episode1:桜の精
……最初に1つ言っておく。
俺は断じてロリコンじゃない。
まるでガキのように掴み取った、薄紅色の裾。
それをなかなか離してやれない俺がこんなことを言ったとしても――何の説得力もないのだろうが。
【episode1:桜の精】
「水仙様、足元にお気を付け下さい」
「ああ、大丈夫だ。やはり8年前とは体力の衰えも歴然じゃな。おそらくもう、わしに白羽の矢が立つこともなかろうて」
ああ。まあ、そうだろうな。
目の前の形式ばったやり取りを視界に捉えながら、俺は思ったことを口にすることなくふあ、と小さな欠伸をかみ殺す。
この国の中心部にそびえたつ、大きな1本の時代樹。
その周りには我がパレン王国のお偉いさん方が一堂に集結していた。
凍てつく冬が終え地表が熱を取り戻す――……立春の式典の日。
この日を、どれだけ待ちわびていたか。
元来式典や催し物もろくに出席しなかったこの俺が、こんなにも胸を躍らせて格式高い壇上にいるのは珍しい。それでも、期待に膨らむ感情を止められなかった。
“今年の春の精は、桜組の者らしい”
その情報を耳にした……あの時から。
「水仙様がお帰りだ、一同、敬礼!!」
空気が揺れるほどの大音量でそう叫ぶおっさんを合図に、綺麗に整列した大勢の役人がザッ!と一斉にひざまずく。
「ありがとう。それじゃあ行くとするかの」そう告げて背を向けた老人だったが、何かを思い出したようにポン、と1つ手を打つとクルリと再びこちらに振り向く。
そしてその視線を……あろうことか俺の方へ、真っ直ぐと向けてきたのだ。
「……?」
「そなた。名をソイルと申したか。次に来る、桜組の者の護衛役に志願されたと」
「……は。第1騎士団副団長・ソイル=グルントに御座います」
突然投げ掛けられた質問に一瞬言い淀んだものの、俺はひざまずいたままに自ら名乗る。
……なんなんだ、一体。
水仙と呼ばれた目の前のご老人。
冬の間こちらに滞在していた間、騎士団に属する俺とは、まともな会話1つ交わしたことはなかったというのに。
俺の心中を知ってか知らずか。しばらくの間……ハチの巣になるんじゃねぇかってくらいの視線が、俺の頭上に突き刺さるのを感じて。
いい加減不自然なその間に耐え切れなくなった俺は、スッと顔を上げるとその口を開いた。
「あの……私に何か?」
「ほっほっほ……見目美しい青年ではないか。左頬にかかる橙色の髪束は……四星獣の使い手の証か」
髪束じゃない。メッシュだっつの。
心の中でそう訂正する俺に向けてその老人は、“冬の精霊”というには余りに温かい笑みを残して懐からあるものを取り出した。
「そなたならきっと、あの子を救ってくれるであろう」
「は…?」
「そろそろ……時間じゃの」
そう言って皺くちゃの老人の手の平に姿を見せたのは、丸い、茶色の物体。
こちらの世界と向こうの世界。
2つの世界を結ぶ唯一の鍵――……“種”だ。
選ばれた“四季の精霊”にしか扱えないそれを、老人は空に向けてポイッと投げる。
すると次の瞬間、その“種”から目が眩むほどの大量の光の渦が時代樹と老人を包み込んだ。
とっさに目を瞑った俺の鼓動は、みるみるうちに高鳴っていく。
ついに、だ。ついにあの人の血を受けた精霊に会える。
早く早くとせがむ衝動を抑えきれずに、無理矢理にこじ開けたその視界。
柔らかな春風。
美しい桜吹雪に囲まれ、そこにふらりと舞い降りたのは――……
「春の精、桜組がサクラ。此処に参上致しました」
「……え。」
年端もいかない――小さな少女だった。
***
ガキの頃のある出来事をきっかけに、俺は“桜組”に特別思い入れがあった。
だからこそ、今回の報せを聞いた時には、血が逆流するくらい興奮したっていうのに――……
「どーゆーことなんだよこれはぁ!?」
「うっさいよソイル。仮にも王室なんだから音量下げてよねー」
いつものことながら、淡々と話されるアースの口調に俺はギリギリと拳を握る。
先代の国王が肺を患って急死したのが1年前。
それ以来、遺言により後継者となったアースは20歳の若さでこの国を治めてきた。
若過ぎる国王の誕生に最初こそ異論も上がったものの、その類稀な政治交渉力と前国王から受け継いだ抜群のカリスマ性によって、早くも隣接する国々から信頼を置かれている。それは認める。
しかしながら、今回の任務については話が別だ。
人の話を聞け!つーか呑気にココアとか飲んでんじゃねぇ!!
「話が違うだろーが!!俺は桜組の次期頭領を護衛する任だと聞いてッ、」
「嘘は言ってないけど?あの子。正真正銘、桜組ナンバー1」
「……は?」
少し癖のある水色の髪をふわふわと揺らしながら、お手製のココアを幸せそうに口に運ぶ。
どこまでもマイペースなアースは、ぴたりと固まった俺に構うことなくその言葉を続けた。
「サクラ姫、13歳。確かに見た目はただの小さい女の子だけどね、潜在能力はおそらく春の精ナンバー1だって、今日帰ってった水仙じーちゃんも言ってたし」
「……冗談だろ」
「あの、ちっこいのが?」思わずそう呟いた俺は、先ほど垣間見た少女の姿を再び思い起こす。
13歳……にしては少し幼く感じた、面立ちと身長。
流れるような黒の長髪に、薄紅色の着物。ぱっちりと大きな瞳。
思い出せば思い出すほど、ただの可愛い女の子にしか見えない――……
『そなた、我の護衛であろう?』
『そんな間抜け面で……本当に任務が務まるのか』
……いやいやいや。可愛くはねぇな、うん。
予想だにしなかった少女の登場に硬直している俺に容赦なく浴びせてきやがったソイツの一言。
そのクソ生意気な発言を思い出し、俺はフルフルと首を横に振った。
まぁ、確かに見た目こそ非の打ちどころ無しなんだろうが……
「あの無愛想な面といい生意気な口調といい……どっちにしたって子供の御守りじゃねーか。そんなんオーシャンの馬鹿でもできるわ、アイツにやらせろ」
「それは困るね。向こうの世界にも、実質この国1番の腕を持つソイル副団長が護衛任務を担うって報告してあるし」
「そんなん電鈴打てば済む話だろが!」
「はは、嫌だよ。面倒臭い」
キラリと煌めく笑顔。
一国を治める人物の言葉とは思えない切り返しに、俺は頭を抱えた。
つーかアースの奴だって、最初俺が今回の護衛任務を受けると言ったとき「えー。どういう風の吹き回し?」とか嫌そうにぼやいてなかったか、コラ。
「ちょっとソイル!!なーに面倒ゴトを俺に押し付けようとしてんのー!?」
「……立ち聞きかよテメェは」
「いらっしゃい、オーシャン。ココア飲む?」
「マジで!?飲む飲む~!!」そう叫ぶようにして、デカいドアの先からその姿を現したのはオーシャン。俺やアースとガキの頃からつるんでいた幼馴染だ。
俺とは真逆の、いかにも人懐っこそうなその雰囲気。
こんなヘラヘラした奴が、国直属の第2騎士団団長とは、誰も思わないだろう。
甘ったるそうなアースお手製のココアを受け取ってふにゃんと笑みを浮かべるオーシャンは、いつまでたってもガキ臭さが抜けない。
腰元まで細く伸びる銀色の髪の毛は、昔と変わらず1つに結われていて。
俺と同様、四聖獣を扱うコイツの髪にも、人工的ではないメッシュが刻まれている。色はターコイズブルーだ。
……つーかその長い髪、結うくらいならいっそ切っちまえっつーの。
「兎にも角にもさ、部下の皆の言葉にも耳を貨さないでこの任務に就くって聞かなかったのはソイルでしょー?」
「それはッ、」
「勘違いしてたにしても見当違いだったにしても、自分で立候補したんだからねっ!ちゃんと責務は全うしないと!!」
「……」
反論の余地もない。まったくオーシャンの言う通りで。
でもイラッとしたから、とりあえず一発殴っといた。
「キャー!パワハラだ!!」なんてうるさく喚いている声なんざ聞こえない。聞こえて堪るか。
「それでさー、早速今日いらしたお姫サマ、年端もいかない美少女ってことで城下でも話題になってるみたいでさぁ~」
「あそ。相っ変わらずそういうことに関しては情報早いのな、お前は」
「だってすんごい盛り上がりだったんだよ?“ソイルが実はロリコンだった”って!」
「ちょっと待てコラァァァ!!!」
ああ、頭が痛む。
折角春が来たってぇのにこの仕打ち。全く当てが外れた。
早く、夏が来ればいい。