古武術使いと肉の魔女(3)
「蔵部! とりあえず陸上部の部室に来てくれないか! この男! 石持勇気! お前に折り入って頼み事がある!」
「入んないぞ、陸上部」
「なんでだよぉ……」
陸上部の熱烈で執拗な勧誘は、放課後になっても続いていた。
「お前ほどの逸材を帰宅部に眠らせておくのは人類の損失だ! どうせ何も用事なんて無いんだろ!」
「アイリが待ってるから無理」
「二重の意味で許されんぞお前……!」
音がするんじゃないかと思うほどに強く歯を食いしばって、石持は和馬を睨みつける。
「今日のアレはまぐれだってば。諦めてくれよ」
「諦めん……俺は絶対! 諦めんぞォ……!」
そう言って、崩れ落ちる石持。
そのまま手を小さく振って別れの挨拶をしてみせる。
「……芸が細かいな」
「――ッ、じゃあ!」
「じゃあじゃねえよ。入んないからな」
顔を上げた石持に、和馬は手を降って別れを告げた。
「悪い、待たせた」
「んーん。お疲れさま」
和馬とアイリは、学校近くの神社で落ち合った。
二人きりで帰るための習慣は、いつから始まったのか思い出せない。
けれど、お互いの用事がない日はそうすることが当たり前になっていた。
和馬は歩みの速度をアイリに合わせて少し遅める。
「カズくん、今日晩御飯なに食べたい?」
「んー、カレーとか」
「カレーじゃ明日のお弁当に使えないじゃない」
主婦めいたアイリの反対に、特に考えもない和馬の意見は却下された。
「えー……じゃ、ドライカレー?」
「そんなにカレー食べたいの?」
小首を傾げるアイリに、和馬は首を振って応える。
「わからん。俺も父さんも、料理は詳しくないし……アイリに任せるよ」
「任せるって、それが一番困るんだよ?」
「じゃあやっぱり、ドライカレーが食べたい。アイリの作った」
「んー、ドライカレーかぁ。カレー粉、もうなかったよね? 確か」
和馬は思い出そうとして、やめた。
蔵部家の台所は、アイリに掌握されて久しい。アイリが覚えていないことを、和馬が覚えているはずがないのだ。
「アイリがないってなら、ないんじゃないかな」
「じゃあ、買いに行かないと」
「いや、先に帰ってていいよ。いろいろ準備もいるだろうし……俺がひとっ走りして買ってくるよ」
和馬がそう言うと、アイリは微笑みを浮かべながら和馬の顔を覗きこむ。
「……なんだよ」
「カズくん、そんなにお腹すいちゃったの?」
「育ち盛りなんだよ! 悪いか!」
顔が近いのが妙に気恥ずかしくて、和馬は顔を背けた。
「ふふっ、元気でいいね。じゃ、カレー粉と、いろいろ買ってきてほしいものあるかな。お台所見てから、要るものメールするね」
「……頼む」
「りょうかーい。じゃ、また後で」
「ん。気をつけてな」
「カズくんこそ、買い物間違えないでね」
俺は子供か。
和馬がそんな文句を言う前に、アイリはスキップしながら角を曲がっていってしまった。
和馬はため息を小さく吐くと、真っ直ぐスーパーに向かうことにした。
のんびり歩いてスーパーに向かうこと20分。アイリからのメールを見て和馬はしっかりと買い物を果たし、家に向かっていた。
「カレー粉、小麦粉、ナスに牛乳……忘れもんでもあったらさんざんからかわれるからな」
子供扱いされているのに、お使いまで失敗したら目も当てられない。
和馬は、帰路何度も、メールと買い物袋の中を確認しながら歩いていた。
「それに、ネズミ返しか。ネズミなんか出るか?」
アイリはたまに、こういうよくわからないものを買うことがある。
和馬には何に使っているかはわからないが、彼女が必要だと言うのなら、それは必要なのだろう。
ネズミを見たことがないのは、和馬達が台所に立たないからなのかもしれない。
秋の空はつるべ落とし。スーパーに行って帰ってくるだけで、すっかり夕暮れ時になっている。
腹の鳴る音に急かされるようにして、自然と足早になってしまう和馬。
遠くからもわかるくらいの大きな豪邸、もはや屋敷といったほうがいいような羽原家の隣。
今どき珍しい純和風の家が、蔵部家だった。
和馬はほとんど駆け出すような早足のまま、家の戸を開ける。
「ただいま」
玄関を開けると、そこには、三つ指をついて和馬を出迎える死体があった。