白銀の少女
たくさん並ぶ建物から漏れる灯りは、街を包む夜の闇を明るく照らし。石の煉瓦で造られた街道、そこから伸びる街灯にはランタンが吊るされ、街道を暖かく照らし、幻想的な雰囲気を醸し出している。
あれが酒場だろうか、やけに顔を赤くした漁師達が全員で肩を組んで笑い合っている。まるで、夜を忘れたかの様に賑やかに騒いでいる。
夜だからか人通りは少ないけど、所々には活気が満ち溢れている。
すごい、街はこんな風になっていたのか。
普通の人達からしたら、こんな事は当たり前の毎日なのかもしれない。だけど、僕に取ってはこの目に焼き付けた景色は一生の宝物になるだろう。
これは奴隷である僕には一生手の届かない世界なのだから。
今、目の前にそれがある。手を伸ばせば触れる事の出来る距離にある。
でも。一度、それに触れてしまえばその腕を切り落とされ、僕は吊し上げられてしまうだろう。奴隷とはそういった生き物だ、普通の幸せが当たり前の様に許されない。
そう思った瞬間、酷く空しく思えた。
夢に見た街の風景に心を踊らされたのは、ほんの少しの間だった。僕は知らず知らずの内に街外れの道端でひとり泣いていた。
悲しくて、悔しくて、情けなくて泣いていた。
どうして、僕は奴隷なんだ。
どうして、僕は普通の幸せも許されないんだ。
どうして……
そんな僕に歩み寄る人がいたのを、僕はついぞ話し掛けられるまで気づきもしなかった。
「泣いてるんですか?」
突如話し掛けられた事に驚き顔を上げた。
その瞬間。僕は息を飲んだ。
目の前に天使と見間違う程、綺麗な少女がいた。
空に浮かぶ月の様に青白く輝く銀色の長い髪。自分の様な薄汚い肌とは間反対の染みひとつない白く美しい肌。こちらを見つめる瞳は星を散りばめた様な美しい輝きと澄んだ青は何処と無く夜空を彷彿とさせる。
彼女の身に纏っている白いワンピースが明らかに僕とは住む世界が違うことを示していた。
そのワンピースは彼女が動く度にふわりと裾が柔らかそうに揺れる。その様からさぞかし高級な生地であることが想像できる。
「大丈夫ですか、泣いてるんですか?」
彼女が高級そうなワンピースの裾を揺らしながら僕の顔を覗き込もうとする。
「い、いえ。だ、大丈夫です!!」
彼女の視線から逃げるように僕は顔を伏せた。
その時。不意にご主人様の言っていたことを思い出した。
確か、「年頃はお前と同じくらいのガキ、よく目立つ銀髪に青い瞳、ガキだがエラく顔立ちが整ってた」と……
そうだ、きっとそうだ。この本の持ち主はきっと彼女だ。
「あ、その本」
そう思った矢先、彼女の視線が僕の抱えていた本に向いたようだ。
当たり前だ、恐らくではあるが彼女の本を僕が抱えているんだから。
「……」
僅かな沈黙の後、僕は彼女に向けて本を突き出した。
今更ながら恥ずかしい、泣いている所をまともに見られてしまった……
「こ、これ。船に忘れてたので渡す様にと、ご主人様に言われたので……」
僕は情けなくも取り繕うように言葉を絞り出す。
先程まで泣いていたからか、声が僅かに震える。
「あ、そうなんですか。わざわざ、ありがとうございます。助かりました」
そう言って、彼女は僕の手から本を受け取り、こちらに向かって微笑んでくれた。
だけど、僕はその笑顔から逃げる様に顔を背けた。
彼女の美しさに圧倒されたのか。それとも泣いているところを見られた恥ずかしさからか。それともその両方が原因か顔を合わせられない。
きっと、彼女は本当に自分とは住む世界が違う人だ。そう肌で感じてしまう。
なんだか、本当に自分が卑しくて、ちっぽけな人間になった気分だ。最悪だ、ここから今すぐいなくなってしまいたい。
「どうして、泣いてたんですか?」
彼女が僕に話し掛けて来た。
でも、そんなのどうでもいい。
もう、どうだっていい。
もう、どこかに行って欲しい。
もう、いなくなってしまいたい。
頼む。もうこれ以上、僕を惨めな気持ちにしないで欲しい。
「……そうですよね。自分の事もろくに話さずに突然色々と聞くのはよくないですよね」
彼女はそんなことを口にすると、何を思ったのか突然の僕の横に座り、ひとりで喋り始めた。
恐らくとても高価なワンピースなのだろうに。なのに、そんなことはお構い無くと言ったように彼女は道端に腰を下ろしてしまった。
「駄目だよ! 服が汚れちゃうよ!!」
僕は彼女の行動に思わず声が出てしまった。
「ああ、やっちゃった!! また、お母さんに怒られる……」
そして、彼女の方も自分の行動は予想していない物だったのだろうか、自分で自分の行動に驚いたような表情を見せた。そして、僕達は顔を見合わせて、二人して同じように口を開いたまま暫くの間固まってしまった。
そして、暫くの沈黙の後に、彼女は笑顔を浮かべながら喋り始めた。
「ふふ、いつも怒られるんです。また、服を汚してって。私、そう言う細かいことは駄目みたいでいつも怒られるんです。ほら、今日だって、大事な本を船の中に忘れてっちゃうし」
そう言って、彼女は今しがた渡した本をこちらに見せながら微笑んだ。
なんだか、彼女の優しさに心が和む。なんでだろう、彼女の隣にいると彼女の声を聞いていると少しだけだけど、自分がまともな人間になれたような、そんな気分がする。今までの惨めな気持ちが嘘のようだ。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、彼女は僕に向かって尚も話しを続けてくれた。
「今回だってそう。お父さんの杖を手に入れる為にこの街に来たけど、全然駄目。全然どこにあるかわかんない」
一体、何の話をしてるのかわらないが、彼女との話を少しでも長引かせたいと感じた僕は素直な疑問を彼女に向けて放った。
「お父さんの杖?」
彼女が小さく頷き、先程手渡した本をもう一度こちらに見せる。
「この本に書いてある“エイロット・グレース”って言う魔術師、私のお父さんなんだ」
お父さん? 彼女のお父さんが記した本と言うことだろうか? しかし、そう言うにはその本は余りにも古びている気がする。色々と引っ掛かる所があるが、そんなことよりも気になったことを僕は口にしていた。
「魔術師って本当にいたんだ……」
彼女の言ってることが本当なのかはわからないけど、何故だか嘘だとは到底思えなかった。なんと言うか、彼女が魔術師と言う言葉を当たり前のように口にしている様は、嘘をついている様には見えなかった。
それに、僕には彼女が嘘をつくような人にも全く見えなかった。
「魔術師は本当にいるんだよ、それもすっごく沢山。魔術師の学校だってあるんだよ。お父さんはそこの先生でね、凄く頭が良くて強い魔術師だったんだ」
どうやら、彼女と僕はそう言った意味でも本当に住む世界が違うようだ。
なんだか、ここまで来るともはや実感が湧かない。
「す、凄いんだね……」
しかし、そんな話とは裏腹に彼女はどこか少し悲しそうな顔をしている。多分、それは最後の“だった”と言う一言が原因なんだろう。
それはつまり。
「“だった”て言うことは……」
いくつか予想はつくが恐らく。
「うん、少し前に死んじゃったんだ。それで私はこの街に来たんだ……」
そう言って、彼女は自分が何故この街に来たのかゆっくりと話始めた。




