4 AFTER EVENT〜その後で〜(1)
「そう落ち込んだ顔しないでよ〜」
向かい合った席に座るレインに言う。どんなにそう言っても先ほどからほとんど反応がないのは事実だが。
「…………」
話しかけているのに無視だなんて酷い。女の子が話しかけたときはきちんと反応を示すというのが紳士としてのマナーというものだ。
「あのさぁレイン、本当かどうか根拠もなく言われたことをいつまでも気にしちゃあ駄目でしょ」
「……まぁそうですけどね。でもアーサーは……はぁ」
もう駄目だわーこの子。
ロゼッタも小さく溜め息をついて、車窓の向こうで流れていく景色に目を移した。
二人は今、帰りの列車の中にいる。
ほんの数十分前まではシャーリングの屋敷にいたのだ。
そこであったことなのだが——
あの堕天使の能力の一つだと思うのだが、外界と遮断する結界らしきものが解けたので、ようやく騒ぎに気がついたメイド達が部屋に入ってきた。
血まみれのレイン、その上気絶しているアーサー、そして見ず知らずの部外者であるロゼッタを認めた途端、メイド達は悲鳴をあげるやらパニックに陥るやらで見ているこちら側がハラハラするような反応を示してくれた。
レインは鬱陶しそうに顔をしかめたが、ロゼッタは本気で面白がった。
何故そんなに血がついているのかとか、床に開いた穴は何とか、何で扉が木っ端みじんになってるのとか、そして貴女は誰と、当然のことなのだが二人は質問攻めにあった。
これも当然のことなのだが事実は語らない。
この世界で生きている人は想像もつかないことを見せつけられようが語られようが認めようとしない。そしてこちらがおかしいと思い込んで怒鳴ってくる。人間の自己防衛本能なのだろうか、とにかく認めたがらない。それはレインも例外だった訳で、話してもしょうもないことだ。それに一般人に対して喋ることへの箝口令がしかれてる。
恩師達に嘘をつくのは心苦しいと、全然そうは見えないがレインが囁いてきたので説明は全てロゼッタが引き受けた。
虚言術が上手いとこういうときに役に立つ。
つじつまの合った嘘を瞬時に練って、しゃあしゃあと真実が一片も含まれていない話をしていると、今度は中年の男性が入ってきた。
血を拭っていたレインは顔をあげると、その人に向かって頭を下げた。
「ねー、ボクは部外者だから聞くけど、……あの人誰?」
「あぁ……義父様、ただいま。そしておかえりなさい。……あの、こちらは僕のクラスメイトのロゼッタ・イリンドームです。イリンドームさん、こちらは僕の義父様ですよ」
「へぇ……なるほどねー。どうもこんにちはー、ご紹介にお預かりしましたー。ロゼッタ・イリンドームです。よろしくお願いします」
堅苦しい敬語や挨拶は苦手だ。
その言葉を受けて、レインの義父だという中年男性は頭を下げた。
「いつも義息子がお世話になっています」
レインの紹介を受けて、義父だという中年の男性は頭を下げた。
お世話になりすぎだよ〜、と心の中でぼやきつつもロゼッタはいえいえと愛想をまく。
先ほどのトループとの戦闘でできた頬の傷をなぞる。傷は傷でもかすり傷なので絆創膏は貼らなかったのだ。全く意図してやっていることではないが、できたところが顔なのでそれを視界に入れるだけでレインに自責の念を与えている。
「それでレイン、ちょっと話が……」
レインの義父が言った。ロゼッタもレインを見る。
「……そこのリュンヌのお嬢さんもついてきても結構ですよ」
ロゼッタは小さく頷いた。
駄目だと言われてもこっそりついて行くつもりだったのだが、そんな必要なかったようだ。
案内された先は、レインの義父であるシャーリング家当主の書斎だった。
明かりは窓から入る日光だけで、それも当主が座ると隠れてしまった。
ロゼッタはソファには座らずに、壁に寄りかかって腕を組んだ。
「義父様、話とは……」
「ん? あぁ、せっかく一年ぶりに会ったのだから、二人で仲良くおしゃべりでも……」
レインが通っていた学校は寄宿制なので滅多に会えなかったそうだ。
「……あぁ、そうですか」
メイドがやって来て、紅茶とマカロンを置いていった。
「これは最近我が社が作った新商品のマカロンでね、レインもイリンドームさんもどうぞ食べてください」
甘いものは好きだが、マカロンは嫌いなので紅茶だけに口をつける。
ロゼッタのその行為を見て、当主が顔をしかめた。
これだから貴族は嫌いなのだ。礼儀礼儀とうるさくて、俗世では常識の範疇のことでも下品だと言う。
思わず処世術の一環である作り笑いを崩しそうになって、慌てて気を引き締めた。愛想を振りまくなんて柄にもないことだが、こちらの評判が下がってしまうのはプライドにより許せない。
「……それで、レイン。リュンヌ学園に引き抜かれたんだって?」
「はいそうです」
「アーサーの希望とお前の成績、そして私の期待の上でお前を全寮制の胡蝶学園に入れたのだが……。レイン、私はお前の通知表を見てないからよく分からないが……。そんな目で見ないでくれ、何故かいつもシュレッターにかけた後の物が置かれていてね。……レイン、お前の成績は良いのかい?」
レインは答えに詰まった。
レインの成績はそこまで良くない。せいぜい上の下ぐらいの評価だ。
当然、そんな成績でリュンヌ学園に言っているとは言えない。かと言って当主に嘘をつくなんて、途中で罪悪感に押しつぶされるだろう。
顔色一つ変えずそれでもかなり困っていそうなレインを見て、ロゼッタは助け舟を出すことにした。
「そうなんですよ〜。ボクが見てきましたぁ」
当主とレインが驚いたようにロゼッタを見た。
何だろう、そんなに意外だったのかな?
「イリンドームさんが……?」
自信満々で頷く。
「はい! ボクは学年のトップなんです。それで暇さえあれば、ヴェルスカーノ校長とハイレベルの学校を回っていい人材がいるかどうか見てるんですよ〜」
「本当なのかレイン?」
レインは内心焦っているみたいだ。紅茶を飲むことで時間稼ぎをしている。
「はい、そうです」
「……学費は全て免除。それはいいのだけどね、レイン。私はこんなに高い金額は見たことないよ」
「エリート校なので」
「あぁ、まあそうだね。全て奨学金なら問題ない。アーサーもここに入れたいというのが親としての気持ちだよ。だが彼の成績とうちの資産を考えると難しいことだ」
当主とレインが苦笑し合っている中、ロゼッタはハッとして扉を見た。
殺気を感じる。
人としては小さな気配だ。大人ではないだろう。そしてトループでもない。れっきとした人間だからこそ、質が良くて、それでもよりいっそう質が悪い。
「ん? どうしたのかね?」
「イリンドームさん?」
突如、ロゼッタの今まで浮かべていた微笑みが豹変した。絶対零度の嘲笑がその顔を彩ったのだ。
まるで人をいたぶることを至福としているかのようなその表情で、
「ねぇ、そーんな所でコソコソと盗み聞きしてないで入ってきなよぉ、アーサー・シャーリング坊ちゃん」
と言った。
それを合図に、バンッ! っと扉が乱暴に開かれて、一人の少年が入ってきた。顔を狂気じみている。
かけ違えたボタンのせいでシャツが歪み、腹に巻いた包帯が見える。もう血は出ていないようだ。
「アーサー!?」
レインと当主、二人が同時に声を上げた。
「もう大丈夫なのか?」
綺麗に重なっている。
……あれ? なんでレインのときは大丈夫ーって聞かなかったのかなぁ。
そう思いながら、ロゼッタはレインの義理の弟を注視する。
そして、面白そうに目を細めた。
家族の口にする心配の言葉に頷きもせずに、アーサーはレインだけを凝視していた。
その右手には……。
「どうした? アーサー」
何も感じないのか、レインは淡々とした口調で問いかけた。
やはり平穏な日常で育てられた人の感覚は鈍いものだ。本部に戻ったら手加減無しでいろいろなことを教えないといけない。
「こらアーサー、義兄さんが……」
当主の声は、甲高く愉快そうな笑い声に遮られた。
「キャハハッ、アハッ……。良い度胸だねぇ? そういうの、ボクは嫌いじゃあないよ。ねーレイン、この子はさぁ、レインを殺そうとしてるみたいだよー」
「!?」
「そんなことある訳ないでしょうっ、イリンドームさん! ふざけないでください!」
声を荒げて当主も似たようなことを言った。どうせ言いたいことは一緒なのだろうから、聞き流す。
一方のアーサーはと言うと、息を呑んで少しこわばっていた。
「ねぇアーサー・シャーリング。レインはねー、ボクのクラスメイトだから殺さないでくれるかなぁ?」
乾いた金属音がした。
ロゼッタ、レイン、当主、そしてアーサーの四人の視線が床に落とされる。
落ちていたのは、ナイフ。
「そんな……!」
固まったレインと当主に向かって、アーサーは叫んだ。
「そうだよっ、僕はレインを殺そうとしたんだよ! 殺したかった! 死んでしまえばいいって思ってた! レインがいたからっ、僕の人生めちゃくちゃになったんだよっ」
「アーサー……!」
当主が止めに入ろうとしたが、アーサーは父親の言うことにも聞く耳を持たず狂ったように叫び続ける。
「さっきも言ったけどっ。レインは昔僕を嘲って遊んでいたんだ! 僕だけじゃないッ。シャーリング家自体を馬鹿にしてた! 僕達はお前らのせいで小さくなったのに、そんなことすら気にかけないで下級貴族だって……! お祖父様はレインの父親のせいで自殺した! お父様も心労だったんだ!」
「アーサー、俺にはそんな覚え…………」
「じゃあ教えてやるよッ、レイン・ディアナイト! お前はお手伝いさんだったって思われてるみたいだけどそれは間違いだよ! お父様達は現実逃避してるだけだっ、僕は認めない。僕にとってお前は世界で一番嫌いな存在だ。お前はノアシュタインなんだ !!」
ノアシュタイン。
——それは、シャーリング家とも村人とも相容れない関係の大貴族。それは、火事で屋敷が燃え落ちた上級貴族。そして……もう生き残りはいない、絶えた家。当時そこで働いていたメイド達も一人残らず死んでしまったらしい。
それなのにアーサーは、レインがノアシュタインだと言う。
「言ってやる! 姉様を殺したのはお前だっ。お前がずっと一緒にいた、ノアシュタインの暗い女の子! あいつとお前が殺ったんだ! 返せよっ、僕の姉様を!」
ロゼッタはちらりとレインと当主の二人を見た。
当主は顔色が悪い。思い出したくもないことを掘り返されて、おまけに息子がこんな発言をしたのだ。
そしてレインの方は眉をひそめている。一言も心当たりがないようだ。
アーサーは叫び終わると思いもよらない行動に出た。
突然レインに向かって走りよったのだ。左手を前に突き出して、なんの躊躇いもなく。
その手中にキラリと光るものを認めたその瞬間、ロゼッタは床を蹴り上げた。
義弟が何をしようとしているのか気がついたレインが、凶器を前にして目を見開いた。
当主が慌てて立ち上がるが間に合わない——自分めがけて振り下ろされる刃物に、レインは反射で目をつむった……。
「もー、駄目でしょー。殺すなーって言ったのにぃ。君の手当をしたのはこんなことさせるためじゃあないんだからねーっ」
その声と、頬に落ちる生温かいものにレインは瞼を持ち上げた。
アーサーが振り下ろそうとしたナイフを、ロゼッタが素手で掴んでいる。その掌は当然の如く切れ、赤に染まっていた。
「っ、イリンドームさっ……!?」
アーサーはナイフを抜こうと無理に引っ張るが、ロゼッタの手から凶器が離れることはなく、むしろどんどん深くロゼッタの皮膚や肉に食い込んでいった。
やがて少年の顔から狂気じみた色が消えた。
かわりに、恐怖の色が浮かぶ。
怯えの対象は自分が人を斬ったことなのか、それとも斬られてもなんとも思わないロゼッタの方なのか。分からないが目が揺れ動いていた。
ロゼッタは汚れていない方の手で、アーサーのナイフを握る指をほどいていった。
血の付いたナイフが落ちて、カランと音をたてた。
「それ……っ、手当しないと!」
いち早く我に返ったレインに、ロゼッタは大丈夫だよと言った。
アーサーは崩れ落ち、自分の手を見て震えている。
「うわっ、切傷汚いなぁ。どうせやるならスパッとやってくれた方がいいのに。これじゃあ治るの遅くなるなぁ」
「……いえ、そんな問題じゃあありませんよ」
「大丈夫だってばー。社交界に言いふらしたりしないから……」
レインはアーサーの手を引っ張った。
「ほら、アーサー。立って……」
だがアーサーはその手を払いのけた。
「近寄るな悪魔! もう二度と戻ってくるなッ」
ということがあり、今に至る。
自分がノアシュタインではないと確信しているのか、レインは最後に言われた言葉だけを気にしていた。
そもそも何故アーサーという少年は今になってレインがノアシュタインだと言い出したのだろうか。
顔立ちが似ているらしいというのはなんとなく分かったが、もしノアシュタイン家の人だと分かっていたのなら何故始めから言わなかったのだろうか。
レインの記憶がないから? それともただの勘違いだと思っただけなのだろうか。
それが今になって、というよりレインがリュンヌ学園に引き抜かれたと聞いたときからだと思うが、記憶の中のノアシュタイン家の者とレインがかぶってあんな暴言を吐いてしまった、というのだろうか。
「悪魔って……アーサーに悪魔って……」
レインにとって彼らは唯一無二の家族。彼らにとってはあまり大切なものではないように見えたが。
「黙ろうね〜。このネガティブ少年」
ロゼッタは溜め息をつきながら言った。レインが似たようなことを呟くのはもう数十回目だ。いい加減にして欲しい。
「……あぁ、そうだ。イリンドームさんって瞬間移動できるんですか?」
「は? ……あー、どうしてあんなに早く来れたのかってー? これ言っちゃっていいのかなぁ」
「?」
ロゼッタは当主からもらったお詫びの品の包装リボンをいじりながら視線をそらした。後ろめたさは感じてないが、レインのことだからきっと怒られるだろう。
「…………ストーキング」
ぼそっと口にすると、レインは目を見開いた。
あー怒ったかなぁーなどと思っていると、意外なことにレインは微笑した。これが、はじめて見るレインの本当の笑み。
「ストーカーしてたんですか。でも僕全然気付きませんでしたよ?」
「それはレインが鈍いからぁ。今日ほんとはミキと任務だったんだけどねー、一人で行ってもらったんだ」
「そうですか。すみません……でもそのおかげで僕が助かったから、ありがとうございます」
目を見開いて唖然としていると、レインはまたネがディブモードに入っていった。
義弟に言われたことをボソボソと嘆いている。
再度ロゼッタは溜め息をついた。
今までの修練は加減してきた手ぬるいものだった。だが、自らゴッドハンターになることを望んだ今、そんなものでは駄目なのだ。二十年経ってもまともな戦闘などできはしない。だからさらにハードにしないといけないだろう。
こんな精神的なダメージを受けている状態で大丈夫なのだろうか。
ロゼッタは先を思いやって溜息を吐いた。