私が、イヤミスの女王と呼ばれるM氏を、ライバル視するその理由
この短編は、今までの、私の、中年以降の小説活動の、極、簡単な話の羅列である。
この中に、書いてある事は、全部、ホントの話なのだが、今でも、小説で賞を取れない、高齢者の、ボヤキ話のみである。
特に、イヤミスの女王と呼ばれるM氏を、何故、私がライバル視するその理由が、書いてある。
で、これが、果たして、文芸にまで昇華できたのか?
それは、この短編を読まれた方々の、判断にお任せしよう。
私は、現在は、私より先に退職された某先輩から、面白い話を聞かされた事がある。
某先輩は、部長職で定年を迎えられた方で、その当時は主幹(課長代理)という役職であったが、とても気さくで話の上手な人であった。
その某先輩が言われるには、我が市には面白い伝説があって、今から約千年程前に、全長一メートルはあろうかと言う巨大な蟹が、山奥の谷に出現したと言う言い伝えが有るのだと言う。
そのため、今でも、我が市には、蟹谷村と言う名前の村が残っていると話をしてくださった。
その話を聞いてから、多分、1週間ほど後になってであろう。私は実に不思議な「夢」を見たのだ。
その夢の中では、私は何故か内科医となっており、私の患者達に、次から次へと、頭痛とか脳内朦朧感を訴える患者が急増するのである。
しかも、その症状を訴える患者の住んでいる場所が、何故か、蛇谷村に集中しているのだ。
不思議に思った私は、日曜日に車を飛ばしてその村へ向かうと、村人達が手に手に「たいまつ」をもち、両村の真ん中に聳え立つ砂山の麓のほこらに次々と参集していく。
この村には、約千年も前に、何と全長十メートルを超える大蛇が出現したと言う伝説があったのだ。
更に奇妙な事に、村人達は、口々に「お卵様」「お卵様」とぶつぶつ言いながら、山道を上っていくのだ。
その後をこっそりと追っていった私は、その行き先に、巨大な卵ととぐろを巻く大蛇を見たのである。
……そう、その大蛇は、巨大化しているのみならず、何と、知能も格段に進歩しており、精神感応で村人を操っていたのだ。
その夢を見て、ガバッと跳ね起きた私は休日だった事もあり、即、『お卵様』と題した小説を書き始めた。
その当時、私はH社のワープロ(筆者注:その夢を見た当時はワープロが主流)を使っていたが、今まで各社のワープロを触ってきた中で、そのワープロとは非常に相性が良く、我流ではあったが完全なブラインド・タッチができたのだ。要するにキーボードを見なくても、頭に浮かんだ文章が話す言葉並みのスピードで自由自在に打てたのである。
だから、あっという間に、原稿用紙で30枚近くの小説を書いてはみたものの、あるところでその小説はピタリとストップしてしまった。
何の事は無い。
私は、「知能を持った大蛇が村人を洗脳し村を乗っ取る」と言う面白いアイデアだけで小説を書いてはいたものの、その最後の結末を見ないうちに夢から目覚めていたので、その後の文章とかストーリーが全く思いつかなかったのである。
そう、「夢の途中」で目が覚めてしまったために、それ以上はどうしても書き進め無かったのだった。
さてその後、私が小説を書く事は全く無かったのだが、その後、子供と一緒に当時大ヒット中だった『ハリーポッターと賢者の石』の映画を見に行く事となった。
その時、私の子供が言うには、「お父さん、あんな面白い小説書けんやろう。ハリーポッターの小説は全世界で何百万部も売れているんだって」と、言われてカチンときた私は、「小説ぐらいお父さんでも書けるさ」と、ついつい見栄を張って言い切ってしまったのだ。
しかし、ここで本当に小説を書かないと、お父さんが嘘をついた事になってしまう。
かって、高校三年生の夏休み中に、緋色のビロードの表紙に飾られた江戸川乱歩全集全30巻を全巻読破した事が、自慢の一つの私としては、ここで引き下がる訳にはいかないのだ。
そこでたまたま、月刊の公募雑誌(『公募ガイド』)を買ってパラパラと見ていたら、女流歌人の与謝野晶子氏が創刊して、その後休刊して、再び出版活動を再開していた『関西文学』が新人賞を募集している事が分かった。
しかも賞金が一位でも十万円と他の賞に比べれば格段に少ないし、応募者数も少ないのだ。よしこれなら、もしかして佳作ぐらいならいけるかもしれない。
……とまあ、何と言う安直な考え方であったろう。だが、こうして私は、久々に小説を書く羽目になってしまったのだった。
ところでそれでは、題名はどうしよう?えーい、面倒だから、「ハリーポッター」を「腫れぼったい」にし、「賢者の石」を「愚者の石」にしたら、丁度、うまく当てはまるではないか!
こうして私の人生で、何とか、最後まで書き上げた小説が『腫れぼったい愚者の石』であり、その『関西文学』新人賞に応募したところ一次選考には何故か通ったし、その後、紆余曲折はあったものの、『関西文学』の会員に勧誘され、そのまま、私の小説は活字になったのである。
私の下手な小説が実際に活字になった事で、子供に対するメンツも立ったのだ。ここで少なくとも嘘つき父さんの汚名は無くなったのだった。
ただ『関西文学』新人賞には、その後も数回応募するも、小説部門・エッセイ部門ともに二次選考まで通るのがやっとであり、どうしても一位にはなれなかったのである。
どうやら私には文才が無い事は明らかだった。
そこで、そろそろ小説を書くのを止めよう。ついでに『関西文学』の会員も脱会しようと思っていたら、『関西文学』の編集委員で、二~三の文学賞を受賞されているN氏からある日突然手紙をもらった。
その手紙の中で、N氏から「決してあきらめない事」と「推理小説等の分野なら文才はあまり問われない」との、2つのアドバイスを頂いたのだ。
そこで、再び公募雑誌を買って見てみると、漫画『クレヨンしんちゃん』を出版している双葉社が、月刊『小説推理』誌で推理小説を募集している事を知った。
よし、これに応募してみるか?しかし、締め切りは十一月末である。たまたまその年は十一月下旬に三日連休があったので、得意のワープロ(この時は既にパソコンである)の滅多打ちで、校正も推敲もせずに自宅のプリンターでプリントアウトして送ったのが『善良な殺人者』と言う題名の推理小説であった。
この『善良な殺人者』は「小説家になろう」にも載せている作品である。
今となっては、その時の事は、ほとんど漠然としか覚えてはいないが、多分、約一日間で書き上げたのではなかったか……。
しかし、応募作品の少ない『関西文学』新人賞ですら二次選考を通るのが精一杯だったのだから、間違いなく落選だろうと思っていたら、何と第○○回『小説推理』新人賞の一次選考を通っていたのである(ちなみに、当時、一次選考通過者は全国公募で二十名だった)。
この月刊『小説推理』誌は、西村京太郎氏が十津川警部シリーズを連載している推理小説のみ掲載されている専門雑誌でもある。
とすると、私の推理小説もまんざら捨てたものでもないのかもしれないとの、妙な、うぬぼれみたいな心が湧いてきたのだ……。
ちなみに第二十九回『小説推理』新人賞を受賞されたM氏は、受賞作の『聖職者』に加筆して、新たに長編小説『告白』として出版されたところ、2009年本屋大賞を受賞されているのだ。後に、この小説は映画化までされ、大ヒットしている。後に、このM氏は、イヤミスの女王の異名を持つ、有名な推理作家になった。
これが、この私が、その後、M氏をライバル視する、最も、大きな理由となった。
ところで悠長に、こんな与太話を書いていると、目まぐるしく変化しているこの時代に、「貴様の自慢話などにつきあっている暇はないわい!」と一喝されそうである。
が、決して自慢話をしているのでなく、あくまで事実を淡々と述べているだけであって、どんなに応募作品の少ない賞でも一位をとるのは大変な事だと、常に自問自答して日々や苦労している状況を知ってもらいたかっただけなのである。
それに、最近は、めっきり体力も落ち、かってなら朝五時ぐらいから飛び起きて小説を書く気力もあったのだが、最近はそんな元気も全くない。
まして、新たな犯罪トリックを考え出す時間も無く仕事に全力を使い果たしているのが現実であって、唯一犯罪トリックを考えていられるのは、寝る前のほんの数分ほどである。これでは、新たな犯罪トリックも生み出せる訳が無い。つまり推理小説を書こうにも、書く暇すら無いのである。
だが、そうは言っても、もはやこの私も、そうは、うかうかしてはいられないのである。
なぜなら、私の親戚や同級生の訃報に接する事が、最近は、急激に増えてきたからだ。特に、最近はそれが際だっているから尚更である。
まあ、私ぐらいの年齢なら仕方のない事かもしれないのだが、この私自身、既に、死に神に「ロックオン」されているような思い、つまり微妙な寒気を日々感じてならないのである。
ところで、私の昔からの口癖は「定年までに何かの新人賞を取る」であった。たまに同級生らに会うと、「小説はどうなった?」と聞かれるほどだから、この私の口癖は相当に有名だったのだろう。
しかし、こう言い続けたのにも、それなりの理由があって、現職の時はバリバリと人並み以上の仕事をされていた先輩達が、仕事を辞めれた途端、急に老け込まれたのを、私はもう何十人も見てきていたからだ。
あれ程、元気で頭の切れた先輩らが、定年と同時に老け込む様子を目の当たりにしてきたこの私にしてみると、やはり何かの生き甲斐を持たなければ、とてもじゃないが、それこそ早発性の認知証にもなりかねない、との恐れがあるからなおの事だったのだ。
そして、その解決法の一方法として、小説やエッセイや雑文を書く、これが、私の考え出した定年後の老化防止策だったのである。
しかし、今程も述べたように、小説のネタは仮にあるとしても、いかんせん時間もなく、体力・気力も無くなってきているような現状では、先程述べたような未完の小説『お卵様』の話と同じように、結局、私の夢は夢のままで終わってしまうと言うのが、どうやら私の人生の結末なのであろうと思わざるをえないのだ。
今の私は、結局、「いつか宝くじで10億円を当てたら、即、仕事を辞めて世界旅行でも行ってくっちゃ!」と言っている同僚達と同じであって、「定年までに何かの新人賞を取る」と言う口癖も、結局、そのまま夢のままで終わるのが現実なのだろう。
ただ、この私にも「隠し球」と言うか、最後に勝負できる作品(ある意味「遺作」と言っていいかもしれないが。)をある程度完成し、今もパソコンの中に密かに眠らせてあるのである。(現在、まだ推敲中であり、応募できる状態にまで仕上がってはいないのだが……)
その小説とは、小林泰三氏の作品『脳髄工場』に衝撃を受けた私が、この小説に出てくる人工脳髄にヒントを得て、ある人工臓器を題材にした小説なのだ。
これは、設定は近未来のSF小説なのだが、小林泰三氏の作品『脳髄工場』と同じく、そこに幾つかの推理が何重にも入り込んでおり、結局、何故、かような人工臓器が造らなければいけなかったのか?を主たる謎解きのテーマとしている。
しかもその人工臓器が当初の設計や計画とは違い何故か暴走を始めるのである……。
その暴走がその人工臓器を無理矢理装着された主人公でもある私が、少女の殺害へと走ってしまうと言うとんでもない作品となっているのだ。
しかも、それは決して自分(私)の意思ではなかったのにである……。とまあ、何やかやで原稿用紙に換算しても相当程度の量となっている。残念ながら、最終的な結論をどうしようかと迷っていて、未だ、完全には仕上がっていない。
ただ、私が、この小説に最後の夢を掛けているのには大きな理由があって、定年前のある年の年末に、インフルエンザで約一週間自宅で寝込んでいた私は、暇をもてあまし、家内に新聞広告で見た首藤瓜於氏の小説『脳男Ⅱ 刺し手の顔 上・下』を買ってきてもらい読んでいたところ、下巻のほうで脳男の敵役の人物の謎が明かされる場面があるのだが、何とその描写やトリックの暴露の場面が、私が丁度その頃書いていた今述べたSF小説『○○博士』の中で、その訳の分からない人工臓器が造られた理由を書いた文章と、ほとんど同じ箇所があった事なのだ!
その新聞広告欄では、首藤瓜於氏は江戸川乱歩賞受賞作家であり、当該受賞作品は、生田斗真出演で映画にまでなった『脳男』と書いてあった。で、その作品は、『脳男』の続編だと宣伝してあったのである。
私は、インフルエンザで寝込んでいたにもかかわらず、飛び起きてパソコンを開き、家内を呼んで確かめてもらったのだが、あまりにその文章やトリックの内容が一致しているのに、家内も大変に驚いていたのだ。
つまり、自分で言うのもほとんど自慢話のようで何なのだが、私は、江戸川乱歩賞受賞作家とほぼ同じようなトリックを用いた小説を書いていた事になる。
正に、全身がガタガタと震えたのだ。本当に、これはとんでも無い事だと……。
しかし、私の小説とその『脳男Ⅱ 刺し手の顔 上・下』とが、非常に似ているがために、私は、その後自分の書き上げていた小説に大幅に加筆訂正をしなければならなくなってしまったのは、逆に、迷惑な話でもあったのだが……。
ともかく、最初の思いでは、原稿用紙で約百枚で完結する筈だったその小説は、その後の大幅な加筆で、約四百枚近くにまで膨れ上がってしまったのである。
しかも、いくらSF推理小説とは言いながら、読む人によってはエロ小説とも読めるのだ。とても現職のサラリーマン在職中に発表できるような代物ではない。これは、定年後になって、ようやく、応募できる作品なんだろう、と。
自分で言うのも変なのだが、まあ、こんな馬鹿げた発想で書かれた小説は、世の中にそうそう無いと思っている。……しかし、と言ってどこかの新人賞に応募するのにも非常に抵抗を感じてしまうのである。
何故なら、もし、このアイデアを出版社を通じて一流の作家に知られたならば、きっとその作家が書かれた作品はそれなりにヒットするであろう、と思われてならないからだ……。
これは冗談でも何でも無く、数々の推理小説を読み込んできた私の偽らざる感想なのである。
この小説のアイデアと言えばいいのかトリックを一流のプロの作家にそのまま盗用されたら、私のような文才も筆力も無い素人には到底太刀打ちできない作品が生み出される事は間違いがないと恐れるからなのだ。
では、どうするか?
かような変わった小説を出版してくれそうな出版社を探し出して、無理して編集者の方に読んでもらうしかない、と自分ではそう決めている。……しかし、この私の無理な願いを聞いてくれそうな出版社など、そうそうある訳が無い。
と言って、誠に残念な事だが、今の私の文章力や筆力では、とても何かの賞を取れる程の実力は無い事も、もう嫌と言うほど実感している。つまりこの小説もこのままでは未発表のまま埋もれていくに違いないのだ。
そうなのだ……。
私は、今でも下手な小説を書き続けている、小説家になる夢をただただ見続けている、自称推理作家の一介の高齢の、しがないオジサンなのである。 了