命の錆
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
水分。
我々が生きていくのに欠かせないものであるが、身の回りのものにも多大な影響を与える、とてつもない存在のひとつだろう。
特に最近は機械化が大いに進んだ世の中だ。ちょっと濡れれば、電気が流れるべきでないところへ流れ、故障の原因になるかもしれない。そうでなくとも錆とかを呼び込んで、本来の性能を劣化させかねないのは昔からよく知られている。
あまりにも身近にあるものだから、いつどのようなタイミングでトラブルのもとになるか分からない。そのため、日々のメンテナンスが重要になるのだが、100パーセント防げるとは限らないのが現実世界のやっかいなところだ。
ヒューマンエラーかもしれないし、不測の事態が起こるためかもしれない。それらに遭わずに済んだのであれば、きちんと自分の運やめぐり合わせに感謝するべきかもしれないな。
ちょっと前に友達から聞いた話なんだが、耳に入れてみないか?
味が変だな。
そう友達が感じたのは、いまから10年くらい前になる夏の日のことだった。
寝起きに、猛烈なのどの渇きを感じた友達は、冷蔵庫の麦茶をあおったものの、その味変具合についむせそうになった。
口に入れた瞬間の苦み。その後から追いかけてくる、生の植物を思わせる青臭さ。これを体内へ摂取しかけたことを後悔しかけるほどだ。
流しで吐き出したものの、口の中の不快感は残っている。まだ、これだけだったならば、麦茶に傷みでも来ていたのかと思っていただろう。
それが、口をゆすごうとした水でも同じことが起こった。やはり青臭さがあふれ出し、ぺっぺっと口の外へ。
味覚障害というには、いささか生々しすぎる。舌だけならともかく、口内を占有せんとするこの異様な醸し出しはなんだ。
このまま何を飲んでもこれとあっては、ろくなことにならない。友達は家の中にあるものを片っ端から口に入れる覚悟を決めたものの、意外と早い段階で平気なものにめぐり合った。
牛乳だ。
小さいころはよく飲んでいたものの、ここのところはお腹の調子を崩し気味なものとして、せいぜい一日に一杯程度にとどめるようにしていたもの。
ほかの飲み物は麦茶や水と変わりない不快感を漂わせるが、この白い液体のみは別だった。そのときにストックしてあったコップ三杯分を立て続けに煽ってしまう。
後から起きてきた親に、ことの次第を話した友達。
それを聞くと親は、今日はできる限り外へ出ないほうがいいと忠告してきたそうだ。たいていなら病院などへ行くべき症状だというのに。
親の話によると、親が幼いころに流行った奇妙な病気とよく似た症状だという。牛乳をのぞいた、あらゆる飲み物に耐えがたい不快感を覚える状態。
親はそれを「錆」とたとえたが、厳密には異なるものらしい。ただ身体を動かすにあたって大きな支障を与えうる存在が、身の内に溜まってしまっているがために起こると語られたとか。
「そのまま、外の汚れた空気にあたるとますます症状はひどくなる。しまいには、牛乳しか身体が受け付けなくなるだろう。そうして栄養を失調して、死を含めたあらゆるものの確率がはねあがるわけさ」
親はいったん、牛乳を買い足しに出かけたあとで戻ってくると、「これはあんた自身でケリをつけたほうがいい」と、アドバイスをくれた。
牛乳は、その「錆」が好むもの。目先の心地よさにひかれて、それに依存してしまえば、他のものを身体が受け付けがたくなる。しかし、錆が嫌がるものばかりでは、いよいよしんどくなるのも確か。
そこで、アメとムチ療法を行う。
牛乳6のお茶4の割合でもって、口に含んでは飲み込む。混ぜ合わせず、ローテーションで飲むほうが効果的だ。
好物であぶり出し、嫌いなもので追い出していく。シンプルなやり方だ。
実際、友達もトイレで便座に腰掛けて、言われた通りに行っていく。
妙な感覚だった、という感想。
肛門を抜けている感覚もないのに、便座の水へぽちゃぽちゃと茶色いものが溜まっていく。けれども、便のそれとは異なる様子。
なるほど、「錆」という表現もあながち的外れではなかった。鼻をつく臭いは確かに参加した金属が発生させるそれに似ていたからだ。
時間にして20分程度の籠城。身体からすっかりそれが出なくなった友達の味覚は、完全に元へ戻っていたのだそうだよ。




