灰姫2
馬車が到着すると、執事が扉を開けてくれる。手を借りて降りると、心得たように侍女たちが湯浴みの用意を始める。ネルジェお姉様に質問をしていないが、ドレスを脱ぎたかった私は後回しにした。
「ふぅ」
「シンディお嬢様、湯浴み後、サロンでネルジェお嬢様がお待ちすると言伝てを預かっております」
「分かったわ。楽な服を用意してちょうだい」
「かしこまりました」
焦げ茶色のドレスを選ぶと、私は家族用のサロンに向かう。同じように湯浴みを終えたネルジェお姉様がお茶を飲みながら待っていた。薄い青色のドレスを着ていた。
「シンディ、いつも言っているでしょう。いくら家でも焦げ茶色や黒や灰色の服ではなく、赤や青、緑の服を着なさいと」
「これが落ち着くんです。原色のドレスなんて見てるだけで目が痛いわ」
「だから、地味で暗い灰かぶり姫と言われるのよ」
原色系のドレスを着ると落ち着かなくなり、いつも脱ぎたくなってしまう。我慢して着ていられるのは一時間だ。だから、夜会では地味な色のドレスを着ている。お母様やお姉様は派手なドレスを着ているが、見る分には、もう少し我慢できるから問題ない。
「名前も幸か不幸か似てるんだから」
「ついでに境遇も、よ」
「そうよ。だから余計に口がさのない人に好き勝手言われるんでしょうが」
「言う人には言わせとけば良いのよ。私は虐められたことも無いんだから」
そう。私はお母様たちには虐められたことはないが、お父様にはあると言える。婿養子のお父様は、権限を持つお母様が嫌いだったらしい。お母様似の私のことは養育を放棄していた。
「好き勝手言う人は、ダリアナお姉様が喜んで相手するでしょうけど、シンディは次期当主なのだから遇えるようにならないと」
「そんなに言うならネルジェお姉様に、権限委譲するからお願いするわ」
領地経営の書類と格闘する分には、ドレスの色は関係ない。関係ないのだけど、もうすぐ初社交界だ。つまり、成人をしてしまう。そうなると、次期領主としての装いが必要になってしまう。なってしまうのだ。
なってしまわなければ良いのにと心の底から思う。原色のドレスなんて着たい人が着れば良いんだ。
「残念ね。未成年の貴女に権限委譲の権利はありません」
「ぐぬぬぬ」
「諦めて相応しいドレスを着ることね」
「絶対に諦めないんだから」
何とかしてドレスの色を黒とは言わなくても、紺色にしようと馴染みの商会にお願いするが、既にお母様の手が回っていた。それならと、染めてしまえば良いと、染料を手配するが、どこもかしこも納期に時間がかかると返事が来た。こちらにも手が回っていたようだ。
「いい加減、諦めたらどう? お母様とお姉様の策略から逃れられるわけないんだから」
「ネルジェお姉様には、分からないのよ。この見てるだけで頭が痛くなる色のドレスを着なければならない私の気持ちが!」
「シンディが原色のドレスを着たくないのは知ってるわ。でも、貴族には決まりと見栄と見栄と見栄があるのよ」
「見栄が三回あったわよ」
「大事なことだから三回言ったのよ」
私だって分かってる。貴族が場所に応じてドレスの色も形も変えていることを。でも、着たくないものは、着たくない。
「シンディの気持ちを無視してるわけじゃないのよ。だから赤や青じゃなくて、紫にしたのよ。それもうっすい紫」
「混ぜたら良いわけじゃないけど、ダンスだけなら」
「初社交界すれば成人よ。親にとやかく言われずに色を決めれるわ」
「そうね! ネルジェお姉様もたまには良いこと言うわね」
「・・・たまには、余計よ」
装飾品も靴も薄い紫で統一した。他の色もとネルジェお姉様に勧められたけど、頑なに固辞した。これでもかなり頑張ったのだ。
当日は、親兄弟以外の親族にダンスの相手を頼む。でも、両親が死んでから交流もなく、誰が受けてくれるかも分からない。お母様は任せときなさいと言っていたけど、不安だ。
「帰りたい」
「ダンスくらい頑張りなさい」
「無理」
「陛下のお言葉の読み上げがあったら帰っても良いわよ。さすがに陛下の宣言前に帰るのは問題よ」
今は何とか立っているけど、限界だ。貴族である以上、陛下の開会宣言を大臣が読み上げるまでは気力で何とかするしかない。
「あら、大臣じゃなくて王太子が読み上げるのね。珍しいわね」
「王太子でも何でも良いから早くして欲しい」
「令嬢たちの憧れの的よ? 王太子妃は無理でも第二、第三の妃にって、聞いてないわね」
開会宣言のあとの拍手を聞いて、私は会場を出ようとマナー違反にならない程度に急いだ。ネルジェお姉様の声を聞いた気がするけど無理なものは無理だ。数段の階段を降りて、馬車に乗れば家に帰れる。
「っ!」
「待って欲しい。私と踊って・・・」
「無理です!」
いきなり腕を掴まれて引き留められたが、ダンスなんて踊れば倒れる。手を振りほどいて伯爵家の馬車に乗り込んだ。私が一人で乗り込むことに慣れている御者は何も言わずに走らせた。
「たす、かったぁ」
座席に置いてある茶色のローブを頭から被る。今日の付き添いはネルジェお姉様だけだ。お姉様を気に入っている貴族もいるから帰りの馬車に困ることはない。
「着きましたよ。お嬢様」
「ありがとう」
「本当に早いお帰りね」
「ダリアナお姉様」
「って、貴女、靴はどうしたのよ? 馬車の中にも無いし」
「あれ? もしかして、あのときかも」
片方の靴を落としたであろう出来事を話すと、ダリアナお姉様は頭を抱えた。一緒に話を聞いた執事は、お母様に伝えに行った。
「靴を片方、落としてくるって、どんな喜劇よ。ネルジェが拾ってくれれば良いけど、状況からして望み薄だし」
「ごめんなさい」
「とにかく、シンディの手を掴んだ令息は、ダンスを申し込んだのね?」
「たぶん」
「あの夜会は初社交界する令息令嬢が先に踊ってから通常のダンスになるわ。だから、相手を誘うのもそれが終わってから」
そうなのだ。基本的にダンスは男女共に誘われたら断ってはいけない。ただ、初社交界では緊張でステップを間違えてしまったり、互いに初めてでリードもできなかったりして悪い印象にならないために事前に相手を用意する。
踊り終わると初社交界の証に王家の紋章の入ったブローチが配られる。記念品なのだが、暗黙の了解でブローチを着けた人が、同じブローチを着けている人を誘ってはいけないという決まりがある。
「シンディが初社交界なのを知らずに誘ったか、知っていて誘ったか。どちらにせよ、家格が上なのは間違いないわ」
「絶対にやだ」
今は社交界は全部、お母様とお姉様たちが担ってくれている。それが私が当主になってしまったら嫌でも出席しなくてはいけない。それが公爵家や侯爵家と繋がりができれば山のように増える。それだけは何としても阻止しなければならない。