episode6:夢か幻
【episode6:夢か幻】
「いやぁ~それにしても久々だったよね、ソイルの職権乱用!」
日の光が温かい白の南側に位置する小さな庭園。
いつも通り草原に腰を下ろして昼休みの時間をやり過ごしていた俺たちだったが、それはもう楽しそうにニヤつきながら発せられたオーシャンの言葉に、俺は「ああ?」と不機嫌さを全面に表わして反応してみせる。
「アイツらもお気の毒様っていうかぁ……ソイル副団長は地獄耳だってこと、新人研修のパンフに記載しておいた方がいいかもねぇ?」
「勝手にしろ。つーかお前だって止める素振り無かっただろーが」
「ん。そりゃね、俺も結構ムカついちゃったから」
そう告げながら緑一面の草原にごろりと身体を沈めるオーシャン。
日の光が反射する長く結われた銀髪が、キラキラ眩しい。
「それにしても、最近のソイルとサクラちゃんってば本っ当に仲が良くなったよね~。最初の頃なんかは俺もアースもどうしようかと思ってたのにさぁ」
「……お前に心配されるほどこっちも落ちちゃいねえっつーの」
「やっぱりアレかな、誓いのキッスが効いたのかなぁ?」
「ブッフフ!!」
さわさわ、と周りの雑草たちが心地良い音をたてる。そんな穏やかな中で発せられた俺のむせ返る声に、オーシャンは腹を抱えて笑い転げた。
あっぶねぇ。珈琲ホットにしなくて良かった……って、問題はソコじゃない。
「ッ、テメ、どうしてそれを知って……っつーか妙な言い方すんじゃねぇ!!」
「あっはは!!慌てなさってまぁ~。天下の唯我独尊男・ソイル様がねぇ?」
「くたばれ。全力でくたばれ。アレはアレだ、単なる主従の契りで、」
「何それー。もうすぐ成人の女の子を捕まえてその言い草ぁ?言い訳にもなんないからね、そんなのは!」
「……は?」
何言ってんだはこっちのセリフだ、土の中に埋めてやろーかクソ騎士。
サクラが、もうすぐ成人、だって?
アイツはまだ13だろ。
そう言い返そうとした俺の傍を、ふわり、と桜の花びらが舞うのに気が付き俺は動きを止める。
その後、暖かく……柔らかい春風の感じた俺は、不意にその風が送られる背後にその視線を移した。
「ほーら。のんびりしてるとあんな綺麗なコ、すーぐ誰かにとられちゃうよ?」そう耳打ちするオーシャンの言葉を意識半分で聞き流しながら、俺は、自分が見留めたその人物に目を見開いた。
「……ああ、もう、話は済んだのか?」
「……サ、クラ?」
「?……なんだ」
綺麗、なんてもんじゃない。
その姿は100人中100人が振り返ってしまうほどの魅力を纏っていて。
もともと長かった黒髪は、更に美しく下ろされて腰を超す長さまで。
透き通るような白い肌に大きな瞳はそのまま。
ただ、衣服は紅色の着物は纏っておらず、白のシルクのワンピースを自然に身に着けていて―――…なにより。
「なんだ、って。……お前、」
「初めて会った頃はもっと私の居所に厳しかったように思うが……あれから5年か。手が掛からなくなってお前も嬉しいだろう」
「……5年?」
頭が、上手く回らない。
いや、確かに目の前にいるサクラは、18歳に相応しい身長まで伸び、身体つきも変わっている。
え、え?……もう、5年も経ったのか?
「私たちもそろそろ……」
「え、」
「距離を、取ってもいいのかもしれんな……」
混乱し続けていた俺に向かって静かにそう告げたサクラは―――…18歳の、サクラは。
キラキラと反射する漆黒の髪をなびかせながら、
どこか悲しそうに、俯いて―――…
「―――…っ、待て、サクラ!!」
―――――――
――――
――
「………ッ、?」
肩が、冷える。
何で肩だけ……その小さな疑問から不意に瞼を開いた俺は、自分に掛けられた布団が肩の下にずり落ちているのを、まだ定まらない意識の中確認する。
そしてようやく自分が今の今まで惰眠を貪っていたことを理解すると、俺ははぁ~…と重い溜息をついて再び瞼を伏せた。
「……夢、かよ…」
そりゃそうだ。
何があって5年も先にタイムスリップ。阿呆か。真面目に焦った。
様々な言葉が頭の中を飛び交う中で、瞼の裏にふと思い浮かべたのは―――…
成長した、18歳のサクラの姿。
「………ありえねぇー…」
希望的観測もいいところだ。
自分自身の単純すぎる妄想。羞恥の念からか自分の頬が熱を帯びており、それがなかなか引いてくれない。
妙に動揺してしいる。馬鹿か俺、落ち着け。夢だ夢。
自身にそう言い聞かせようやく現実に意識が戻ってきた俺は、ひとまず肩のみがはみ出てしまった毛布を片手でグイッと引き寄せた。
今日は……いつに増して冷えてんな。
やっぱ春になったばかりの早朝、しかも離れの廊下はかなり冷え込んで―――…ん?
ふわり。頬に感じたほのかな春風に、俺はまだ重い瞼をゆるりと開いた。
先ほどまで見ていた夢でも感じた、覚えのある香り……ああ、これは。
桜の、香りか?
「……ッ!?」
今もなお、柔らかく肌に触れる冷えた空気の感触と徐々に開けてきた視界に……俺は目を丸くした。
バチッ!!と音が鳴るじゃねぇかっていうくらいの勢いで目を覚ました俺。それも無理は無い。だって……え。
此処、どこだ。
視界一杯に映るのは、いかにも少女趣味のレースだか花柄だかで装飾された天蓋。ここ……ベッドか?
昨夜の記憶の節々をつなぎ合わせつつ、俺は急いで辺りを見回そうと状態を起こしにかかる。
昨日の夜も確かにいつも通り、
護衛のために少女の部屋の前に背を預け、目を伏せていたはず―――…
「―――…!」
振り返ると同時に、先ほどと同じ、少し冷えた春風と柔らかな日差しに思わず目を細める。
眩しい朝陽にようやく慣れてきた俺の瞳に映ったのは、春風にふわりと流れる黒髪。
白く細いその指先。
そして。
「……お前たちも、ようやく食すに困らない気候になったな。今日もあの木のところへ行くのか?」
―――…ピピッ、ピィー…
「……」
鳥と、話してるのか。
薄緑色の小鳥2羽が、そっと差し出した少女の白い指先にちょこんと止まり、その羽を休める。まるで警戒する様子もない小さな命は、まるで彼女の言葉に返答するかのごとく小さな鳴き声をあげて。
俺ら人間とは違って……アイツは精霊だもんな。そう不思議な話でもないか。
そうだ。そんなことよりも。
アイツ―――…笑ってる。
初めて見る、少女の笑顔。
それは悲しみも、苦しみも、何一つ含むことのない……無邪気な表情。
サクラがこちらの世界に来て1月が経とうとしていたが、いまだに1度もその表情を見ることはなかった。だから、だろうか。
何となく……目が、離せないのは。
「……ああ、もう起きたか?」
「っ!」
小鳥たちがパタパタと空に向かったのがきっかけで、俺の起床に気付いたらしいサクラ。
俺は一瞬返答し損ねたが、欠伸をかみ殺す風を装ってその間を誤魔化した。
「ああ……いや、つか、俺どうしてお前の部屋ん中に、」
「私のことはいいから自室で休めと言っても、聞く耳持たずのようだからな。お前は」
「は?」
「昨晩、扉の外に魔方陣を仕込んでおいた」
あー、ハイハイ成る程。
その魔方陣で廊下からコイツのベッドの中に瞬間移動させられたって訳ね、俺は。情けねぇ。
まぁ、そんだけコイツの法術が優れているってことか。普通なら俺が気付かない筈のない法術の気配さえ、コイツのそれは簡単にかいくぐってくる。
初対面の頃こそ認め難かったコイツの能力の高さが、今では認めざるを得ないまでに見せ付けられている俺は、小さくため息を漏らした。
『私たちもそろそろ……距離を取ってもいいのかもしれんな』
「……」
夢の中の……コイツの言葉。
ちらりと視線を上げると、先の言葉を続けようとしないこちらの様子を不思議そうに見つめているサクラの姿。
何も悪くない少女の無垢な表情に、俺はなぜだか小さな苛立ちを覚える。
―――…思い上がるなよ、距離を取るなんざ。
“守”の法術を使うサクラとは異なり、俺が繰り出すのは“攻”の法術だ。
法術を持つ者は、通常その2つのどちらかしか使うことはかなわない。
法術を使うには各々その法術を司る星の神との“契約”が必要で、他の星の神と新たに契約することは契約違反にあたるからだ。
つまりどんなにその潜在能力が凄まじくとも、サクラは敵を討つことが出来ない。だから。
「だから……俺が、傍にいるんだろーが、」
「……ソイル…?」
だから。……俺が傍にいてやるから。
あんな泣きそうな表情、2度と見せたりすんな。胸糞悪い。
心の中でそう続けた俺だったが、当然のごとく目の前の少女にはその旨伝わることはない。
依然として訳の分からない思考を巡らせている俺の様子に、もう1度「おい、何かあったのか?」と問いただす声が耳に届く。
その声色は当たり前だがまだ……幼さが残っていて、何となく俺はホッと胸を撫で下ろした。
「あー…何でもねぇ。あ、つーかお前、ちゃんと笑うこと出来んだな?初めて見た」
「―――…は、」
何の気なしに発した俺の言葉に、目の前の少女の動きが止まる。
「は、って。さっき鳥に向かって喋ってたじゃねぇか。そん時」
「……ッ!!」
言い終わるが早いか否か。
サクラはその顔を真っ赤に染め上げてパッ!!とその顔を両の手で覆った―――…って。
……は?
「……もしもーし。サクラさん」
「…ッ、な、なんだっ」
「どうしてそんな顔真っ赤にしてるのかなー。あれ、もしかして恥ずかしくなっちゃった?まさか見られていたとは、みたいな」
「う、うるさいうるさい!!」
そういってかけなしの風使いの術(守と攻の中間法術)で俺のことを壁際まで吹き飛ばそうとしたらしいサクラ。
しかしながら、そんな中間魔法の応用なんかでこの俺に見切られない筈もなく。
身体を翻して軽く交わしてやると、未だに頬を染めたままのサクラの元へストンと着地してみせた。うわ、おもしれー。
「クク…ッ、んな照れんなって。普通だろ、生きてりゃ笑うことも泣くこともある」
「…っ、私は、」
「折角の可愛い笑顔、出し惜しみしてんじゃねぇよ」
そう言ってふっと笑ってみせると、俺はその頭に手を乗せる。
まだまだ子供で。身長も俺の胸元よりも下で。
なのにコイツに入れ込んでいる自分は―――…何なんだ。忠誠心ってやつか?
俺自身の中にいつの間にか生まれていた、ほのかな感情。
しかしながら元来剣技以外のことに殆ど興味を示さずに育った俺は、
頬を染めてこちらを見上げてくる少女の姿に微かに反応した自らの鼓動に気付きはしたものの、
この時はまだ……それを特別に意識することはなかった。