表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

白い結婚が成立した女神の愛し子は、隣国で狼に狙われる

作者: らんか



「旦那様、お話があります」


 そう言ったのは、3年前、ここグランブスト伯爵家に政略結婚で嫁いできたミラ・グランブスト。

 くすんだ焦げ茶色の長い髪は、あまり手入れされること無く伸ばし放題。前髪は顔半分を覆い、前が見えているのかさえ分からない。全く色気を感じさせない幼児体型に、身なりを気にせず、いつもセンスのない黒っぽい服を着ていた。


 グランブスト伯爵家が事業に失敗し、没落寸前にまで追い込まれたところに、婚約者がなかなか決まらない令嬢がいるという噂を聞き、その令嬢が資産家のルーファルト子爵家の娘であると分かったグランブスト伯爵が、息子のマイロと政略結婚をさせ、子爵家に援助を受けたのだ。

 莫大な援助の末に、グランブスト伯爵家は持ち直し、今では没落寸前であったことすら覚えてないといった風に、贅沢な暮らしを満喫している。

 始めこそ、丁重に扱われたミラだが、今では邪険に扱われ、居ないものとされていた。

 夫となったマイロに至っては、始めからミラの容姿に不満があり、もともと男爵家の三女で、伯爵家にメイドとして働きに来ていたラナと深い関係を持っていた為、ミラには一切興味が無かった。


 短い婚約期間を経て、結婚した初夜にて夫婦の寝室で待っていたミラに、

「お前を抱く気はない! 貰い手のないお前と結婚してやっただけでも有難いと思え!

 この部屋は俺とラナで使うから、お前は別の部屋で寝ろ!」

と、ラナを連れてやって来たマイロに、追い出されてしまった。


 ミラはその後、夫婦の部屋から大分離れた奥の部屋をあてがわれ、伯爵夫妻には、息子に言って聞かせるから、それまで我慢して欲しいと懇願された。

 しかし、一向に改善される訳でもなく、いつの間にかお飾りの妻として、伯爵夫人が本来行なう執務を押し付けられ、伯爵令息夫人として表立った動きはしないように厳命される始末。

 それどころか、夫のマイロが行なうはずの執務まで押し付けられ、食事と睡眠時間以外は、与えられた執務室で仕事と向き合うだけの毎日を送っていたのだ。


 黙ってそれを行なってきたミラが、急にマイロに話しかけてきたので、一瞬マイロは誰だか分からなかったくらいだ。


「あ? 誰……あ! あぁ、ミラか。何だ! 俺は忙しいんだぞ! 話しかけるな!」


 結婚したものの、すぐに夫婦の部屋から追い出し、その後ほぼ姿を見せる事がなかった、お飾りの妻ミラから久しぶりに話しかけられ、マイロは苛立ちを隠そうともせずにそう叫んだ。


「お忙しい……のですか?」


「そう言っているだろう!」


 何故? とミラは思う。

 マイロには、結婚してから少しづつ伯爵より次期当主としての重要な仕事が回されてきていたが、それもミラに回され、今では全部と言っていいほどの仕事量がミラの手元に回ってきているのだ。

 他にマイロがする事などないはず……。


 あぁ、そうか。公認の愛人を愛でるのに忙しいのかもしれない。


 ミラは納得して、もともと伝えたい事を簡潔に伝える事にした。


「旦那様。結婚してから3年が経過し、白い結婚が成立致しましたので、離縁させて頂きます」


 平然とそう伝えるミラに、マイロは一瞬何を言われたのか分からなかった。

 しかし、すぐに気付き、鬼の形相となる。


「お前如きが俺に向かって生意気な! お前のような奴が生きていけるのは、ここに住まわせてやっているからだぞ! 有難いと思えばこそなのに、離縁だなんて思い上がりやがって!」


 そう叫ぶマイロに、ミラは首を傾げる。


「旦那様、わたくしの事、嫌いですわよね? なのに、離縁したくないのですか?」


 一切興味を持つ事なく、全く近寄っても来なかったというのに、何故嫌がるのか不思議に思う。


「白い結婚がお前の実家にバレたら、援助を受けた金の請求をされるだろうがっ!

 そんな事もお前は分からないのかっ」


 堂々とそんな事を言ってのけるマイロに呆れてしまうが、ようやく待ち望んだ白い結婚が成立する日。

 お金を返したくないからと、今更汚されては堪らない。


「お金は返さなくても結構です。

 一旦家を出たわたくしに対して、結婚後は干渉しないという約束でしたので」


 ミラがそう言うと、あからさまにホッとした様子で勝ち誇るようにマイロが言ってきた。


「なんだ。お前、やっぱり実家でもお荷物だったんだな。なら、お前はもう要らない。とっとと出ていけ」


 マイロはそう言うと、嬉しそうに傍にいたラナを抱き寄せる。

 ラナも嬉しそうに、

「マイロ様~これで私達、一緒になれますよね」

とマイロに抱きついていた。


 ミラはその様子を静かに見ながら挨拶をする。


「お世話になりました。では、失礼します」


 ミラがそう言うと、マイロはチラッと一瞥し、ふんと鼻を鳴らした後、ラナと自室に戻って行く。

 マイロに連れられながらラナは勝ち誇ったような顔でミラを見て、

「さようなら、元奥様(・・・)♪」

と嬉しそうに言った。


 ミラは、ホッと一息つき、最小限の荷物を入れた鞄を持って、早々に屋敷を出た。

 


 あぁ……ようやく自由になれた。

 この3年間、本当に長かった。


「さて、と」

 

 屋敷を出て少し歩いた先を見ると、目立たないように隅に停めている馬車が目に入った。


「私よ」


 馬車の扉をコンコンと叩いてそう言うと、すぐに扉か開く。


「お待ちしておりました。無事にあの家から出てこられたので、ホッとしましたわ!」


 そう言って出迎えてくれたのは、実家の子爵家で幼い頃から私の世話をしてくれていた5歳年上のメイドのサニーだ。


「ありがとう。本当に長かったわ。でもこれでようやく、これからは自分のやりたい事が出来るんだもの! 今から胸が高鳴ってしまうわ!」


「本当にお疲れ様でございました。

さぁ、まずはご実家にお顔をお見せしないと。旦那様も奥様も、それは心配なさっておりましたのよ」


 サニーの言葉に、ハッとする。


「そうね、お父様とお母様にはとてもご心配をおかけしたもの。婚姻後は数回の手紙のやり取りだけで、実家に一度も帰省させてもらえなかったし、伯爵家に呼ぶ事も出来なかったから、お会いするのは3年ぶりになるのだものね。

 サニー、早く帰りましょう!」


 私が元気にそう伝えると、サニーも嬉しそうに頷いた。


 



「おかえり、ミラ!」

「会いたかったわ、ミラ!」


 無事に実家の子爵家に戻り、出迎えてくれた両親がすぐさま私の姿を見つけて、駆け寄って来てくれた。

 その姿に、本当に実家に戻ってきたのだという実感が込み上げ、思わず涙ぐむ。


「お父様、お母様。3年間一度もお会い出来ず、本当に申し訳ございません。

 ようやく白い結婚が認められ、あの家から出る事が叶いました」


 そう言った私をお母様がそっと抱きしめてくれた。


「貴女は何も悪くないわ。ごめんなさい。あんな家と縁を結ばなければならなかったわたくし達が悪いの」


「すまなかったな、おまえには酷く苦労をかけてしまった」


 両親はそう言って、涙を流しながら謝っている。

 私はそんな両親の手を握りながら、首を横に振る。


「大丈夫ですよ。相手は伯爵家ですもの。あんなに強引な縁談の申し出を、子爵家が断れるはずありませんでしたもの。それに……」


 私は徐に付けていたネックレスを外した。


これ(・・)のおかげで、わたくしの身を守ることが出来、晴れて白い結婚となったのですから」


 ネックレスを外した途端に現れたのは、今まで見せていた冴えない姿ではなく、白銀色の艶のある長い髪に透き通るような白い肌、パッチリとしたアメジスト色の大きな瞳、形の良い双丘に細いウエストのメリハリのある、しなやかな身体だった。


「この魔道具のおかげです。幼い頃からこの髪色と目の色のせいで、何度も攫われそうになっていたわたくしの為に、魔法大国からこのような希少で価値のある魔道具、姿を変える魔道具を身につけさせてくれたのですもの」


 ミラの持つ白銀色の髪とアメジスト色の瞳。

 この国では、殆んどの者が、黒か焦茶色の目と髪を持って生まれる。

 しかし稀にその色を持って生まれた者は、女神の愛し子と言われていた。

 愛し子がいる家は必ず繁栄し、また不治の病を患っていても、愛し子の力で健康な身体を取り戻したり、あるいは、ずば抜けた知力で画期的な発明をして、国全体をも潤うように導いたり。

 また違う愛し子の場合は、戦闘能力にずば抜けており、どんな戦でも負け知らずだったという、色んな逸話が残されていた。

 もちろんその力を奪おうをする者も現れる為、愛し子が生まれたら、ある程度自分の力で身を守れるようになるまで、または守ってくれる人が現れるまで秘匿するようになったのだ。

 

 ミラも生まれた時に、その色を纏っている事に気付いて、すぐに周りの者に箝口令を敷いたが、まさかの乳母に攫われそうになるとは両親も思っていなかった。

 もともとその乳母にミラが懐かず、その事に不審に思っていた両親が、陰で虐待をしているのかもと注視していた為、乳母の不審な行動はすぐに対処できた。

 幼いミラに薬を嗅がせて眠らせ、ランドリーワゴンに入れて運ぼうとした乳母は、直ぐに取り押さえられた。

 そして乳母は、貴族の子を誘拐しようとした罪で、すぐに処されたそうだ。


 ミラが一向に乳母に懐かなかった理由。

 それは、ミラが鑑定のギフト持ちであったから。その力で、乳母は信用に値しないと子供ながらに感じていたのだ。

 

 隣国の魔法大国には、今も魔法を扱う者がおり、魔法学校もある程で、魔道具なども栄えていたが、この国では、魔法の力はとうの昔に廃れていた。

 隣国との差が、この国ボランサリー王国では腹立たしく、敢えて隣国のバルス魔法大国とは交流を持たないようにしていた。

 その為、ボランサリー王国で生まれた女神の愛し子の力は、この国への神からの贈り物として皆が崇め、その力をとても欲していたのだ。

 当然見つかれば、王家に取り込まれたり、高位貴族に無理矢理嫁がされたりして、力の搾取をされ続け、その結果、愛し子は早死する結果となっていた。

 そういう事もあった為、愛し子の特徴を持って生まれた子供は、その存在を隠される。


 当然ミラもその存在を隠すように育てられたが、これから先、少しでも何とか普通に過ごせるようにしたいと考えたミラの両親が、全く交流がなかったバルス魔法大国に何年も必死で個人的に繋がりを作り、ミラが3歳になる頃にようやく手に入れたのが、姿を変化させる魔道具であるネックレスだった。

 このネックレスを手に入れるまでには、乳母だけでなく、信用していた使用人にも何度か攫われそうになっていたので、ネックレスを手に入れた時の両親の気持ちはいかほどであっただろうか。

 ネックレスを身に付けたミラは、途端にその美しさは失われ、くすんだ焦げ茶色の髪となった。

 しかし、目の色は変化しなかったため、目が隠れるくらいに前髪を伸ばし、貴族の娘にあるまじき姿となってしまった。

 身の安全のために、その姿のまま歳を重ねていたが、どうしても貴族である以上、社交界デビューをしなければならない。

 予想通り、社交場に出ても周りから敬遠され、縁談の話もなければ、友人さえ作る事が出来なかった。

 しかしミラは、それでもいいと思っていた。

 ミラの鑑定スキルは何でも鑑定出来る。

 それはもちろん人間にも当てはまる事で、信用に値する者かどうかを判別する事が出来る為、なかなか周りの人に溶け込む事が出来なかったから。

 そんな調子でなかなか縁談話もなく、あっても子爵家のお金を当てにする者ばかり。

 そのような人達はミラがすぐに分かるため、丁重に断っていたのだが、グランブスト伯爵に至っては権力をフルに使い、強引なやり方でミラとマイロの婚約を整えてしまった。

 もちろんミラには、伯爵家の人間がどのような者たちかすぐに分かっていたので、始めから白い結婚を狙っていたのだ。

 ネックレスを肌身離さず付け、マイロに興味を持たれないように醜悪な姿で影を薄くして、人との接触を最低限に、ひたすら三年間を我慢して過ごした。

 子爵家の家族にも、連絡は寄越さないでほしいと頼み、実家からも疎まれている風を装った。

 また、マイロの代わりに伯爵家の執務を頑張る事で、マイロ自身の株を上げた。

 グランブスト伯爵夫妻は伯爵家の金回りがよくなったのは、マイロが頑張っているからだと思っている。そして、ミラには何の価値もないお飾りの嫁としか認識しなくなっていた。

 

 その地道な努力の甲斐あって、ようやく白い結婚が成立したのだ。ミラの気持ちはとても高揚していた。


「お父様、お母様。わたくし、魔法大国に行きたいのです。そしてそこで平民として生きていきたいと考えております」


 ミラの言葉を、ミラの昔からの希望を知っていた両親は、複雑な諦めの気持ちで聞いていた。

 

「わたくしのこの力は、多分昔に失われてしまった魔力が関係していると思うのです。

 でも、魔法大国では、数が減ってきたとはいえ、いまだに魔法使いもいるし、魔道具も充実している。

 その国でなら、わたくしの力はそんなに目立たず、本来の自分として生きていけるのではないかと思うのです!」

 

 両親も、この国ではミラの幸せを見出す事が出来ないと感じていた。

 ミラの力は鑑定のみ。自身を守れる程の力はない。

 ならばミラの言う通り、魔法大国で生きていく方が、安全で幸せに暮らせるのではないだろうか。


「分かった。元々白い結婚が成立したら、出戻り扱いで、碌な縁談はない。愛し子だとバレて、力の搾取をされ続けて早死になんて論外だしな。

 我が子爵家は弟のジャイロが継ぐ事が決まっているから、あとは修道院行きか平民となるしか道は残されていない。

 どれもミラには酷な選択だ。

 だったら、せめて隣国で平民として生きて行く方がよっぽど安全だからな。

 ミラのネックレスを手に入れる際に出来たツテを使って、隣国に行ける様、出来るだけの事を手配しよう。

 大丈夫だよ、ミラ。お前がちゃんと安心して生きていけるよう、私達はいつでも力になるからね」


 父のその言葉に、ミラは本当に自分は恵まれていると感じた。

 こんな力を持って生まれてしまった娘を、しっかりと守り、愛してくれる両親に報いるよう、これから先はしっかりと自分の足で歩いていこう。

 伯爵家で暮らしていた三年間も、執務を覚える上では決して無駄な時間ではなかった。

 そのノウハウを生かし、なるべく両親に迷惑をかけずに、自分の力で生きていけるようにならなくては。


 そんな風に固く決心し、両親に感謝しながら、ミラはバルス魔法大国に向かった。




****




 ミラがグランブスト伯爵家を出て、半年が経った。

 ラナとすぐに結婚したマイロは、結婚を機に伯爵位を継ぎ、前伯爵夫妻は引退して離れに住まいを移した。

 マイロは自分が伯爵となった事が誇らしく、伯爵夫人となったラナを連れては、得意気に色んなパーティに顔を出していた。

 ミラに押し付けていた書類仕事などは、片手間に少し行なうだけで、あとは執事に押し付け、悠々自適な毎日を過ごしている。

 

 今日も夜会に行くつもりで準備をしている所に、長年伯爵家に勤めている執事長が訪れ、声をかけてきた。


「失礼致します。本日は兼ねてより申し上げていた美術商の方が来られる日に御座います。

 伯爵家の大切な商品を扱う取引先ゆえ、旦那様にはぜひお立ち合い願いたいのですが」


 執事長の言葉に、マイロはチラッとそちらを向き、溜め息を吐く。


「俺は忙しいんだ。俺の代わりにお前が対応してくれ」


「いえ。本日来られるのは、各国を相手取る商会の商会長であり、西方のハルマス王国の商会組合長も兼任されておられる方。噂では貴族の方とも聞いております。

 それゆえ、以前よりこちらに来る際には、奥様(・・)が直々にお相手されておりました。一介の使用人である私では相手にされませんでしょう」


「ハルマス王国の美術商と取引なんてしていたか?」


「はい。3年ほど前よりそこの美術商と取引を始めました。そこの美術商の他にも、色々な商会と繋がりを持つ事で、伯爵家の運営する商会の顧客層も広がり、業績も大幅に増加致しまして。特にこの美術商は、美術品だけでなく、いろんな商品を取り扱われておりますゆえ、各国で人気の高い商品も、最優先でうちの国に仕入れられるようになりました」


 執事長の説明を聞き、マイロは仕方なく会うことにして、本日の夜会は取りやめだとラナに報告に行く。


「え~! 夜会、楽しみにしていましたのに~!」


 夜会に行く気満々のラナが、頬を膨らませてマイロに拗ねてみせた。


「仕方ないだろ。あぁ、丁度いい。お前も立ち会え。各国の人気商品を取り扱っているらしいんだ。うちの国にはまだ出回っていない物が色々あるらしいから、お前も欲しいものを選べ。夜会やパーティーに付けていけるものだと宣伝にもなるし、自慢出来るだろ?」


「まぁ! それは素晴らしいですわね!」


 マイロの提案に、ラナは目を輝かせながら、大喜びで頷いた。


 美術商がやって来たと報告を受け、マイロはラナを連れ立って商人の待つ部屋に入る。


「ようこそ。グランブスト伯爵家当主のマイロ・グランブストだ。隣にいるのは、妻のラナ。父より爵位を受け継いで間がないので、貴殿と会うのは初めてだな。これからよろしく頼むよ」


「ごきげんよう。妻のラナに御座いますわ。

他国で人気の商品を色々扱っていると聞きましてよ。どんな物があるのかとても楽しみだわ」


 夫婦の挨拶を目を細めてジッと見ていた美術商人は、次の瞬間には笑顔で挨拶をする。


「初めまして。ハルマス王国で美術商を営んでおりますヨゼス・アーベルと申します。

 いつも奥様(・・)と取り引きをさせて頂いておりましたが、これからはご当主様が直々に取り引きの場に来られると?」


 ヨゼスがそう尋ねると、マイロは自信ありげに頷く。


「ああ、そうだ。さっそくだが、品物を見せてもらおうか。妻も楽しみにしているのでね」


「……かしこまりました」


 美術商は煌びやかな宝石を纏わせたドレスや、装飾品などを次々と並べていく。


「なんて素敵なの!」


 ラナは目を輝かせながら、どの商品にも釘付けとなっている。


「これらはハルマス王国で採れた希少価値のある宝石をベースに、色々なカットで施された代物で御座います。

 この宝石は、他国にもあまり出回っておらず、その分大変価値のある物で御座いますゆえ、いち早くこちらに持って来た次第です」


 ヨゼスの巧みな話術に、マイロとラナは興奮を隠せない。この宝石を取り扱ったドレスや装飾品は、この国でもとても人気が出るだろう。

 ましてや、まだ何処の国にも出回っていない希少価値のある宝石を、いち早く我が商会が取り扱うという優越感は何物にも代え難い。


「この宝石、すぐにうちが買い取ろう! 他にもまだ出回っていない宝石があるならそれも買い取る! この宝石の独占契約をさせてくれ!」


 マイロはそう言って、すぐに宝石の独占契約を取り交わした。


「ありがとうございました。今後もぜひご贔屓にして下さい」


 美術商のヨゼスはそう言って、伯爵家を後にする。


「いい美術商じゃないか! 母上は、何処であんないい美術商を見つけたんだ? 母上から聞いた事なかったけど、さすがは俺の母上だな!」


「御義母様ったら、とても商才がございましたのね! もっと早く教えて頂きたかったわ!」


 マイロ夫妻は嬉しそうにそう言って、購入した宝石の原石を、すぐに加工して商品にするよう執事長に申しつける。

 執事長は、何か言いたげであったが、マイロ達は気にする事なく、言いたい事を言ってから自室に戻って行った。



 その頃、グランブスト伯爵家を後にしたヨゼスは、振り向いて伯爵家をジッと見ていた。


「なるほど。あの方(・・・)の言った通り、全く目利きの出来ない者たちであったな。    

 物の価値も分からない者など相手にはしていられない。

 私がここに来る事は、もうないな」


 そう言って、再度伯爵家に背を向けて早々にその場から立ち去っていった。


 その後も同じように、色んな取引先がやって来てはマイロ夫妻が対応し、色んな商品材料を契約していく。

 そしてそれらを扱って、売り出していたが、いつからか、伯爵家の取り扱う商品は粗悪品だという噂が広まっていた。




「どういう事だ! あの宝石は希少価値が高いんだろ⁉︎ なのに、どうしてこうも売れ行きが悪い⁉︎」


 大量に売れ残り、または返品された品物を前にマイロがそう叫ぶ。


「あの宝石を取り扱った装飾品は、その輝きはすぐに燻り、宝石自体もひび割れたり、欠けやすいと苦情が殺到しております。

 しかも、調べたところ、あの宝石自体、ハルマス王国では価値のほぼ無い粗悪品として、殆ど出回っておりませんでした。

 どうやら偽りの情報を掴まされたようですな」


 執事長は顔色一つ変えずに、続けて話す。


「あぁ、それと。別の商会で契約した物についても、同じように粗悪品を掴まされていたようです。しかし、すでに大量発注をしていたり、専属契約を結んでいたりしており、契約の反故は難しい状況かと……」


「はぁ⁉︎ 何故そんな事になってるんだ⁉︎

どの商会も何年も前から取引していたんだろ⁉︎ 何故急にそんな粗悪品ばかりを売りつけてきたんだよ!」


 マイロは叫ぶが、状況は変わらない。


あの方(・・・)が取り引きされていた時には、このような事は御座いませんでしたが……皆様、とても楽しそうに商談なさっておられましたから」


 マイロは商談していた時の事を思い浮かべた。

 皆一様に『奥様』と取り引きしていたと話し、毎回とても楽しかったと笑っていた事を思い出す。


 母上は毎回、商談相手にどんな話をしていたんだ?


 自身の母親が、商人相手に楽しく商談していたなんて想像がつかない。


「おい。次の商談相手は、いつ来るのだ?」


「明後日に御座います」


 明後日か。明後日に商談相手が来る前に、母上にどんな商談をしていたのか聞いてこないと……。


「母上は今日は離れにいるか?」


「はい。外出予定を聞いておりませんので、いらっしゃると思います」


「今から母上に会ってくる」


 マイロは執事長にそう言って、すぐに離れに向かった。

 執事長は、やはり何か言いたげな表情をしながらも、首を横に振り、そのまま何も言わずに仕事に戻って行った。



「母上! いらっしゃいますか?」


 離れに着いたマイロは、早々に自身の母親を探す。


「まぁ、何ですか、騒々しい!

 マイロ、はしたないですよ」


 そう言って姿を現した母親に、

「申し訳ございません。すぐに母上に確認したい事がありまして」

と、挨拶もそこそこにマイロは本題を切り出した。


「母上、今まで色んな商会の者と、商談をなさっていたのでしょう? どのような話をされていたのですか? 皆一様に楽しかったと話すのです! それがいい物を売ってくれる秘訣なのでしょうか⁉︎ 母上も始めは粗悪品を売りつけられたりしましたか⁉︎」


 マイロは食い気味に早口で、母親に質問した。


「は? 何を言っているのです? 商談? わたくしは伯爵夫人でしたのよ? 家の中を取り仕切るのが仕事です。対外的な仕事は貴方のお父上や、貴方の仕事でしょう?」


 母親は、何を言っているのだとばかりに呆れた顔で、マイロを見ながらそう話す。


「え? でも、確か奥様と話をしてと……」


「訳の分からない事を言う為に、こちらに来たの? なら、もうお帰りなさい。わたくしは今からお茶会用のドレスを選ばないといけないのよ。とても忙しいの」


 マイロは母親にそう言われて、早々に離れから追い出されてしまった。


 どういう事だ? 母上でないなら、誰が……。


 そこまで考えて、ふと半年前に出て行った元妻を思い出す。


「え? まさか……」


 確かにミラには仕事を押し付けていた自覚はある。

 しかし、まさか商談までしていたとは夢にも思わなかった。てっきり自身の母親が商談をして、面倒な書類仕事をミラがしていたのだとばかり……。


 屋敷に戻ったマイロは、再び執事長を探す。


「執事長! 聞きたい事がある!」


 執事長を見つけたマイロがそう叫ぶ。


「何かございましたか?」


 穏やかに返答する執事長に反して、マイロはやや怒り口調で問い詰めてきた。


「この3年間、商人と商談していたのは誰だ」


 マイロの質問で、執事長はようやくマイロが答えに行き着いた事を悟った。


元奥様(・・・)のミラ様でございます」


 執事長の答えを聞き、マイロが怒りを顕にした。


「何故すぐに教えなかった! ミラが商談までしていただと⁉︎ 伯爵家に不利益が被っていたらどうするつもりだ!」


「何を仰っておられるのです? 元々は大旦那様からマイロ様に渡った仕事のはず。それをミラ様に回したのはマイロ様自身ではありませんか」


 マイロはそう言われてやや怯むが、平然とそう話す執事長を見ると、後に引けない。


「俺は父上の後は母上がやっていたと思っていたんだ! それなら一言言ってくれれば良かっただろう!」


「ミラ様が商談をされるようになってから、伯爵家の業績は上がっていきましたので。

 新たに取引出来るようになった大手の商会も、全てミラ様が直々に足を運んで、伯爵家の為に取り次いで頂けたのですよ」


 あくまで冷静に答える執事長に苛立つが、業績が上がって伯爵家が潤っている以上、マイロは何も言い返せない。


「もういい!」

と、自室へ戻ろうとしたマイロを執事長が引き止める。


「マイロ様、お伝えしたい事が」

「何だ!」

「明後日の商談はなくなりました。今後はこちらへ出向かれることはないそうです」


 マイロはびっくりする。


「何処の商会だ?」


「ハルマス王国の美術商にございます」


「あそことは、あの粗悪な宝石の独占契約を結んでいたはず。何とか契約を取り消してもらいたかったのに、もう来ないだと⁉︎」


「はい。これからは、あの宝石の原石のみ送られてくるそうですよ」


 それはまずい! 何が何でも契約を取り消してもらわないと、役に立たないクズ原石を高額で買い続ける事になる!


「あの美術商は何処に行けば会えるんだ!?」


 マイロは慌てて執事長に問いかけた。


「王都に支店を出しているそうですが、はたして商会長様がいらっしゃるかは……。普段はハルマス王国にいらっしゃるそうで、月に一度こちらに出向いていらっしゃったものですから」


 執事長の返答もそこそこに聞き流し、マイロは慌ててその支店に向かった。

 本当なら明後日にこちらに来る予定だったのだ。もしかしたら、ここボランサリー王国に来ているかも知れない。


 そう考えたマイロは、必死で支店に辿り着き、店の中に入った途端、近くにいた従業員を捕まえて叫んだ。


「ここの商会長に会いたいんだ! この国に来てるんだろ⁉︎ 商会長を呼んでくれ!」


 マイロに両肩を掴まれて、揺さぶられながらそう聞かれた従業員は、必死でマイロの手を離そうと抵抗する。


「ちょっと! やめて下さい! 商会長はお約束のない方とはお会いになりません!」


 そう返答する従業員を見て、マイロは

「やっぱりいるんだな? 俺はグランブスト伯爵だぞ! 今すぐ商会長を呼べ!」

と脅しをかける。


 大声でのやり取りは店中に響き渡り、他の従業員達が、慌ててマイロを落ち着かせようと声を掛けていた。


「何の騒ぎだ、騒々しい」


 そこに、その騒ぎを聞きつけて、奥から商会長のヨゼスが出て来た。


「あ! 商会長! 俺だ! グランブスト伯爵だ! あんたに話があるんだ! 少し時間をくれ!」


 数人の従業員に宥められていたマイロが、ヨゼスの姿を見つけてそう叫んだ。


「……仕方ないですね。奥の応接室へどうぞ」


 ヨゼスに案内されて、マイロは応接室に入るなり、すぐに用件を訴える。


「あの宝石! クズ宝石じゃないか! あんな宝石の原石を高値で契約させるなんて、それでも大手の商会なのか⁉︎ 今すぐ独占契約の破棄を申し立てる!」


 そう言い切ったマイロに、ヨゼスは小馬鹿にしたような態度でゆったりとソファに座った。


「あの契約は、貴方から独占契約がしたいと申し立てたから行ったもの。あの宝石を貴方が手に取って確認したではありませんか。

それを勝手に契約の破棄とは……ではこちらは、契約不履行で損害賠償請求を申し立てましょう」


 ヨゼスからそう言われて、マイロは顔色を悪くする。


「ま、待ってくれ。あんまりじゃないか。あの宝石に希少価値があると言ったのは、あんただろう? 俺はそれを信じたんだぞ? 何年も取引をしている相手を騙すなんて酷いじゃないか」


 真っ青な顔色をしながらそう訴えるマイロに、ヨゼスはほとほと呆れていた。


「何故こちらが悪いと? 品物の鑑定をするのは当然の事。目利きの鋭いミラ様でさえ、宝石にはより注意深くルーペを使用しながら鑑定を行なっていました。

 ミラ様と取り引きをする上で、我々はみんなミラ様と勝負をしていたのですよ。

 ミラ様が我々が持ち込んだ粗悪品を当てられたらミラ様の勝ち。その時はいい品を安く提供する。そして当てられなかった時は、我々の勝ちとして、その粗悪品を言い値で買い取ってもらうというね。

 毎回勝負しましたが、ミラ様には一度も勝てなかった。  

 でも、そこがまた楽しくて。

 他の商人達も皆一様に同じ勝負をしていましたよ。だから随分と伯爵家は美味しい思いが出来たはずだ。ミラ様のおかげでね。

 でも、ミラ様がいない伯爵家では、もう他の商人達も寄り付かなくなるでしょうね。

 物の価値も全くわからず、見せかけばかりで中身を知ろうともしない貴方が跡を継いで、ミラ様以外の女を早々に迎え入れておられるから」


 そう言ったヨゼスに、マイロは無性に腹が立って、掴みかかろうとした。

 しかし、すぐに従業員たちに取り押さえられる。


「お前達! 俺が誰だか分からないのか! 伯爵の俺にこのような仕打ちをしてタダで済むと思うなよ!」


 そう叫ぶマイロに、執事の格好をした従業員の一人が呆れたように話す。


「貴方こそ、誰に掴み掛かろうとしたのです?

 この方は、商会長であると同時に、ハルマス王国で侯爵位を賜っております。

 そして、この度こちらの国には、親善大使としても招かれているのですよ?

 貴方の行いは、国同士の交流に水を差す行為として報告させて頂きます」


 その説明にマイロはびっくりする。

 身体中から噴き出る冷や汗を感じながら、恐る恐るヨゼスを見ると、ヨゼスは冷ややかな目で、マイロを見下ろしていた。


「も、申し訳ございません! そのような大役をされている方とは知らず、大変なご無礼を!

 謝罪致しますので、どうか報告するのはご容赦ください!」


 マイロは取り押さえられている者たちの手を振り払い、土下座しながらそう訴えた。

 その姿を見ながら、ヨゼスは溜め息を吐く。


「お立ちなさい。こちらも事を荒立てる事は望んでいない。謝罪は受けよう」


 ヨゼスの言葉に、マイロはホッと息を吐き立ち上がる。

 そんなマイロを横目に、ヨゼスは一枚の書類を渡してきた。


「あの()の独占契約を解除する書類だ。もちろん損害賠償として向こう3ヶ月分の金額を支払ってもらうがね」


 ヨゼスの言葉に、マイロは力無く頷く。


「不服か?」


 ヨゼスにそう聞かれて、慌ててマイロは首を横に振り、

「とんでもございません! 有難う御座います!」

と、慌ててその書類にサインした。


「では、お引き取り願おう」


 ヨゼスの言葉に、マイロは従業員たちに部屋から出された。


「あれで伯爵ですか。

 書類の中身を確認する事なくサインするなんて、なんて迂闊な男なのでしょう」


 ヨゼスの執事であるサウザーが、呆れたようにそう言った。


「まぁ、そう言うなサウザー。あんな男だからこそ、ミラ様の価値が分からずに白い結婚で離縁したのだからな」


「全くでございますね」


 そう言って二人は満足気に笑った。




 その後も、粗悪品の契約を幾つも結んでしまっていたグランブスト伯爵家は、どんどん借金が膨らんでいった。

 もともと商才の無かった父親同様に、マイロも全くと言っていい程、経営には向いていない。

 ルーファルト子爵家からの莫大な支援金にて持ち直し、その後は嫁いできたミラに、ほとんどの仕事を押し付けていたから、いざ自分で仕事をしようにも、どうやったらいいのか全く分からなかった。


「父上! 助けてください! どうすればいいのですか⁉︎」


 マイロは離れで暮らしている自身の父親に助けを求めた。

 しかし、父親時代にも大概失敗して、あちこちからの借金地獄となり、何とか見つけた子爵家にほぼ全額を肩代わりしてもらっていたのだ。

 でも縁が切れた子爵家には、もう二度と頼る事は出来ない。


「お前がミラと白い結婚などしたからだろ!

あそこの家とはちゃんと繋がりを持っておかないといけなかったのに!

 もう何処も金を貸してくれる所も肩代わりしてくれる所もないんだぞ!」


 そう叫ぶ父親にマイロは食ってかかった。


「何を言っているのです! あんな色気のない冴えない女が伯爵家の嫁など、恥さらしだと常日頃から言っていたではありませんか!

 それに、役に立たない穀潰しなど捨ておけと、ミラが出て行った後も気にする事もなかったくせに!」


「あれは、お前がちゃんと仕事をしていたと思っていたからだ!

 まさかお前の仕事をミラが全部していたなんて、思うはずないだろう!」


 父親にそう切り返され、マイロはぐうの音も出ない。

 すぐに屋敷に引き返し、仕事の補佐をしてくれていた執事長に、どうすればいいか聞こうとした。


「あ! 執事長! 探したんだぞ!」


 執事長の姿を見つけて、マイロは慌てて駆け寄って行く。


「相談があったんだ!」


 そう叫ぶマイロを見て、執事長は首を傾げる。


「珍しいですね。マイロ様が私に相談とは。

 いつも私の言葉は、聞き流しておいででしたのに……」


 静かにそう告げる執事長を前に、マイロはバツの悪い思いだが、そうは言ってはいられない。


「悪かった。でも今は緊急を要するんだ!」


 そう叫ぶマイロに、執事長は複数の封筒を渡してきた。

 その封筒の表書きには(退職願)と書かれてあった。


「何だこれは」


 低い声でマイロがそう言うも、平然とした様子で執事長は答える。


「ここに勤める使用人達からの退職願です。

 あ、もちろん私のも入っております」


「なっ! どういう事だ! ふざけるな!」


 マイロはそう叫ぶが、執事長は冷静な態度のままだ。


「マイロ様こそ、何を仰っているのです? このところ、借金返済にお金を費やし、ここ数ヶ月に渡り、使用人たちのお給金は払ってもらっていないのですよ? 恩ある伯爵家にて、昔から居る者も何とか黙って働いていましたが、流石にこれ以上は……。使用人たちにも家族があり、生きていかねばなりませんので」


 そう言って執事長は、執事バッチを外す。


「ほとんどの使用人は皆、もう出て行きました。私はこの退職願をお渡しするために残っていたにすぎません。

 長らくお世話になりました。

 どうぞご自愛くださいませ」


 そう言って、執事長は出ていく。


「ま、待ってくれ! お金の目処がついたら、ちゃんと払うから! 執事長!」


 マイロはそう叫んだが、執事長は振り返りもせずに伯爵家を出て行ってしまった。


「くそ〜! どいつもこいつも役立たずばっかり!」


 残されたマイロは頭を掻きむしりながら叫ぶ。


 そこに、呑気に現れたラナが

「ねぇ、商人はまだ来ないの? 私、次のお茶会に着て行くドレスを新調したいのだけど」

と、甘えたような口調でマイロにそう言った。


 マイロは、そのラナの姿に殺意すら覚える。


 絶望の淵に立つマイロと、脳天気なラナの姿が対照的であったが、誰の目にもその光景は映らなかった。




****




 バルス魔法大国では、最近小さな商会の話で持ちきりだ。

 その商会の名前は『プロビデンスの瞳』

 鑑定スキルを持つミラに因んでつけた名前だ。

 

 ミラはグランブスト伯爵家を出たあと、実家の協力を得て、すぐにバルス魔法大国に向かった。

 実家からは幼い頃よりそばにいてくれたメイドのサニーと、信頼に値する2人の従者もついて来てくれた。

 バルス魔法大国に来てから、ミラは地道な努力と、サニーらの協力を得て、ようやく立ち上げたのが『プロビデンスの瞳』と名付けた商会。

 その商会を立ち上げるまでに、すでに一年が経過していた。


 そこで扱う商品は、良い品を何処よりも低価格で扱っていると評判となり、売れ行きも上々だ。


 また、この国ではミラの髪や目の色が目立つことはない。バルス魔法大国では、色んな色の髪や目の色の人で溢れかえり、初めて見た時は度肝を抜かされた程だった。

 なので、ここでは変身グッズは使用せず、本来の姿で商売をしていた。

 しかし、本来の姿のミラは、大変美しく、別の意味では目立っており、異性からの熱い視線を送られる事もしばしば。

 まだ若いミラに何かあっては大変と、心配してくれた魔法大国の商会組合の組合長の勧めで、用心棒を雇い、ミラ自身も髪を結い上げ、伊達メガネをかけて過ごすことになったが、それでも偽りのない自分で居られることが、ミラにとってはたまらなく嬉しい事だった。

 

「ミラ様、本日は新しく取り引きをしたいと申し出てこられた方との面談予定が入っております」


 ミラの秘書代わりをしてくれているのは、実家から付いて来てくれたサニーだ。


「ありがとう、サニー。それはどちらの方かしら?」


「ハルマス王国の美術商の商会長様です」


 サニーの言葉にミラはビックリする。


「まぁ! もしかして、ヨゼス様かしら?」


「はい。ヨゼス・アーベル様とお聞きしております」


 ミラはその名前を聞いて、とても嬉しくなった。

 もう二度とお会いする事はないと思っていた大手の商会長様だ。

 いつも紳士的で、まだミラが商談に慣れていない頃から、何かと助言してくれた、優しくて尊敬に値する人。

 年齢不詳だが、ミラとそう変わらないような若々しさがあり、眼鏡を掛けているが、その下にはとても鋭く、それでいてとても綺麗な瞳が隠されている事も知っている。

 まさかバルス魔法大国に来てまで、ヨゼス様とお会い出来るとは夢にも思っていなかったミラは、いつも以上に緊張しながら、それでいて早く会いたいような、落ち着かない状態となってしまっていた。



「ミラ様、ハルマス王国の商会長様がお越しになりました」


 サニーの知らせに、慌てて出迎えに行く。


 久しぶりに会うヨゼス様は、何だか前よりも若々しくて、魅力が増したように思えた。


「お久しぶりでございます。ようこそ、我が商会へ。またお会い出来たことをとても嬉しく思いますわ」


 出迎えた私がそう言うと、ヨゼス様はとてもいい笑顔で私を見る。


「ミラ様、本当にお会いしたかった。随分と探しましたよ」


「え? わたくしを?」


「はい。貴女を。ようやく会えました」


 とても嬉しそうにそう言ったヨゼス様に、胸がドキドキし始める。

 このまま店先で話すのもという事で、すぐに応接室に案内し、改めて話をする事にした。



「ミラ様、貴女があの伯爵家を出た1ヶ月後になって、私はその事を知りました。

 その時にはすでに貴女はボランサリー王国を出た後。

 一介の商人である私が、貴女のご実家に貴女の事を聞く事も出来ず……。

 とても心配で、必死で探していたのですが、まさかバルス魔法大国で、こんなに立派な商会を立ち上げていらっしゃったとは。

 さすがはミラ様と、とても尊敬の念に絶えませんでしたよ。

 それでぜひ、また我が商会との取り引きをして頂きたいと、早々に馳せ参じたわけです」


 ヨゼス様がとても優し気に、私を見つめながらそう話すので、ミラは緊張しっぱなしだ。

 心なしか頬がとても熱い。

 

「あ、あの……。私はもう平民となりましたので、そのような敬称は要りません。

 どうぞお気軽にお呼びくださいませ」


 頬を染めながらそう言うミラに、ヨゼスは更に笑みを深める。


「それではミラさんと。

 それにしてもミラさん、やはり素のお姿だと、更に魅力的ですね。

 私は先程から、貴女に釘付けになってしまって、どうしようもないですよ。

 これは早急に、新たな虫除けを増やさないといけません」


 真顔でそう言うヨゼス様に、ミラは首を傾げる。


「虫除けですか? そんなに虫はいないかと思いますが……。

 あ! そういえば、私、ネックレスを付けていない!

 ヨゼス様! よく私の事が分かりましたね⁉︎

 あの頃とは別人に見えると思うのですが、何故⁉︎」


 慌てながらそう言うミラに、ヨゼスは眩しいものを見るように、目を細めながら微笑む。


「貴女の美しさは、魔道具では隠しきれていませんでしたよ?

 だから人にしろ、物にしろ、本当にあの伯爵家の者達は見る目がなかった。

 私としてはそれがとても有り難かったですけどね」



 さっきからヨゼスの言い回しが、何故か口説かれているような気持ちになり、ミラは落ち着かない。

 早く商談に持ち込まないと、これはヨゼス様との勝負に負けてしまうと焦り始めた。


 そんなミラの様子が、ヨゼスにとってはとても分かりやすく、愛おしい。

 

 ヨゼスは、ハルマス王国の侯爵であるが、まだ家督を継いだばかりの26歳。

 だが、ミラは多分ヨゼスをもっと年上だと思っているのだろう。

 しかし、実際はミラよりたった5歳年上なだけ。

 しかも、若い頃より商才があり、仕事一筋で生きてきたヨゼスは、今まで婚約者を作る事なく、結婚などするつもりもなかった。

 なので、いずれは親族の者を養子に迎え、家督を譲る事を考えていた。


 しかし、ひょんなことからミラと出会い、魔道具で自分の姿を偽りながら暮らしているミラに興味を持った。 

 ヨゼスにも少なからず魔力があり、真実を見抜くというギフトがある。

 そのため、始めからミラの美しい姿を知り、そして、その姿がボランサリー王国では女神の愛し子と呼ばれる姿である事が分かったので、そのまま知らない風を装っていたのだ。

 ミラとの会話はテンポよく弾み、とても楽しく、知的なミラに更に惹かれていった。


 だから、ミラがすでに人妻であると知った衝撃はとても大きく、もうミラとは会わないようにしようと思っていたが、どうも調べていくとミラは夫にも自身の姿を偽っている様子。

 それなら、もしかすると白い結婚なのではと思い至り、自分にもまだチャンスはあるかも知れないと、ずっとミラを見守っていたのだ。


 しかし、たまたま自国からボランサリー王国との親善大使に任命され、その手続きやら何やらをしているうちに、いつのまにかミラが離縁して伯爵家を出た後だったと知った時には、絶望感でいっぱいだった。

 ヨゼスはいつかミラが伯爵家と縁を切った時に、すぐにでも囲うつもり満々だったから。


 それからは、色んなツテを使い、ミラの足取りを追った。

 そして一年かけてようやくミラを見つけ出せた時には、心から神に感謝したくらいだ。

 すぐにバルス魔法大国の組合長と連絡を取り、組合長経由で精鋭な騎士を警護にあたらせ、ミラを守っていた。

 そして、ミラをいいように使い、馬鹿にしていたグランブスト伯爵家の没落を見届けてから、晴れてミラに会いに来た。



 ヨゼスは思う。

 これからは積極的にアピールして、自分を意識してもらい、ミラの心を掴んでみせると。

 自分でも引くくらいには、ミラに執着している自覚はあるが、それを悟られると逃げられてしまうかもしれない。

まずは自分の執着を隠し、周りを少しずつ固めながら、ゆっくりミラの心を手に入れよう。


 もともと商売気質なこの男は、狙った獲物は必ず手に入れてきたのだ。

 ギラギラとした目を隠しながら、優し気にミラに近づいていくヨゼスの姿は、美味しそうなウサギを狙う狼のよう。


 周りで、ミラとヨゼスの様子を見ていた両方の使用人達は、一様にミラに同情しながらも生温かい目で二人を見守っていた。


 



 ~完~



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 隠していたつもりがミラ様の鑑定眼で全部見えててそれでも選んでくれた後壮大なネタバレをする展開でもいいなぁw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ