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舟歌  作者: 都築 樹
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舟歌

 生者の世界と死者の世界。その二つを隔てるのはたった一本の川だった。

死んだモノは必ずその川岸へ行き、渡し舟などに乗り川を渡る。そして、渡った先が死者の国という事になるのだ。

つまり天国やら地獄などただの人間の妄想に過ぎない。死者の国はただ死んだモノが訪れる所。

それは、物であったり、者であったりする。

川岸へたどり着いたモノが死んでさえいれば良いのだ。だがら、モノは引っ切りなしに川岸に来て、引っ切りなしに死者の国へ行った…。



 



そんな中、ある日男は川岸の小石を遊びながら、対岸をじっと眺めていた。いや、実際には対岸なんてものは全く見えていない。流れの緩やかなこの川は、あまりに幅が広く、濃い霧が立ち込める為、反対側にあるはずの川岸の影すら見えない。

しかし、男はそれを眺めていた。何故なら、その存在がそこにあるのをしっかりと知っていたのだ。

男は渡し守だった。

ずっと昔からこの川で、舟を操り死んだモノを送ってやっていた。

その渡し守は、暇そうにポケットから煙草を取り出し口にくわえる。そこで火が無いことに気がついた。マッチは舟に置いたままだった。

仕方なく渡し守は立ち上がり歩き出す。

小石ばかりの川岸を沿って歩けば、そのうち自分の船がある船着き場に着くはずだ。

だが、渡し守は立ち止まった。

目の前に、招いてもいない客が来ていた。

二十代半ばの男。背は、渡し守と同じぐらいだろうか?最後に計ったのはいつだか忘れたが、多分170後半ぐらいだろう。

渡し守は男に近づいて行った。


「火、いりますか?」


男は愛想の良い笑顔を渡し守に向けて、ライターを差し出した。

渡し守はとりあえずくわえていた煙草に火をつけ、男の隣に座る。肺にたまった煙を、もう珍しくもないクリーム色の空に向かって吐き出した。


「何でここに来たんだ。あんたまだ死んじゃいないだろ。観光なら金取んぞ。」

「あるんですか?そんなもの。」

「さあな。」


渡し守は、再びすっきりしない空に煙を吹くと、煙草を近くの石に押し付けて消した。

金にならない奴が来たもんだと思う反面、こんな規格外の事でもなけりゃつまらんと内心思う。

男はそんな渡し守の考えを知ってか知らずか、暢気な顔をして川に石を投げて遊んだ。

石は、三回だけ跳ねて水に沈んでいった。


「下手クソ。」

「頑張れば、向こう岸に着くかと思って。」

「そいつは死んでないから、決して向こうには行かんぞ。」


渡し守の発言に、男は驚いたような顔をした。

大方、川を渡ってしまえば誰でも死ぬと思っていたのだろう。現実の世界はろくでも無い事ばかり信じる。

渡し守は川岸の石を見渡し、何かを掴む動作をした。


「何が見える?」

「手です。」

「こいつは死んでるんだ。死んだモノは、生きてるお前には見えない。だから、お前が望んでることも無理だ。」


渡し守はそう言って、手に持っていたモノを川に投げた。何も無いはずの水面に、ゆっくりと波紋が広がっていく。

ああやって川を流れていけば、死んだモノは簡単に反対側の岸部に着くのだ。

人間だったら舟なんか使わず泳げば良い。それでも十分着く。


「僕の望んでる事、知ってたんですか…。」

「まあな…。死んだ誰かに会いたいってやつだろ。誰に会いたいんだ?」


渡し守はそう言ったが、知っていたのでは無くただのカンだ。だが、相手にわざわざ教えてやる義務も無い。

ただ、生きてる奴がここに来る方法はいろいろ有るし、実際にしょっちゅう来る。いわゆる臨死体験というやつだ。しかし、生きる意思がある奴は、たいてい来た途端に帰ってしまう。何時までも残っているような奴は、生きる事を放棄した奴か、何か目的があっている奴のどちらかしかいない。

渡し守のカン等そんなものだ。

男は困ったような表情をしてから、渡し守と目が会うと無理矢理笑顔を作った。

渡し守はそれを見ない振りをして、顔を対岸に向ける。


「僕の姉さんに会いたかったんです。死んだのが一年前なんですけど…。もし、まだいることがあったらって、そう思って。」

「一年前なのに何でいると思ったんだ?」

「…ああ、それは――…。姉さん、娘がいたんです。今年で、七歳になります。」


男は落ち着いた声で、ゆっくりと言ったが、それは確実に後悔したような響きを含んでいた。

まるで懺悔するように、男は立てた膝の上に肘を置き、組んだ手を額に当て、『僕が今、その子の父親をしてます。』とだけ言う。

渡し守は、男を見る事なく、言葉だけを聞いていた。


「話を聞いてくれませんか?」

「こんなしょぼくれたオッサンに話しても楽しくないぞ。」

「あなたは死んだモノに触れ、生きている僕の目に映っています。生きてないし、死んでもないということですか?」


渡し守は観念したように笑った。

まさかそこまで考える奴だとは思わなかった。


「俺はここで渡し守をしてる。神の類だが端っこに、ガムみたいにへばり付いてるような辛うじての神だ。それでいいんなら、話でも何でも聞いてやるよ。だが、懺悔するなら他あたった方がいい。アドバイスも出来ない。」

「そんな大それた話じゃなくて…。まあ、昔話と変わらないです。聞いてほしいだけで…。」

「わーったから。話せ。」


渡し守が横目で男を見ると、男は人懐っこい笑顔をして『ありがとうございます。』と言った。

人当たりの良さそうな人間。それがこの男に合う言葉だと渡し守は思った。それが良い事か悪い事かはわからないが、嫌いではない。

男は笑った顔のまま、顔を対岸に向け、懐かしそうに話し出した。


「変な話になりますが…。子供の頃、『自分の夢を書きましょう!』っていうのがあって、僕はそれに『うちゅうひこうし』って書いた事があったんです。別にその時は、宇宙飛行士になりたかった訳じゃ無くて、本当になりたかったのは普通のサラリーマン。いわば、カモフラージュしたかったんです。地味って言われるのが嫌だったし、子供っぽくないとよく親に言われていて…。そこで親に気を使う子供の方が、よっぽど子供っぽくないんですけどね。でもその時は、夢のある子供っぽい子供のフリをしたかったんです。事の始めはこのただの嘘でした。けど、そのうち錯覚をしてくるんです。自分のなりたいのは宇宙飛行士だ!って具合に…。バカっぽいですね。自分の罠にかかったみたいな感じです。けれど、夢を追い掛けている時は楽しかった。宇宙飛行士になれるのが一握りより少ない優秀な人達だって、わかっていたのに、理解していたはずなのに、楽しくて仕方なかったんです。結局、僕は、宇宙飛行士になれませんでした。そして、諦められなかった僕は、宇宙飛行機を造る方の仕事についたんです。駄目なら代わりのもので我慢しようと…そんな魂胆で…。愚かだと思いますか?偽りの夢を見て、追い掛けたあげく、僕は諦めて違う夢を代用しました。今度は、自分達の作り上げた宇宙飛行機を、打ち上る事に夢を見たんです。」


渡し守は黙っていた。

男の顔を見ず、対岸だけを見つめ、話をただ聞いていた。


「そして、夢を叶えられる時は、以外と早く訪れたんです。僕のいた開発チームの中で、僕の意見が採用されました。僕が直接関わった宇宙飛行機が空の最果てを越え、宇宙に行くんです!その時の喜びは、もう何と言って表していいかわかりません。それだけ嬉しかったんです!宇宙飛行機の打ち上げ計画は、1%のミスも無く着々と進みました。そして、念願の宇宙飛行機の打ち上げは素晴らしいものでした。そして、そして…悪夢でした。」

男が笑ったまま話しているのを渡し守は確認し、再び目を対岸に向けた。

楽しい思いで話を話すように、男は笑った顔をそのままに話続けた。

「夢は堕ちて、悪夢になりました。墜ちた先は港街で…。光りが一瞬で走り、凄まじい音が轟き、空が朱に染まりました…。多くの人が死んで、僕は謝って回って、仕事を止めて、人殺しと…罵られました。偶然や運命とは、怖い。何故街に。よりにもよってそこへ!…姉さんの住んでる街に…!!」

「………………。」

「姉さんは、旦那さんが他界してから、一人で娘を育てていたので、僕がそのこを引き取りました。それこそ罪悪感の気持ちからだったかもしれません。…これ、その娘が書いた絵なんです。学校で『ありのままのお母さんを描いてください。』と言われたそうです。」


男はポケットから紙を取り出し、渡し守に差し出した。

クレヨンで描かれた色鮮やかな『おかあさん』という拙い子供らしい字の下には、勿論その子の生みの親である男の姉が描かれていた。黒のクレヨンだけの絵。人の大まかな形、そこに無数の横線が入っていた。

目も口も耳も髪も無い。鼻の線だけが入っている。あとは、横線―…。

それが包帯だと気付くのに、渡し守はそんなに時間がかからなかった。それは、まるでミイラのように見えたからだ。

それが、その少女の見た、最後の母親だったのだろう。


「写真も燃えちゃって、僕は昔の姉さんしか知らないから、なんとも言えなくて…。姉さんがもしまだいたら、そして会ってくれたら、その娘にちゃんと絵、描いて上げようかなって思ったんです。でも…、無理ですね。話を聞いてもらえて良かったです。ありがとうございました。」


男は立ち上がると、渡し守にたいして深々と礼をした。

そのなれた動作に目を細める。

この男は、幾度となく頭を下げ続けたのだろう。事故で死んだ者達や、遺族の者達に向かって…。

自分の夢を錯覚と言い聞かせ、自分を愚かと言い聞かせ、それでも頭を下げたのだろう。


「帰るか?」

「はい。…あの、もし死んでこちらに来たら、僕はあなたに川を渡してもらいたいのですが、いいですか?」


男が問うと、渡し守は苦笑した。こんな時から死んだことを考えるとはなんともあれである。

渡し守は指を指した。


「向こうのゲート付近に、渡し守は沢山いるんだぞ、美人のねえちゃんとかもいるからそっちに行け。ここは、向こうでたらい回しにされた厄介者専用だ。」

「僕は厄介者ですから♪」

「……………。…しょーがねえなぁ。」


渡し守はズボンのポケットを探り、見つけたものを指でピンッと弾いて男に渡した。

取りそこねた男が転倒するのを笑いながら、『それやるよ。』と渡し守は言った。

渡した物は、一枚のコインだった。それはまるで玉虫のような怪しげな緑色をしており、角度を変える度に輝きを変えた。

男は不思議そうにそのコインを、意味も無く日に翳す。太陽なんて存在しないのに、面白い事をする奴だ。


「それは俺達の方の金だ。もし、お前が次来る時にそれを持ってこれたら、俺が向こうまで渡してやる。」

「サービスは付きます?」

「舟歌ぐらいは歌ってやるよ。持って来れたらな。」


男は満面に笑い、川岸から離れて行った。あの様子なら、ちゃんと帰れるだろう。

その様子を最後まで見ていた渡し守は、煙草をくわえ、ちゃっかり男から貰ったライターで火をつける。

もし、あいつが俺の所へ来る事があったら返してやることにしよう。

そして渡し守は振り返った。


「で、行く気になったか?」

「我が娘ながらあの絵は下手くそね。私はもっと可愛いわよ。写真の一枚くらいあいつに渡しとけば良かったわ。あなたはどう思う?」


渡し守は苦笑せざる得ない。

あれだけの話を黙って聞いておきながら、元気なものだ。それとも、だからこそ話すのだろうか。

生きている者と死んでいる者は、例え見えなくても声は通じる。あえて黙っていたようだから男には言わなかったが、これだけ話したかったのなら本人に言ってもらいたい。

塞きを切ったように話し出す相手に、渡し守は曖昧に答えを返した。


「そういえば最後の方で言ってたけど、私って厄介者扱いされてあなたの所まで来たの?ちょっと待ってほしいって言っただけなのに…。」

「だが、気は済んだだろ。わざわざ呼び出させといて、行かないとは言えないよな。」

「まあね♪じゃ、行こっか。舟歌は付くのかな船長?」

「……あんたらにゃ負けるよ。」


渡し守の舟は川岸を離れ、静かに流れる川を轍を作って進む。

ゆったりと歌われる舟歌は暫く間、美しく響いていた。




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