見える未来、見えない心
ハッピーエンドです。
ああ、やはり。
「フレイア・フェンサリル! 今この時をもって、俺と君の婚約破棄を宣言する!」
やはり……この未来は実現してしまった。
これまでの日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
この未来が実現してしまったということは、もうひとつの未来も……。
想像するだけで、絶望が、恐怖が、私の体を震わせる。
――いや、まだだ。
震える右手を左手で抑えつける。
何を怯えているんだ、私。
本当の勝負はこれからだ。
準備はしてきた。勝算は、ある。
大きく息を吸い、私は精一杯堂々と答える。
「エリク様、聞き捨てなりません。私がミーシャ様に嫌がらせをしたなど……何かの間違いではなくて?」
必ず……必ずあの未来だけは、実現させてはならない。
♢ ♢ ♢
自分には特別な力がある。
そう気が付いたのは、いつの事だっただろうか。
幼い頃、祖父が病死した。
一族に看取られ、病床で息を引き取った。
私はその光景を――既に知っていた。
ただの既視感、ではない。
私は何日も前に、確かに同じ光景を見ていた。
同じような事はその後、何度もあった。
召使いが花瓶を落とし、割ってしまう光景。
父が階段を踏み外し、怪我をする光景。
未来視に前兆はない。突然、白昼夢のように、未来の光景が見える。
そして例外無く――未来視で見た光景を、そっくりそのままもう一度見る事になる。
そう、例外無く。
かつて、私は未来を変えようと行動した。
母の乗る予定の馬車が、炎上している光景を見てしまったからだ。
それまでも私は何度も、自分の未来視について周囲に主張していた。だけど、子供の戯言をまともに取り合ってくれる人はいなかった。
それでも、この時ばかりは恥も外聞も無く、母に泣きついた。
「馬車に乗るのを取り止めて欲しい」
と。
母は困ったように笑いながら、私をゆっくりと諫めた。
そのために、母の出発は数時間遅れた。
それでも最後には……母は予定の馬車に乗り、出発してしまった。
屋敷の窓から馬車を見送っていた私は、見た。
見てしまった。
出発して間もなく、落雷にあって炎上する馬車の姿を。
私の行動によって、数時間のズレが生じたはずなのに。
未来は――変わらなかった。
幸いにも、すぐに馬車から脱出した母達は軽傷で済んだ。
しかし私は……それ以降、未来視について口に出さなくなっていた。
それどころか、未来視が起こらないことを日々願うようになっていた。
私が未来を見るから。それを口にするから。
――未来視があるから、未来が確定してしまうのでは?
そんな気がして。
口をつぐみ、目を逸らして。
未来なんか、見えない事にしたい。
そう……思っていた。
これまでは。
♢ ♢ ♢
「アレス殿下、この度は貴重なお時間を割いて頂き……」
「堅苦しい挨拶は抜きでいい、フレイア。ここには俺たちしかいない」
第一王子アレス殿下。
美しい金髪碧眼に、嘘のように整った顔立ち。
柔らかい笑みに誘われて、肩の力が抜けるのを感じる。
知らず知らずのうちに緊張していたようだ。
「ありがとうございます、殿下。またお会いできて光栄です。在学中が懐かしいですね」
「こちらこそ、また会えて嬉しいよ。もっと頻繁に会えればいいのだが。……君を思い出さない日はない。生徒会で毎日会っていた、あの頃に戻りたいくらいだよ」
「ふふっ、相変わらずお上手ですね」
思わず気持ちが揺らぎそうになるが、もちろん本気で言っているはずはない。
なぜなら……私は彼の弟である第二王子エリクの婚約者なのだから。
幼い頃に親が決めた結婚ではあるが、貴族とはそう言うものだ。
歯の浮くような台詞もさらりと言って下さるアレス殿下。
しかし、意外にも浮いた話は一切聞こえてこない。
それどころか「自分の結婚相手は自分で決める」と主張しているらしく、いまだ婚約者もいない状態だ。
候補者がいないわけでは、当然ない。王位継承第一位であり、容姿端麗、能力も抜群。
一年近く前に卒業したが、在学中も学園中の女性の関心を奪っていた。当然婚約の話も殺到していたはず……なのだが。
「それで、用件は何だい? 人払いは済ませてある。君が緊急と言うんだ、それだけ重大な案件なのだろう?」
「……はい。今朝、未来が見えたんです。絶対に……避けなければならない未来が」
私は自分の未来視の力について、そして今朝見た未来の光景について説明した。
私が見た未来の光景は、断片的だ。
卒業パーティーで、エリク様に婚約破棄を宣言される光景。
突きつけられる、数々のミーシャへの嫌がらせの証拠。もちろん、身に覚えはない。全て捏造された証拠だ。
そして、場面は飛ぶ。
次に見えたのは――なぜか胸を刺され、血を流しているアレス殿下の姿。明らかに致命傷だ。
その光景を最後に、未来視は終わった。
「すぐには信じてもらえないかもしれませんが、本当に……!」
「いや、信じるよ」
「へ?」
そんなにあっさりと信じてもらえるとは、思っていなかった。
あの……未来視ってかなり突拍子も無い話じゃ無いですか?
何で、そんな簡単に信じてくれるんですか?
「ミーシャか……エリクがのぼせ上がっているとは聞いていたが、厄介な事をしてくれるものだ。証拠を捏造してまで、フレイアを陥れるとはな」
「私の婚約破棄や冤罪も問題ですが、それよりもアレス殿下の身の安全が第一です。何卒、卒業パーティーは欠席してください!」
「いや、王太子が欠席するわけにはいかないさ。ふむ……未来視の光景はどう行動しても絶対に実現してしまう、そうだったな?」
「……はい、今までは。母の件でもそうでした。でも、この未来だけは……!」
「大丈夫だ、フレイア。俺にいい考えがある」
彼は一見いつもと変わらない、柔らかい微笑みを浮かべている。
「まずは、君の冤罪を晴らす方法を考えよう。なに、こちらには何の証拠があるかまでわかっているんだ。ミーシャ達の思い通りにはさせないさ」
――だが、その目の奥には獰猛な闘志が宿っている。そんな風に見えた。
♢ ♢ ♢
そして――現在。
卒業パーティーの最中に。
やはり未来は……実現する。
「君が数々の嫌がらせをミーシャにしてきたことはわかっている!
フレイア・フェンサリル! 今この時をもって、俺と君の婚約破棄を宣言する!」
「エリク様、聞き捨てなりません。私がミーシャ様に嫌がらせをしたなど……何かの間違いではなくて?」
「まあ、あんなこと言ってますわ! あれだけの事をしておいて! エリク様、ひどいです!」
ミーシャが何か言っている。
小柄な身体に、この国では珍しい薄桃色のフワッとウェーブした髪。
いかにも守ってあげたくなるタイプの女性だ。
彼女はエリクの腕にしがみつきながら、いかにも被害者といった顔をしている。
……よくも抜け抜けと。
「ミーシャ、俺に任せておけ。証拠ならあるぞ、フレイア! 大人しく罪を認めて……」
「待て――エリク!」
アレス殿下の声が響き渡る。
「ここから先は俺が取り仕切る。まずはその証拠とやらを提示しろ、エリク」
「兄上、邪魔をしないでください。悪いのはフレイアで……!」
「くどい! その証拠の正当性を判断すると言っているのだ! さっさとしろ、愚弟!」
いつも穏やかなアレス殿下が、こんな風に怒鳴るところは初めて見た。
あの……もしかしなくても、怒ってます?
一喝されて、ようやくエリクもまともに証拠を出す気になったようだ。
「ちっ……まずこれだ。ミーシャへの罵詈雑言の数々が書かれた手紙。こんなものが毎日ミーシャのポストに入っている。この筆跡はフレイアのものだ、そうだな?」
確かに……一見、私の筆跡によく似せてある。
しかし、いくら似せようとも他人の筆跡なんてそうそう完璧に真似できるものでは無い。
「いいえ、私が書いたものではありません。奇遇にも、私が普段書いている日記がここにあります。これと筆跡を詳細に比べてみれば違いがわかります。少し見ただけでも……例えばこの文字、ハネ方が上向きと下向きで違うのが見て取れますね」
「この場に及んで言い逃れをする気か! そんな些細な差など……」
「うるさいぞ、エリク! 筆跡鑑定は立派な証拠能力のある判別法だ。奇遇にも、王室付き筆跡鑑定士もこのパーティーに参加頂いている。正式な鑑定はすぐに出来るぞ」
またしてもアレス殿下に一喝され、エリクは方向転換を余儀なくされる。
「くぅっ……証拠はまだまだある! フレイアがミーシャに罵声を浴びせているのを目撃していた証人が何人もいる! さあ、証言しろ!」
おどおどとした様子で進み出てきたのは、ミーシャの取り巻きをやっている令嬢達だ。
「私達は、ミーシャ様へフレイア様が様々な悪口を言うのを目撃した……と、証言するように強要されました!」
「な、何を言い出すんだ!?」
エリクは面食らっているが、とっくに彼女達との話し合いはついている。
私達は彼女達の背後関係を洗った。全くの『嘘』を証言させるには、相応の利益供与が必要なはずだからだ。
予想は当たった。調査の結果、彼女達の実家が経済的に困窮しており、最近黒い噂のある商会と取引を始めたことがわかった。その商会は背後でミーシャが糸を引いており、かなりの利益を与えていたようだ。
さらに、その商会を通して隣国との違法な取引を行なっていることまで判明した。
あとは――その件をほのめかしつつ、少し彼女達とお話をすればいいだけだった。
彼女達の実家には後ほど相応の処罰が下されるはずだが、お家取り潰しは免れるだろう。
「ま、まだだ! フレイアに破られたミーシャのドレスや、ノートが……!」
「で、それを私が破壊した事をどう証明するつもりですか?」
「それも彼女達が目撃を……ぐっ」
先程の令嬢達を指さそうとしたエリクだが……とっくに彼女達は証言を翻している。
彼女達の証言がなければ、ミーシャが自分で壊しただけのドレスやノートが、嫌がらせの証拠になるはずもない。
「これで証拠とやらは全部か、エリク? これでは、フレイアが嫌がらせをしていた、なんて話は事実無根と判断するしか無いな」
アレス殿下の声を聞きながらも、私はまだ身の震えが止まらない。
準備した通りに、私の身の潔白は証明した。
だと言うのに……不安が拭えない。
未来視で見た、血を流すアレス殿下の姿が脳裏を離れない。
と、その時。
ミーシャが、大声で喚き始めた。
「こんなのおかしいです! 私は確かに嫌がらせを受けたのに! そうだ……アレスよ! この王太子が、裏で手を回して私達を陥れたのよ! そうでしょエリク!」
「あ、ああ……そうだ。天使のようなミーシャが嘘を言うはずがない。俺達は兄上にはめられたんだ!」
「……はあ? 何を言っているんですか?」
思わず呆れた声を出してしまう。
はめられたのは私の方で、アレス殿下はそれを正す手伝いをして下さったのだが……。
しかし、そんな私の声はもはや彼らには届かなかった。
「悪いのは全部あのアレスよ! あいつさえいなくなれば!」
「そうだ……兄上さえいなくなれば!」
エリクの様子は尋常ではない。
目が血走り、わなわなと唇が震え。
咄嗟に思い浮かぶのはアレス殿下の言葉。
彼の言った通り、「未来視の光景はどう行動しても絶対に実現してしまう」のだとしたら。
――彼が危ない。
「アレス、逃げて!」
「お前がああああああああああああああ!!!!!」
私が叫ぶのとほとんど時を同じくして、エリクが雄叫びと共にアレスに突進を始める。
エリクの手には、引き抜いたナイフが煌めき――。
ドスン。
エリクがぶつかった身体を離すと、アレスの胸元には深々とナイフが刺さっており、血が溢れ――。
「……あ?」
自分の何が身に起きているかを、理解できていないかのような短い声。
その声を最後に、彼は倒れた。
「いや、いやああああ! アレス、アレス!」
まただ。
結局私は、未来視を変えることも、愛する人を守ることさえ……!
「……アレス、か。呼び捨てもいいものだね」
「……え?」
♢ ♢ ♢
「は、はは……やった、やったぞ! 兄上は排除した! これで俺達の勝ちだ。そうだろ、ミーシャ!」
「ええ、よくやったわ、エリク。そして……あなたももう、用済みよ」
「は?」
ミーシャは先程までとはまるで人が変わったように、冷たい表情を浮かべている。
そして彼女の手には……いつの間にか、ナイフが握られている。
「さようなら、と言ったのよ」
恐ろしく無駄のない動作で、そのナイフはエリクの胸元に突き出され――。
『カキンッ!』
しかし、エリクにたどり着く前に、横から突き出された剣によって、弾き飛ばされた。
「困るなあ、勝手に殺されちゃ。馬鹿な弟だが、こんなんでも俺の家族なんでね」
「お前は――アレス! さっき確かに、エリクが殺したは――ぐっ!」
話している途中で、ミーシャは衛兵に取り押さえられる。
「どういうことだ! 答えろアレス!」
「演技はもうやめたのかい、ミーシャ嬢? ――連れて行け」
アレスの一言で、ミーシャは牢獄へ連行されていった。
♢ ♢ ♢
「つまり……アレス殿下が刺されたのは演技だった、と言うことですか?」
「その通り。『未来視の光景はどう行動しても絶対に実現してしまう』のであれば、実害のない形で実現してしまえばいい。事前に血糊と、刃が引っ込むおもちゃのナイフを用意しておけば簡単な話だったよ」
「そんな、私がどれほど心配したと……!」
「それについては本当にすまなかった。事前に教えておくと、どうしてもボロが出そうだったからね」
「それは……そうですけど」
秘密は知る人が少なければ少ないほど漏れにくい。
知らなかったからこそ私は自然な反応を出来たわけだし、ミーシャの身柄確保も実現した、とも言える。
理屈の上では納得はできる。
それでもやっぱり……知っておきたかった気持ちはあるけれども。
「……待ってください。ナイフも偽物だったってことは、エリクもグルだったんですか?」
「完全に知っていたわけではないよ。ただナイフを使う時があれば、偽物を使うように言って渡しておいたんだ。それと『洗脳魔法』の対抗魔道具も渡しておいたけどね」
私の未来視の話を聞いた後、アレス殿下はミーシャの身辺を徹底的に洗ったらしい。
彼女は貴族ではなく、庶民だが特に成績優秀なため学園に入学を許可された生徒だ。
しかし改めて身元を洗うと、入学以前の履歴がほとんど嘘だった。
さらに証言者買収の裏も探るうちに、恐るべき事実が明らかになった。
「ほぼ間違いなく、ミーシャは隣国の工作員だね。エリクを誑かして、あわよくば王室中枢に入り込もうとしていた。もっとも、その割には身分偽装がお粗末だったから……実際には捨て駒に近い。彼女にはその自覚はないかもしれないが。そこまでわかれば未来視も併せて、大体起こる事態は予想できる」
「それがエリクを洗脳して、アレス殿下を殺させる……ってことですか?」
「フレイアへの冤罪偽装が暴かれてしまえば、もはやエリクとの結婚は絶望的だ。と、なれば捨て駒はどのような行動に出るか。王族を一人でも多く殺して、王国にダメージを与えるように訓練されていたんだろうね。それに洗脳魔法は既に時々使っている痕跡があった。だからまずは洗脳したエリクで俺を殺し、その後エリクを殺すのがもっとも効率的で成功率が高い」
洗脳魔法(当然、禁術指定されている)を使っている時があったとはいえ、エリクがミーシャに首ったけだったのは殆ど素らしい。彼女が工作員とわかった後も、「それでも俺は彼女を愛している」と言って毎日牢獄に通っている。この調子では遠からず廃嫡になりそうなのだが、わかっているのだろうか。
もっとも……私としては、彼の事はもうどうでもいい。今回の事態を受けて、彼と私の婚約は既に正式に破棄されているからだ。私の冤罪は晴れているが、「こんな馬鹿と結婚させるわけにはいかない」との王室側からの要望で破棄した形だ。
「まったく、馬鹿な弟を持つと苦労するよ」
「ふふっ、まったくですね」
そんなこんなで、一連の事件は無事収束に向かっていた。
ただ……私にはまだ、ひとつ納得できていないことがある。
「アレス殿下。もうひとつだけ、質問があります」
「何だい?」
「……どうして私の未来視を、私の言葉を、信じて下さったのですか?」
未来が見える、なんて言葉はあっさりと受け入れられるものではないはずだ。疑問に思う方が自然である。
しかし、彼にとっては意外な疑問だったようだ。
「どうして? どうしてか……」
そう言って目を丸くする。
しばし考え込んだ後、彼はこう続けた。
「フレイア、君の言葉を疑うなんて考えもしなかった。君は信頼に足る人物だと知っているし、それに……」
「……それに?」
「――信じたかったから、だろうな。自分が惚れた相手を」
「えっ?」
ドキリ、と心臓が跳ねる。
今、彼は何と言った?
「……気が付いてなかったのかい? なぜ俺が婚約者候補達を跳ね除けていたと思う?」
「し、しかし殿下。私には婚約者がいましたし……」
「今はいない。遠く無いうちに諦めなければならないと思っていた。しかし……愚弟がやらかしてくれたのは、俺にとっては好都合だった」
嗚呼、こんなことがあっていいのだろうか。
ずっと抑えていた気持ちを、諦めていた未来を、夢見ていいのだろうか。
「やはり、言葉にして言わないと伝わらないか。いいかい、一度しか言わないよ」
息を飲む。
彼の口が開くその一瞬が、永遠のように感じられる。
「フレイア・フェンサリル。君を愛している。俺の妻として、人生を共に歩んで欲しい」
そう言う彼の表情は、どこまでも真剣で。
そんな彼の様子が、たまらなく嬉しくて。
「――はい、喜んで」
私に彼の心は見えない。
でも、彼が私を信じてくれるなら。
きっと私も、彼を信じられる。
だから……未来は見える。そんな気がするのだ。
――私達の幸せな未来が。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
いかがだったでしょうか。
本作の裏設定などを活動報告に書きました。
下記URLです。ご興味あれば。
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登場人物
主人公 フレイア・フェンサリル
第一王子 アレス
第二王子 エリク
? ミーシャ




