10 シェリンの本懐
「まず、どうしてあなたに名前がないのか? ここからいきましょう」
そこから踏み込んでくるか。
ならばもう、おまえは俺の敵だ。
敬称は略させてもらうぞ、シェリン。
「あなたは名前を売ってしまった、と言ってましたね」
「言ったことがあるな」
「この国では魔術的に名前を管理しています。この国で間違いのない市民権を得るには、公的に登録された名簿と照会ができるように、その身に魔術的な焼印を刻まねばなりません。──ところがあなたにはそれがない。ゆえに、名前がない、ということです」
「そうだな」
「このデメリットは結構大きく、名前の照会が必要な一部の公共機関などは利用できなくなります。金融機関などは最たるものですね。あなたはお金を借りることができません」
「ああ。それが一番きついんだ」
「この焼印を持たない人間というのは、まったくいないわけではないですが、この国でまっとうに生まれた者である限り、必ず刻まれます。当然あなたも最初は持っていたのでしょう」
「そうだな。持ってたよ」
「そして名前を売ったとのことですが、ごくごく一部の魔術師には、その焼印を剥がして他人に付け替えるという、違法の施術を行える者がいるらしいですね」
「知り合いにいたんでな」
「確かにそうやって、名前を売る、という取引があるのはわかりましたが、これをやる人間はそう多くありません。金に困っているなら借りればいいのですから。その借りられるというメリットを捨ててまで、一時の金が欲しい者はそうそういませんからね」
「そうか? 結構いるんじゃないか? すでに借金まみれで首が回らない奴とか」
「そんなに借金まみれなら、そんな名前売れるわけないじゃないですか」
シェリンは一笑して退ける。
そうかい。
「──それなのに、あなたは名前を売ったという。こんな馬鹿な取引をしたのはなぜか? それはもちろん、名前があると都合が悪かったから。あなたは何らかの理由があって、その名前を消し去ったのです」
「その理由って?」
「残念ながら、そこまではわかりませんでした」
ふむ。
今回もそこが限界か。
「ですが、施術を行った者はわかりました」
「ほう?」
「あなたの交友関係でそれが出来そうなのは、あなたの寝床を保証している、林檎亭のオーナーでしょう? 違いますか?」
「オーナーの名前は?」
「ベイブ・ラージャー。オークの魔術師で元冒険者。当時のパーティメンバーは」
「いいよ。言わなくて」
ゲイリー・クラウディア (ハーフリンク@ファイター)
メルル・クーデルカ (ヒューマン@プリースト)
オーレン・グリンガンド (ヴァンパイア@フェンサー)
プリシネラ・グリンガンド (ヴァンパイア@エンチャンター)
ベイブ・ラージャー (オーク@メイジ)
懐かしき、かつての仲間たち。
まったく、よくそこまで調べ上げたもんだ。
「冒険者ギルドにおいては、名前の管理が徹底されるようになったのはごく最近のことです。あなたもよく知るように、当時の冒険者というのは、それはもう無茶苦茶やってましたからね」
「まあな。俺は昔の方が好きだったけど」
「そうですか? あれはもうただの馬鹿の集まりだと思いますが」
「昔は良かった。ロマンがあって良い時代だった」
「老害ですね」
「かもな」
「──話を戻しましょう。そんなわけで、調べるのは大変でしたよ。あの頃の冒険者の名前なんて残ってませんから。ですがここまでわかれば、あなたの正体まではもう一息です」
「・・・・・・」
「ずばり言いましょうか。あなたの名前は──」
シェリンは言った。
ついに言った。
本当に間隔が狭くなってきた 。
このやり方も限界が近いのかもしれない。
「アーダン・アインホール。この大陸で三番目の竜殺し。かつての冒険者界隈では有名だった人物です」
シェリンは恍惚としてまくし立てた。
その昔、無謀な冒険者たちがいた。
誰もが成し遂げられなかった、勝てるはずのない戦いに臨む浪漫の戦士たちがいた。
彼らは周囲の制止を振り切って、遥かな古代より山に巣くう邪悪な竜を退治に向かった。
竜の名は、真紅の剃刀鱗ブランティーヌ。
竜との戦いは熾烈を極めた。
槍の如く虚空を貫く光炎のブレスは岩をも溶かし、その鋭く強靭な爪はどんな鎧をも引き裂いた。
神々しき彼女の鱗は赤熱の刃となって、触れる者すべてを灼き切った。
とても人間如きが挑んで良い存在ではない。
誰もがそう思った。そう思っていた。
──ひとりのゴブリンが、山から帰還するまでは。
シェリンは熱に浮かされたように陶然として、こちらを見つめていた。
だがその手には、いつの間にか彼女の愛刀が握られている。
「二十年前、私の村を救った英雄です。いつかお会いしたかった」
「へえ、サインでも欲しいのか?」
「そうですね。でも一番欲しいのは、あなたの命です」
なぜそうなるのか。
シェリンはこう見えて、なかなかイカれた女だった。
村を救ってくれた英雄に憧れてこの世界に入り、ついには英雄の後を追うように四番目の竜殺しの称号を得る。
そうしていつしか、憧れの英雄は彼女の中で、まだ見ぬライバルへと屈折していった。俺の正体にこだわった本当の理由がこれだ。
まったく、いつものことながら、骨が折れる。
「俺が出会った冒険者で一番イカれてるよおまえ」
「──いきます!」
一呼吸。
黒鞘から放たれた彼女の剣は、百分の一秒でもう喉元に迫っていた。
それを防いだのはやはりヤギ杖の柄である。
金鑢同士を擦り付けたような、身の粟立つ音を立てて最初の刃は交わされた。示し合わせた駆け引きにも似た剣戟は三回。
シェリンの手はぞくぞくと震えていた。
俺も震えた。
──次の一呼吸を待つ。
それだけの時間が、これまでの二十年を凝縮していた。
厳しい相手だ。
目瞬くほどの時間が惜しい。
「死ねえええええええええええええええええええ!!」
次が来た。
これは受け切れない。下がるしかない。
大理石のテーブルが両断される。
マッチの芯が燃え上がる瞬間をスローモーションで見るように、彼女の光る眼が俺の動きを追っている。
二の剣が来る。
これも受けられない。
かろうじて躱す。
彼女の二十年は、俺の四十年に勝る。
だから勝ち目は、ほんの一瞬。
ほんの一瞬の隙を作るだけの、紙一重で勝る狡猾さである。
「──《透化》」
俺の姿が消える。
「見くびるな!」
シェリンの剣は正確に俺を捉えている。
もちろんこんな小細工が効くとは思ってない。
だが──
「えっ」
何度目かの剣戟のあと、彼女は前のめりにバランスを崩した。
この瞬間を待っていた!
ヤギ杖が剣の鍔を引っ掻けて、その柄は彼女の手元から離れる。
「──《透化》!」
すぐさま落とした刀を、隠して蹴とばす。
「こ、こんな!」
糸が切れたな。
狼狽えるようになったら、もうおまえの負けだ。
「自分で斬ったテーブルにつまずくなんて、見えてなかったのか?」
「くっ」
一応身構えるが、もう気づいているんだろう?
剣がなきゃ勝ち目はないって。
シェリンの格闘はド素人だ。人生のほとんどを剣のみに捧げて来た女。
その末路は、馬乗りにされて拘束されることだった。
「シェリン・マクローレン」
性格:二面性、イカれてる
称号:竜殺し