15 サキュバスこわい
帰りは仲良く手をつないで帰った。
少し弁解をさせてもらうと、これも稽古の一環である。
「まだ一人だと難しいので、手をつないでマナを送ってください」
メイちゃんはそう言って半ば無理やり俺の手を握ってきた。
歩きながら彼女はぎゅんぎゅん精錬を始めたが、俺の方は周囲の目が痛くて死にそうだった。駅前を通らなかったのがせめてもの救いだ。
実をいえば今回の稽古で先に音を上げたのは俺の方だった。
この子に付き合ってると魔力がいくらあっても足りない。俺が送り込めるマナにも限度というものがある。
それでも彼女はお構いなしに俺からマナを奪っていった。
とうとうすっからかんになった俺は、もう勘弁してくれと泣きついて、そのまま稽古は終わった。
だが帰り道「そろそろ回復しましたよね?」と言って例のセリフに繋がる。
──鬼か! 赤玉が出てしまう!
こりゃ彼女の旦那さんになる人は大変だな。
なんてセクハラ気味のことを思いつつ、半分の林檎亭に戻るのだった。
「ただいまー」
戻ってみれば相変わらず客は二人だけ。
テーブルにはカードが散乱しており、扇に手札を持って何やら考え込んでいる。
──おいおい、こいつら昼間の客だろ。まだいたのかよ。
「おかえりなさい。メイちゃん連れてどこいって──」
出迎えたユーリちゃんが言葉の途中で硬直する。
「な、仲がいいのね」
そう言う彼女は実に微妙な表情をしていた。ひいてる、とも言う。
このまま「私たち、結婚しました!」とかボケをかましてやろうかと思ったが、さすがにやめておこう。
「西にある郊外の丘で稽古してました! 街と海が見える綺麗な場所でした!」
俺が何か言おうとすると、先にメイちゃんが元気よく答えた。
つないだ手をぶんぶん振られて俺はコケそうになる。
「え? あ、あそこって確かナンパ山──」
「昼間! 昼間は健全だからあそこ!」
あわてて修正する。
こいつに変な誤解をされると、妙な噂が立ちかねん。こいつは暇になるとよく客とゴシップ話に興じる悪癖がある。
「先生にいっぱい入れてもらって、いっぱい発射したんですよ!」
「なっ──」
主語を言え主語を!
入れたのはマナ! 発射したのは魔術!
客も聞き耳たててんじゃねえよ! おまえらはカードゲームに集中してればいいんだ! 俺を変な目で見るんじゃねえ!
子供は時に大人を社会的に抹殺するから恐ろしい。
その後なんとか誤解を解いた俺はメイちゃんを部屋に戻らせて、空いているテーブルで一息ついた。まったく、とにかく今日は疲れた。
ツッコミにも疲れたし、あの稽古とやらにも疲れた。
そもそも俺は魔法職ってわけじゃないし、あんなのを定期的にやらされたら寿命が縮みかねない。
魔術のことは魔術の専門家に任せるべきだろう。
──ベイブの奴に引き合わせてみるか?
あいつなら『マナ枯らし』に興味を持つかもしれない。
「でもなー、あいつもあいつで偏屈だからなー」
行儀悪くテーブルに足をのせて、ぎっこんぎっこん椅子を揺する。
あいつの常にシワの寄った豚ヅラを思い出して、ちょっと気分が悪くなった。
ベイブ・ラージャー。種族はオーク。
林檎亭のオーナーにして、俺の知る限りでは最高峰の魔術師。
ただし、自分が興味を持ったものにしかその食指はぴくりとも動かない。
彼のことを人間嫌いと言う者もいるが、俺に言わせればその評は少し違う。嫌っているのではなく、まるで興味を持たないだけだ。
かつては同じ飯を食う仲間だったが、あまり会いたい奴でもない。
最後に会ったのは果たしていつだったか──
「ああ、そういえば依頼ありましたよ」
テーブルにのせた足をぴしゃりと打って、ユーリちゃんが言った。
「ほ、本当か!?」
すぐさま俺は食いついた。
このところマジで仕事がなかった。
それはつまり金がないってこと。金がないと家賃も払えない。
「ただレンタルゴブリンとしてじゃなく、個人的な依頼みたいでしたね」
「個人的?」
「ほら、なんて言ったかな。あの色黒のサキュバスの人」
「色黒のサキュバス? ──エンドラか?」
エンドラはここ半分の林檎亭の姉妹店、アダルト向けの娼館宿である悪魔の林檎亭で働く娼婦だ。
レンタルゴブリンなんて仕事をやる前は、そこの用心棒的な仕事をしていた。
稼ぎは悪くなかったんだが、そういうのは立ち上げ直後を狙ってくるチンピラの撃退が目的だったため、現在は用心棒を雇っていない。
いわゆるアレだ。「誰に断ってここで商売しとんじゃゴルァ」をとっちめる仕事で、しっかりと地域に根付いた後は、すっかりお払い箱というわけだ。
それが今さらになって依頼を出すってのは、何か揉め事でもあったか。
「詳しい話は直接話したいから、明日の夜に店に来てくれって」
「ふむ。──それだけ? 内容も報酬も予定の拘束時間とかも聞いてない?」
「それだけでしたよ?」
「雑だなおい。人に仕事を依頼する態度じゃねえな」
俺は口を尖らせる。
とは言ったものの、これを受けなきゃもう今月は仕事がないかもしれない。
そうなれば家賃が払えなくなり、最悪メイちゃんから金を借りることにもなりかねなくて、先生としての威厳は完全に消滅するだろう。
「じゃあ断るの?」
「受けます!」
プライドを捨てて即答するしかない。
ちくしょう。
それに依頼の雑さ以外にももうひとつ、気乗りしない理由がある。
実を言うと、俺はサキュバスが苦手だ。
フリーハグサキュバスのように天下の往来で出くわす分には問題ないんだが、夜中の、それも雰囲気の出ちゃってる個室で二人きりみたいな状況だと、俺は何も言えなくなってしまう。
王女の一件で童貞は失ったが、というかアレは失ったと言えるんだろうか、そこは議論の余地があるところだが、結局のところ何かが変わったとかは思ってない。
俺の心は相変わらず童貞のままで、強がっていても正直女の子が怖い。
実年齢はもうすぐ五十を迎えるというのに、なんと情けないことか。
若き日の俺は日々の鍛錬に自分をいじめ抜くことへ夢中で、女っ気なんてこれっぽっちもなかったし、必要とすら思っていなかった。
大体ゴブリンなんてオークと並んで、基本的には女から嫌われるもんだ。
だから積極的に関わろうとはしなかったし、それは今でも変わらない。この血統が俺の代で途絶えても構わないとすら思っている。
でも俺は言いたい。
昔の俺に言ってやりたいことがある。
──せめて風俗には行っておけ、と。
これは種痘みたいなもんだ。女に免疫をつけてこい、と。
見てくれは二十代でも、まあ他種族にゴブリンの年齢なんてどうでも良かろうが、俺はもう五十近いのである。
この歳になって未だ免疫がないと、もはや女を前にするだけで気後れしてしまう。
ひるがえってサキュバスから見たところで、あいつらは当然そんなこと気にしちゃいないだろう。あいつらにとって男なんざ日々のご飯に過ぎないんだから。
──それでも、それでも俺は、サキュバスが、女が怖いんだ。
心の中の俺は頭を抱える。
平然を装っていても、アラフィフの童貞なんてこんなもんさ。
これが何かの物語なら、主人公にこんなこと吐露させちゃいけない。きっと作者も頭を抱えているだろう。なんだか泣けてくるじゃないか。
「ユーリちゃん」
「なんですか?」
「今夜、俺に抱かれてみないか?」
いいパンチをもらった俺は、椅子から崩れ落ちるのだった。
「ユーリ」
性格:セクハラには鉄拳制裁