王子の隣は私の予定にありませんでした。
※淡々とした悪役令嬢が、
気づかないうちに王子の隣へ配置されていくお話です。
初投稿です。
前世で私が電車を眺めるのが好きだったのは、感傷からではない。
時刻表どおりに世界が動くことをただ確認していたかっただけだ。
何分に来て、何秒停まり、何分後に去っていくのか。
すべてが決まっていて、裏切られない。
それを見ている間だけ、呼吸が一定になる気がした。
だからだろう。
目を覚ました先が、豪奢な装飾に囲まれた天井でも、私は取り乱さなかった。
状況を整理する。
鏡に映る金髪の令嬢。名前、立場、周囲の視線。
――ここは乙女ゲームの世界。
私は悪役令嬢、リリアーナ・クラウス。
誤解され、断罪され、退場する役。
予定通りだ、と思った。
予定が分かっているなら対処はできる。
このゲームは妹が好きだった。
私は隣で眺めていただけだが嫌いではない。
選択肢を間違えなければ、必ずハッピーエンドを迎える。
現実よりだいぶ良心的だ。
――予定通り、なら安心できる。
*
転生したのは貴族学校入学式の前日だった。
悪い意味でこの世界の中心に立つ日。
侯爵令嬢としての所作や言葉遣いは問題ない。
行動もある程度は自由にできるはずだ。
ルート通りに振る舞うか外れるか。
好感度調整や社交――正直、面倒だ。
特に王子。
予定通りなら私は王子に一目惚れし、
侯爵家の財力を恋心にすり替えて婚約まで漕ぎつける役だ。
関わらない方が精神衛生上よい。
私は机に向かいスケジュール帳を開く。
朝:入学式。席次と人の流れを確認
昼:図書館
午後:庭園散策
社交:必要最低限
夜:月と紅茶
誰とも親しくならず、騒ぎにも巻き込まれず、淡々と過ごす。
これが理想だ。
*
入学式はほぼ予定通りに進んだ。
私は自分の席に座り、世界が裏切らないことを確認する。
――理想の一日だった。
そのはずなのに。
昼休み、庭園で歩いていると、肩に軽い衝撃があった。
「……失礼」
頭を下げると、相手は足を止め、こちらを見る。
「ごめん。よそ見してた」
微笑んだその顔を見て思った。
――顔がいい人の微笑みは反則だ。
冷静に確認するとぶつかってきたのは
どうやら王子リオン・カステルらしい。
「お詫びがしたい。名前を教えてもらえませんか?」
――いや、無理に答える必要はない。今の私は悪役令嬢。
「いえ、お気になさらず」
言葉は簡潔、感情は押さえつつ。
今日一日の「平穏に過ごす計画」が少しずつ崩れつつあることに気づいた。
早く予定通りにしないと
足を前に出す。
――関わったらだめだ。
「逃げるつもりですか?」
しかし、後ろから軽やかな足音が近づいてきた。
振り返ると王子は遊ぶような目をしていた。
「……大丈夫です」
前世で勧誘を断るときに使った定型句を思い出しつつ教室に戻ろうと足を動かす。
すると王子は小さく笑い、低い声で言った。
「大丈夫なんですね。じゃあ、一緒にお茶でもどうですか?」
内心で焦りつつ距離を取ろうとすると、再び肩を軽くぶつけて距離を詰めてくる。
その仕草は遊び心たっぷりで小悪魔的だが、どこか計算された腹黒さを含んでいる。
――簡単には退けないタイプだ、と直感する。
*
ティーハウスは静かで紅茶の香りが優しかった。
王子は当然のように隣に座る。
「君、なんとなくだけど静かな場所が好きでしょう」
目の端でこちらを観察している。
――私を計算してるな、と直感する。
「嫌いではないです。」
「……なるほど」 つぶやくと、王子はにやりと口角を上げた。
「無表情だと、構いたくなるんですよね」
私はカップを持ち直す。
平穏に過ごす計画が、崩れ始めている。
「暇なんですか?」
「いいえ。君が面白いだけです」
私はちょっと睨みつつも、心の中で少しだけ舌打ちした。
平穏に断罪されずに過ごしたいだけなのに、勝手に距離を詰めてくるなんて聞いてない。
王子は軽く息を吐き、紅茶を一口飲む。
その視線は、遊び心と計算されたS気質が混ざったまま私を見つめながら言った。
「ふふ、こうしてじっとしていると、まるで獲物を待つみたいで楽しいですね」
「そんなに楽しそうに見て……暇なんですか?」 嫌そうに言いながら、ちょっと皮肉を込めて返す。
王子は軽く肩をすくめ、にやりと笑った。
「暇じゃないですよ。ただ、君が面白いから、つい構いたくなるだけです」
その顔どう見ても小悪魔だ。遊んでいる。
「……それって、からかってるだけじゃないですか」
「ふふ、からかうのも楽しいけれど、君の反応を見るのがもっと楽しいんです」
だって、君、さっき僕を見てすごく嫌そうな顔をしたでしょ?
その日は、逃げるようにティーハウスを後にした。
心を乱されたくなかったので、明日から予定通りに過ごすためのプランを練ることに集中する。
勉強? 今はそんなところではない。
あ、もちろん授業は明日から始まるのでちゃんと出席するつもりだ。
淡々に過ごす一日を守る。それが、私の最優先事項。
王子の小悪魔的な挑発も、心の片隅で覚えてはいるけれど、今は考えない。
予定通り、無事に過ごすためだけに、頭を整理する。
そのつもりだったのに――
それからも、王子は何度も現れた。
図書館、カフェテリア、廊下。
ヒロインは何をしているのだろう。
早く、この人を攻略してほしい。
*
授業で隣に座ったのは、別の攻略対象――ユリウス・マルクスだった。
宰相の息子らしく、とてもきっちりしている。穏やかな笑みと、順序立てて話す口調。
彼の思考回路は完璧なダイヤグラムのように整然としていて、私には何より心地よかった。
領地経営の授業で課題のペアに指定された。
順序立てて計画を立てるユリウスに従えば作業は機械のように効率的で、
私の頭の中も澱みなく整理されていく。
しかし、図書館で二人並んで作業していると、やはりあの「不確定要素」が現れた。
王子リオンはどこか不機嫌そうで、それでいて楽しそうな小悪魔的な笑みを浮かべて私たちの机を覗き込む。
「二人きりですか? 楽しそうですね」
「楽しいというか、課題をやっているだけですけれど」
淡々と波を立てないように返すと、王子はわざとらしく肩をすくめた。
「でも、僕という者がいながら、他の男性と密室で二人きりはよくない」
「密室というか……ここ、図書館なので。周りに普通に生徒がいますよ」
私の指摘に、王子は一瞬だけ考え込む素振りを見せた。
そして、獲物を袋小路に追い詰めた確信を得たように、にやりと笑う。
「――なるほど。衆人環視なら、むしろ問題ありませんね。
周りの皆も、君が僕の求婚を拒まない証人になってくれるはずだよ」
背筋に冷たいものが走った、その直後。
「僕の婚約者になってください」
図書館の静寂に、王子の宣告が鋭く響き渡った。
ページを捲る音が止まり、周囲の視線が一斉に逃げ場のない私へと突き刺さる。
頭の中で、私が心血を注いで組み上げた予定表が、音を立てて崩れ落ちていく。
平穏に過ごす計画、脱線。私の静寂は、今、完全に終了した。
*
王子リオンは、去っていく彼女の背中を、唇に薄い笑みを刻んで見送っていた。
取り乱しもせず、声を荒げることもない。
ただ一歩、計算され尽くした優雅さで、完璧な距離を保とうとする。
――ああ、この女は「正しく逃げる」。
だから、安易に追いかけてはいけない。 焦って追えば、野性の鹿のように警戒心を強め、二度と姿を見せなくなるだろう。
必要なのは、追いかける脚ではない。 彼女が「そこに留まるしかない檻」を、彼女自身の意思で作らせることだ。
噂は、事実の少し手前が一番よく広がる。 評価は、本人が否定できないほど「美徳」であるほうがいい。
「静かで判断が的確だ」 「感情に流されない、孤高の令嬢」
どれも事実だ。 彼女が必死に保っているその「潔癖なまでの正しさ」を誰も疑いはしない。
彼女が自分を律し、逃げ道を美しく整えようとするたび、 彼女が積み上げたその“正しさ”という名の壁が、彼女を追い詰める。
それでいい。
――リリアーナ、君は気づいていない。
自分の足で歩いているつもりだろうけれど。
君という駒はもう逃げ場のない盤上に置かれているのだということに。
*
ユリウス・マルクスと過ごす時間は、私にとって唯一の「定時運行」だった。
彼の話は常に順序立っていて、結論は予定通りの時刻に予定通りの場所に落ち着く。
「この工程で進めれば、期限内に終わります」
その迷いのない一言を聞くだけで、騒がしかった胸の奥がしんと静まり呼吸が整う。
これだ。私がずっと求めていた、狂いのない世界。
だが、その平穏なダイヤに「ノイズ」が混じり始めた。
「ユリウス様と一緒なのね」 「でも、殿下はどう思われるかしら」
向けられる視線の温度が昨日までとは違う。 ……どうして、ここで王子の名前が出るのか。
「殿下がリリアーナ様を信頼しているそうよ」 「静かな方が好みなんですって。殿下の『お気に入り』は大変ね」
私は何も答えられなかった。 否定すれば騒ぎになり、肯定すれば事実になる。
――沈黙さえもが王子の筋書きへの「肯定」として処理されてしまう。
ユリウスは、すべてを察したように、少し困ったような微笑みを浮かべた。
「……君、大変そうだね」
その言葉ではっきりと理解した。
ユリウスの同情混じりの微笑みは、私の世界の境界線を引く「境界標」だった。
私の“安心”は、もう彼とは共有できない。
王子が張り巡らせた「配慮」という名の透明な壁。
それが、私と秩序ある世界を、残酷なほど明確に分断してしまったのだ。
*
ある日、王子は淡々と言った。
「図書館は少し静かすぎて落ち着かないでしょう」
「……いいえ。あそこが私の最も好む環境ですので」
私の必死の防衛線を王子は受け流す。
「無理をしなくていい。君専用の閲覧室を用意させた。あそこなら不快な雑音に乱されることもない」
拒絶する理由が見当たらない。
静寂を求めていた私に最上の静寂が与えられてしまった。
「庭園も最近は人が増えて落ち着きませんね。君の散歩の時間は、他の生徒が立ち入らないよう調整しておきました」
私が必死に探し選び取っていたはずの“逃げ場所”が、
王子の手によって一つまた一つと「公的な特等席」へと整備されていく。
「君の平穏に迷惑をかけないようにしているだけですよ」
王子は何も求めない。 指一本触れず、甘い言葉で迫ることもない。
――だからこそ、正論という名の壁を崩してまで拒絶することができない。
逃げれば逃げるほど私の世界から死角が消えていく。
私の引いたレールも停車駅もすべてがいつの間にか
「王子の管理下」という大きな指令塔の中に収まっていくのだ。
*
その日私は見た。
中庭で王子に話しかける少女を。
日差しに透ける淡い色の髪。
不安げでそれでいて凛としたまっすぐな瞳。
――ヒロインだ。
瞬間、胸の奥が不自然なほど冷たく凪いだ。
これでいい。これが正しい。
これこそが私の知る唯一確かな「予定」だ。
彼女が王子と恋に落ち
私は疎まれ断罪され舞台から退場する。
乱れたダイヤを元に戻す救世主の到来。
……なのに。
王子は、彼女に柔らかな微笑みを向けながらも、
決して詰められない明確な距離を取っていた。
代わりにその射抜くような視線だけが隠れていた私を正確に捉える。
「紹介しますね」
やめて。言わないで。
「彼女は――」
その言葉が唇から滑り落ちる前に私は悟ってしまった。
ヒロインが現れたことで私の立ち位置は決定的に固定されたのだと。
――清廉で、慎み深く、誰からも愛されるはずのヒロイン。
――そんな彼女を「不当に」脅かす存在から守るのは、高潔な王子。
それが、この学園ひいては国にとって最も美しく一番「秩序的」な構図。
だが、私がヒロインへの嫌がらせという「脱線」を一度もしなかったせいで。
私が完璧に「予定通り」の淑女を演じきってしまったせいで。
王子が私を隣に置き、その庇護下に置くことを、誰も……ヒロインですら、疑問に思わない。
頭の中の予定表が、真っ白に漂白されていく。
逃げれば逃げるほど、 正しい選択を、美しい振る舞いを積み重ねれば積み重ねるほど、
私の周囲に張り巡らされた「配慮」という名の鉄格子は、より強固に、より正当に、私を縛り上げる。
他に選べる場所なんて、残っていない。
気づけば、私の居場所としてきれいに片付けられていた。
どうやら私の居場所は、最初から最後まで、王子の隣だったらしい。
【後日談】
リリアーナのスケジュール帳
朝:講義出席。
昼:図書館で静かに読書。一人の時間を確保したい
午後:庭園散策。一定の距離を保って歩く
社交:学生会館にて、婚約者としてお茶を淹れる実務
夜:月を眺めながら、婚約者宛ての手紙(定型報告)の作成
ここまで読んでくださってありがとうございます。
初投稿で至らない点も多いと思いますが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
▼王子視点はこちら [url:https://ncode.syosetu.com/n9384lp/]




