2章~動き出した歯車~
「どうやら、坊や達はもう少し様子を見るみたいだな・・・さて、私はどうしたものか・・・」
「た・・助け・・・ぅぐぁぁ。」
「うるさいね、考え事が出来ないだろう?」
致命傷としか思えない傷を負った男を踏みつけ、その人物は自分の考えに耽っていた。
「長・・・。」
「ん?・・・あぁ、くたばったのか。」
足元に転がる男の死体に目もくれず、長と呼ばれた人物は部下に向かって命令を下す。
ただゴミでも落ちているという認識しか、その人物にはないようであった。
「我らも、もうしばらく様子を見る事にする。そう伝えな。」
「はっ。」
主人の命令を受けた男は、まるで影に溶け込むようにその場から姿を消した。
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「お・・・お許しを・・・」
男は平伏して命乞いをしていた。
目の前に立つ人物は、男よりも遥かに年若い少女である。
「お前・・・私の言葉を聞いていなかったの?
私は見て来いとは言ったけど、しくじって来いとは言ってないわよ。」
「も・・・申し訳・・・」
顔面蒼白になりながら、男は額を床に擦り付け申し開きをする。
そんな男に少女は冷たい眼差しを向けるのみであった。そこへ・・・
「その辺で許してあげなよ。
誰だって一回ぐらいの失敗はあるんだしさ。」
と、第三者の声が助け舟を出した。
現れたのはまたもや男よりも遥かに年若い青年、そしてその青年はよく見ると少女によく似た面差しであった。
恐らくは兄妹であろう。
もしかすると双子なのかもしれない。
男女の差こそあれ、二人はそれ程に似通った顔立ちなのであった。
「翔!」
「そのくらいで許して上げなよ、光。」
「お・・・長・・・」
助かったとばかりに男は青年に顔を向けた。
「翔がそう言うのなら、別にいいけど・・・私はこんな役立たずもう使わないわよ。」
「いいよ。僕が使うから・・・おい、お前。」
少女---光は飽きたおもちゃのようにいらないと言い、青年---翔は自分が使うと言って男に声をかけた。
「国を一つ手に入れておいで、そしたら失敗を許してあげるよ。」
にっこりと笑いながらコンビニで買い物をして来いとでも言うように、翔はいともあっさりと男に命令を下したのであった。
「ふふ・・・翔は全然変わってないよね?
当たり前か・・・人族の身体に入ったとは言え中身は一緒なんだもんね。」
翔の首に抱きつき、光はクスクスと楽しそうに笑う。
翔はその光の腰に手をやり、同じくクスクスと笑う。
「中身はそのまま、見かけだけ人族の皮を被っているに過ぎないんだから・・・変わるわけないだろ?
その皮だって、いつ脱ぎ捨ててもいいしね。」
互いに笑いあい、二人は口付けを交わす。
家族としてではない濃密な口付け・・・それは、どこまでも堕ちて行く事など厭わない恋人達の姿のようでもあった。
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この世界は何処を見ても平和という言葉からかけ離れている。
些細ないざこざから始まる戦乱・殺戮・破戒。
人々は死に、自然は崩壊して行く。
全ては繰り返される出来事・・・
歴史はいつも、血を好むのであった。
「最近どこもかしこも戦争か・・・」
「ホント、どうしてかしら?
戦争なんて、何もいい事ないのにね?」
新聞を読みながら呟いた司に、珠姫が答える。
「戦争なんてしても後に残るのは、荒廃化した地上と死に絶えた生き物達だけなのに・・・なぜ、戦争なんてしようと思うのかしら?」
「勝てば欲しい物が手に入ると思うからでしょうね。
人類は、今も昔も欲望だけで生きているのかも知れないわよ。
破滅への道を歩いている事に、人はいつまでも気がつかないのかも知れないわね。」
紅茶を飲みながら、珠姫の言葉に怜香が答える。
その怜香の言葉に珠姫は首を傾げ、
「冷静になって考えれば、もっといい方法もあると思うのにね。
誰もが平和に暮らせる道もちゃんと在るはずなのに・・・」
その言葉に今度は快が言葉を返す。
「皆バカなんだろ、きっと。
正しい道に導いてくれる者がいないんだよ。」
「正しい道ね・・・あっ!大変、お風呂沸いてるかしら・・・」
パタパタパタと珠姫は走って浴室へと向かった。
「導く者がいない、か・・・俺達が、ここにこうしているんだから仕方ないだろうな。」
「でも・・・」
怜香は何かを言おうとしてやめた。
それは珠姫が戻って来たからであった。
「お風呂沸いたよ。お兄ちゃんから入る?」
「そうだな、先に入らせてもらうか。」
「じゃ、新しい石鹸出してね。昨日切れちゃったの。」
「あぁ、わかった。」
軽く手を上げるように司は珠姫に答え、自分の部屋へと着替えを取りに行った。
着替えを持って階段を下りて来た司に、珠姫は湯上りに何か飲むかと聞く。
「そうだな・・ビールにするか。」
「じゃあ、用意しておくね。」
「珠姫ちゃん、僕達にも何かある?」
自分達にも何かないかという至に、昼間に作って冷やして置いたチーズケーキの存在を知らせた。
「アイスティーを付けるわね。」
「うん。」
「お姉ちゃんどっちにする?アイスティー?ビール?」
珠姫の言葉に怜香は用意しやすい方と答えたが、大して変わらないという珠姫の言葉に、
「じゃあ、兄さんの相手でもしましょうか。」
といって、ビールにすると告げた。
「おつまみある方がいい?」
上二人がビールと言った事で珠姫は今入浴中の司の代わりに怜香にそう聞く。
「そうね・・・兄さんいるかしら?」
「う~ん・・・枝豆でいいかな?」
「いいんじゃない。私は別になくてもいいけど・・・あるなら欲しいわね。」
怜香の言葉に頷き、珠姫は鍋で枝豆を茹でる。
「あれ?・・・お塩切れてたかしら?・・・」
「買い置きあるわよ。確か右上の棚に置いてると思うわ。」
怜香の言葉に、右上右上・・・と言いながら珠姫は台に乗り塩の袋を探す。
「ない?」
塩を探す珠姫のそばまで来て、至は声をかける。
「うぅ~ん・・・あぁ、あったわ。」
と言って珠姫が掴んだ塩のその袋に、小さなクモがくっついていた。
「!・・きゃあぁぁぁぁぁ!」
それに気づいた珠姫は悲鳴をあげてその袋をほうり投げた。
その拍子に珠姫は乗っていた台から落ち、そして投げた塩の袋が当たって倒れた鍋の湯が珠姫の手にかかった。
「熱っ!」
「珠姫!」
「「珠姫ちゃん!」」
怜香と快と至が同時に声を上げ、至はすぐに救急箱を取りに走る。
「快、ここ片付けて。どこ火傷したの?」
火傷はとにかく冷やすのが先決である。
怜香は珠姫に火傷した個所を聞き、水で冷やす。
浴室で珠姫の悲鳴を聞いた司も、バスタオル一枚で飛び出してきた。
「どうした!」
理由を聞いた司は怪我の具合を聞き、痕は残らないだろうと言う怜香の言葉を聞いて安堵の溜息を漏らした。
「まったく・・・驚かさないでくれ。寿命が縮む。」
「ごめんね。枝豆茹でて上げようと思ったら、お塩ケース空だったから・・・」
「別につまみなんかいらないから、怪我しないでくれ。
それで、右手大丈夫か?
治るまで、水仕事は代わってもらえよ。」
「大丈夫だよ。」
代わりにする必要はないという珠姫の言葉は却下され、珠姫の怪我が治るまでの間、洗い物関係は交替でやる事になった。
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「君・・・あんな簡単な命令も実行できないの?
ホント、役立たずだね。」
氷のような表情で、翔は平伏する男を見下ろす。
「お・・・お許しを・・・長・・・漲・・・」
「僕は二回もチャンスをあげる程、お人よしじゃないんだよ。
それに、君みたいな役立たずに名前を呼ばせる程、寛大でもないね。」
「ひっ・・・ぁぐ・・・」
かすかな呻き声を残し、男はその場で崩れ去った。
「翔、お客さまよ。とーっても、懐かしい方がみえたわ。」
「誰?」
「私だ。」
楽しそうに部屋へと入って来た光の後ろから一人の人物が入ってくる。
男とも女とも判断し難い、何とも中性的な美人だ。
「なっ・・・お前!」
「久しぶりと言った方がいいのかな?
・・・黒水麒。」
「瞑!きさま・・・何しに来た!」
その人物の顔を見て翔は動揺を隠せず、今にも殴りかかりそうな勢いで言う。
「何しに来たとは心外だな。
わざわざお前達にやられに来てやる程、私はバカではないつもりだよ。」
「ならば、何の用事だ!事と次第によっては、今すぐケリをつけてやる!」
激昂する翔に光が声をかける。
「同盟結びに来たんだって・・・」
「そう、共通の敵を倒す為の同盟をね。」
薄く微笑を浮かべて、瞑と呼ばれた人物は言った。
その微笑みのなんと艶やかな事か。
「同盟だって?僕達とお前達が?」
「そう。悪くはない話だろう?
お前達にしても、私達にしても、彼等はいずれ倒さねばならない敵に変わりない。
それならば、いっそ手を組んで攻撃すればいい。」
瞑が微笑みを浮かべたままそう言うと、翔が・・・
「その後はお互い潰し合うというのか?」
と言うのに対し、瞑は、
「そうだよ、決まっているだろう。」
といともあっさりと答えたのであった。
「・・・いいだろう。奴らを倒すまでは、お前達を手を組もう。」
「じゃあ、まずは自己紹介でもしようかな?」
「はぁ?何で今更自己紹介がいるんだ?必要ないだろ?」
瞑の言葉に眉をしかめ、翔はそう言い返す。
「瞑は私の本性の名だ。
この身体はあくまで人族なのでね。
まぁ、別に瞑でもいいが、それだと名前だけで警戒されてしまう。
この身体では、南雲薫と呼ばれる女だ。」
「女なのか?」
「そうだ。本来は性などない私だが、この身体は女だ。
見た目で言えば、男とも女とも言えるかも知れないがな。」
女性と言われれば確かに女性的な要素が垣間見える身体であったが、男性だと言われればそれでも納得するであろう身体。
それが瞑---薫の特徴であった。
「ふ~ん。僕のこの身体は天海翔っていう名前。」
「あたしは、光よ。」
「翔に光か・・・外ではそう呼ぶ事にする。」
「じゃあ、こっちは薫と呼ぶよ。」
こうして二種族は同盟を結ぶ事になった。
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天海翔---麒麟族長の一人、地帝黒水麒、漲麒。
天海光---麒麟族長の一人、地帝白火麟、煌麟。
そして、南雲薫---鳳凰族長、風帝鳳凰、瞑。
互いに手の内を探りあいながらも結ばれた同盟。
吉と出るか凶と出るか・・・それはまだ、誰も知らない。
「手始めにどうするんだよ?」
「探りを入れてみるかい?今も監視は付けてあるけどね。」
翔の言葉に薫がそう言ったが、その言葉に翔は苦虫を噛んだように答える。
「探らせていたやつが失敗したんだよ。」
「ならば、私はもう少し力を蓄えるかな。
君たちも少しゆっくりと過ごせばどうだい。
そう、機会はいくらでもあるさ。いくらでもね。」
妖艶な微笑みを浮かべ、薫はそう呟く。
「そうね。もうしばらく他のことをしましょうよ、翔。
楽しみは後に取っておかなくちゃね。」
降り止む事を知らぬ殺戮の血の雨。
涸れる事を知らぬ悲しみの涙の泉。
留まる事を知らない破壊の行進曲。
全てはあの日、あの時から始まった。
導く光を喪ったあの、時の彼方から・・・
人は、地上は、闇へと突き進む。
何も生み出さない、混沌の闇へと・・・
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「う~ん。」
日曜の朝。珠姫はいつものようにベッドから起き出し、まず伸びをした。
「あら?今朝は曇ってるみたいね。
洗濯は中に干さないといけないかしら?」
カーテン越しのいつもの日差しがない事に気づき、珠姫は今朝の天気が曇りであると思ったのである。
がしかし、実際の天気は快晴と言っていいほどの上天気であった。
ならばなぜ珠姫が曇りであると勘違いしたのか。
その理由は、雨宮家の窓という窓。
いや、壁全体、家を全て覆っていると言っても過言ではないであろう程にビッシリと、クモが張り付いていたのであった。
そして、家の周りにある電線には隙間なく鳥の大群がとまっていたのである。
異様としか思えない光景が、そこに存在していたのであった。
「曇りでも、雨でも、朝の仕事は一緒・・・」
そう呟きながらカーテンを開ける手がピタリと止まる。
窓の外の状態が目に入ったからであった。自分が最も苦手とするモノの大群が、それも数十センチと離れていない場所にいるのである。
あまりのショックに珠姫はしばらく放心していたが、次の瞬間には身体中が震え出し、声にならない悲鳴をあげていた。
目の前の窓ガラスに亀裂が入りだしたのである。
「あっ・・・あぁ・・・お兄ちゃ・・・」
珠姫はあまりの事にその場から動く事も、助けを呼ぶ声をあげる事も出来ずにいた。
ガシャーンという音と共に珠姫は身体を引き裂かんばかりに悲鳴をあげ、意識を手離したのであった。
珠姫が目覚める一時間ほど前。
『汐龍・・・気づいているか?』
司は口で紡ぐ言葉ではなく直接頭に響く声で怜香---汐龍に言った。
『ええ、兄さん。・・・この気配は麒麟族と鳳凰族の配下の者達。
どうやら彼等は手を組んだみたいね。』
『炯龍と颯龍は起きているか?』
「起きてるよ。」
司の言葉に、司の部屋の扉を開けて快---炯龍が答えた。
その後ろには至---颯龍も控えている。
家中を囲んでいる気配に気づき、二人は司の部屋に来たのだ。
その後に怜香も入ってくる。
「どうやら動き出したみたいだね?」
「あぁ。とにかくあれをどうにかしないとな。
このままじゃ、珠姫が起きた時に一騒動だ。」
と、司は立ち上がる。
「珠姫ちゃん、クモ苦手だもんね。」
「玲龍もだろ。元々ダメなんだよ。」
至の言葉に快が付け加える。
「どちらにしても、あの子が苦手なのは事実。
早々に片付けないとどうなるか・・・。
それに、あいつらに囲まれているのかと思うと、ゆっくりお茶も飲めないし、家が暗くて仕方ないしね。」
「一応、もしもの時の為に珠姫の周りには結界を張って置くか。」
「そうね。」
そうして珠姫の身体の周りに司は結界を張ったのだった。
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珠姫は自分に飛びかかるクモを視線の先に捕らえながら悲鳴をあげて気を失った。
それと同時に珠姫の身体は眩い光に包まれる。
次々と割れた窓から入り込み珠姫に飛びかかるクモ達は、その眩い光に阻まれ一匹たりとも珠姫の身体に触れる事なく灰と化して行った。
力を制御しつつ家に侵入してくるクモ達を片っ端から燃やしていた快は、いいかげん辟易してきて怜香に言った。
「姉貴、このままじゃキリがないよ。
思いっきり力使っちゃダメなのか?」
「そんな事したら家がなくなるじゃないの。
やるなら颯龍に言って壁に張り付いてる奴を空に上げてもらいなさい。
家の中ではダメよ。」
快の言葉にすぐさま反論し、怜香は一つの提案を弟二人に言ったのだった。
「それいいや。颯龍聞いたか?」
「聞いてたよ。じゃあ外に行くよ。」
頷きあった二人は割れた窓から外へと飛び出して行った。
司と怜香は、下の二人が外にいる者達を片付けている隙をついて中に入って来た者達を片付けて行った。
「兄さん。ここは私に任せて玲龍をお願い。」
「わかった。」
怜香の言葉に頷き、司は素早くその場から離れて珠姫の部屋へと向かう。
珠姫の部屋には以前としてクモ達が飛び込んで来ていた。
既に灰と化した者達の山が出来きている程だ。
「諦めの悪い奴等だな・・・死ぬ為に飛びついているのか?
いや・・・命令に忠実なだけか。」
おびただしい数のクモ達の襲撃でさえ、結界で守られている珠姫の身体には傷一つつけることは出来なかったようだ。
「お前らも外の奴らと一緒に焼かれてこい・・・颯龍、こいつらもだ!」
司はそう言うと珠姫の周りにいたクモ達を纏めて外へと投げ出した。
家の外では至が壁に張り付いていたクモ達を風の力で引き剥がし、それを上空で快が炎で焼き尽くす。この作業を繰り返していた。
この時二人の姿に全く別の人物の姿が重なって見えていた。
快の上には朱金の髪と紅の瞳に褐色の肌の青年、至の上には白銀の髪と緑の瞳の青年が、影のように、陽炎のように揺らめきながら重なって見えていた。
この姿こそがこの二人の本来の姿---竜帝達の姿であった。
「二人とも外が片付いたら中の方を手伝ってね。」
怜香の言葉に承知とばかりに二人は頷く。
因みにこの騒ぎ、普通これだけ騒がしければ隣家の者達も気付くものであるところだが、雨宮家の周りには目眩ましの結界が張られており、一切外からこの状況を見ることも聞くことも出来なくなっていた。
そうでなくとも、この状況を見て理解できる人族はいなかったであろうが・・・。
「怖い思いをしたな・・」
気を失っている珠姫を抱き上げ、司は珠姫の身体をベッドに寝かせる。
「兄さん、玲龍は大丈夫?」
窓の外から聞いてきた至の言葉に、司は気を失っているだけだと答えた。
「それならいいけど・・・外のは全部片付いたよ。
後は中にいる奴らだけ・・・鳥の方も炯龍兄さんが片付けたよ。」
「そうか。とにかく玲龍が気付く前に片付けないとな・・・颯龍。
この灰の山を外に放り出してくれ。」
司の言葉に至は頷き、風を使って珠姫の部屋の中に出来ていた灰の山を窓から外へと運び出したのだった。
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「・・・」
呼ばれている気がする。
自分を呼んでいる声がする。
珠姫はそう思った。
『誰?・・・私を呼んでいるの?』
「・・・龍!」
『違うわ・・・私はそんな名前じゃない。
私の名前は珠姫よ。・・・誰?・・・お兄ちゃん?』
自分を呼んでいる者達の顔を見て、珠姫はそう言った。
だが、彼等には珠姫の声は聞こえていない、聞こえないのだ。
四人の青年達が自分を覗き込み、悲痛な顔つきで名前を呼んでいる。
自分ではない名前、でも自分のような気がする名前・・・。
「しっかりしろ!」
『なぜそんな悲しそうな顔をしているの?
何があなた達を悲しませているの?』
自分を見る四人の顔が悲しみに満ちている事に気付き、珠姫はそう声をかけた。
「死ぬんじゃない!
目を・・・目を開けてくれ・・・」
『死・・・ぬ?
私が?・・・何を言っているの?』
珠姫のその疑問を彼等が答えるわけもなく、そしてそこから先の彼らの言葉も珠姫には聞くことは出来なかった。
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「おはよう。」
珠姫が目を覚ますと、ベッドの傍らに座った怜香が顔を覗き込んでいた。
「あれ?・・・お姉ちゃん、どうしたの?」
自分を覗き込む怜香に気付き、珠姫は目を瞬かせてそう聞いた。
「?・・・もしかして、私寝坊しちゃった?
あれ?・・・でもちゃんと起きたような・・・」
身体を起こしながら珠姫は寝起きの頭に疑問を浮かべる。
「寝坊よ。もうみんな起きて下にいるわ。
疲れていたんでしょ?」
「そうだったかな?
・・・ちゃんと起きたような、起きて何か見たような・・・」
珠姫はぼやけている頭の中から記憶を手繰り寄せて来る。
「そう・・・確かにちゃんと起きて・・・・クモ・・・」
「珠姫?」
「クモ・・・そう、クモよ!
クモが窓に・・・窓が割れて・・・」
「夢でも見たんでしょ?
クモなんかいないし、窓も割れていないわ。」
怯えたように自分の身体を抱きしめる珠姫に、怜香は悪い夢を見たんだと言い含める。
今朝の騒ぎは珠姫が意識を手放しているうちに四人が片付け、割れた窓ガラスさえも彼等は元通りにしたのだった。
「夢?
・・・でも、夢はもっと違う・・・もっと・・・」
珠姫は気を失っている間に見た夢を思い描いていた。
ハッキリとは思い出せない霞みの向こうの記憶。
しかしその夢は記憶には留まらずに消え去り、気を失う前に見た光景が怜香の言葉によって夢となってしまったのだった。
「疲れてたのかな・・・ごめんね。
きっとクモが出てくる夢でも見たんだね。
すぐ着替えて下に行くわ。」
怜香は頷いて珠姫の部屋を出、珠姫は怜香が出て行った後急いで着替えを済ませ階下へと下りて行った。
「珠姫は気付いたか?」
下りて来た怜香に司はそう聞いた。
その言葉に怜香は頷き、珠姫には夢だったのだろうといった事を司達に伝えたのだった。
「ごめ~ん、寝坊しちゃったんだね。
すぐに朝ご飯作るから・・・」
「朝食なら私が作って置いたわ。」
バタバタと急いで下りて来た珠姫に怜香がそう言った。
「そうなの?ごめんね、お姉ちゃん。
何で寝坊なんかしちゃったのかな?
今までこんな事なかったのに・・・これからは気をつけるね。」
「いいわよ。珠姫は家事全部してくれてるからね。
寝坊ぐらいいくらでもしてちょうだい。」
テーブルに朝食を並べ終え、怜香は珠姫に笑いながらそう言った。
その怜香の言葉に司も頷く。
「うん、ありがと。・・・そうそう、クモの夢の他にね、もう一つ夢を見たのよ。」
今朝の出来事はすでに夢として納得していた珠姫が、怜香にそう言った。
その珠姫の言葉に至がどんな内容だったのかと無邪気に聞く。
「それがね、あんまりハッキリ覚えてないんだけどね・・・
多分、お兄ちゃん達も出てきてたと思うの。」
「俺たちも?」
「うん。・・・でもね、何かみんな違ってたのよね。」
夢の光景を思い出しながら、珠姫は首を傾げ、少しずつ言葉を紡いだ。
「私の名前も違うみたいだし・・・私の声がみんなには聞こえてなかったみたいだしね。」
そんな珠姫に怜香はどう違っていたのかと聞く。
「えっとね・・・まず快くんと至くんが、今よりももっと大きかったみたい。
そうね、私よりも一つか二つぐらい年上かな?
それから四人とも髪の色が違ってた、多分目の色も・・・
それから・・・う~ん・・・」
珠姫は内容を思い出そうとして片手で髪をかきあげるようにして頭をおさえた。
「そう、それから・・・私のことを『レイリョウ』って呼んだわ。
だから私はそんな名前じゃないってみんなに言ったのよ。
でも聞こえてなかったみたい。
四人とも凄く悲しそうな顔をしてたわ。
それから、しきりに『しっかりしろ、死ぬんじゃない』って・・・」
それを聞いた四人には、珠姫の見た夢の光景が鮮明に頭に思い描かれた。
いつのことか、どういう状況であったのか、全てわかったのであったが、その事は四人とも一切表に出さず、普段どおりの自分達を装っていたのだった。
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「失敗ね。後は奴らを倒すだけだと言うのに・・・やはりあいつらじゃ役不足ね。」
「仕方ないよ。奴らももう覚醒してるんだから。
あんな雑魚相手じゃ準備運動にもならなかったんじゃないか?」
光の言葉に翔が当然だと言うように答えた。
その二人のやりとりを聞くとはなしに黙っていた薫が呟いた。
「一人・・・覚醒していないみたいだな。
竜族の巫女姫。・・・天央宝珠女神・・・」
「玲龍姫か?」
「そうだ、何の力も感じられない。」
「じゃあ、そこから崩す?」
薫の言葉に翔が聞き返し、その言葉に答えた薫に光が言った。
しかし、その光の言葉に翔がすぐさま反発した。
「煌麟、姫は僕がもらう約束だぞ。」
「わかってるわよ・・・もう、ホントご執心なんだから、妬けるわ。」
「漲麒。竜の姫はその身に竜珠を持っている。
そう簡単には手に入れられないだろ?」
「確かに姫は、その身の内に竜珠を持っている。
でも、手に入れればこれ以上強い物はないよ。
必ず・・・僕のものにしてみせるさ。」
自信満々に翔は言った。
「そう言って、前の時は失敗したのよね?漲麒。
結局手に入れ損ねた上に、死なせちゃったのよね。
そのせいで竜族の逆鱗に触れて、破滅竜となった彼らの力でお互いに滅んじゃったのだものね。」
「うるさいな。あの時は、姫にあんな力があるなんて知らなかったから失敗したんだ。
今度は大丈夫だよ。」
「そうならいいけどね・・・期待してるわ。
でも、私の前でいちゃつかないでよね?
嫉妬のあまり殺してしまうかも知れないから・・・ね。」
光に言い返した翔であったが、あっさりと返されてしまったのだった。
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珠姫が至と買い物へと出掛けた後、残った司、怜香、快の三人はリビングで話をしていた。
「珠姫が見たという夢・・・あれは玲龍の記憶に違いないだろうな。」
司がそう最初に言った。それに対して、怜香と快が頷く。
「そうね。それも玲龍が死ぬ寸前・・・・私たちがあの子に呼びかけていた時の記憶だわ。」
「って事はさ、覚醒しかかってるって事なのか?」
怜香の言葉に快は聞き返す。
「そうだろうな。だが・・・」
「すぐには無理でしょうね。」
「あぁ、少しずつ思い出していると言う事だろう。」
だが時間がかかると司は言った。
「でも、そんなに待ってられないだろ?
あいつらだって覚醒してるんだから。」
「そうだな。できるだけ早く覚醒して欲しい。
そうでなければ、守りきる自信がない。」
「随分と弱気ね。」
司の言葉に、怜香はなぜかおかしそうに言った。
「おかしそうだな?そんなに俺が弱音を吐くと面白いか?」
「そうね。兄さんが弱音を吐くのを聞いたのは、初めてかもしれないから・・・面白いわ。」
「嫌な奴だな。」
「あら、ごめんなさい。」
笑顔を崩す事無く怜香は司に謝った。
「だがな。覚醒してない玲龍・・・珠姫の前で俺たちが力を使ってみろ。
あの子は怯えるだろう。
姿さえも、本来のモノが今のこの姿に重なって見えるんだからな。」
「そうね。」
「そんな思いをさせない為にも、早めに覚醒して欲しいんだ。」
司は苦笑いを浮かべながらそう言ったのだった。
司達がそんな話をする二十分ほど前。
「珠姫ちゃん、一緒にお散歩行かない?」
至が珠姫にそう言って誘った。他の三人が話をするのに、珠姫を遠ざける為だ。
「あっ!じゃあ、至くん。
一緒に買い物行こう。私、靴が欲しいの。」
「いいよ。兄さん達、行ってくるね。」
至は目で合図して、珠姫と一緒に出て行った。
「じゃあ、お兄ちゃん達行って来ます。」
「いってらっしゃい。」
珠姫の声に、怜香が笑顔で見送った。
「珠姫ちゃん。駅の向こうの靴屋さんに。かわいい靴があったよ。」
「ホント?じゃあ、そこに見に行こう。至くんも、何か欲しい物ある?」
「別にないよ。帰りに兄さん達に何か買って帰れば?」
「そうね。・・・何がいいかな?」
至の言葉に、珠姫は兄達への手土産を考えた。
「洋菓子、和菓子・・・中華マンなんかもいいかも。・・・どれがいいと思う?」
「どれでもいいと思うけど、後で考えれば?」
「それもそうね。帰りに考えよう。」
納得して、珠姫は至と靴屋へと向かって行った。
「これがいいかな?」
「こっちの方が似合うと思うよ。」
「でも、この色の方が好きなの。」
「じゃあ、同じ色があるか聞いてみれば?」
「そうね。すいません。」
珠姫は店員を呼び、自分が持っている色と同じ色の別デザインの靴があるか聞いてみた。
「ありがとうございましたー。」
店内に店員の明るい声が響く。
「さてと・・・何買って帰ろうか?」
「そうだね。果物なんかは?たまにはいいでしょ?」
「それいいわ!じゃあ、角の果物屋さんに行こう。
私、桃が食べたいな。」
「僕はりんごがいい。」
至は明るい声でそう言った。果物屋へ寄り、桃とりんごを買い込む。
「これだけあれば大丈夫よね。私たちの好みだけどね。」
片目を瞑って珠姫が言う。
「でもさ、これって買いすぎじゃないの?腐っちゃうよ。」
「あら、腐る前にこれを使ってケーキでも作ればいいじゃない。」
至の言葉に、珠姫は当然のように答えたのだった。
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「珠姫達が帰って来たようだな。
とにかく、これからは特に気をつけないとな。」
司がそう言った後、すぐに珠姫と至の声が玄関から聞こえて来た。
「さすがに重かったわ。」
ドサッという音が聞こえてきそうなほどの袋を一旦置き、珠姫は靴を脱いでいた。
「お帰りなさい、珠姫。何をそんなに買い込んで来たの?」
「桃とりんごよ。」
「桃!俺大好物だよ!」
桃と聞いて玄関に飛び出して来たのは、快だ。
「いっぱい買ったら重くて重くて、家に着くまでに五回は休憩したわよね?」
「六回じゃなかった?」
「そうだったかな?」
珠姫の言葉に、至は言い直してみた。袋に入っている桃とりんごを見て、司は思わず呆れかえる。
「そんなに買って来てどうするんだ?」
「余ったらケーキにするけど・・・そのまま食べるのよ、もちろん。
・・・お兄ちゃん達に何か買って帰ろうって事になったんだけど、何がいいか迷っちゃって・・・」
「それで・・これか?」
司は袋を指差して言った。まだ、顔は呆れたままだ。
「やっぱり多すぎたかな?
快くんがいっぱい食べるだろうと思ったから、これだけ買ったんだけど・・・お兄ちゃんはいらない?」
少し首を竦めて珠姫は司に言った。そんな珠姫の様子に、司は苦笑を返す。
そして、ポンと珠姫の頭に手を置き、クシャクシャという風に頭を撫でた。
「食うよ。せっかくだからな。」
「すぐに切るね。」
司の言葉を聞いた珠姫は嬉しそうに笑って、キッチンへと向かった。
「珠姫ちゃん。買ってきた靴、玄関に置いとくね。」
「ありがと。」
玄関にいる至の声に、珠姫はキッチンから言葉を返す
「はい。今度はお兄ちゃんの好きなブドウにするね。」
と、皮を剥いた切り分けたリンゴを、珠姫は笑顔で司に渡したのだった。
まだ続きます