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第一話 伏姫と八つの珠

挿絵(By みてみん)


すべては、一つの約束から始まった。




 戦の絶えぬ世であった。




 安房の国を治める里見家もまた、幾度となく敵に囲まれていた。


 城の外では、敵将が嘲るように声を張り上げている。




「里見の首を差し出せば、命だけは助けてやろう!」




 その声に、家臣たちは歯を食いしばった。




 だが――




 その時だった。




 城内にいた一匹の犬が、低く唸った。




 名を、八房やつふさという。




 ただの犬ではない。


 主の危機を察すれば、誰よりも早く動く忠義の獣であった。




 その様子を見て、当主は思わず口にした。




「……あの首を取ってくるなら、何でも望みを叶えてやろう」




 軽い冗談のつもりだった。




 だが、八房はその言葉を理解したかのように――


 戦場へと走り出した。

挿絵(By みてみん)



 止める間もなかった。




 その日の夕刻。




 城門の前に、一つの影が現れた。




 血に濡れた毛並み。




 そして、その口には――




 敵将の首。




 城内は静まり返った。




 誰もが言葉を失う。




 やがて、誰かが呟いた。




「……まさか」




 約束は、果たされた。




 だが同時に――




 果たさねばならぬ約束が、残った。




 当主は、深く沈黙した。




 そして、やがて決断する。




「……伏姫を呼べ」




 その名を聞いた瞬間、空気が変わった。




 伏姫。




 里見家の姫であり、誰よりも気高く、優しい心を持つ娘。




 その姫に――




 犬へ嫁げ、と命じるのか。




 誰もがそう思った。




 だが、伏姫は違った。




 すべてを聞き終えたあと、ただ一言だけ言った。




「それが、父上の約束であるならば」




 その声は、静かだった。




 だが、揺るぎがなかった。




「私は従います」




 家臣たちは叫んだ。




「なりません!」




「姫様がそのようなことを!」




 しかし、伏姫は微笑んだ。




「約束を違えれば、家は滅びます」




 そして、静かに続ける。




「それが、里見のためになるならば」




 その日。




 伏姫は城を出た。




 八房とともに。




 山へと入る。




 誰も踏み入らぬ、深い山の奥へ。




 それが、どのような運命を意味するのか。




 誰も知らなかった。




 ――そして、時は流れる。




 ある日。




 山の中に、一人の僧が迷い込んだ。




 名を、金碗大輔きんわんだいすけという。




 彼は、奇妙な光景を目にする。




 山奥の庵。




 そこに、一人の女性がいた。




 伏姫だった。




 だが、その姿は以前と違っていた。




 どこか、俗世から離れたような――




 清らかな空気をまとっている。




「あなたは……」




 僧が言いかけた時。




 背後で、低い唸り声が響いた。




 八房だ。




 その目は、警戒に満ちている。




「この者は、悪しき心を持つ」




 伏姫が静かに言った。




 だが、次の瞬間。




 銃声が響いた。




 乾いた音が、山にこだまする。




 八房が、崩れ落ちた。




「……っ!」




 伏姫の表情が、初めて揺れる。




 だが、その直後――




 彼女の身体が、光に包まれた。




 強い光。




 目を開けていられないほどの輝き。




 そして――




 八つの光が、空へと飛び散った。




 それぞれが、小さな珠の形をしている。




 仁。義。礼。智。忠。信。孝。悌。




 人として守るべき、八つの徳。




 それが、光となって世界へと散っていく。




「……これは」




 僧は、呆然と呟く。




 伏姫は、静かに目を閉じた。




「この珠は……いずれ、人の世に現れるでしょう」




 その声は、かすかだった。




「そして――」




 一拍。




「八つの魂として、再び巡り合う」




 風が吹いた。




 光は、すでに見えない。




 だが確かに、それは世界へ放たれた。




 八つの運命として。




 伏姫の身体は、ゆっくりと崩れ落ちる。




 その表情は、穏やかだった。




 まるで――




 すべてを見届けたかのように。




 山は、静けさを取り戻した。




 だが、この瞬間。




 物語は、始まったのだ。




 八つの珠を巡る、長い長い物語が。

挿絵(By みてみん)

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