28 間章 仲直り?
その日の夕方頃、先生は依頼を達成したお祝いの席というものに参加するそうで、「たっぷりタダ酒を飲んでくる」と言って楽しそうに店を出て行きました。
翌日はお休みをいただいていたので、先生と一緒に少し夜更かしをして遊びたかった私は、とても残念な気持ちでお見送りしました。
昔、お酒というものを父が飲んでいるのを見て、興味本位でこっそりと飲んだことがあります。
でもあまりの不味さに、そのときは吐いてしまいました。
大人になると味覚が変わるのかもしれません。
だから早く大人になって、私も先生とお酒を飲んでみたいです。
なのでお店が閉まった後も、私はしばらく一階で先生の帰りを待っていました。
でもユーリさんから「朝まで飲んでるかもしれないから、早く寝ちゃいなさい」と言われて、仕方なく自分の部屋に戻るところだったんです。
でもそのとき──。
がたっ、と音がして、お店の裏口のドアが開きました。
この裏口を使う人は、店長とユーリさんと私、そして先生しかいません。
私は大喜びで先生を出迎えようとして、そして声を失いました。
先生は、泣いていたんです。
翌日の先生はいつもとあまり変わりありませんでした。
でも私にはわかります。
ユーリさんも気づいているようでした。
先生がなんだか落ち込んでいることに。
あのときの私は、見てはいけないものを見た気がして、何も言うことが出来ませんでした。
それからも事情を聞くタイミングがわからず、未だに何も聞けていません。
そうしてもはや完全に機会を失った私に、ユーリさんは言いました。
「あれは女にフラれたのよ。間違いないわ」
その目は確信に満ち溢れていました。
私よりもユーリさんはずっと長く先生と暮らしているので、そういうこともすぐわかっちゃうのでしょう。
少しだけ嫉妬しちゃいます。
でもそのことをお客さんと面白おかしく話すのは、なんだか意地が悪いです。
先生が可哀想だと思います。
そんなことがあって少しだけ時が流れたある日、茶色い肌をしたすごくきれいなお姉さんがお店にやってきました。
角と尻尾と翼があったので、それがサキュバスの人だとすぐにわかりました。
お姉さんはまるでお見舞いみたいに果物が入ったカゴを持って、先生に会いに来たみたいですが、先生は会いたくないと言って自分の部屋から出てきません。
ユーリさんが困った顔で事情を伝えると、サキュバスのお姉さんは悲しそうな顔をして帰っていきました。
これにはさすがの私もピーンときました。
この人です。
間違いありません。
この人が先生を振った人です。
急いでユーリさんを振り返ると、ユーリさんも私を見ていました。
そしてお互いに頷きました。
ユーリさんと心が通じ合った気がします。
それからもサキュバスの人はちょくちょくお店に来るようになりました。
毎回、お菓子や果物を持って、先生に会いに来ます。
でも先生は一度も一階に降りてきません。
なんだかこの人も可哀想だなと思いました。
でも振った相手に何度も会いに来るというのは、どういう心境なんでしょうか。
私には大人の恋愛はまだよくわかりません。
「きっと未練があるのよ。もしかするとゴブリンさんが振ったのかもしれないわ」
ユーリさんはぐっと拳を握って力説しました。
「メイちゃんも知ってると思うけど、ゴブリンさんは物凄く強いのよ。だからときどき、それが格好良く見えるときがあるの」
それは知っています。
でも、ときどきじゃなくてずっと格好良いですよ?
「そしてサキュバスの人って、あんまり種族とか見た目とか気にしないみたいだし、それで騙されちゃった可能性があるわ!」
騙されたって、どういうことでしょう。
まるで先生が強い以外に良い所がないみたいです。
先生は優しくてよく遊んでくれます。
背も私と同じぐらいで、まるでお父さんといるみたいに安らぎます。
私は先生のこと大好きですよ。
でも、これで謎は解けました。
先生があの人を振ったのなら、辻褄が合う気がします。
なかなか先生も隅に置けません。
あんなにきれいな人を振ってしまうなんて、もしかすると先生はものすごくモテるのかもしれません。
なんだか嬉しいような悲しいような、ちょっと複雑な気分です。
その日もいつものように仕事をしていると、またあのお姉さんがやってきました。
どうせ今日も先生は降りてこないと思っていたら、どういう心境の変化でしょうか、なんと先生が降りてきたのです。
私とユーリさんが驚いていると、先生は少し恥ずかしそうに目を逸らしつつ、「上がれよ」とだけお姉さんに声をかけて、また二階へ上がってしまいました。
当然それを追って、お姉さんは階段を上っていきます。
そのときのお姉さんはとても嬉しそうで、私も少しだけ嬉しくなりました。
ふとユーリさんを見ると、ユーリさんも私を見ていました。
そしてお互いに頷きました。
私たちはこっそり、忍び足で二人の後を追ったのです。
後ろで店長が何か言ってる気がしましたが、私たちにはもう何も聞こえていませんでした。
二階に上がると、すでに二人は先生の部屋に入っていったようでした。
もちろん部屋のドアを開けるわけにはいきません。
どうしようかと思っていると、ユーリさんが小さく手招きをしていました。
ユーリさんについていくと、そこは先生の隣の部屋でした。
反対側の隣は私の部屋ですが、ここは今空き部屋になっています。
滅多にありませんが、お客さんが泊まるときはこの部屋を使うそうです。
私はまだ半分の林檎亭に泊まりのお客さんが来るところを見たことがありません。一応、宿屋なんですけどね。
「誰にも言ったら駄目だからね」
そう言ってユーリさんは、壁に掛けられた壊れたハト時計を取り外しました。
そこには壁の向こうまで覗ける小さな穴が開いていたのです。
私は、ごっくんと唾を飲みました。
こんなものがあったなんて。
これがあれば先生の部屋が覗き放題です。
これがいけないことなのは承知の上です。
それでも私は、ぐっと覗き穴に顔を寄せるのでした。
いきなり目に飛び込んできたのは、お姉さんがしゃがみこんで、先生を抱きしめているところでした。
あまりの出来事に息が詰まって、咳が出てしまいます。
「メイちゃん、何が見えたの?」
見えたものを伝えると、「うっそ!」とユーリさんも息が詰まりました。
これは、よ、ヨリを戻したというやつなのでしょうか。
すごくドキドキします。
すごく大人の恋愛という気がします。
下の階のお客さんがうるさくて何を話しているのか聞き取れませんが、それでも私は食い入るように見てしまいました。
すると──
あ、あれ?
今度は先生がお姉さんを引っぺがして、なんか怒鳴ってます。
これは、何かのシュラバなんでしょうか。
でもお姉さんは笑ってます。
先生は呆れた顔です。
どういう状況なんでしょうか?
そしてまたくっついたと思ったら、先生は呆れ顔のままべたべた触られてます。
でもやっぱり途中で離れて、お姉さんは膨れ顔で、先生は肩をすくめてため息。
怒ったり笑ったり、なんだかよくわかりません。
せめて声が聴こえれば良かったんですが、今日に限ってお客さんが多くて、一階がうるさいせいで全然聞き取れないです。
そして最後は、持ってきたお菓子を一緒に食べてました。
私はちくいちユーリさんに報告をしていましたが、ユーリさんもよくわからないようでした。
大人の恋愛はむずかしいです。
私はてっきり、その、えっちなことが始まるんじゃないかとドキドキしていたのに、なんだかちょっと拍子抜けしました。
でも二人とも楽しそうで良かったです。
「ありがとうございましたー」
ユーリさんが最後のお客さんを見送ると、そのまま「本日は閉店しました」の札を掛けて戻ってきます。
結局あのあとお姉さんはすぐ帰ってしまいました。
私とユーリさんも一階に戻って、またお仕事に戻りました。
店長には怒られてしまいましたが、悔いはありません。
これからは先生の様子をチェックできる覗き穴がありますので、また何かあったら覗いてみたいと思います。




