調子いいロミオにジュリエットは嘆く
ここが物語の世界だと気づいたのは、男の人に手を触れられた瞬間だった。
私の家で開かれた仮面舞踏会。ホールの真ん中あたりで音楽と歌が奏でられ、それに聴き入る人や踊る人々の中から、なんとなく視線を感じていた。
「だれ?」
まわりを見渡し、目を向けるとその彼は仮面で顔を隠しているのに、まっすぐに私だけを見ているのがわかる。なぜか私まで目が離せなくなった。それからあっという間に、距離は詰まっていて彼は私の手の甲を触れ、淑女への挨拶がわりにキスを落とす。
その瞬間、電気が走ったみたいに恋に落ちた。その私の名前は、ジュリエット。そう、キャピュレット家の一人娘で、もうすぐ十四になるから、「結婚がどうの」ってお母様が今朝、急に言い出したの。えっとそれから、ついさっきパリス様とお話ししたところだったわ。確か次はこう。ロミオと会うんでしょ? って、今……。目の前にいるのはだれ?
「……ろ…………ろっ」
だとすると、見覚えのある一連のこれはまさにロミオとの出会いのシーン? だったら最後に死んでしまうじゃない――。そこまで思い出して、思わず手を振り払ってしまった。
「すみません。俺の罪深い手が、貴女を汚してしまい……」
「そんなことを言っては手がかわいそう」
わりと強く拒んでしまったのかもしれない。ロミオは少しだけ傷ついた顔をしている。けれどめげないのか、熱い眼差しを向けてくるものだから、困る。
これ以上話したらダメ。早く立ち去らなきゃと思っているのに、足が動かない。動け動けと膝の上を軽く叩き念じていると、ロミオはなにかしゃべっていたみたいだったけど、聞いていなかった。
「はい?」
「そのまま動かないで」
私はただ、もう一度何を言ったのか教えて欲しかったのに、ロミオは手の指と指を絡ませると、顔を近づけてきて、そのまま唇を重ねられてしまった。
「……っ、な、ぁ……待って…………ん、っっ」
おおよそ、初めてするようなキスじゃない。そもそも出会って十分以内にキスなんて普通はしないけど。思わず反射的に唇を離したけど、すぐに塞がられてしまったから、変に声が途中でこもった音に変わり恥ずかしくなる。
「大丈夫?」
「嫌がったら、察してやめるのが紳士よ」
「でもほら、俺の罪が君の方に行き、また俺に戻ってきたわけだし? 結果オーライ」
正直言って、二回なのか三回なのかわからない。思い出すのも恥ずかいから、思い出させないで。
「心配ならもう一回しておく?」
「もう結構よ」
「それは残念」
ぬけぬけと調子の良いことをいう。なぜだろう? 私のイメージのロミオとはちょっと違う気もする。あまり恋愛するタイプじゃないはずなのに、私がジュリエットだからなのか、あんな突然のキスでさえ悪くなかったと思うのはどうかしてる。
「ねぇ、変なこと聞くけどいいかしら? 違かったら忘れて」
「どうぞ」
「あなたってロミオの中身、別人だったりします?」
これで違かったら私は、変な人に思われる。でもそれならそれで、離れてくれるなら良いかもしれない。ロミオがわざとなのかなんなのか、すぐに答えないから、まるで死刑台に立った気分になってくる。
「ねぇ」
「せいかい」
早く答えて、と催促するとやっと言ってくれた。
「なんだ、そっちもか」
ジュリエットが転生してきたなら、ロミオもその可能性は無くはないか。とりあえず、変な人にならなくて良かった。
「あ、初対面なのにキスしたのは謝らねーから」
「謝って欲しいわ」
「しょうがなくない?」
こっちはたった今、記憶が戻ったばかりなのに。心の準備もできてなくて、びっくりしたのに、このロミオときたら。さっきはニコニコとしてたくせに、急に同じ境遇同士だとわかると、態度が悪くなった。しょうがないで片付けられるのも、なんか嫌!
「私……帰る」
「ちょっと待てよ。帰るってどこに」
「部屋によ、部屋。他にどこがあるの」
「元の世界だろ。どうしたら戻れるか一緒に考えようぜ」
元にの世界か。ここで生きすぎてて忘れかけてた。
「忘れてたな」
とは言ってもどう戻るの? 肉体は? トリガーになるものは? この世界の支配者はいるの? クリア条件はあるの? ここで死ねばどうなるの? 死なない方法を考えるべき?
考えても分からないことだらけ。
でもひとつだけ言えることは、ここに同じ境遇の人がいる。それだけで相談し合えるし、不安が減っている。ロミオがちょっと調子いい軽いヤツなのがある意味心配だけど。
「なにか策でもあるの?」
「とりあえずさ、結婚しない?」
プロポーズの仕方も雑だけど、なにより真面目に考えてるのかな。不服なことばかりなのに。
結婚なんてしてどうするの? 頭では分かってるのに。断ろうとしてるはずなのに、それができないのはなんで? 私は――。私の中にいるジュリエットはもう既に、このロミオに恋をしてる。
「します」
そう言うと、ロミオは作り笑いでもなく、初めて素の顔で笑った気がした。