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裏嗅業 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 おう、いらっしゃい。お前が一番乗りだ。

 ご無沙汰していた宅飲み実施の巻。もっとも、陽があるうちは無電源ゲームの会だがね。

 ――今日はやけに、消臭剤の匂いが強い?

 ああ、気づいたか? 普段だったらめったにやらないんだが、今朝、ちょっと昔の夢を見ちまってな。念入りにスプレーをシュッシュしたわけよ。

 興味があるか? そんじゃあ、ちょっくら話をしようか。

 うちのクラスにいた、「鼻つまみ者」のことを。

 

 学区の外から来たという彼と出会ったのは、高校の最初のクラスで一緒になった時だったか。

 自己紹介の段では、遠く離れていたこともあって、まあまあイケメンかな、程度にしか思わなかった。だが、体育でたまたま彼とペアになったことで、俺はつい鼻をつまむ。

 臭うんだ。外出から帰った後に脱いだ靴下の臭いから、冷蔵庫の奥深くに眠り続けていた、生もののラップを恐る恐る取った時の発酵臭まで。彼の身体のあちらこちらから、漂ってくるんだよ。

 

 無遠慮にまき散らしているんじゃない。彼と手をつなげる範囲まで近づいたとたん、猛烈に鼻をついてくるんだ。

 彼の容姿につられてフラフラと近寄ってきたら最後、鼻も夢も、木っ端みじんに打ち砕かれる。まるで、歩く誘蛾灯だった。

 露骨に嫌う雰囲気が漂い、俺も臭いが気にならないといったらウソになるんだが、それ以上に見栄が勝った。

 

 ――ここで嫌われているあいつと交流を続ければ、「あんな人とも差別なく付き合えるなんて、器がでかい奴」と思われるんじゃないか。


 

 分け隔てなく付き合う男という存在が、当時の俺の中では、いっとうまぶしいもの。

 たとえ短期的な悪評を得ようが、最終的には好評を勝ち取ることができるんだと、信じて疑わなかった。


 ――せいぜい、俺の未来の点数になってくれよ。「鼻つまみクン」。


 表面上、親しげな付き合いを続ける俺は、やがて彼の家に招かれたんだ。


 彼は一人暮らしだった。学校から歩いて10分程度のところにある、真新しい高級マンションの一室。そこが彼の部屋だった。


 ――ここにひとり暮らしとか、どんだけボンボンなんだよ。


 俺は、こわばりながらも彼の部屋へ向かう。1階東側の隅っこ。

 一体、どれほどの「汚部屋おへや」に住んでいたら、この臭いが生み出されるのか、ドアを開けるまで怖くて仕方なかった。。


 だが、通された彼の部屋は、思いのほかきれいだった。というより、ほとんどものが置かれていない。

 キッチンを抜けて通された六畳間には、小さなテーブルと、タンスと一つになったクローゼット。ほぼ空っぽの本棚の他は、押し入れの戸と、物干しざおを架けた庭へ通じる窓くらいしかない。


「ネットもテレビもラジオもない……生きて行けるのか?」


「おかげさんで」と彼はにかっと白い歯を見せて笑う。

 初めてあげてもらったということで、ほんの一時間ちょいの滞在。下手に距離を取るのも不自然で、臭いの不快さに耐えつつ、適当にだべるだけで終わった。

 結局、彼の臭いの原因は突き止められなかったんだが、帰ってから俺は、珍しいことを指摘される。


「……なに、この臭い。香水でもつけてきた? ひょっとしてデートか何か? 意外〜」


 家の戸を開けて、たまたま玄関先に通りかかった妹が尋ねてくる。

 一瞬、彼の臭いを移されたのかと思ったが、「香水」という言葉からして、不快な香りだとは考えにくい。


「意外とはなんだ、意外って。そりゃ彼女がいた覚えはないし、今もいないが」


「え? じゃあ自分でつけたの? うわっ、ダサッ! 似合わな! そのルックスで」


「グーパンすんぞ。顔面にな」


「それはご勘弁ですわ、お兄様」


 手をひらひらさせながら、跳ねるように階段を上って逃げ去る妹。俺もいわれて初めて、その日の自分の袖を嗅いでみた。

 シトラスミントの香り。どこかかんきつ系を思わせながら、鼻腔を抜けていく刺激を伴っている。もちろん、俺がこの手の香水をつけるわけがない。

 今日と昨日以前とで、変わったところといえば、やはり彼との接触時間の長さだろう。

「まさかな」と思いつつも、俺は翌日以降、彼の身の回りに気を配ることにした。


 果たして、俺の仮説は当たる。

 それは、彼の近くに居続けると、少しずつ臭いがなくなっていき、例のシトラスミントの香りをまとうようになるらしい、ということ。

 どうしても彼自身の臭いに鼻がつられるが、彼の持ち物も、近くに座っているクラスメートも意識して嗅いだところ、かすかにシトラスミントをまとっている。

 自分はひたすら臭く、汚くなっていく一方で、相手の臭いを消し、清涼感を与えていく。まるで手洗い石鹸みたいな奴、と俺は感じた。


 家族には引き続き、香りのことを指摘されたが、特に話さずにいたところ、香りつけにはまったと思われたらしい。

 妹なぞ「たまには別の臭いをつけたら?」と、小さいスプレーに入った香水を貸してくる始末。使わないだろうが、とは思ったが、断ると口うるさい奴なんで、かばんに放り込んでやる。

 翌日の休み。また彼の部屋に遊びに行く予定があった。


 時間通りに俺が部屋へ向かうと、彼は出迎えてくれた。

 室内にも関わらず、赤いトレーナーにダッフルコート。黒のスキニーパンツと、これから出かけそうな格好をしている、と思ったら案の定。


「来てもらって悪いんだけど、急に外へ行く必要が出てきた。留守番お願い。ないとは思うけど、お客さんが来たら居留守を使っていいから。ごめんね」


 彼はほとんど入れ違いに、出て行ってしまう。

 俺は、居留守を頼まれるとしっかり施錠するタイプ。ドアにカギを掛けた上で、チェーンを下ろした。

 荷物を置くかたわら、部屋を嗅いでみたけれど、どこもあまさずシトラスミントの香り。その強さは、もはやこびりついているといえた。

 俺は六畳間の端に寝転がって、大の字に身体を伸ばす。途端に眠気の洗礼が。

 ちょっと眠るか、と頭へ回した両腕を枕に、うとうととまどろんでしまった……。


 ノックの音がして、目を覚ました。

 腕時計は、まだ10分ほどしか経過していないことを示している。眠りを妨げられた俺は、忌々しげにドアへ視線を向ける。

 コンコン、コンコン……。

 しつこい。

「とっとと帰れよ」と心の中でぼやくが、事態が転がり出した。


 鍵穴へガチャガチャと何かを差し込む音がして、俺は飛び起きる。

 彼だったらノックなどしない。合鍵を持っているとしたら家族だろうが、友達が来る日にお宅訪問を願うか、普通? そうでなければ、空き巣……。

 開いたドアがチェーンに引っかかったのと、バックをひっつかんだ俺が、庭への窓から飛び出すのはほぼ同時だった。

 ちらりと振り返った時にはもう、入り口のチェーンが、外から差し入れられたボルトクリッパに断ち切られるところだった。


 ドアを全開にし、次々に室内へ入ってくる人影。連中はいずれも白いマスクと黒いサングラスをかけ、そろいの灰色パーカーを着込んでいた。マスクは口とあごを覆うのみで、鼻を出している。

 連中は、その鼻先を様々な家具へ押し当てるように嗅ぐと、それが洗濯機だろうが冷蔵庫だろうが、ひょいと一人で軽々と持ち上げて、外へ運び出す。更に家具のあった場所へは、白い帯で包んだ札束を置いていくんだ。その間、10秒もかかっていないだろう。

 更に、パーカーの一人が、真っすぐ部屋の中を横切って、窓へ近づいてくる。

 俺を捕まえるんじゃ? と思うや、脱兎のごとく逃げ出したよ。

 

 マンションの入り口も裏手も、大型のトラックが停まっている。壁ぎりぎりに寄せられて、すり抜けることもかなわない。後ろから追っ手の足音もして、悠長に塀をよじのぼってはいられなかった。

 音からして、直線だと追っ手は俺より速い。だが、角を曲がると、いくらか足が止まる。肩越しに振り返ると、奴は犬が臭いを探るように、地面にはいつくばって顔をあちらこちらに向けていた。

 

 ――あいつら、犬みたいに臭いで追うのか。それも顔を向けた方しか、嗅ぎ取れないらしい。

 

 俺は更に角を曲がる。左手には、大人さえも隠せそうな背の高い植え込み。

 賭けだ。俺は植え込みの影にかがみこむと、妹からもらった香水を引っ張り出す。ビンを逆さにし、頭からどんどんと振りかけていった。

 レモンとラベンダーをミックスしたかのような香りが、過剰にあふれる。おしゃれとはとてもいえないが、今はこれでいい。

 

 十数秒後。どんどん大きくなってきた駆け足が、植え込みの向こうで止まる。

 こちらにも聞こえてくるほどの鼻音。俺は息さえほとんどしなかった。

 何度、つばを飲み込みかけたろう。やがて足音の主は、とうとうこちらをのぞき込むことなく遠ざかっていくのが聞こえた。

 じっとしてはいられない。

 俺はそっと植え込みから顔を出す。誰もいないと見るや、数メートル先の堀へ取り付き、乗り越え、足早にその場を後にした。

 

 翌日から、彼は学校に姿を見せなくなってしまう。クラスのみんなは表向き心配をしながらも、その言葉の端々に重荷が下りたかのような、安堵感をにじませていたよ。

 だが、卒業までの間。最後に彼の8方向に座っていた生徒に関しては、シトラスミントの匂いが抜けなかった。いや、それどころか少しずつ少しずつ、強くなっていったように感じたんだ。

 万一ということもある。俺はそれとなく、漂う香りと別の香水についてすすめたが、男も女も、俺をいぶかしげな目で見るか、口出し無用とはねつけるかのいずれかだったよ。

 俺は例の事件以降、香水をつけ続けていた。あのシトラスミントの香りは、抜けきっていなかったからな。

 いつ、あいつらに嗅ぎつけられるかと思うと、やめられなかった。


 そして、つい数年前の同窓会。あの8人に関しては、ひとりも出席しなかった。友人によると、いずれも卒業からしばらくして、消息が分からなくなってしまったとのこと。

 ほどなく、俺の身体からもシトラスミントの香りはしなくなった。。

 彼はもしかすると、あの8人とその代金で。満足してしまったのかもしれない。



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― 新着の感想 ―
[一言] シトラスミントの匂いに反応する、白マスクは一体……(((;゜Д゜))) 鼻つまみ者の彼は、たぶん確信犯みたいなものなんですよね……それも怖かったです。 花は虫の好きそうな匂いを出して呼び寄せ…
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