3 MASTER AND BUTLER~主人と執事~(1)
翌朝、自分のいる医務室まで自称お姫様が朝食を運んできた。
はっきり言って彼女はウザイ。性格はどうか知らないが喋り方が大変苛立つものなのだ。あの語尾を伸ばすところが腹立たしい。
あと人の不幸を面白がって嘲笑うところも嫌で仕方がない。
昨日はここについていろいろと説明を受けた。
本当はゴッドハンターだとか言う不明なものは信じていないしなる気もない。天使の存在も信じていない。そもそもレインは霊だの神だのとか、そういった科学的に説明できない、いわゆる『オカルト』みたいな話はいっさい信じていないのだ。だが逆らわずに言うことを聞いて、早くここから出られる資格をもらう方がずっと早いしいいだろう。それにレインがここに来たのもイリンドーム曰く血の使命なのだそうだ――これも信じていないが。
ついでに彼女が持って来た指示を書いた紙を受け取り、これまた腹が立つのだが美味しい食事を一人で食べる。
そうしてから指示された場所に向かった。
が、散々迷ってしまった。ここは地上より地下に広がっているのだと言う。迷路にしか思えない。結構複雑に廊下はあちらこちらへと伸びているし、似たような部屋ばっかりだ。
やっと辿り着いた広い場所にはたくさんの人がいた。
彼らは剣や銃などの一般的な武器から見たこともない武器を振り回している。
木刀を使っている人もいれば、隅で軽い運動をしている人もいた。
「あーレイン、遅刻だよー。迷っちゃった?」
いつの間に来たのか、目の前にロゼッタが立っていた。
「……ええ、ちょっと」
「アハハー、大丈夫だよ。ボクも最初はそんなんだったからねー」
「それで、僕は何をすればいいんですか?」
「まずは体力作り。この修練場の周りを……最初だから十周ぐらいでいいかなぁ? ねーミキー?」
その声に応えてすぐ近くで少年と組手をしていた青年が振り向いた。
不思議な髪の色をしている。何と言ったらいいのだろうか。ところどころにエメラルドグリーンのグラデーションが入った薄い金色、と言うのが一番いいのかもしれない。
そしてなによりも目を引くのは右目につけられた漆黒の眼帯だ。端正に整ったその顔の中で、唯一の異物、異彩を放つ、どことなく不気味な眼帯。
「まあ、最初だからな……それぐらいがちょうどいいだろ」
二本のリボルバーの引き金を交互に引き、相対する少年が放つ大きな砲弾を撃ち落としながらミキという青年が言った。
彼は最後に二発撃ち少年を吹き飛ばした。ミキから手加減さは感じられなく、少年は文句をわめきちらしながら飛んでいった。
「シャンデット!」
横で二人を眺めていた茶髪の少女が慌てて少年を追いかけていった。
血が出ていなかったあたり、彼らは防弾チョッキでも着ているのだろうか。
俺もその内こんなことさせられるのかな。
命をかける仕事だとか、そういうのは嫌なのに……。
そう思いながらも、レインは興味津々で青年を見た。
「……あぁ、初めまして。俺はミキ・ユリニア。スペードのJだ。よろしくな」
喋り方はクールだった。だが声には温かさが混じっている。
が、妙に気に入らない。何かが自分の神経を逆なでする。
「どうも……」
「ほらぁ、挨拶ぐらいしなよー。何、エリート校生は自己紹介もできないのー?」
ロゼッタの声がプライドを刺す。
本当に失礼な人だ。土足で人の心にずかずかと入ってきて、偉そうに……ここでは彼女は確かに偉いのかもしれないが、偉そうにレインに命令を下すところも、ちょっと高飛車なところも、嘲りの笑みを浮かべるのも、全部失礼だと思うし嫌いだ。
「……、初めまして、レイン・ディアナイトです」
「そうか。レインって言うのか。それじゃあ、この周りを軽く二十周で」
レインの素っ気ない自己紹介に特に反応を示さず、ミキはそう言った。
その言葉にぎょっとして周りを見る。
学校のグラウンドのトラックだとかいう、そんなサイズどころではない。
校舎と校庭をセットにしたものが二つ入りそうなぐらい広い。
その周りを二十周も走れと。
……これいびり? どこが軽く!?
ナルシストではないが、自分は結構体力がある方だと思う。
が、これは流石にない。
目の前にいる少女ーーロゼッタはびっくりするぐらい細身だが、これくらい散歩にしかならないと言える程の筋肉の持ち主なのだろうか。
「えっと……」
「あ、きつい? それじゃあ十周でいいよ~」
それでもきついですから。そう言いたくなった。が、我慢する。
この人達とコミュニケーションはとりたくない。仲間意識を持ちたくないのだ。持たれても困る。極力関わらないようにしておけば放っておいてくれるだろう。
誰にもはなしかけられたくない。どこの誰かも分からない、しかも変な世界を信じきっているような人達とは絶対に仲良くなりたくない。
いつまで経っても始めなかったらまた何か言われそうだったので仕方無く走り出す。
「頑張ってねー! 基礎体力無いと死んじゃうんだからさー!」
笑顔で言わないで欲しい。それと物騒な単語を応援の言葉にのせるのもどうかと思う。レインとしてはむしろ萎える。
「よし、じゃあロゼッタ、久々に俺と手合わせしてみるか?」
「やったー! ミキとするのは久しぶりだなぁ」
歩行スピードと変わらない速度で走りながら、横目で二人を見る。
ロゼッタの手がほのかに光った次の瞬間、ミキが吹き飛んだ。
「不意打ちは無しだよ……!」
柱にぶつかって、ミキはゲホゲホと咳き込みながら立ち上がった。
うわ、痛そう。
「これでも手加減したんだよ~」
一丁の拳銃を手片手にロゼッタは笑っていた。
……あの人、鬼だ。
「そうだと思える手加減をしろよ!」
まったくもってその通りだとレインは心の中で真面目に同意してしまった。
飛び出してきたミキに、彼女は連続で六つの弾を撃ち込んだ。
彼が再度吹き飛ぼうが自分には関係ない。
脇目をふらず、レインは地道に走り続けた。
今日は体力だけをつけてやれとエリックに言われた。
アリスについて、ゴッドハンターについて。そんなことは後回しでもいいから、まずは“核”である石を扱えるくらいの体力をつけさせる。
ロゼッタは新入りの教育係をしたことがないのでその言葉に従った。
だから修練場十周と指示したのだが……。
やはり最初は一周か二周くらいから始めた方が良かったのかもしれない。
というのは、レインが五周目の途中でバテてしまったからだ。
組手をしないルーシーがおろおろしながら息が絶え絶えのレインの世話をしている。
ロゼッタは横から飛んできたミキの弾を撃ち落とした。
「ミキぃ、もう長~いことやってるから、そろそろやめにしようよ。明らかにミキの劣勢だよー?」
今度は二発素早く撃って彼の武器を弾き飛ばした。
「そうしようか。ロゼは戦いの途中で武器を変えるから……お手上げだ。ついてけれない」
息を切らしてミキが言った。
「ボクに勝つなんてミキでも無理じゃあないかなぁ」
「……驕るなよ」
「アハハァ」
エリックと同じことを言われた。
別に驕っている訳ではない。そういう性格なのだ。
それにミキが自分に勝てる訳ないというのは、驕りなどではなくれっきとした事実だ。
「どうしようかな~、そこで死にかけてる新人君はぁ」
「俺に聞くな」
ルーシーの手際の悪さを見かねて、ロゼッタはレインのところに歩いていった。
「大丈夫~?」
「……最、初から、あんなに走ら、せないで……くださいよ」
まだ息が切れてる。
「んー……。じゃあ、二周走ったら休憩ね」
レインはうなだれた。
しばらくは辛い毎日が続きそうだ——彼にとって。
◆◆◆ † ◆◆◆
ロゼッタは派手に舌打ちした。
何アイツむかつくんだけど。
普段は楽しめるこんな展開が何故か気に入らない。
何が気に入らないのだろう?
敬語は日常的にサポーターから使われているのでどうも思わない。
実力もそこそこだがあるにはある。素質、というのだろうか。そういうのがこういうのに向いているような感じがする。
やる気が感じられないのは……まぁしょうがないことだろう。
士気満々で来る人も二、三日辛い修練が続くとやめたいと文句を言い出すものだ。それにレインは望んでここにきたわけではない。勝手に侵入してきた彼に興味を持って、ロゼッタが勝手に拉致してきたようなかたちなのだ。上にも相談せず、自己判断で“夢の核”までも取り出したのは間違えようもなく自分だ。後悔も責任も感じていないが、レインが修練をさぼっても文句は言えない。
打ち解けてくれないのも仕方がない。ここから出ていくために鍛えてるのに、仲良くなってもどうしようもないというところは理解している。
「っわー、ロゼがこんなにイライラするの久しぶり」
ベーコンエッグを口に運びながらシャンデットが軽い調子で言った。
手に持ったフォークで目玉焼きの黄身を突き刺す。
ルーシーが怯えたように肩を震わせた。その姿が、よりいっそうロゼッタの苛立ちを煽る。
「ロゼちゃんなだめられるの……、ミキ先輩と上層部ぐらいだもんね……」
「うっさいなぁ、黙りなよ」
「……でも怖いから。……ミキさん今任務でいないし……」
か細い声で言い続けるルーシーを鋭く睨みつける。
「聞こえなかったのかなぁ? 黙れよ、この許嫁依存症が。お前のその“夢”壊してあげようかぁ?」
周囲の空気が一気にすさむ。
三人を気にもとめず食事をしていた人達までもが口をつぐんで押し黙った。
静かなのはいいことだね。
そう思って、さっきの続きを考える。
本当に何が気に入らないのだろう。
覚えるのも早いし反抗もしない。
出ていきたいと思っているくせに、おとなしく言いなりになっている。
「あぁ、そうかぁ……」
そこが気に入らなかったのか。
出ていきたいと思っているならそれなりの覚悟を見せて欲しい。行動で示して欲しい。
別にボクは何もしない。
足掻けばいいし、もがけばいい。
……それを見るのが、楽しいから。
「おーい? ロゼ? 何か怖いこと考えてないかー?」
大して使えないのに、観察力だけはあるみたいだ。