鐘の音
彼女が小さく呟いた。
しかし、何も起こらなかった。
つまり、これは僕の解いた暗号が間違ってたと言うことだ。
ありえる、十二分にあり得る。ならもう一度。もう一度、初めから解読し直せばいいだけのことだ。
「もう一度、初めからやり直しましょう。次こそは……」
直ぐ様、手帳に視線を落とし、思考を巡らせる。
しかし、それを遮るように彼女の声が僕の耳に届いた。
「いえ、大丈夫です!」
強く芯の通った声だ、その声の力強さに驚きながら僕は彼女に視線を向けた。
彼女の瞳がこちらを真っ直ぐと見詰めている。その顔は決して諦めてはいなかった。むしろ、なにか確信の様な物を得た、そんな表情をしているようにさえ見える。
そしてら彼女はその口を開き、僕に向かって語り出した。
「私達魔術師にとって“唱える”と言うのは言霊に魔力を乗せる“詠唱”と言う意味を持ってるんです。そして、封印と書いてあるように恐らく何かの“術式”で杖を封印してるんだと思います。きっと、その封印を解く言葉である時刻に魔力を乗せて唱えればいいんです」
そう言った瞬間。僕は信じられない物を目にした。
彼女の身体が青白い光を放ち始めたのだ。
彼女の銀色の長い髪がその青白い光に当てられ、共鳴するように青白く輝き、白いワンピースもほのかにたなびきながら、その色を帯びていく。
「今みたいに、ただ呟くのではなく。言葉に魔力を乗せるんです」
青白い光は徐々にその光を増していく。やがて、その光は青だけでなく紫や緑や白と極彩色の光を放ち。果てにはその光で時計塔の中を充満させた。
そして、彼女が呟くように。しかし、今までとは明らかに違う雰囲気を伴いながら現在の時刻を唱えた。
その瞬間、鳴らないはずの鐘の音が辺りに鳴り響いた。
誤作動か何かのかと思い、咄嗟に鐘を視野へと入れる。
しかし、鐘は今も微動だにせず、たたずんでいた。
一体、何が起きているのだろうか。
透き通る様に辺りに鐘の音色が響く。そして、一面極彩色の光に埋め尽くされた中から白く瞬く光の玉がひとつ、またひとつとどこからか溢れ出るように涌き出して来た。
おそらく、極彩色の光が白い光の玉に変化しているのだ。
そして、その光はやがで時計の長針へと集まりある形を作り出した。
それは紛れもなく杖の形だった。
その光はやがて、その輝きを失い。その光の中にある物の実体を表し出した。
蒼く輝く宝石をあしらった持ち手に透き通るような白い柄。
その杖を目にした瞬間、彼女の瞳から一筋の涙が落ちた。
やがて杖は鳥の羽の様にゆっくりと落下し。持ち主の胸に収まるかの様に彼女の元へと降り立った。
「お父さん……」
彼女はそっと、その杖を抱き締めその場にしゃがみこんでしまった。
そして、もう一度小さく「お父さん」と呟いた。
そう呟いた彼女の背中は、僅かに震えていた。
無理もないだろう。あれほど、求めていたお父さんの形見を手に入れたのだ。感極まるのも頷ける。
それに恐らく、これが父と子の最後のやり取りになるのだろう。
これが、ひとつの物語に幕が閉じたと言ったところだろうか。
そして、僕の物語もここで終わりだろう。
明日からはまた何時もと同じ奴隷としての生活が戻ってくる。それでも、今は清々しい気持ちで胸が一杯だ。
少なくとも、今この物語の僅かな間でも、僕は物語の登場人物になれたのだから、それで十分だ。
僕は彼女に気付かれないようにその場を後にした。
何故なら、もうこの物語に僕のような人間は不釣り合いだからだ。
だって、こんな物語の登場人物に奴隷がひとり混じってたなんて、場違いも甚だしいと思うだろう?
それなら、最後はせめて謎の少年とでも思ってもらった方が格好がつくと言うものだ。
臆病で情けない僕だけど、そこは少しだけ格好をつけさせて貰いたい。
それに彼女と父親との最後の思い出に水を差すのも邪道と言うものだ。暗号は邪道な方法ばかりで解いてしまったんだ、せめて最後だけは綺麗に幕を閉じさせて欲しい。
最後に今も彼女が居るはずの時計塔を僕は見上げた。
月明かりに照らされた時計塔が幻想的に佇んでいる。そして、今も優しい鐘の音色が響き、幻想的な雰囲気を一層際立たせていた。
その時、不意に合点がいった。
ああ、そうか。きっと彼女のお父さんはこの鐘の音を聞かせてあげたかったんだ。
すでに鐘としての役割を終えてしまったが、その鐘は今もこの街を見守ってくれている。
きっと、彼女のお父さんもその姿はなけれども、彼女のことを見守っていることだろう。
勝手な想像だけど、不思議とそうなんじゃないかと思えた……




