約束
この行為に、一体どれほどの意味があるというのだろう。
愛だなんてばかばかしい。気持ちいいから、すっきりするから、バイトなんかよりよっぽど割がいいから、こんなことをしているんだ。……気持ちいいのに、お金だってたくさんもらえるのに、ちっとも満たされない。虚しさばかりが募って、それでも人恋しさを埋める方法なんて知らなくて。
何をしているんだ、と声をかけてくれた先生が、まるで神様みたいに見えた。寂しいなら俺が相手をしてやるから、自分のことを大切にしてくれ。先生のその言葉を俺はよく覚えている。まだ独身だった先生が言ったのだからなおさらかもしれない。
その言葉が嘘であろうとなかろうと、心の塊がしゅわりと溶けていくのが感じられた。強く抱きしめてくれた先生の温かさは、たぶん一生忘れられない。
「春さん、どうしてあの時俺に声をかけたの。」
ふっと心に浮かんだことを尋ねてみた。世間の言う正しさなんかに囚われ、俺なんかと結ばれ、結婚もできないままに生涯を終えようとする者への質問には、あまりに酷だったかもしれない。
「今さらそれ聞くのかよ。」
掠れた咳をし、辛そうにしながらも春さんの目はちゃんと俺を映していた。その目の中に、後悔なんてものはひとつも混じっていないように見えた。
「お前が、昔の俺みたいでな。」
懐かしそうに春さんはほほえんだ。
「えっ、先生も?」
思わず昔の呼び方が口をついた。何十年と共に過ごしてきたのに初めて聞いた話だった。
「先生っておまえ、懐かしいなあ。」
なんか照れくさいな、とあたたかく笑う春さんと、やっぱり最期まで一緒にいたいと思ってしまう。
「その時助けてくれた先生には感謝してもしきれない。思えば、それが初恋だったしな。」
なんてな、と春さんははにかんだ。春さんの学生時代を見たような気がして、なんだか嬉しくなった。
「……やっぱ、お前を残して逝きたくないなぁ。」
不意に声が小さくなった。見れば、目元にはうっすら涙がにじんでいる。また、春さんが大きくせきこんだ。胸が締め付けられる。一人だった頃を思い出しそうで、必死にこらえた。
「なあ、冬樹。冬が終わったら、一緒に逝こうか。」
どうだ、と茶目っ気を混ぜつつ笑う春さんは、あの頃と変わらず、ただ優しかった。
「……うん。一人は、もういや。」
そうか、と満足気な春さんにキスをした。この寒さを乗り越えたら、もう彼の生まれた季節はやって来ないのだ。
冬の間はあなたと笑っていよう。春を迎えることがなくたって、きっと自分たちはやっていける。だから、あと少しだけ。少しだけ、この世界で幸せをかみしめよう。
小指を絡ませる。
「約束。」