episode2:憎しみ満ちて
【episode2:憎しみ満ちて】
パレン王国では、遥か昔から季節が巡るごとに“四季の精霊”を召喚する儀式が執り行われる。
春・夏・秋・冬
各々の季節ごとに最も美しく咲き誇る―――…花々の精霊だ。
その精霊の力によってこの国のエアー・バランスは一定に保たれ、外敵があった時には結界が作られ、更には“季節”というものが存在し得る。
俺たちが生きていくには欠かせない“向こうの世界”との繋がり。
絶つ訳にはいかない、繋がりだ。
コンコン。
「サクラ姫、朝食の準備が整いました」
「……」
「……」
はいはい、返答なしですか。
完全に予想が的中した展開に、俺は城から離れに続く廊下の真ん中で重い溜め息をついた。
結局逃げられずに引き受けることとなった“サクラ姫の護衛役”。
あー…ったく、こんなことならちゃんと下調べしてから手を挙げるべきだったぜ馬鹿だ俺、畜生。
「……サクラ姫、もうお目覚めですか?」
慣れない丁寧語に不快感を含ませないように誠心誠意こめて再度ドアをノック。しかしながら先ほどと同様、反応が中から返ってくることはなく。
……まさかシカトしてんじゃねぇだろうな。有り得るな、あのガキ。
俺は元々気の長いほうじゃない。
昨日の第一印象が最悪だったからか、いつに増して怒りの沸点が低くなっていたらしい俺の頭は、感情のままにドアのノブに手を掛けると勢いよくばぁん!!とドアを開け放った。
後になって「あ、一応女の部屋だった」とか思ったが、とりあえずは目下の目的を果たすのみだ。早くしねぇと俺がアースにどやされるんだよ!
「――……あ?」
辺りを見回してみると、客室にしたって豪華すぎるその内装に一瞬呆気にとられる。
どデカいL字のクラシックソファーに大理石のテーブル、上品すぎる刺繍の施されたコンサートホールを連想させるカーテンに賑やかしいシャンデリア。おいおい、天蓋付きのベッドっていくらなんでも凝り過ぎじゃねぇの。
しかしながら、目的の人物の姿があったのは、その柔らかそうなソファーの上でもベッドの中でもなく。
このだだっ広い部屋のの床の片隅に、
毛布1枚に包まった状態で……小さな寝息を立てていた。
「馬鹿かコイツ……ベッドでもソファーでも寝心地良い場所なんざいくらでもあるだろーに」
「すー…すー…」
「……」
―――心細く、なったのか?
大きな使命があるとはいえ、こんな未知の世界に1人放り込まれたんだ。いくら能力が随一とはいっても、まだ子供であることに変わりはない。
13歳って言ったらまだまだ親に甘えて生きているときだろう。それがこんなだだっ広い部屋に、1人で。
何となく……親父を亡くしたときの自分と重なった俺は、毛布からはみ出て流れるように散らばってしまっている少女の黒髪にそっと、手を寄せた。
あやす様に梳いてやると絡むことなくさらりと指から離れるその髪は、自分が今まで記憶しているどの髪よりも綺麗で。
ああ、きっとこいつ、5年10年経ったらすっげー化けるんだろうなぁ……そんなことをぼんやり思っていると。
「……護衛というのは、年端もいかないおなごの部屋にも勝手に入り込むものなのか?」
「―――は?」
大きな瞳に突如映し出された、自分の姿。
そしてなんとも冷静に告げられたその指摘に、俺はピシリと体を固まらせた。
***
『案ずるな。そなたが無断で部屋に侵入し私の寝顔を窺っていたことを他言するつもりはない』
『違ッ、俺はただ朝食を知らせに!!』
『ちょうど良かった。代わりと言ってはなんだが1つ……頼みがあるのだ』
『は?……頼み?』
俺の返答に、少女は起き抜けの大きな瞳を軽く擦りながら頷いた。
―――――――
――――
――
王家が住まう城の裏手にある、小さな丘。
緑が生い茂る小道を真っ直ぐ進んで、しばらくすると見えてくる。
薄紅色の花弁が……もうじき満開に咲き誇る、その木が。
「見えますか?あの丘の上にある、あれがこの国で1番大きな桜の木です」
「……ああ、」
「……」
なんつーか……反応薄ー…。
『この国で1番大きな桜の木の場所を教えてほしい』
それが、護衛任務初日に護衛対象直々に頼まれた仕事だった。
初めは御供するという俺の申し出を頑なに拒もうとしていた少女だったが、まさか護衛対象を1人外出させる訳にもいくまい。
これが仕事なんだとなるべく感情的にならないように説得すること30分。ようやくあちらの方が折れた訳だ。
……これだからガキは頑固で困る。
「そなたは、」
「え?」
「すまぬが……此処で待っていてくれ」
……はい?
首を傾げるほどの間も与えないまま、少女は俺のことを真っ直ぐに見上げるとそう告げた。
あの木までの距離は、もう20メートルもない。それなのに……此処で番をしてろ?
疑問と不満がともに浮かび上がった俺だったが、言葉として出ることはなかった。
少女の視線が―――目の前の桜の木から、離れない。
なんとなく居心地悪いような、触れてはいけないような空気を察した俺は、「俺の視界から、居なくならないで下されば」とだけ返答し、小さく頷いた少女の背中を見送った。
……何、しようとしてんだ?
まぁ、あのチビも一応精霊だもんな。桜の木から力を抽出するとかそーゆー慣わしみたいなもんか?幹に手を当てた途端、光がぶわーっみたいな。
生まれて19年間、剣だけが取り柄の純人間として生きてきた俺には、精霊サンたちの未知なる世界の常識なんて見当すらつかなくて。
ふあ、と欠伸をかみ殺すと、あの薄紅色の着物だけは見失わないように、視線を丘の頂上へと向けた。
「……あれが、桜組の次期頭領ねぇ…」
まだ記憶に残る、少女の寝顔のあどけなさ。
俺の肩にだって届かないほどの……小柄な身体。
それを抜きにしても俄かには信じがたいその情報。しかし、国王であるアースが言うのだから間違いないのだろう。
こちらに召喚される精霊は、歴代を辿ってみてもその殆どが男の精霊だった。それも、その時代の実力保持者か次期頭領。
別に男限定という訳ではないが、向こうの世界でもやはり、男の方が平均で言ってもその力が勝るということなのだろう。
単に子孫を残していく存在という意味で、女を長期間危険な任務に当たらせることを嫌ったのかもしれないが。
なんにしても異例中の異例の存在ということに変わりはない、……となると。
あのガキ……危ねぇんじゃ……
そんなことをとめどなく考えている俺のもとに、
まだ咲き始めの桜の花弁が……ふわり、と届いた。
「……姫?」
聞こえるか聞こえないか。そんな微妙な音量で思わず名を呼んだ俺に、少女は一瞬小さく肩を揺らしたのが分かった。
桜の木の幹に両手を当てて身体を預けている少女。返事もなく、その体勢のまま動こうとしない。
その小さな背中に心許無さを感じた俺は、無意識のうちにその歩みを進めていた。
「サクラ、姫?どうかなさいましたか――……ッ!?」
―――バチバチィッ!!
踏み込む直前、ようやく気が付いた微かな違和感。
歩みを止めようとしたが間に合わず、靴の端っこに鋭い抵抗の光が走る。パチパチ…と焦げ臭いにおいが鼻につきながらも、すっと目を細めて目の前の光景を見遣る。
こりゃあ、結界――……?
しばらく思考を巡らせていた俺だったが、思い至った結論にこめかみをヒクリと動かすと、ゆっくりと……その視線を目の前の少女へと移した。
「……お前が張ってんのか。このクソガキ」
「控えて居れと申したはずだ。心配せずとも、私はどこにも逃げたりはしない」
凛と研ぎ澄まされたその空気に、俺は相手が子供だということも忘れてギッときつく睨み上げる。
桜の大木を中心に半径10メートルにかけて、球形に囲み込む強力な結界。
いくら大きさ的に小規模なものだとはいえ、結界を結ぶときにはそれなりの道具と呪文が要る。
コイツ……その過程を全部吹っ飛ばして念だけでこんなモン作りやがったのか。
「……そなたがこの国随一の手練れというのは、嘘ではないらしいな」
「ああ?」
「戦に慣れた兵のものであっても、通常なら結界に気付く間もなく抵抗波で即刻気を失っているところだ」
「……」
しれっとそう告げる10メートル先の小動物に、怒りで軽く眩暈が起きる。
そんな危ねぇモン、何の前置きもなく張り巡らせてんじゃねぇ!!……と、叫びたくなったが、半分褒め言葉でもあるそれにグッと堪えた。俺は年上だしな、よし、落ち着け。
「私は、人間が嫌いだ」
桜の花びらが、
丘を掛ける春1番の風に、舞い散る。
「……は、」
「だが……心配するな。こちらに召喚された以上、自分の任務は全うする」
そう静かに言ってのけた少女の瞳。
それがまるで、感情を一切宿さないビー玉のように冷たくて……孤独で。
俺は一瞬、その場に立ち竦んだ。