9 問い詰め
翌朝。
欠伸をしつつ部屋を出て一階に降りると、店内はまだ準備中のようで客は一人もいなかった。
窓から差す爽やかな朝日は年季の入ったテーブルに注がれており、そこでは二人の少女が朝食の入ったトレイを挟んで向かい合っている。
一人はユーリちゃん。もう一人はメイちゃん。
こうして二人が朝の食卓を囲んでいる光景は、なんだか仲の良い姉妹のようにも見えて、思わず目尻の下がる微笑ましさがあった。
「おいひいです! おいひいです!」
この欠食児童はほっぺをぱんぱんに膨らませて、もりもりと食べる。今朝のメイちゃんは猫じゃなくてリスになっていた。
子供はいっぱい食べなさい。
「おかわりあるからね。いっぱい食べていいのよ」
ユーリちゃんも甲斐甲斐しく飯をよそってきたり、水を持ってきたりしている。生粋の給仕係である彼女にとっても、よく食べる子を見るのは気持ちがいいのだろう。
「あ、先生! おはようございます!」
俺に気づいたメイちゃんが元気いっぱいに挨拶する。
でもここで先生はやめろ。変な目で見られるから。
「おはよう。今朝は焼きサバ定食か」
この店には覚者料理もある。俺はこの味噌汁ってやつが好物だ。
肉質の脂が溶けた力強いスープも悪くないが、味噌汁の優しい味わいは、どこか気持ちをほっとさせてくれる。独特の臭みはあるものの、こいつが妙に癖になる。
思えば覚者のもたらしたものは偉大だ。
料理だけではない。様々な日用品のほか、あの大陸鉄道だって覚者の知識と技術によって造られたものだ。
今や覚者の知識はある種の利権と化し、どこの国でも覚者を集めて知識の独占を狙っている。
まあ、俺の知ってる覚者は変態だったけどな。
「俺の分はないの?」
「ありませんよ? 食べたかったら開店してからお金払って食べてください」
世知辛い。
確かに俺は従業員ではないが、何年ここに住んでると思ってんだ。
もう家族みたいなもんだろ? うっかりノックせずに部屋のドアを開けて、ラッキースケベイベントとかもやった仲じゃないか。
口にしたら殴られそうだから、言わないけど。
「ちょっと出てくるわ」
飯が出ないならここにいても仕方ない。
念のためにヤギ杖も持っていくか。必要ないならない方が良いんだが。
俺はさっさと用事を済ませるために、冒険者ギルドへと向かった。
◇
店を出てまず耳を突いたのは小鳥の囀りだった。
ちゅんちゅん煩い雀どもは、店先の生垣やため水桶のつるに乗って、憎らしくも合唱みたいに俺を批難した。──別におまえらの家じゃないだろうに。
俺は朝に弱い。
太陽が東にあるうちはイマイチ身体の動きが鈍い気がする。
どちらかと言えば夜型の生活をしている俺にとって、日差しはてっぺんか西から差すものだと身体が錯覚しているのかもしれない。
足取りが駅前に近づくにつれて路上生活者の数が増えていく。
このへんは人通りも多く、乞食をしやすいのが理由のひとつだろうが、それにしても今日はやけに多い気がする。
どいつもこいつもだらしなく路上に寝そべって、酒瓶を枕に尻尾を抱いていびきをかいている。
──ああ、こいつらリカントか。
昨晩は満月だった。
リカントにとって満月はお祭り。獣化して気がでかくなって、顔もわからなくなるから羽目を外す奴らが多く現れる。一種の仮装パーティーみたいなもんだ。
こいつらはその名残か。
祭りの後の搾りカス。駄目人狼。
案の定、コボルト像前には大量のリカントたちが、よだれを垂らし腹を掻いて、ぐーすか眠りこけている。
満月の翌朝ってこんな感じなんだな。
早朝に駅前なんか滅多に歩かないから、知らなかった。
「うわ」
思わず声が出てしまった。
素っ裸の女リカントが堂々と寝ている。
これはひょっとして、あのとき歌をうたっていた子だろうか。あのときは獣化してたからよくわからないが、なんとなくそんな気がする。
どうでもいいが、どうしてロングヘアーの女の子ってこういうとき必ず髪で乳首が隠れるのだろうか。何か超常的な力が働いているとしか思えない。
だってそうじゃないか。世に重力があるなら、自然と髪は膨らみの下へと落ちるはずだ。それがなぜ頂点を離れんのだ。絶対におかしい。
まあ、本当にどうでもいいんですけどね。
「そってしておこう」
この堂々とした眠りっぷりからして、きっといつものことに違いない。
それにしても最近よく裸の女を目にするな。そろそろ馬車に轢かれるのかもしれん。用心しておかなくては。
◇
早朝のギルドに人は少ない。
扉の前で何が目的なんだか屯してる馬鹿もいないし、中に入るたび警戒の視線を送る冒険者たちも今はいない。
あんなにごちゃごちゃしていたロビーは、しんと静まり返って整然としている。
受付カウンターにただひとり、暇そうに読書をしている女がいるのみだった。
「あら、ゴブリン様。お早いですね。──例の仕事はいかがでしたか?」
シェリンさんは本を閉じると、にこりと微笑んだ。
「とても楽しかったですよ。とてもね」
精一杯の皮肉を込めたつもりだったが、こんなことで怯むタマではない。彼女の慇懃な笑顔が崩れることは滅多にないのだ。
「それでは今日は、どのようなご用件で?」
「ちょっとお聞きしたいことがあるだけですよ」
「それはちょうど良かった。私からも少しお話したいことがあったのですよ」
シェリンさんはつかつかとカウンターを出て、ガイドのように手で階段を示した。
「立ち話もなんなので、お二階の応接室へどうぞ」
応じ接すると書いて応接室。
シェリンさんは俺をソファーに座らせると、自分はテーブルを挟んだ向かいの足つき椅子に座って、まっすぐ対面し話に応じた。
「それでは、まずゴブリン様からどうぞ。どのようなお話でしょう?」
いつも通り微笑むシェリンさんの傍らには、黒鞘の愛刀(真字政宗)が立て掛けられている。
彼女の技量なら、いつでも一呼吸で抜いてテーブルごと俺を真っ二つに出来るだろう。
彼女のこういうところが俺は嫌いだ。
脅しと笑顔がセットになってる奴にロクな奴はいない。
「まずはあの子、メイリーの年齢についてですけど──」
「彼女は十六歳です。本人がそう申告しましたから」
あーそうですか。
まあいい。ここは問題ではない。一番の問題は別にある。
「──処女迷宮ですが、ダンジョン荒らしがいました」
「まあ! 大丈夫だったんですか?」
大根だなーこの人。
この反応で確信した。やっぱり彼女は全部知っていた。
知った上で、俺に始末させた。
ダンジョンの探索には許可がいる。あくまで建前上の許可が。
ダンジョン探索には、最悪の事態のひとつとして遭難というものがある。迷宮で迷子になったり、あるいは怪我をして身動きが取れなくなったり。
そうなったとき、今ダンジョンに潜っているのが誰か、帰ってきていないのは誰か、何日帰ってきていないか、それらを知っておくことは救援を出す際の重要な目安となる。
もっとも大抵の場合は手遅れなんだが、それでも助かる可能性がある以上は、法で定めて管理しているわけだ。
あのダンジョン荒らしは言っていた。
最近は冒険者が来なくなったと。
それは恐らく、シェリンさんが察してダンジョン探索に許可を出さなくなったためだろう。しかしその前に、帰らない冒険者がいたのなら救援を出してなきゃいけない。
そうなれば当然、救援隊とダンジョン荒らしはかち合うはずだ。
あの連中に正規の救援隊を退けられる実力があるとは思えない。つまりシェリンさんは、彼女は救援を送っていないのだ。
これは職務怠慢と言われても仕方がないことだぞ。
「──なぜ救援隊を出さなかった?」
「あら?」
話の流れ的に、それは脈絡のない問いかけになったはずだが、彼女はあっさりと、すぐに応じた。
「話がひとつふたつ飛んでますよ? ──でもまあ良いでしょう。お答えします。あなたの正体を暴く一環です」
頭から体温が下がるのを感じた。
「ゴブリン様は不思議なお方です。レンタルゴブリンなんて冒険者のなり損ないみたいな仕事をしているわりに、非常に高レベルのスカウトスキルを持っていらっしゃいます。──これはあなたの依頼主の評ですが、ご自身での戦闘は極端に避ける傾向があるとか」
「・・・・・・」
「あなたはよくご自分で、戦闘では役に立たないからレンタルゴブリンをしている、なんて言っているそうですが、それが本当なのかどうしても確かめたくなってしまったのですよ」
「それで救援隊の代わりに、俺を送ったと?」
「そうですね。力を測るには丁度いいと思ってましたから」
そんな個人的な理由で救援をしぶっていたのか、こいつは。
手遅れだったのは間違いないが、これがもし普通の遭難事故で、今も助けを待っている冒険者がいたとしたら、ひどい話じゃないか。
「──それで、俺の実力は大体わかったでしょう? 満足しましたか?」
「全然ですね」
つまんなさそうに、彼女は頭を振った。
「あの程度じゃあなたの実力なんてとても測れないでしょう?」
「買いかぶりすぎですよ」
「──私、調べさせていただきました。あなたのこと」
さらに体温が下がる。
背中がじめっとしてきた。
「何も出ないでしょう。俺には名前がない」
「そうですね。苦労しました。まだ推測の段階ですが、大体わかりましたよ?」
話は長引きそうだった。