20 ベラッカ組合
あれからウブちゃんは応急処置を受けて、適当な部屋のベッドに寝かせてある。
しばらく仕事は休ませるとのこと。
後はもうトラウマにならないことを祈るばかりだ。男性恐怖症のサキュバスなんて、笑い話にもならない。
男の方はサキュバスたちの控室に縛り付けておいた。
客の精気は吸えないからな。
みんな鬱憤が溜まってるだろうし、吸い放題のドリンクバーとして使ってくれと言っておいた。
店が終わる頃には干物になってるだろう。
二度と馬鹿なことができないように、サキュバスの恐ろしさを身を持って味わうといい。
そして今は会議中だ。
場所はお馴染みのVIPルーム。
会議の出席者は三名。
エンドラ、リズベット、そして俺の三名だ。
「──で? ベラッカ組合ってなんだ?」
あのとき、男が口走った固有名詞。
まあ何らかの組織だというのはわかるが、それが何なのかは俺にはさっぱりだった。しばらく来てなかったから、花売り街道の事情には疎いのだ。
「ベラッカ組合は最近になって立ち上がった組織だね」
リズベットが答える。
彼女は悪魔の林檎亭の実質的な店長だから、このへんの事情にも詳しいだろう。
「ベイブの坊やがここら一帯をシメた後、散り散りになってたゴロツキを再び集めて出来た組織だよ。表向きは建設会社ってことになってるがね」
ふーっと、キセルを吹かすリズ。
今オーナーを坊やと言ったか。
あれを坊や呼ばわりって、こいつは本当に何者なんだ。
「表向きっつうと、裏は別ってことか」
「王都に来る亡命者がいるだろ? あいつらを高い賃金で雇って回ってる会社なんだが、不思議とそいつらが働いてるところを見た奴は誰もいないんだよ。──つまり、金で釣って人さらいをしてるんじゃないか、という黒い噂があるのさ」
なるほどな。
亡命者をさらうとは、なかなか考えたじゃないか。
王都に来た直後のあいつらは、俺と同じで名前を持たないからな。
官憲もそんな面倒なことは捜査しないだろうし、ほとんどの王都民も気にしないだろう。むしろ騙される方が悪いぐらいは思ってるかもしれない。
でも、それがなんで悪魔の林檎亭を攻撃するんだろう。
ベイブを恨んで、というのは確かにあるかもしれないが、それにしたって今さらな話だ。それとも他に理由があるんだろうか。
いや、そもそも全部偶然なんじゃないのか。
たまたま店で馬鹿をやった客がベラッカ組合とやらに所属していただけの話で、そこに必然性なんて何もないんじゃないのか。
「──いや、関係あるよ」
そう呟いたのはエンドラだった。
しばらく黙って考えていたが、何か思い当たったらしい。
「ウチで暴れた客って、多分みんなベラッカ組合の連中だよ」
「そうなの、か?」
うんと頷き、「間違いない」と確信めいて呟く。
「ベラッカ組合の事務所は、あたしの家に近いところにあるんだ。今思えば、みんなそこで見た記憶がある」
ということは、連中は明確な意思を持って悪魔の林檎亭に嫌がらせをしていたことになる。──しかしなぜ?
ずずっとコーヒーをすする。
ぬるくなったな。
疑問が生じると沈黙が訪れる。誰も何も言わなくなってしまった。
俺はソファーを下りて、意味もなく部屋の中をうろついた。
部屋の奥にあるカーテンの仕切りを開けると、三人でも余すような馬鹿でかいベッドに遠慮なく寝転がる。ふっかふかだ。
「──でけえベッドだな」
独り言のつもりだったが、リズには聞こえたらしい。
「気に入ったかい? 使ってみたいなら誰か呼ぼうか?」
「いらんわ」
「つまりエンドラがいいと」
「ちげえよ」
はぁ、とため息が出る。
贅沢なことだが、ここに来てから女の匂いには辟易しているのだ。
たまになら悪くないが、ずっとこの甘ったるい匂いの中にいると、マナ酔いにも似た気持ちの悪さが生じてくる。
「おまえらってすぐ女を抱かせたがるよな。サキュバスのサガなの?」
「それもあるが、新人や見習いに経験を積ませたいのさ」
「俺は練習台かよ」
「王都はたくさんの種族がいるからね。フェロモンをレジストできるゴブリンなんて物凄く貴重だから」
こいつはまあ悪びれもせずに言うもんだ。
普通ならこんなの、役得とばかり好き放題に遊ぶのかもしれないが、俺にはとても出来そうもない。
自分の耐性のなさが恨めしい。
「そんなに嬢が余ってるのか、この店は」
「実を言うと事業拡大を考えててね。王都に流れて来たサキュバスは片っ端からスカウトしてるのさ。ある程度経験を積ませたら、二号店をオープンさせてそっちに送る予定なんだ」
「ふーん。珍しいな、ベイブがそんなに意欲的なんて」
「あの坊やが乗り気なわけないだろ。全部あたしがやることだよ」
「──は?」
こいつ、オーナーを無視してそんなことまでやってんのかよ。
雇われ店長の権限ってそんなにでかいのだろうか?
もしかするとベイブの奴もリズベットを持て余しているのかもしれない。
坊や呼ばわりだもんな。その心中を察してしまう。
「すでに王都のシェアでは一位なんだけどね。小さいとこから少しずつ買収していって、ゆくゆくは完全な独占形態を目指したいと思っている」
なんという敏腕。
ただの名物受付嬢だと思っていた彼女を見る目が変わりそうだ。
「リズ姉はやり過ぎなんだよ。だから連中に目をつけられたんじゃないの?」
ふっと漏れたようなエンドラの言葉だが、なるほど、その可能性はあるかもしれん。同じ亡命者からスカウトしてるなら、競合するだろうし。
やり方が嫌がらせのレベルでしかないのが気になるところだが。
──そのときである。
「失礼します」
ノックの音が聞こえて、若いサキュバスが入ってきた。
「どうした?」
「あの、どうしてもリズ姉が良いって客が来ちゃって」
俺の目が丸くなる。
おまえまだ客取ってたのかよ。
ベイブを坊や呼びしてるあたり、俺より軽く年上な気がするんだが。
「あれま、物好きな客だねぇ。──悪いけど、あたしは抜けさせてもらうよ」
リズベットは俺たちに軽く手を振ると、そのまま行ってしまった。
時刻は深夜。もう数時間もすれば夜が明ける。そのまま泊まるコースだろうから、今日はもう会えないだろう。
「リズ姉はああ言ったけど、きっと常連さんだよ」
いつの間にか隣にエンドラがいた。
寝転がる俺に耳打ちをするようにして、悪戯っぽく笑う。
期せずして彼女と二人きりになってしまった俺は、妙な焦燥感に駆られて少しだけ声が裏返ってしまう。
「そ、そうなのか?」
「うん。リズ姉には一人凄い大ファンがいるんだ。六十過ぎのおじいさんでね、もう三十年以上も追いかけてるって話だよ」
「三十年!?」
ぎょっとして飛び起きた。
それだけ追い続ける情熱も凄いが、六十過ぎてまだ枯れてないのも凄い。
ていうか悪魔の林檎亭が開業したのはせいぜい十数年前だから、そのじいさんはそれ以前から追っかけてるのか。
店につく客ではなく、人につく客というわけだ。
いいな、ロマンの波動を感じる。
「よくリズ姉が、あいつがくたばるまでは現役でいるんだ、って笑ってるけど、ここ数年は来店回数が少しずつ減ってきててね。ちょっと寂しそうにしてたんだ」
「そりゃ仕方ねえだろ。歳が歳だ。本当にくたばっちまうぞ」
「そうなんだけどねー」
エンドラはくるくると髪をいじり始めて、ちょっと物憂げだ。
その横顔を見ていると、つい数時間前のリズベットに言われたことを思い出して、なんと声をかけるべきか躊躇ってしまう。
──なんということだ。
まさかエンドラをこんなに意識してしまう日がこようとは。
大体こいつが俺に惚れてるだなんて、誰が信じられようか。
王都でも指折りの美貌を持つサキュバスと、抱かれたくない亜人ナンバーワンのゴブリンが、それも万年金欠の名もなきゴブリンが、である。
サキュバスがあまり種族や容姿を気にしないのは知っているが、それにしたってこの組み合わせはあり得ないだろう。
──くそっ、あの気安かったエンドラを返せ。許さんぞリズベット。
「なに唸ってんだよ、さっきから」
すすっと、尻を動かしてエンドラはすり寄って来る。
さっきから近いな、こいつは。
人の気も知らないで。
「なんでもねえよ」
結局、会議はこれ以上進展することはなかった。
途中からラブコメパートみたいになってしまったが、一応ベラッカ組合についても考えておかなくてはならない。
というか本題はそっちなんだ。
宿に戻ったら少しだけ睡眠をとって、その後で直接出向いてみようか。
そんなことを考えながら、俺たちは明け方まで他愛もない話をして過ごすのだった。