上に〝心〟が重い。
それだけの強い精神波までもが今の波動にはあったのだろう。
だからか二人揃ってなかなか立ち上がれない。
その所為で、アルケティの異様な変化をただ見る事しか出来なかったんだ。
「ウッグゥ……! ガ、アァァ!! ア、アーグィンッ!!」
「アルケティ……!?」
「いいかい、よく、聞くんだ……ッ!! 君は、私をッ! 殺さなくては、ならないィ!!」
「あ、ああ……!」
「さもなければ、他の全員が、死ぬ、事になるぞ……ッ!! ア ア アァァ……ッ!!」
アルケティの身体が異様に膨らんでいく。
メキメキと音を立て、骨や皮、筋肉や血管を著しく増殖させながら。
それも頭部四肢など関係無く。
もはや原型さえ留めていない。
生物的な造形さえ成していない。
それでもなお肉の塊として増殖し、膨らみ、巨大化していく。
何かが出来上がって、城さえ壊して飲み込んでいく。
今に俺達をも飲み込まんばかりに。
「殺セ! 殺セ! ワタシヲ殺セェェェーーー!!!」
「うおああーーーッ!?」
「ア、アークィン! にげーよ!」
そんな折にフィーが俺を杖で殴る。
弱くはあるが、正気を取り戻すには充分だった。
それで冷静さを取り戻した俺は咄嗟に彼女を抱えて踵を返した。
そのついでに道中に倒れていたジェオスも掴み取って。
その最中もアルケティの増殖は止まらない。
更には城を砕き、潰し、破片を討ち上げていて。
しかもその肉体がとうとう形を整え始めていく。
そうして出来上がったのは、まるで獣の様な姿だった。
それも城よりも巨大で、赤黒く禍々しい畏怖たる象徴の如く。
その姿を見た時、俺もフィーも恐怖が止まらなかった。
あんな物など見た事が無かったにも拘らず。
見ただけで心がすくみ、身体が委縮して堪らない。
それだけの存在感が、目の前に現れた巨獣には確かにあったんだ……!