第113話 悪行の真意
ヴァウラール帝は世界の滅びの事を知っていた。
その事実が俺の強い動揺を引き出す事に。
本来ならば神とその関係者くらいしか知らない事だからこそ。
「そうだ、申し遅れていたね。私の名前はアルケティ=セプト=エオス。この国の帝として政の一切を任されている身だ。けど気軽に呼んでくれて構わないよ」
しかしそれでもこの男は実にマイペースだ。
まるで俺の動揺をなだめる様にゆるりとした言葉を選んでくる。
あたかも友人と対するかの様にな。
それでいて尊厳さえ身から溢れている様だ。
見開かれた金の瞳が真っ直ぐと見つめてきて、なんだか吸い込まれそうになる。
この雰囲気にはデジャヴを感じざるを得ない。
あの少年神と似た雰囲気を伴っているからだろうか。
「ならば訊こうアルケティ。何故この世界が滅ぶなどと知っている?」
「答えは簡単さ。最初から知っていたんだ。私がこうしてこの国に君臨したのは、むしろその事を知っていたからなんだから」
「最初から知っていた、だと……!? それは一体――」
そう、感じたのは神秘性だ。
言った事に嘘偽りは無いと信じさせる様な。
恐らくそれ程の象徴性が人心を惹き付けているのだろう。
信奉し、拝み倒すまでの強い信頼感をも。
それ程までの特異な人間性をこの男は持ち合わせている。
何故ならば。
「私はね、古代人なんだよ」
「なッ!?」
それは単に、この男が人の事を良く知っているから。
遥か昔からずっと人を見てきて、学んで、知り尽くしてきたからこそ。
だから神の様に達観し尽くし、同様に感じて語る事が出来るのだろう。
それこそが古代人。
世界が地続きだった頃より生きて来た存在。
それがまさか今目の前にいるとは。
「それは世界が虹空界となって間も無くの事。私の仲間達は神と協議し、末の滅びを悟った。そこで救世の為にと旅立ったんだ。けどその仲間達が責務を成して帰って来た時、世界が混沌としていては意味が無いだろう? だから私は彼等が帰って来る場所を作ろうとしているんだ。このヴァウラール帝国を礎としてね」
アルケティが向かいの椅子にそっと座り、再び茶を口へ運ぶ。
落ち着きを伴った微笑みのままに。
しかし話す内容には不思議と重みが感じられる。
恐らく、それだけ強い使命感を抱いているからなのだろう。
「世界が滅ぶかもしれないのにか?」
「うん。私は信じているからね。彼等がきっと世界の滅びを止めてくれるのだと」
ただこの男は恐らく、俺達が少年神と出会った事を知らない。
動揺した理由も〝世界が滅ぶという事実〟なのか〝アルケティが滅びを知っていたから〟なのかは判別出来ていないだろう。
故に、コイツにとっての希望は仲間達だけなんだ。
その者達に託す以外に道は無いと考えて。
それでせめて彼等の帰る場所を整えておこうと躍起になっているのだろうな。
「本当は残った仲間達と共に世界の行く末を見届けるだけのつもりだったんだけれど。けどこの大陸の惨状を見て来て、居ても立ってもいられなくなった。だから当時弱小国だったヴァウラールの王座を奪い、黄空界を統一したんだ。当時は本当に各国で争い合って酷いものだったからね……」
そんな希望に想いを馳せているのか、窓の外へと顔を向ける。
そうして見せた横顔はどこか哀愁さえ伴っていて。
まるで仲間達との悠久の別れに寂しさを感じているかの様な。
それだけ信頼している者達だからこそ、会いたいとも思うのだろう。
彼もまた長い年月を生きる者でありながらも人だから。
俺がホームシックになるのと同様、古代人も遥か昔の出来事を懐かしむんだ。
だからその気持ちは、わからないでもないよ。
「……その事実を、マルディオン皇帝達は知っているのか?」
「いいや。私が古代人であるという事も含め、誰も知らないよ」
「なら何故俺には語ったんだ?」
「何でだろうね、君から不思議と親近感を感じたからかな? 君は私の知る古い友人ととてもよく似ているから。彼もまた誠実で真っ直ぐで、でも少しぶっきらぼうで。だからこちらも素直に話せて、遠慮する必要も無かった。そんな人には滅多に会えないから嬉しくもあったのかもしれない」
これは恐らく、少年神が抱いた感情と同じなのだろうな。
共感と、親近感。
それによって得られる、心内を探る必要の無い対話。
簡単な様で成し得るのが難しい事だからこそ求めてやまない。
例えばそう、俺と銀麗騎志団の仲間達との間柄の様に。
父曰く。
〝偽体背心。繕うより、心で語れ。人は時代を追って心を隠す術を憶え、行使する事を誇った。だがそれは所詮偽りである。本心を語らねば会話そのものの意味を為さぬのだから〟
俺の会話術は決して馴れたものじゃないけれど、だからこそ直截的で。
父からも教わった通り、伝えるべき事は必ず口に出す様にしている。
そういった話し方が彼等にとっては何より救いなのかもしれないな。
「ただこうして帝として君臨する事で多くの人々に共感してもらえたのは良かった。エルナーシェ姫とも話が合ったしね。彼女とは目指すビジョンも同じだったからとても会話が弾んだものだよ」
「確かに、噂では姫と懇意だったとかいう話も聞くしな」
「ははは、そう取られても仕方ないかもしれないね。私もとても気に入っていたから、連日と会いに行った事もあったくらいだし。その時はさすがの彼女にも呆れられたものだったけれど」
それに、俺もこんな会話は望む所だ。
お陰で茶も心地良く進むというものさ。
きっとアルケティも姫も同じ想いだったから遠慮する必要が無かったんだ。
仲間の為に平和を作る、その志は彼女とも同じだっただろうから。
ただし、その為の手段が理に適っているとは思えないが。
「でも互いに理念は一致していた。だから――」
「だから陰で悪事を働いてでも支えようとした、か? 奴隷工場などを造り、多くの不幸な混血達を産み出して」
「……なるほど、そこもレジスタンスに聞いたんだね」
パパム爺の聞いた噂が本当なら、アルケティの所業は黒に近い。
だとすれば平和の為に己の手を汚している事となる。
それは果たして、エルナーシェ姫と取り合うべき掌だと言えるのだろうか。
「そう、噂は本当だよ。私が極秘裏に生産工場を運営し、世界中で混血児達を産み出して奴隷として売り捌いているというのは真実だ」
「ッ!? お前、やはり――」
「でもね、それは決して資金集めの為なんかじゃあない。そしてこの事実は、皇帝も、大統領も、賢者長も、自治長も、そしてエルナーシェ姫も知っている」
「なに……!?」
――いや、そんな事実なんて何の関係も無かったんだ。
彼等が思惑を超えて手を取り合った理由にとっては些末な出来事だから。
なにせアルケティが掲げていた理想は俺達の遥か上を行っていたんだからな。
「彼等は希望の子なんだよ。この世界から血族という概念を消し去る為のね」
そうして伝えられたその理想は、何よりも俺の心を打った。
この男が目指す形は、誰よりも何よりも壮大で計り知れないのだと。