魔術師エイロット・グレース
「ああ!? 本だぁ!?」
ご主人様の怒号が埠頭中に響き渡る。
そして、その怒号と同時に鞭を持った手が高く掲げられた。その瞬間、反射的に身を守る体制を取ってしまう。
「ひぃ!! 申し訳ありません、ご主人様!!」
思わず持っていた本で顔を守る。
その瞬間ご主人様は勢い良く振り上げた手で本を奪い取って見せた。
「んだ、このボロい本は!? ドッグ、こんな本どっから持って来た?」
そう言うと、ご主人様が手に持った本の表紙眺める。
「いえ、積み荷の上に置いてあったみたいで……」
僕の言葉を聞いたご主人様が一度眉を吊り上げ、こちらを睨み付けて来た。うぅ、もしかして殴られるかも。やだ、殴らないで……
思わず萎縮する。
「全く、なんだこの本は航海の本でも、海路の本でもないな……」
ご主人様も、僕がジルと話したのと同じ様な内容のことを口走る。
やっぱり、この船の物ではないらしい。ならば、これはお客様の忘れ物なのではないか。
「あ、あの、その本は“エイロット・グレース”って言う人の伝記みたいです!」
僕のその声を聞くとご主人様は一度視線を上に仰ぎ、何かを思い出したのか、直ぐに目を見開き口を開いた。
「ああ、思い出したぞ。そうだそうだ。今日の昼頃その“エイロット・グレース”の娘って奴が来て船を調べさせろって言って来たんだ。多分、その娘が忘れてったんだ、全く面倒臭いことしやがる」
はあ。では、やはりあの本は誰かの忘れ物か……
ご主人様はなにやら納得した様子なので、鞭で打たれたり、殴られたりする事はないだろう、たぶん。
「全く、面倒なことを…… そうだ、ドッグ。お前が届けてこい。まだ、街のどこかにいるはずだ」
そう言ってご主人様が本をこちらに向けて突きだして来た。
思わず顔がひきつってしまう。
「え? 僕がですか? でも、僕は街に行ったことは一度も……」
無理だ。街の様子は遠くから何度も見てはいたけど、実際には一度も言った事はないんだ。
文字通り、右も左もわからない。届けられる訳がない。
「うるさい、口答えすんじゃねぇ!! 兎に角、この本を“エイロット・グレース”の娘に届けて来い!! 年頃はお前と同じくらいのガキ、よく目立つ銀髪に青い瞳、ガキだがエラく顔立ちが整ってたから会えば直ぐにわかる。ほら、さっさと行け!!」
そう言って、ご主人様が本を僕の薄い胸板に押し付けた。
「え、ええ?」
そして、顎で街を指し「さっさと行け」と目で睨み付けて来た。
その目は「これ以上、俺に面倒を掛けさせるな」とも書いてある
どうやら、行くしかないらしい。
でも。正直言うと嬉しさの方が少しばかり上回っている。突然のことでまだ実感が沸かないが、はじめて街に行けるんだ。いつも遠くで見ているだけだったあの街に……
「ほら、グズグズしてないでさっさと行け!!」
その瞬間、お尻に凄い衝撃が走った。
僕は思わず飛び上がってしまった。
「はぐっ!!」
どうやら思いっきり、お尻を蹴っ飛ばされたようだ。
「は、はい、すいません!! ご主人様!!」
僕は蹴っ飛ばされた勢いのまま街へと向かって駆け出した。




