美奈子ちゃんの憂鬱 安楽椅子に寝そべって 深夜の出来事 前編
●桜井美奈子の日記より
「到着ぅ!」
電車から降りた葉子がバンザイしながら声をあげた。
プロペラ機で揺られること数時間。さらに電車で数時間。さすがに退屈だったんだろうけど、電車から降りた途端、むっとした熱気に私は顔をしかめた。
こっちも、思ったより暑いんだ。
「お姉ちゃん!」
「はいはい……いい子にしてないと、ご飯なしですからね?」
「はぁい!」
夏休み。
理沙さんのお誘いで、私は北海道に来ていた。
理沙さんの実家、実は牧場で、しかも近くに温泉が出てからは旅館業まで始めたという。
牧場の規模も北海道でも上から数えた方がいいらしいし。
考えてみれば、理沙さんって、結構お嬢様だと思う。
そんな理沙さんのご厚意で、私と葉子、そしてルシフェルさんの3人で北海道旅行だ。
お母さんからは、「おみやげはこれね?」とそれはそれは分厚いリストを渡されている。
まず、理沙さんの実家である牧場にご挨拶。
「暑い中、御苦労様」と、冷たい麦茶を出してもらう。
牧場と聞いていたから、きっとログハウスみたいな家かな?と思っていたけど、意外と普通の民家。
理沙さんのご両親からの出迎えを受ける。
娘が警察のキャリアだから、さぞ厳格な人かと思っていたけど、本当に普通の、優しそうな人達だった。
「娘がいつもお世話に」で始まった世間話。
理沙さんは戻らないというし、私達は旅館へ泊まると話したら、しきりに残念がっていた。
その間、葉子は扇風機の前で―――
こら葉子!
ここはお家じゃないんだから!
スカートめくって扇風機の風にあたっちゃいけませんっ!
理沙さんに旅館に呼び出されたは、お昼頃。
牛を見に牧場に行っていた時だ。
「悪いわね。せっかくの夏休み」
「いえ。こっちこそ」
呼び出されたのは、何故か旅館のロビー。
理沙さんの実家じゃない。
「どうしてこっちなんです?」
「ん?」
「実家の方に戻られているのかと」
「ああ……いろいろとね」
理沙さんは渋い顔になってコーヒーに口を付けた。
これ葉子。さっきソフトクリーム食べたでしょ?我慢なさい。
「君たちも―――私くらいのトシになればわかるわよ」
「?」
「―――こっちの事情、何かあれば声をかけるけど、それまでは自由にやって頂戴」
旅館の部屋に通された私達は早速荷物を解きながら雑談。
「ようするに」
ルシフェルさんは納得したように言った。
「理沙さん、実家に戻ると“結婚しろ”ってうるさいから戻りたくないのね」
「……ああ」
―――私くらいのトシって、そういう意味か。
「女として……わかりたくないね」
「それともう一つある」ルシフェルさんは言った。
「桜井さん……この旅行、仕事でしょ?」
「やっぱりそう思う?」
「うん」
ルシフェルさんは手を止めることなく頷いた。
「警察関係者がロビーに4人、この階の階段に2人いた」
ルシフェルさん、よくわかるなぁ……。
「第一。理沙さんが旅行費用三人分も個人で捻出するってところからひっかかる。旅行中の全部の領収書出せって念まで押されているし」
「あっ。理沙さんが、経費で落とすってことは……」
私は肩の力を落とした。
あーあ。
この旅行、そういうことだったか。
「事件担当は私で、護衛がルシフェルさん」
「本当なら水瀬君が来るはずだけどね」
「そういえば、水瀬君は?」
「アルバイト中」
「アルバイト?」
「うん。拝み屋の真似事始めた」
「何それ?」
「都内の曰く付きの物件、やすく買い叩いて、浄化して、高値で売りつけるんだって。お義父様の依頼でやって以来、味をしめちゃったらしくて」
夕飯は牛尽くし。
露天風呂は最高に気持ちよかった。
あとは寝るだけ。
「あら?もう眠くなっちゃった?」
長旅の疲れが出たのか、葉子はすぐにお眠モード突入。
ルシフェルさんの膝の上で絵本を読んでもらっていた葉子がうつらうつらし始めたのがその合図。
「ふふっ。桜井さん?私達も寝ちゃおうか?」
葉子を抱っこしたルシフェルさん。お布団はもう仲居さん達が敷いてくれているし。
時間はまだ10時前だけど、確かに少し眠い。
暗くしていたらねちゃうだろう。
そうね。そうしちゃおうか?
……くいくい
夜、私は袖を引っ張られて目を覚ました。
枕元の腕時計を見たら、まだ12時にもなっていない。
……くいくい
?
起きあがってみたら、袖を引っ張っているのはルシフェルさんだ。
「あ……あの……ね?」
何故かルシフェルさん、本気で困ったような声になっている。
「どうしたの?」
「よ……葉子ちゃんが……んっ」
あの?ルシフェルさん、妙になまめかしい声ですけど?
「だ……だって……」
やっと暗闇に目が慣れてきた。
そして、ルシフェルさんをよくよく見た私は絶句した。
ルシフェルさんの浴衣の前が妙に(色っぽく)はだけていて、そこに何かが覆い被さっている。
……え?
違う。
葉子だ。
な、何してるの?葉子?
「そ……それが……あ、んっ」
葉子は一心にルシフェルさんに覆い被さるようにして何かをしているし、それにルシフェルさんがちょっとHな感じで反応している。
ま……まさか?
なんと、葉子がルシフェルさんのおっぱいを吸っている……。
こ、この子……ここまで子供だったとは!
「あ……あの……どうしたらいいの?」
ルシフェルさん。いくらなんでもこんな経験はないだろう。
すっかり困惑していた。
ごめんなさいっ!
とりあえず、私が葉子をそっとルシフェルさんから引き離した時だ。
ダーンッ
それが銃声だと、すぐにわかった。
「!」
ルシフェルさんの目が一瞬にしてプロの目になる。
私は葉子を抱きしめながら、その様子を見つめるだけ。
やっぱり、ルシフェルさんは凛々しい方が似合うと思う。
そして―――
ドンドンドンッ!
「御免っ!二人とも、起きてるっ!?」
「害者は染谷祐19歳」
私達と同じ階の3つ離れた部屋に私は通された。
室内の造りは洋風で、大きなバスルームが事件現場になっていた。
そこに、全裸の男性が倒れている。
う……うつぶせでよかった。
ちらりと見た顔は、いわゆる線の細い美少年系。
結構、好みかな……。
「合成麻薬の運び屋でね。ロシアから北海道経由で麻薬を運ぶ途中、ここに立ち寄る計画を掴んだ。こいつを泳がせて、販売ルートを一網打尽にするつもりだったのよ」
「なんで、こんなところへ?」
理沙さんには失礼だけど、こんな長閑な牧場と麻薬が=(イコール)ではつながらない。
「オヤジが麻薬のバイヤーなら射殺してやるところだけどさ」
「……何かが、ありますね」
「参ったわよ……何しろ、明日からは修学旅行の団体が入るのよ?」
「へぇ?」
麻薬のバイヤーと修学旅行……ねぇ。
旅館ってのも大変だ。
私はもう一度、事件現場になった部屋を眺めた。
ベッドの横にはボストンバッグが二つ。
服はクローゼットの中。
別におかしいところはない。
「見張っていたら、突然、銃声がしたから踏み込んだ」
「ドアにカギは?」
「かかっていた。マスターキーは最初から借りていたわ」
「侵入者の可能性は?」
「外部から侵入した可能性は否定出来る」
「狙撃」
「あるわけない」
「じゃ―――自殺?」
「その可能性が一番高いけどね」
理沙さんは、死体の横に転がっている拳銃を指さした。
「あれでパンッっ―――そんなところかしら?」
「……」
「参ったわ……自殺されたんじゃ、販売ルートについて何もわかんないじゃない」
「……自殺、ですか?」
「密室よ?しかも、他殺の可能性を示唆するものは何も出ていない。胸への一発で終わり」
「ふぅん?」
私はじっ。と、死体を見た。
拳銃自殺は初めて見たけど、胸の当たりから少し血が出ているだけで、あまり凄惨な現場という印象じゃない。
その時は、こういうものなのかな?と、そう思うしかなかった。
「遅れて悪かったね」
鑑識の人に通されて入ってきたのは、白衣のおじいさん。
背は私より低いくらい。頭は随分とさみしくなっていた。
「で?ホトケさんは?」
ああ。この人、検死医なんだ。
「そこです」
「ほう?……村田さん?」
「はい?」
「全裸なのは、あんたの趣味かい?」
「まさか」
「そうかい?―――ま、これからはワシの仕事じゃな」
「そういうことですね」
「仕事に入る。風呂場のドアを閉めさせてもらうぞ?」
「そういえば……」
私は理沙さんに訊ねた。
「合成麻薬ってどんな薬なんですか?」
「錠剤。効果は覚醒剤とかわんないけど、大量に服用すると仮死状態になる」
「……犠牲者が」
私は上手くまとまらない頭で聞いた。
「犠牲者が持っていた麻薬は、どれくらい?」
「かなりの数になるはずなの。それこそ段ボール1箱位。末端価格で10億はする」
「……そんなに荷物を?」
「ううん?ヤツはバック二つだけしか持っていなかった。空港からここまでね」
「……」
「どうしたの?」
「なんとなく、話がまとまってきたので」
「早いわね。麻薬はどこ?」
「ここにはありませんよ」
私は笑って言った。
「理沙さん」
「ん?」
「手錠、準備していてください」
……さて、犯人わかりましたか?他殺ですか?自殺ですか?全ては後編で。