一、雨が好きな貴曽さん
「雨、止まないな。」
私の困った声を楽しんでいるかのように、雨水はコンクリートを叩いては弾けるを繰り返す。天は音楽会でも開くつもりなのか識らないが、強制的にオーディエンスにされた私たち人間の身になって欲しいものだ。溜まったものでは無い。
「…雨好きだけどな、僕は。」
言葉に裏切らず、彼女…貴曽さんは劇場でジブリ映画を観ているように、雨をみつめて…いや、"鑑賞して"いる。
「雨が好きなんて、変わってる。」
実際、高三女子の一人称が"僕"な時点で、彼女は十分変わり者を名乗る資格があるのだが。あまり他人の私的な場所は触らない方が善いと思うので、それ以上は言葉にしなかった。そもそも私たちは友達ではあるが長い付き合いでは無いので、どこか気まずさがあるのだ。そんな間柄の我々が二人きりで雨宿りをしていると云うのは、何だか奇妙で新鮮だ。私は下校中に大雨を喰らいどうしようかと右往左往している所で、たまたま貴曽さんと合流した。天気予報士の虚言により二人とも傘どころか上着すら持っておらず、近くにあったまだ四時過ぎだと云うのに早々と閉店した蕎麦屋の軒先テントで、こっそり雨を凌いでいる所である。
「なんとなく落ち着くじゃない。なんというか…BGM?」
貴曽さんはあれ?僕だけ?とでも言いたげに、私の目を、ドアをノックするような目で窺った。晴れの日の空のように透き通った瞳が、刹那の間私の脳裏に焼き付く。
「いや、こんなBGMは嫌だよ。」
それを振り払うように、私は言葉を返した。
「そうかぁ…。なら仕方ない、雨が止むのを願おうか。」
貴曽さんは私と違って否定をあまりしない。あなたがそう思うなら自分も、自分はこうだけどあなたが嫌ならば、というように、相手の為に簡単に自分を変えてしまう。疲れないのか、自分ならそうしない、などと思うが、それに反して好い気分になる。私は案外単純な人間なのかもしれない。彼女の全てを肯定せんとするような声と目は、春の暖かさに似ている。その暖かさに触れているせいか、この雨が降っている瞬間は、どうしても嫌いにはなれない。雨なのに暖かい。曇っているのに青い。意味がわからない。
「あ…。」
さっきまであんなに強く降っていた雨が、蛇口を閉めたようにぱたんと止んだ。私は軒先テントから顔を出し、静かに空を見上げた。白い靄は残っているが、その隙間から、微かに青い光がこちらを覗いてきた。声をかけようと、貴曽さんの方を向く。その瞬間、目が合った。合った目は、私の意思に反して動かない。金縛りのように、もしくは催眠術に掛けられたように。否、後から考えれば、それは直射日光のようなものだった。曇りの伴わない太陽を、肉眼で視てはいけないようなものだったのだ。