1.私立 九星学院 生徒会長 黒崎明日菜
この学校には変な先生が一人いる。
私はその先生のことがとても気になっている。
長野県北部、長野市にある私立 九星学院、12年前に新設され、生徒数1,200名の県内でも大型の私立高校。自由な校風と独特の授業内容は全国でも有名で、この高校に通うことは学生にとってちょっとしたステイタスとなっている。66,000㎡の広い敷地には野球、サッカー、テニス等のスポーツ施設をはじめ音楽ホールや演劇場などが揃い、クラブ活動が盛んなのも、この高校の知名度を上げるのに大いに貢献している。
そしてこの高校の生徒達に絶大な人気を誇るのが、生徒会会長である黒崎 明日菜だ。
ミディアムショートの黒髪に、活発そうな瞳。胸はちょっと控えめなのだが、173cmの高身長から伸びるスラっと長い脚線美は、廊下ですれ違う男子生徒を100%二度見させる破壊力を誇る。
入学して3ヶ月でバスケ部のエース、しかもインターハイを優勝に導くという、飛び抜けて高い運動能力を誇る彼女だったが、その年のウインターカップ優勝を果たした直後、突如引退を表明して学校のみならず全国を騒がせる。
左肘の靭帯損傷という、アスリートに有りがちな理由での引退だったのだが、彼女は怪我の完治を待たずに退部届を提出し突如、生徒会長選挙に出馬する。もともと抜群の知名度と容姿を持つ彼女は、学院設立以来初の92%という脅威の得票率で当選を果たした。
美人すぎる生徒会長の誕生である。
「それじゃ、今日はこんなもんかな」
ん~と伸びをしながら目の前に置かれた書類をまとめる。
「そうですね。おつかれさまです、会長」
「春、私はこの書類、顧問の先生に提出してから上がるね」
「あっ、それくらい私が行ってきますよ会長」
「ちょっと、秋ちゃん」
「えっ、や、いいの、いいの! 私が持って行くよ。せ、せっかくだし」
なにがせっかくだと色々ツッコまれる前に素早く席を立つと生徒会室を出る。扉の前でクルッと振り向いて会計と、副会長の2人に「鍵は掛けちゃっていいからね」と声をかけ、手をワタワタと振りながら、廊下を早足で歩き出した。
顔を少し赤らめた黒崎会長がテトテトと小走りに駆けていく、尻尾があったらブンブン振ってそうだ。
生徒会室に残された2人は、その後姿を見送りながらほっと一息つく、黒髪ロングの副会長 赤城 春が、猫っ毛天然パーマの会計 白井 秋に声を掛ける。
「秋ちゃん、あんたバカ! 会長の邪魔してどうするの」
「う~っ、うっかり忘れてたゴメンちゃい」
「まったくもう、会長のあのうれし恥ずかしの顔みればわかるでしょ。明日、夏君も来たら一緒に説教ね!」
「うわっ、マジで」
「マ・ジ・で」
「ひぃ~~っ!」
パタパタと軽い足音が夕日射し込む廊下に響く。最近、校舎から見える山の紅葉が凄い勢いで赤みをおびてきた、(長野市は360度どこを向いても山が見える)もうじきあの人の車もスタッドレスタイヤに交換されることだろう。
今日の仕事は手に抱えている書類に、顧問の先生にハンコをもらえば終了だ。自然と足取りも軽くなるし、顔もにやけてしまう。
理科室、家庭科室、視聴覚室、図書室、美術室と特別教室をぎゅ~うっと詰め込んだ棟の3階の最南端、この学院の正に端っこが私の目的地。
生徒会長就任以来、半年経つがすでに日課になりつつある場所だ。
美術準備室の札の掛かった黒い扉の前で一呼吸。手鏡で顔をチェック。「よしっ」と心に気合いを入れて、なるべく元気に扉を開く。
「先生、ハンコもらいに来ましたー」
ガチャコと勢い良く開かれた扉の中から、フワっと珈琲の香りがあふれてきて鼻腔をくすぐる。
美術準備室?のくせに妙に広い部屋を見渡すと、目的の人はいた。
部屋の角にあるi-Macに向かって、カチョカチョとキーボードを打つ白衣姿の背中が揺れている、アグリッパとブルータスの石膏像に挟まれているから、白い塊が3つ並んでるのがなんかシュールだ。
というか私の呼びかけは無視ですか、ちょっと寂しいんですけど。
「青桐せんせー!」とちょっと怒った風にもう一度呼びかけると、ようやく気付いたのか椅子をクルリと回して私の方に顔を向ける。
青桐 鉄先生。身長178cm、痩型だが意外と筋肉があるのを私は知っている、聞いた話ではアラフォーらしいが童顔のせいでギリギリ20代に見える。私的には全然セーフ、超セーフだ。すこしやぼったい長さになりつつある寝癖のついた黒髪が椅子の回転に合わせて揺れる、眼鏡を中指でクイッと押し上げながら口を開く。
「あぁ、黒崎会長。おはようございます」
「もう放課後ですよ! おはようって時間じゃないですよ。先生」
「いやー、今日は授業無かったから、ずっと準備室に籠ってからねぇ。それで、本日最初の挨拶が会長だったので、おはようとなった訳ですよ」
アラ、私が最初ってのは悪い気がしないわね。しかし…………
「先生は、ぼっちなんですか?」
「はは。そういう訳じゃないけど、ちょっと集中してたからね」
そう言って指差したパソコンの画面には、すっごい綺麗なイラストがモニターに映っていた。なにかの挿絵だろうか、幻想的な風景に1組の男女が描かれている、これから旅に出ますって雰囲気でワクワクする。
「また、副業のイラストのお仕事ですか? もはや、そっちがメインの仕事になってません?」
そうなのだ、この先生は副業としてイラストレーターなんて仕事をしているのだ。美術の教師だけに当然、絵は上手い。聞けば結構有名な小説のイラストとかも描いたことがあるらしい、恥ずかしがって詳しくは教えてくれなかったが。
大体この学校は美術の授業が極端に少ないのだ、2年生の後期にならないと選択授業すらないのは、どういうことなんだろう。(私は当然、選択しているが)そのおかげでこの学校に、美術教師が居ることすら知らない生徒もいるのだ、まさに幻の教師だ。学院の七不思議になりつつある。
さらにこの規模の学校では珍しく、美術部が無い。まんが同好会やイラスト研究会は存在するが、その部活動が美術室で行われる事は無い。(この学院は空き教室は多いので問題はないのだが)
なぜか、校長先生の許可が下りないのだ。
競争率で言えば、個人的にはいいことなんだけど……なんかモヤモヤする状況だ。
先生のことを皆んなに知って欲しいような、欲しくないような複雑な気持ち。
「まぁ、立ち話しも何ですから、座って下さい。今、珈琲淹れますよ」
待ち望んでいた、その一言で顔が緩んでしまう。私は先生の淹れてくれた珈琲を飲むために、わざわざ、こんな学院の隅っこまで来ているのだから。
「ふふ、飛びきり美味しいのお願いしますね、先生」
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