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人斬り無迅シリーズ

人斬り無迅と妖刀シャガ

作者: 田中一義


 世の中には到底、受け入れがたい価値観というものがあると少年は学んだ。

 例えばそれは生きた人間を斬り裂き、その返り血に高揚して、死体の山を築くことに快楽を見出すこと。

 人間は死ねばそれまでで、生き返ることはない。ごく短い時間、心臓が止まっただけだったならば蘇生というものはあるだろうが、しかし首へ半ばまで刃を叩き込み、ぴゅっと首から血を噴出させながら倒れていけばそれはもう蘇生されることのない死である。

 二度と口を利かぬし、二度と自力で起き上がって歩くこともない。

 体温は失われ、次に熱を帯びるとすれば焼き上げられて体がなくなっていくのと同時である。

 そんな、不可逆の死を与え――取返しのつかぬことを自分勝手にしでかしておきながら、その悪徳にではなく、ただ人を斬った、そして殺したという行為に対し、血が熱く沸騰するかのような興奮を得てやみつきになる。

 そこに善も悪もなくて、ただ、たまたま、そういうことに興奮する輩であったということだろうと少年は考える。

 ただ興奮して、それが楽しいから、繰り返す。

 普通ならばそれで良心の呵責であったり、拭いきれぬ罪悪感なりを抱くのだろうが、何かが振り切れたかのようにそれを容認して、むしろ快楽を貪ることの何が悪いのかと開き直る。そんなことだから、少年は価値観という言葉を持ち出さざるをえない。


 どんな未練があるのか、愛刀に憑りついて化けて出る悪霊に最初は強い拒否感と、嫌悪感さえ抱いていた。

 しかし悪霊が体を奪って、鮮血の雨を降らせた時に少年はその価値観を理解してしまった。

 途方もない悪霊である。

 救いがたい――きっと本人も救われたいなど毛の先ほども思わない人格破綻者であるにも関わらず、少年は悪霊に幾ばくか心を開いてしまった。


 その結果――少年は人斬りの道を歩み出すこととなった。


 ▽


 遠く霞んで見える山並みの向こうに、ひと際大きな山が見えてリオは足を止める。

 13歳の少年は華奢で細身の、頼りない痩せっぽっちの体格だった。古いボロの着物を下手に着ている。腰には一振りの白鞘の刀を差し、草履はもう予備も全て履き潰してしまって素足になっていた。

「あれって、何……?」

「どこか、多分別の日の本で見覚えあるが、俺が見たのはあいうんじゃあなかったな……」

「ただ、高い山っていうより……何か、ぽこっと盛り上がってるみたいな山に、見えちゃうんだけど……」

「あれが天丘(てんきゅう)とかいうところか。なるほど、こいつは確かにお偉い野郎が好きそうだぜ。とっとと行けい」

「……何がどうなってるの、ここ……?」

 リオには、彼の目以外には映らぬ悪霊が憑いている。

 天下無双の大剣客と自称する悪霊は無迅と名乗り、厳密にはリオの腰にある刀・澄水に憑りついている。どうも本人の気分で無迅の着物の柄はころころと変わるようだが、共通しているのは黒地で、大きな鮮やかな花の柄が咲き誇るものだった。


 そして少年と悪霊は、彼らが知る日本とは違う日の本の旅歩きを始めていた。

 目指すはこの日の本の中心地――最高権力者の天子様なる者がいるという天丘だった。

「あれが天丘……。でもどうやって、あんなところに登るんだろう……」

「さーてなァ。行ってみりゃあ分かるだろ。とっとと歩け」


 悪霊に急かされてリオは峠道を今度は下り始める。

 地面を這い進む蛇のようにうねうねと、右へ、左へと何度も曲がっている道だった。そうでもないと勾配が酷くて転げ落ちそうになってしまう。それでも人が歩くため、踏み固められて出来上がったような道のようだった。

 鬱蒼と木々は茂り、じわじわ、みんみんと蝉が元気いっぱいに鳴いている。

 たまに木々をなぜるように風が吹くと心地良い涼しさがあった。リオの知る夏とは違い、日差しが強くともすぐに汗をかいて全身がべたつくような不快な湿気はあまり感じられない。歩きづらい道は容赦なくリオの足腰を痛めつけて体力を減らしていくが、過ごしやすさという点においては勝っていた。


 そうして峠道を歩き続けていよいよ日が暮れようかというころ、山々の麓へ広がる小さな集落が見えた。ようやく野宿ではなく、ましな寝床へありつけるかも知れないとリオはペースを上げて歩を進めた。

 集落へ近づいていくと明かりが見えた。

 大きな火――キャンプファイアーか何かかとリオが目を凝らしていたら、何やら様子が異なっている。火の手が多かった。気になって走っていくと、どうやら集落の家々が焼けているらしいということが分かった。


「何これ……」

「火事みてえだな。炎に巻かれちゃあ仕方がねえ、落ち着いてから金目のもんだけもらうことにしようぜ」

「な、何言ってるの。火を消したりとか――」

「そこらの小川から水汲んでぶっかけりゃあ消せるってえ火勢じゃあねえ。まして、どこの家も燃え上がっちまってるんだぜ。こいつは火ぃかけられたんだ」

「放火?」

「それも村を丸ごと焼き潰そうってえ魂胆だぜ。ケチな野郎の仕業じゃあねえ。どこぞのお偉いさんがケツ持ちにいるか、そのお偉いさんが命じたかってえところだろう。

 お(めえ)よう、こんなもんに首突っ込んだら命がいくつあっても足りなくなるかも知れねえぞ?」


 脅しであるのか、親切心なのか、悪霊の本心はリオには分からなかったが、それでも無迅の表情がにんまりと歪な笑みを浮かべているのを見て、嘘をついているわけではないということだけ理解した。

 関わり合いにならない方がきっと、いい。

 それに火を消すなんてとてもできないとも思えた。


 力なく焼けていく集落をリオは眺める。

 黒い煙がもくもくと空高くへ立ち上っていく。

 せめてこの火事に人が巻き込まれていなければいいなと、そう他人事のように思った時――火事で照らされる集落の向こうから手を取り合った人影が2つ逃げるようにして走ってくるのを見た。さらにその向こうから馬が駆けてくる。馬は3頭――それぞれ、人を乗せていた。逃げている2人を追いかけていた。

「誰か助けて……お助けください……!」

 心底からの助けを求める悲痛な叫びが届いて、リオは思わず無迅を振り向く。

「何てえ顔してやがんだ、リオ坊。剣客になろうってえのに人の顔色うかがうバカがいるかよ。斬りてえもんがあるんならよう、とりあえず斬っちやぁいいんだぜ?」

「う、うん……!」

 馬に乗った人間はいずれも脅すように刀を持ち上げ、弄ぶように逃げようとしていた2人を取り囲んでいた。周りをぐるぐると走られて、その間を突っ切ることもできずにただ恐怖に怯えきっている。

 その様子を見てリオは、戸惑った。

 助けてあげたいが、相手は3人もいて、しかも馬に乗っている。

 どうやったらいいかも分からない。むしろ、やめろと声を投げかけることさえ勇気が足りない。

「む、無迅、あの……僕の体、使ってもいいけどって、言ったら、どうする?」

「こんの根性なしめ。――が、まあ、いいだろう? ちと芋臭いが上玉に見えるしなァ」

「えっ?」

 何か妙な言葉を聞いたような気がして問い質しかけた瞬間、体を無迅に乗っ取られていた。


「――やいやいやい、てめえら! 事情は知らねえが女子どもを追いかけ回してちょっかいかけるにしたって、ちとやりすぎじゃあねえのか? 男ならてめえのチンポであんあん鳴かせりゃあいいもんをよう、それとも何かァ? てめえのカタナじゃ満足させられねえってんで刀でガタガタ言わせようって(ハラ)かァ? ダァッハハハッ、揃いも揃って情けねえじゃあねえか!」

 リオの体へ乗り移った無迅がよく通る大声でいきなり挑発をし、馬の足が止まった。

「何だと? 小僧、この村の人間か!」

「通りがかりだ、このすっとこどっこい! 胸糞悪いことしてんじゃあねえ、たたっ斬るぞ」

「ふんっ、態度のデカい小僧だ。いいだろう、遊んでやる」

 1人が馬を降り、刀を下げたままリオへと近づいていく。

 肩へ刀を乗せて見下ろし、まだリオが抜いていないのを良いことにニタニタと笑いながら近づいていた。これが本当にリオだったならば、彼はもう少しまともな死に方ができたかも知れなかった。

 だが無迅が今はリオの体を利用している。

「遊んでやるだあ? 三下が調子こくんじゃあねえやい!」

 鞘から澄水を抜き打つなり、瞬時に無迅は相手の喉首を掻き切っていた。首の裏の皮一枚をつけたまま首を刎ね、ぱっくりと開いた喉から血が吹き上がる。そのまま後ろに死体は倒れていき、それを見た馬に乗っていた1人が馬を走らせて馬上から刀を振り下ろそうとした。

 だが無迅は屈むようにその刀を避けながら、馬の後ろ脚の付け根を切り飛ばす。悲鳴のようないななきを上げて馬が頽れていった。落馬した男は振り返った瞬間、耳の上から頭を真横に断ち切られていた。

「よう、あと1人だなあ? 尻尾巻いて逃げるんじゃあねえぞ、まだ足りねえ」

「な、何だこの小僧……!?」

 最後に残った1人が馬首を巡らせて逃げようとしたが、無迅は許さなかった。

 ダッと駆け出すなり刀を肩の後ろまで振りかぶって投げる。逃げようとした哀れな男の喉仏から刃は突き出し、馬から落ちて息絶えた。

「何でい、手応えのねえ……」

 刀を回収し、血を払って飛ばすなり無迅は鞘へ納めた。

 それから腰を抜かし、抱き合うようにしていた村人へ近づいていく。

 20の半ばから30ほどかという妙齢の女と、せいぜい14、5歳ほどの少女だった。返り血まみれの無迅が近づいてくると、年上の方の女が、少女を抱きしめながら懇願するような怯えた顔を向ける。

「取って食いやしねえよ。それに(オイラァ)よ、ちょっぴりしかいられねえかんな。数日もすりゃあまた出てくるかも知れねえが、お楽しみはそん時までお預けだ。だからお姉ちゃんよぅ、縁がありゃあ待っててくんなァ」

 意味深な台詞を吐き捨てた直後、リオは自分の体を取り戻した。


「…………あの、今の、は、僕に、何か、悪い幽霊が、憑いちゃってまして……怪我、ありませんか?」


 作り笑いで乗り切ろうとリオは試みたが、あまり効果はなかった。

 どころか、いきなり年上の女性が腰をつけたままに気を失ってしまい、リオは目を剥いた。


 ▽


「大変なところをお助けいただきまして、まことにありがとうございます。

 わたくしはりんと申します。どうぞ、おりんとお呼びください。

 姉は体が弱く……あのようなことがあって、心まで痛めてしまわれたようでして……」

 おりんと名乗った少女が三つ指をついてお礼を言い、リオは逆にどうすればいいのか分からず困惑したがすぐに顔を上げてくれたのでほっと胸を撫でおろした。

「どうか、あなた様のお名前をお教えいただけませんか?」

「あ、は、はい、えと……リオ、です」

「リオ様でございますね。

 本当にそのう……失礼かも知れませんが、先ほどとは別の御方のように見受けられるのですね……」

「……別人と、思ってもらえれば……」

 ちらとリオは煙管をふかしながら死体をじろじろと観察している無迅に目を向ける。

「姉はしんと申します。姉妹ともども、お助けいただけたこと、決してお忘れいたしません」

「あ、い、いえ、そんな大袈裟な……」

 また頭を下げられてしまい、リオも慌てながら何故か頭を下げてしまう。

 何をしているのだろうと自問し、その渋い表情のままそっと顔を上げて目をおりんに向けると、彼女もぱちぱちとまたばきをしながらリオを窺っていた。互いに変な姿勢で目が合い、それからどちらからともなく笑いが漏れる。

「あんまりその、感謝されるとか慣れてないもので……」

「ふふっ、いえ。不思議な方ですね、リオ様は。身なりは武士の子というようには見えませんが、物腰にはおやさしさや、お上品さがあって……」

「そんなことは……」

「謙遜をなさらないでください、リオ様。わたくしも姉も、あなたが命の恩人なのですから、ご立派な方にお助けいただけたと思いたいのですよ」

「そ、ういうもの……?」

「はい」

 誉められ慣れていない少年にとって、こんな言葉を投げかけられると照れるやら、何故か恥ずかしいやらで、困惑しながらニヤついてぽりぽりと頭をかいてしまう。


「なーにをガキんちょ相手にニマニマしてやがるんでい。

 それよかリオ坊、ちっと来い。面白えもんを見つけられたぜ」

「……ちょっと、失礼します……」

 死体を観察していた無迅に水を差されてリオはそっと立ち上がった。

 無迅が胡坐をかいて浮かんでいるところまで来てリオも死体を見下ろす。

「何?」

「こいつの左手の裏を見ろ。(オイラ)は触れねえからな」

「左手……?」

 喉を刺し貫かれて絶命した男をそっとひっくり返すようにして左手を見る。手首の下のところに刺青があった。円の中に細い切れ長の楕円。爬虫類の瞳を思わせるような紋様にはリオも見覚えがあった。

「これ、蛇の目……とかいう」

「あーあ、そうさあ。刀剣やら、呪物やらを集めてるとかいう連中だ。

 そんな野郎どもがよ、小せえとは言え、村1つ焼き尽くしてるんだ、何かあると思わねえか?」

「……何か?」

「例えばどう見たって農夫の嫁や子どもにゃ思えねえべっぴんさんとかよ」

 言われてみて初めて、リオはおりんの言葉遣いや態度が、確かに農民のものとは思えないほど丁寧だと気がついた。

格好(かっこ)も何となくボロついちゃあいるが、ありゃあここ最近でついた汚れや傷みってえもんだぜ。どこぞのやんごとなきお姫様ってえ線が濃いだろうよ」

「お姫様っ……?」

「あるいは豪族、もしくは大店(おおだな)の娘とかな。

 だからよう、リオ。お(めえ)、手放すんじゃあねえぞ、あの女どもを。

 まだまだ巻き込まれてる最中ってえもんだ。最後まできっちり面倒見てやりゃあよ、あの娘どもからお礼がザクザクもらえるってなもんだ」

「お礼目当てに助けろっていうの? それって何か……」

「なーにをぬかしやがる、クソガキ。所詮、こちとら根無し草よ。どうせしのぎのねえ身だぜ。剣客ってえのは人の好さにつけこんでおまんま食らうもんなんだよ」

 何だかたかっているようで気が引けるような無迅の勧めにリオは渋面したが、蛇の目の紋様を見ると何か危険なことに巻き込まれているのだというのが見せつけられたようで、おりんとその姉のことが心配にもなった。

「……だけどまた何かあっても、僕なんかが守ってあげるとかできそうにないよ……」

「阿呆め。てめえの腰の刀は玩具じゃねえやい。そいつを使ってどうにかしやがれってんだ」

「けどさ……自分の身さえ危ういのに、女の人を2人とか……」

「…………ははーん? さては、お前、あれか?」

「え?」

「惚れたか?」

「え、えっ!?」

「なぁーんだよ、リオ坊、(オイラ)ァてっきりふにゃちんオカマ野郎かと思ってたが、そーかそーか、惚れるし腫れるか、ちっと安心したぜぇ~?」

「な、何馴れ馴れしく肩組むのっ!」

 振り払おうとしても幽体相手には何も手応えがない。無迅は意思ひとつで、リオにだけ触れたり、触れられなくすることができてしまう。

「ひっひひひ、そう照れるなってんでい。いいじゃあねえか、恋してなんぼだぜぇ? いつおっ()ぬとも分かりゃしねえんだぜ? 女ァ抱かずに死ねるのか? んん? 向こうさんからすりゃあ、てめえは命の恩人様だ、夜這いでもかけりゃあ股なんぞ開くに決まってらァな」

「よ、よば……!」

茹蛸(ゆでだこ)じゃあるめえしなーに赤くなりやがる、ハハハッ!」

 うぶなリオには無迅の下世話な言葉の1つずつが過激に聞こえて悶々とさせられる。その様子を無迅は面白がってからかい続ける。


 目に見えないはずの幽霊にからかわれてあたふたするところを眺めているおりんの視線にリオが気づいたのは、ひとしきり無迅に弄ばれた後のことだった。


 ▽


 死んだ馬の尻の肉を火で炙っただけの食事をしてから、おりんは焚火を挟んで向かいに座るリオに身の上話を始めた。

「わたくしと姉のしんは、古くから怪異を引き起こすと言われる呪物を封じるための巫女でした。

 ですが先月、封じていた呪物が何者かに盗まれてしまい、わたくしと姉は呪物を回収するための使命を帯びて故郷を出ました。盗まれた日に見かけられたという、蛇の瞳のごとく怪しい紋様を刺青した方が泥棒ではないかという手がかりしかございません……。

 後になってからその紋様が蛇の目と呼ばれているものと知りました。

 しかし分かったのは、彼らが呪物のみならず、人の脅威となるようなものばかりを蒐集(しゅうしゅう)しているということと、調べるほどに手の負えぬ大きな大きな集団であることだけでした。

 そこで彼らが来るのではないかというところへ先回りしてみようと試みたのですが、その道中でどうしてか彼らに待ち伏せをされてしまいました。からがら逃げ伸びて、この村まで来たまでは良かったのですが彼らは村に火をかけ、抵抗を試みた者のみならず、逃げる者さえ許さないというほど苛烈に追い立てたのです。

 リオ様がいらっしゃらなければ、今ごろ、わたくしも姉も、土に還るのを待つ身だったと思います」

 巫女って具体的には何をしているんだろうとか、蛇の目というのが想像よりはるかに物騒だとか、色々と感想は浮かんだものの、リオが一番気になったのは無迅が言っていた立場のある女性というのが合っているのか、合っていないのかがいまいち分からないということだった。

 果たして、巫女というのは立場がある存在であるのか。

「……リオ様、命を助けていただいた上でのご無礼とは承知しておりますが、どうか、わたくし達にご助力をお願いできませんでしょうか?」

「えっ、い、いやでもあの、僕なんて見ての通りのチビ豆みたいなものでとてもそんなご助力だとか言われても――」

「どうか、お願い申し上げます。呪物を取り返した暁には是非ともお礼をさせていただきますので」

「あ、あのっ、そんな、頭を上げてください……!」

 土下座されてしまってリオは慌てながら腰を上げる。

「では、お助けいただけますか……?」

「えっ……と、ええーっと……ハイ、分かりまし、た……」

「まことにございますねっ? ありがとうございます、リオ様。頼もしい限りです」

 何だか切り替えが早く感じられてリオは少し戸惑ったが、おりんの日が差したような笑顔を見て脱力しながら笑みをどうにか作り上げた。

「あのほんと……どうにか、できる範囲になると思いますけれど……」

「ご謙遜なさらないでください、リオ様」

 無迅に惚れた腫れたとからかわれたこともあって、さらには女の子に頼られた経験などこれまでの人生でたったの一度もなく、さらには向けられたおりんの笑顔が可愛くて、リオはまた照れたようにそっと顔を背けてしまった。


 ▽


「蛇の目はどうして、おりんさんとおしんさんを狙ったんだろう……?」

「やい、こら、リオ坊。夢ん中で考えごとたあ、いい度胸じゃねえかよ。さっさと刀構えやがれってんだ」

「嗅ぎ回ったのが、気になったからとか? どう思う?」

「だぁーから、とっとと殺しに来いってんだ、クソガキィッ!!」

 悪霊に首を跳ね飛ばされ、血を噴出しながらリオはどうと倒れ込んだ。

 そこで一度リオの意識は途絶えたが、気づけばまた首が繋がったままで遠くに葦が生い茂る何もない平野へ立っていた。

 リオは眠って夢を見ると必ず、無迅がその夢に現れてくるという睡眠障害(あくりょうののろい)を患っている。普段ならばこの夢の中で無迅と立ち合い、一晩の間に何百と殺され続けると言う悪夢を見るのだが、夢でもしっかり意識があることを逆手に取るようにリオは考えごとをしていた。

「ていうか、蛇の目ってほんと、何なんだろう……?」

「こんガキゃ、いい度胸じゃあねえか。この無迅様が稽古つけてやってるってえのによォ……」

 この悪夢にすっかり慣れてしまっているリオは夢の中でいくら殺し続けられても、それが日常と成り果ててしまって何も感じなくなってしまっていた。

「そんなにあの娘っ子が気になるか、そんなに飢えてるか、こら」

「そ、そういうのじゃないってば……。ただ、ほらあの、何か、お願いされちゃったし……? それに、無迅がお礼があるかもとか言ったんじゃない」

「ほぉーん? そんだけかあ? なあ、それだけかあ?」

「そ、それだけだよ……」

「だったら四の五の考える前に、てめえがてめえで俺様に頼らず何でもたたっ斬れるようになった方がよっぽど賢明じゃあねえのか? ああん?」

「……悪霊の癖に正論……」

「分かったら、とっとと刀ァ抜きやがれ。こちとら、てめえのためだけに夢へ出てきてやってんだ」

「誰も頼んでないのに……むしろ悪夢だからね、これ。普通の夢なんてもうずぅーっと見てないもん」

 ようやくリオは澄水を抜いて両手で正眼に構える。やっと抜いたのを見て無迅は抜き身の刀の峰を肩へ乗せてニヤりと笑みを浮かべた。

「そら、かかってきやがれ。ぶっ殺してやらァな」

「……てやあっ!」

 近づいて剣を振り上げようとしたリオは、その出鼻で両の手首を揃えて斬り飛ばされた。その痛みが追いつく前に喉元を貫かれ、そのまま縦にまっすぐ切り裂かれる。

「クソガキの干物、一丁上がり――」


 ▽


「っは……ハァ……ハァァ……」

「あの、やはり自分で歩きましょうか? お疲れになっているようでございますし……」

「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ休んでも、いいですか……?」

 ゆっくりと背中に負ったおしんを落とさないよう気をつけながらリオはしゃがみ、彼女が降りたのを確認するとそのまま尻餅をついて座り込む。

「だらしのねえ野郎め」

 呆れ返ったかのように吐き捨てる悪霊を無視してリオが息を整えていると、近くでおりんがしゃがんで懐から出した手拭いでリオの額の汗をそっと拭く。

「あ、ありがとうございます……」

「いいえ、お気になさらないでください」

「申し訳ございません、リオ様。わたくしの体が弱いばかりに……」

「い、いえいえ……大丈夫ですから、ちょっと休めれば……」


 巫女の姉妹と行動をともにすることとなって一夜明け、リオは朝から体の具合が悪いというおしんをおぶって歩き始めていた。自他ともに貧弱な体としか言えない痩せっぽっちのリオには成人女性を背負って歩くというのは苦行めいていた。

 最初こそ綺麗な女性を背負うことに年頃がゆえの戸惑いや照れや役得感を抱いていたが、ものの5分でそんな幻想はぶち壊されている。何か良い女性特有の香りでもするかと思えば鼻につくのは知りたくなかった体臭、大人とは言え女性であればさして重くあるまいと思っていれば自らの体の貧弱さと、ひたすら歩くだけでも足が痛くなる日々というのを忘れていた愚かしさを思い知らされた。

 何より、背負うということは背中に今まで触れたこともない女性の乳房を感じられるのではないかという期待があったものの、着物と、そう大きくもなかったことで感触というものは何もなかった。しかしそれを意識して残念がるとまるでエロいことにしか興味を持てないようなクズに思えたので色々な意味でぐっと奥歯を噛みしめることとなった。

 しかも何となくで目指してようやく見えかけていた天丘という目的地からも進路は逸れている。

 巫女の姉妹は蛇の目が狙うのではないかという呪物が安置されているという地を目指しており、それが見事に天丘から遠ざかることとなっているのであった。

 引き受けるのではなかったと思いつつ、しかし、労って汗を拭いてくれるおりんを見ると弱音を吐けなかった。ほんの少し、ささやかでも、良い格好をしたいという気持ちがあった。

 相手が女の子であるからとか、困っている人だから、という理由ではない。

 これまで誰かに頼られるという経験がなかったがゆえである。

 それでも朝から歩き始めてまだ昼にもなっていない。この調子で歩き通せるだろうかという不安は誰よりもリオが強く感じていた。無迅にだらしがないと言われても、否定しきれない本心があった。


「お姉様、お体の具合はいかがですか?」

「リオ様のお陰で楽をさせていただいているから昨日よりずっと良くなっていますよ」

 さわさわと木の葉が揺らめく音をぼんやり聞いていたリオは姉妹の会話が聞こえ、疲れて細くなった目を向ける。

 おしんは元からやや体が弱いところがあるというのがおりんの話だった。

 蛇の目から呪物を取り戻すために旅へ出てからは馴れない旅歩きや、野宿といった生活のせいでさらに体が弱くなってしまっているという。そんな折に蛇の目に追われ、逃げ込んだ村が彼らのせいで焼き払われるという心労、さらにはリオの体を使って人間を軽く蹴散らして血祭りに上げた無迅の獰猛で残酷な姿を直視して昨夜は倒れてしまったのである。

 起きているだけでも辛そうだというのはリオにも分かった。顔は青白く血の気が引いており、耳元で感じ取っていた呼吸はか細く聞こえていた。どこかで横になって安静にしていることが一番のはずだが、今にも獣が飛び出してきそうな林の中にそんな場所はない。

「あまりご無理はなさらないでくださいね。お姉様には帰りを待たれている方がいるのですから」

「何を仰います、りん。あなたも同じでしょう」

「いいえ、わたしなどお父様だけでございます。お姉様には夫婦(めおと)となることを誓われた殿方がいらっしゃるのですから……」

「何、だと……?」

「え?」

 何となく聞いて何となく驚いたリオは、思いのほか驚いて、わなわなと声を震わせた無迅を凝視する。

「……何、もしかして、おしんさんのこと……」

「てやんでい、男がいようがいまいが、まだ夫婦になってねえんなら関係あるかってんでい」

 散々、人に惚れた腫れたと言っていた人物こそが惚れていたんじゃないかと糾弾したくなったリオだったが呆れが先行して閉口してしまった。我が身を省みるとか、そんなことを無迅がするはずないんだと自分の考えが浅はかだったとまで少年は考えて噛みしめるようにこくこくと頷いた。

「リオ様、もうしばし休まれますか?」

「あ、い、いえ、もう大丈夫です。はい、どうぞ、背中」

「すみませぬ……」

「いえいえ、あの……大丈夫ですので、はい。あと、ご結婚されるんですね。おめでとうございます」

「お聞きになられていたのですか」

「あ、はい、すみません……」

「いいえ、わたくしの方こそ……。こんな年でいまさら結婚などと、恥ずかしい話でございますよね」

 背におぶさったのを確かめてリオは足に力を込めて立ち上がる。

「恥ずかしいだなんてことはないと思いますけど……」

「もうすぐでわたくしは三十路を迎えます。巫女はその年まで務めを負わねばならず、その間は純潔を保たねばならないのです」

「お相手の兵五郎殿はお姉様とは幼馴染なのですよ、リオ様。兵五郎殿も良いお年なのにお姉様が巫女のお務めを退かれるまでずっと待っていらして」

「りん、おやめなさい、恥ずかしい」

「ふふ、お姉様、照れずともよろしいのに。誰からも想い合っているのは明らかでしたのよ。縁談話があっても兵五郎殿はこれとはっきり言わずに断り続けていたことだって」

「これ、おりん、年長者をからかうものではありませんよ。もう……」

 叱られてもおりんは楽しげな笑みを浮かべてリオに目配せをする。言葉遣いこそあんまりピンとくる仲良し感ではないものの、やっぱり姉妹というのは仲が良いらしいとリオは思った。

 そして婚約者とののろけエピソードが予期せずおりんから披露された無迅はへそを曲げたように煙管をふかして背を向けていた。


「あの、僕けっこう、世間知らずで……巫女っていうのは、何をするんでしょう? 呪物? とかいうのも、正直何も知らなくて……」

「ではわたくしよりご説明申し上げますね」

「お願いします」

「いにしえのころより、この世には人の力を超えた怪異を招く様々な道具がございます。

 有名なものでは万物を見通し全ての真実を映し出す鏡や、地上を焼く大火を一振るいで鎮めたと言われる扇といったものですね」

 ですね、と言われてもピンとくるものがなくリオは黙って頷いておく。

「わたくしとお姉様は、かつて暴虐の限りを尽くした鬼の持っていたという大太刀シャガを祀る社の巫女です。シャガを用いて暴れていた鬼は元は人であったとも言われています。七尺三寸にもなる大きな太刀で、とても人が使えるものではないのですが、力自慢がある時に己が腕力を誇示せんとシャガを握り抜き放った途端、その身がこの世ならざる影に包まれて怖ろしい形相となって手当たり次第に何もかもを壊して暴れたとも言われています。

 シャガにはかつての持ち主の鬼の怨念が染みついていて、その力に自我を奪われて破壊の限りを尽くしてしまうのです。わたくし達は巫女としてシャガが持ち出されぬように見張るとともに、シャガの力に取り込まれてしまった者を止めるための法力をもって鎮めることこそが使命なのです」

「……つまり、妖刀みたいな……?」

(ちまた)ではそのように語られることもあるかも知れません。……今のは公に知られている話ですが、シャガは本当はそれだけではないのです」

「それだけじゃない……?」

「シャガに込められた鬼の怨念は時を経て尚、力を失うどころか強まっているのです。悪しき欲に溺れた人間を呼び寄せ、あるいは近づく者の正気を失わせようとするのです。ですので、わたくしとお姉様はシャガの力を社の外へ及ぼさぬよう結界を張っていました。……シャガという大太刀こそが、かつての鬼の正体なのでしょう」

「なるほど。……つまり僕のこの澄水と一緒」

「誰が鬼でい」

 すかさず無迅に言われたが無視してリオは腰の刀の柄にそっと触れる。

「そう言えばリオ様も、悪い幽霊が憑いておられると仰られていましたよね……?」

「僕のはシャガとかいう怖いやつではないんですけど……毎晩、夢に出て何百回と殺されたり、たまに僕の体を勝手に使って殺戮を楽しんだり……誰彼構わず喧嘩売ったり……」

「おい、リオ坊」

「まあ、恐ろしい幽鬼なのですね……」

「本当もう気の休まる時がなくって……。今も何か僕のこと呼んでるんですけどいちいち構っていられないし」

「やいこら、聞けってんだよ」

「お力になれればいいのですが、巫女とは言え、シャガの発する妖気を封じるのが精一杯の非力な身ですので、どれほどご協力できるか……」

「せめてこう、姿を見なくなるとか、声を聞かなくなるとか、夢から出ていってもらうとかできたら無害になると思うんですけど……」

「もう知らねえぞ、(オイラァ)言うこと言ったのに聞かねえんだからな」

 へそを曲げたような言葉でリオはちらと無迅を振り返る。

 やはり背を向け、ふわふわと浮きながら胡坐をかいている。

 悪霊の考えることなど分かるはずもないとリオは無言で首を傾げつつ歩を進める。――と、頭上で葉が何か奇妙にかすれるようなしゅっと音が鳴った。続けて近くの木に矢が突き刺さってびぃぃんと音を立てながら振動する。

「えっ……」

「そら走れ、走れ。もう囲まれてんぞ、(オイラ)知らねーけど」

「に、逃げて! 囲まれてるって!」

 リオが叫んで走り出し、おりんもそれに続く。

「何でもっと早く教えてくれないの!」

「だぁーから、言うこと言ったっつったろうが!」

「痛ったい! 叩かないで!」

 拳骨を落とされてリオは叫ぶ。その横をまた矢が通り抜ける。走っていくと緩い下り斜面になって足が滑りかけてリオはブレーキをかけるが、そこに一緒に走ってきたおりんがぶつかる。

「わ、わっ、わっ!?」

「あ、や、リオ様っ!」

「えっ!?」

 つんのめって踏み止まろうとしたリオだったが、そのまま前へ倒れて顎と胸を強打する。下草を足が払いながら駆ける足音が周囲から聞こえてリオはおしんを下ろして腰の刀へ手をかけた。

 やるしかない、という決意はない。

 が、やらないといけないかも知れない、という危機感は働いていた。

 怖いのは弓矢だった。あんなもので射かけられたら近づいて刀を当てることもできない。途中で無様な人型のトゲ栗にでもなるんじゃないかという恐怖と迷いがリオの足を縫いつける。

「おら、てめえ、的になりてえのか! どこでもいいからとっとと走って切り込め! 飛び道具相手に的になるなんざ愚の骨頂でい!」

 無迅に尻を蹴られた弾みでリオは一歩踏み出し、そのまま刀を抜いてとりあえず駆け出した。

「いーか、地形としちゃ上が必ず有利だ、上から下は楽だが、下から上を攻めんのはキツいぞ!」

「じゃあ下の敵狙うっ?」

「抜かせ、だからこそ上を()れ! まっすぐ向かえばいい的だが、木々に隠れながら右左、左右でも適当に翻弄して突き進め!」

 言われた通りにリオは木から木へと盾にするようにして移動する。容赦なく矢は射かけられるがぞんがいに当たらなかった。いよいよ上の方にいた射手が見えたが、その横にいた男が駆け下りて剣を抜いて迫ってくる。

「うおわっ!?」

 振り下ろされた剣を慌ててリオは澄水で受ける。

 思い切り腕力で押されてたたらを踏んだところへ肩から体当たりされた。腕を振り抜くように相手の刀が上がってくるのを察知してリオはその手首を上から押さえ込み、もう片手で澄水を振り上げる。が、今度は相手に澄水を握った手を押さえられた。振り払おうとしてか相手が動き出し、リオもそれに追随して両者は向かい合ったまま移動するが不意にリオは背中に木がぶつかったのを感じる。さらには刀を握った右手を思い切り木の幹へ叩きつけられてとりこぼした。

「せええい!」

 力ずくで相手が刀を抜き打つようにしながら身を引く。とっさに押さえていた手で逆に相手の手首を跳ね上げ、腰から先をよじるようにしながらリオはかろうじて回避したがそのまま姿勢を崩して斜面を転がるように倒れ込む。

 取りこぼした澄水を掴んだが、リオの脳内では身をよじって倒れたまま振り返ってもばっさり切られる光景を難なく想像できた。むしろ、今、この瞬間に背を踏みにじられて喉に刃が突き刺されていないのがおかしいという状況だった。反撃や、防御のためには必ず一動作以上が必要で、その間にやられてしまう。

 そんな毎晩の悪夢の経験則が、リオには回避に徹しろと告げた。

 真横へ無様に、ごろりと寝返りを打つように転がると下草や低木の枝で全身が引っかかれる痛みを感じる。それでも鋭い痛みはなかった。転がりながらも、まさに自分がいた場所へ刀を振り下ろす男の姿が見えていた。判断は正しかった。

 懐に隠し持っていた小刀を抜きながら、リオは思い切り相手の足にそれを突き刺す。

「ぐあっ、ううっ……!」

 地面と足を小刀で貫き縫いつけられ抜こうとしゃがんで降りてきた首をリオは澄水で掻き切った。ぱくりと割れた傷から血が噴いてそのまま倒れ込んできたのを押し返して転がしながらリオが立ち上がると襟をいきなり後ろに引っ張られてまた尻餅をついて転んだが顔のあったところへ矢が突き刺さっていた。振り返れば無迅が引っ張ったようで、彼の視線を追ってリオはおりんとおしんが蛇の目と思しき男達に捕らえられてしまっているのを見る。

 しかも抱え上げられて逃げていこうとするところだった。

 追いかけようとしたがさらに矢が飛んできて慌てて木の陰へ避難する。

 しばらく隠れている木に矢が当たる音が続いたが途切れてそっとリオは顔を出そうとしたが無迅に押さえられる。


「まだ1人残ってやがらァ。顔を覗かしたらすぐまた射かけてくんぞ」

「そんなのどうすればいいの? 出たら的にされちゃうんでしょ?」

「落ちてる矢ァまずは見とけ」

 意味は分からないなりにリオは地面へ刺さっていた矢を見つけて木の陰から出ないよう腕を伸ばして引っこ抜く。

「……見たけど」

「見たところ(やじり)に何か仕込んだ形跡はねえな。毒は塗られてねえと見ていいだろう」

「で……?」

「にぶちんだな、相変わらず。(やっこ)さんとの距離は弓で考えるとかなり近えし、急所を狙うなんざ朝飯前だ。が、だからこそ必ず一射はぶち込もうとしてくる。そいつをどうにかして、速攻で近づいて切れ」

 無茶なことを言われているということだけは理解してリオは澄水の柄を握り直す。

「毒はどうせねえんだ、急所じゃなけりゃあ当たったっていいんだぜ。楽だろうよ」

「絶対に楽じゃない……。弓なんて撃たれたら反応できないで終わりだよ……」

「そんなら死ぬまでそこに隠れて干からびるこったな」

 煙管から煙を吐いて無迅が言い、リオはしゃがんで考え込む。

 死ぬまでとはいかずともこのまま隠れていれば残っている射手は帰ってくれるのではないかとは思う。が、隠れてやり過ごそうとしている間に回り込まれて知らぬ間に昇天させられやしないかという危惧はある。

 仮に無迅が言うように一矢受ける覚悟で飛び出したとて、もしかしたら振り上げた腕へ矢が当たってすこーんと肘から先が吹っ飛ばされてしまうんじゃないかという恐怖もある。かすり傷程度で済むならば良いが、とてもそれで済むとは思えない。

 しかし悩んでいる時間が惜しいという気持ちがあった。おりんとおしんが攫われてしまっている。きっとここで逃げても、どこかでばったり再会することなんてないだろう。探したけど見つからなかったなんて言い訳もすぐ思いつく。追いかけて行っても多かれ少なかれ傷ついて痛い目に遭うのが目に見えているし、単なる行きずりの間柄でしかないのに義理立てをする道理はない。

 それでもおりんが向けてくれた笑みや、恥じらいながらも幸せそうにおしんが語った婚約の話などが、逃げても良い理由を思い浮かべる中へ混ざってきてしまうのだ。

「……どうすればいいか、詳しく教えてくれない?」

「……手え焼かせやがって」

 無迅に伝授された方法はやっぱり、これなら安全だなどと思えないものだったが、それに賭けるしかないとリオは自分をどうにか納得させた。

 澄水を握ったまま深呼吸して息を整え、近くの木までの距離を確かめる。大股で5歩分ほどの距離。狙い撃つには恐らく余裕だろう。まずはそこまでの距離を一息にリオは駆け出した。わき目も振らずにまっすぐ走ると矢が飛来するのが分かった。弓の弦が音を立てたのを聞いて分かったのだ。滑り込むように木の陰へ走り込んでそこで小石を拾いながら立ち上がる。

 こんな策で本当にうまくいくのかという疑問が封じようとしても沸いてきてしまう。それを押し込めるように奥歯を噛みしめ、リオは木の陰をまた走り出るなり拾った小石を下手投げで放る。射かけられる前に飛び道具で対抗して崩したところを攻めろというのが無迅の策だった。

 しかし長く木の陰へ隠れていた時はすぐにでも撃てる姿勢が整えられてしまっていた。だからまず一射を射させてから、相手が番えるより早くまた飛び出して小石で崩す。そして仕掛ける。

 効果のほどは微妙に見えた。

 確かに相手が矢を番えるより早く小石を投げつけられたが当たらなかった。残っていた石ころをまとめて投げつけてからすぐリオは射手へ迫る。まとめて投げた石はさすがに多少の効果をもたらしたが、せいぜいが一瞬、顔を守ろうと反射的に俯かせる程度だった。

 だがそれで事は足りた。

 緩い斜面から飛び降りるようにリオは跳んで澄水を振り下ろす。

 盾のように構えられた弓を叩き折り、返した刃で胴を斬り払う。逆手で澄水を握り直し、柄尻に手を添えながら鎖骨から真下へ思い切り刀を突き刺す。膝をついて苦し気に呻く声を聞きながら澄水をぐいとねじってから引き抜く。

「ふう、はあ……」

 もう蛇の目の者と思しき人間はいなかった。

「どっちに逃げたか、分かる?」

「見てねえ」

「……どうしよう、見失っちゃった……」

 殺したばかりの相手の着物で澄水の刃にべったりついた血を拭いてから鞘に戻し、リオはとりあえず遺体を漁る。蛇の目の紋が左手首の裏に刺青されているのを確かめ、使われることのなかった刀も回収して腰へ差しておく。

「逃げていったのは5人程度のもんだったな。探しゃあ足跡や通った跡なんざァ見つかるだろうよ」

「……探せばって、どうやって……」

「這いつくばって目ん玉皿にしてよく見やがれってんだよ。草履の痕に、折れやがった下草の小枝」

「……うーん、よく分からない……」

 言われたように這いつくばって地面を観察してみるものの、それらしいものが見つからない。

「これ、何?」

 と、見つけたのは黒い土の玉みたいなもの。つまんで眺めたリオに無迅は額を押さえる。

「そりゃ野兎か何かの糞玉だろうよ」

「うわっ!」

 慌てて投げ捨ててからリオは尻餅をついた。


 ▽


 姉のおしんが境内を箒で掃除しているところに兵五郎はよくやって来ていた。

 長い石段を上がってきた彼は姿を見せる度に軽く息を切らしており、それをおしんはご苦労様と柔らかい言葉で労う。雨粒に打たれれば痛い篠突く雨の日は社の大きく迫り出した屋根の下で、紅葉の美しい季節には色づいた落ち葉が舞うのを石段に二人並んで腰かけて眺めながら、おしんが体を悪くして病床を出られなければ兵五郎は体が良くなるようにと木こり仕事の傍らに鹿を探して狩ってはその肉を持ってきた。

 いつも2人は仲睦まじくしていた。

 巫女の役が終わろうかというころが見えてきて、兵五郎はある日、祝言をあげたいと言い出した。

 誰もがそれを祝い、妹としておりんもまた嬉しかった。

 だが、その矢先にシャガが盗まれてしまった。巫女としてシャガを回収しなければならないという任を負った時におりんはおしんも随行することに反対した。体が弱いのに旅歩きをしなければならないなど、おしんに耐えられるとは思えなかった。万一にでも折角、祝言が決まったのに嫁にいけぬ身になればと想像すると臓腑が震えた。

 案の定、すぐにおしんは歩くのも辛そうなほどに弱った。

 そして蛇の目に狙われた。

 やはり、1人で来るべきだったとおりんは悔やむ。

 母は物心ついた時には亡くなり、年の離れたおしんが親代わりだった。巫女としての様々なことを教わり母のように慕っていた。巫女としてはあまり優秀ではないが、体が丈夫なことくらいが取柄の妹としてこの旅で力になりたかった。

 もう一度、必ず、愛する人のところへ姉を帰してあげたいとおりんは願う。


「――さあ、シャガの力を完全なものにしろ」

 抜き放たれた長大な太刀シャガの刃を目の前へ見せつけられ、巫女の姉妹が命じられる。

 彼らが拠点としている廃寺の堂内におりんとおしんは連れて来られていた。2人は後ろ手に縄で縛られて膝をつくように床へ押しつけられる。

 蛇の目の頭目かは分からぬが、そこには頬から首へかけて大きな古い傷を刻んだ男がいた。着物の下にまでその古傷は及んでおり、傷が塞がって尚痛々しい裂傷であったと言外に告げるものである。

 長身の逞しい体つきで、鼻筋はしっかりとしているがその男の瞳には狂気めいたものが渦巻いている。

「わたくし達はシャガを封じる使命を帯びた巫女、叶わぬ相談です」

 横でおしんが気丈に言い返す。しかしまだその顔は青白く、今朝よりも悪くなっているようにおりんには見えた。

「相談ではない。命令だ」

「尚更、聞ける話ではございません」

「で、あれば――貴様らの内、片一方がここで命を落とすこととなる。さて、どちらの方が術に優れる?」

 男が妖刀の切っ先をおりんに向けて問う。

「やはり年少の妹か?」

「お姉様、わたくしは平気です。決して喋らないでくださいませ」

「良い度胸だが、姉の方は随分と顔色が悪いようだ。生かしておいてぽっくりと死なれてもつまらん」

 今度はおしんに刃を向けて男が言う。

「どうぞ、お好きになさってください。わたくしも妹も、シャガを封じることを務めとして生きて参りました。決してあなたの悪事に手を貸すことはございません」

「……頑なだな。良かろう」

 男は妖刀を下ろす。これほど聞き分けの良いはずがないとおりんは警戒しながらじっと男の動きを見る。

「貴様らのいた、あのちっぽけな里であれば焼き払うのに半日もかからんか」

「何を仰るのです、やめてください!」

「ならば、シャガの力を解放すると?」

「何をしてもそのようなことに手はお貸しできません、意味のないことをしでかすのはおやめなさい!」

「意味ならばある。里を焼いて意味がないならば、今度は別の村を焼き払おう。それでも手を貸さぬならば別の人々を。……そうすれば多少はこたえるであろう? 務めとは言え、それはシャガより人々を守るため。守る相手がいないのでは務めも不要のはずだ」

 淡々と吐き捨てた男におしんは言葉を失う。

「ああ、そうだ。どうせならば、里の者をここへ招いてやろう。目の前で首を刎ねれば考えも変わるかも知れん」

「やめて、そんなこと!」

「ならば手を貸すか?」

「っ……!」

「強情なことは心得ている。その愚かな誇りを称えよう、勇ましき巫女ども。……閉じ込めておけ」


 ▽


「――おう、それっぽいとこへ出たじゃあねえか。ご丁寧に見張りまで立ってやがらァ」

「帰り道さっぱり分からないけどね……」

 夜中までずっと歩き回って見つけた廃寺。

 その周囲へ提灯を持った男が見張りをするように立っている。廃寺の本堂のところどころ穴の開いた壁の中からも僅かな光が漏れていた。

「さあーて、こっからが本番だぜ? 何十人いるか楽しみじゃあねえか」

「いや、少ない方がいいから……」

「ああん? てめえもひよっこなりに人斬りになっちまおうって決めたんじゃあねえのかあ?」

「うるさいから……」

 頭へ肘を乗せられ、ぐりぐりと動かされてリオは払いのける。

 人斬りというものの快楽をリオは確かに知っている。だが無迅が体を使って人を斬り殺した時の快感には到底及ばなかった。

 無迅の振るう刃は瞬時に人の命を奪う。

 一方的に蹂躙し、嵐のように大人数を斬り殺して血の雨をもたらす。

 腕だろうが首だろうが、切断した時最後に手に残る僅かなぷつんという抵抗感。心の臓を刺し貫いて引き抜いた時、血とともに魂までもが流れ出ていくような、驚愕の中に力ない絶望が含まれた表情。あるいは腕や足を容赦なく切り飛ばされた時の痛みと衝撃に大の大人が泣きわめき転がり回る悲鳴。

 それらがたまらなく心地が良いのだ。

 その一瞬ごとに昂り、絶頂する。

 しかしリオが自分で刀を握ってみても、どうにか状況を切り抜けたというほどの感想しか抱けなかった。面白いなどと思う余裕も、快楽を感じ取る猶予もない。

 結局、無迅に体を貸して切ってもらうのがもしかすれば一番良いのかもなどと考えるが、そんなことを続けていつかひょっこり戻れなくなってしまうんじゃないかという怖い想像も働く。

 しかし唯一、自分で切り合いをして昂ったことはある。

 鬼熊なる、蛇の目の男との果し合いでは終始、圧倒されていたようなものではあったが振り返ると確かに高揚感があった。人を切ること。人を殺すこと。それを全身で噛みしめ、しかして突如として怖くもなった。

 そのまま切れば自分はもう戻れぬ人斬りの道へ踏み込んでしまうという怖さが一度は押し留めてきた。

 だが、それとともに理解もしてしまった。

 自分が殺されそうだから殺し返すのではなく、自分が切りたいから殺す。そんな妖しい魅力が刀には秘められている。それを愉しむのが人斬りの業であり、理由が事情があって仕方がないから剣を振るうなどというのは何も面白くはないのだと。

 自分の意思で鬼熊を切って捨てた時にリオはもう無迅の悪性に同調してしまっていた。

「おい、クソガキ」

「クソガキ呼ばわりしないでよ……」

 静かに物思いに耽っていたところを呼ばれてリオは小さな声で抗議する。

「本堂の脇の方にも見張りがいやがるな」

「脇?」

 身を乗り出すようにして茂みからリオは覗き込む。廃寺は山の中にあるためか、正面以外の三方が土の壁に囲まれている。壁は石を積んで崩れないよう補強されているようではあったが、本堂に向かって左手側の一箇所だけ洞穴のようにぽっこりと口を開けているところがあり、その前に1人だけ無迅が言う見張りが立っていた。

「穴倉ってえのはお宝があるに違いがねえやな。先に覗いちまおうぜ」

「えっ」

 普通、お宝の類は強いボスを倒した後に取れるようになるのがお約束ではないかとも考えたが、そんな常識はせいぜいがRPGだけでしか通用しないものだったかと思い直す。

「……でも、おりんさんとおしんさんが」

「阿呆か、てめえ。蛇の目がさらったんだぜ? シャガ絡みでさらったのは目に見えてんだろうが。よく分かりゃしねえが巫女が必要だったってえこった。腕力はなかろうが巫女とやらの力は備えてる女どもなんだから、そうそう簡単に言われたことをやるはずがねえ」

「……それが?」

「はぁぁぁー、ほんっとに脳みその足りてねえ野郎だな、お前は」

「悪霊に言われたくないんだけど」

「言うこと聞かせるのに手っ取り早いのは何だ? 脅すことだろうがよ、それまでどうする? 閉じ込めるだろう? ああん?」

「確かに……」

(オイラ)よか頭悪いなんざお前よっぽどだぜ?」

 けらけらと無迅が笑うもののリオは面白くない。

 たちの悪い悪霊な癖をして、経験則によるものか、なるほどと思わされる発言を度々してはバカにしてくるのだ。

 だが、バカにされたって仕方がないじゃないかとリオは思う。

 何をどう生きてきたら、さらわれた人間が捕らえられている場所を予想するとか、脅されている状況に違いないなんていう推理ができるのかと逆に問いたい感覚でもある。物騒なことにはできるだけ関わらないようにして生きてきたのだから分からなくて当然であると開き直りたくもあった。


 そんな不満はどうあれ、2人を助け出すのが先だというのはリオも同意するとこではあった。

 だが見張りが立っている。1人で入口を監視をしているが、助けを呼ばれたら多勢に無勢で無迅が出てこられない状況では自分が危険である。

「声も上げさせずにぶっ殺せば早い話だぜ。とっととぶち殺せ」

 身元で無迅が煽ってくるのを耳障りに思いつつ、リオは慎重に物音を立てないよう回り込んでいる。本堂周りの石壁の上からは2メートル弱ほどの高さがある。ここを飛び降りざまに上手いこと一撃で倒せれば良いのだが、見下ろしてみればそれなりに高い。

 背後に降り立って剣を振るうにしても、それまでに気づかれる可能性は高い。声を出されてはバレてしまって意味がない。飛び降りながら剣を振り下ろしてみるかとも考えるが、それなりの高さがあって、当てるだけならまだしも一振りで仕留めるのは難しそうだ。仮に音を立てずにそっと石壁から降りたとして、刀を抜いて、ふりかぶり、首を狙って振り落とすという動作は工程が多すぎて現実的と思えなかった。

どうすればいいんだろうと考えていたら、不意にまた無迅が舌打ちを漏らしながらリオの頭を叩いた。

「この阿呆め、何を考え込んでやがらァ」

「だって……どうすればいいか」

「はっあああ~……これだからクソガキは……。ほれ、この蔦でも使え。首にかけてやって短く持って、背中からぶら下がれ」

「……なる、ほど」

 本当にこの悪霊は、悪霊らしく人殺しというものに詳しいのだと考えさせられる。

 近くの木に絡みついていた蔓を切って外し、それを握りしめてリオはそっと石壁を降りる。息を整えることもできない緊張感を抱きながら、一息にリオは見張りに立っている男の首へ蔓をかけて思い切り体重をかけた。

「ッカ、フ……ぐ、ゥゥ……!」

「跳べ、跳べ! 膝曲げて尻で落ちろ!」

 蔓と首の間に指をかけようともがく見張りはなかなか倒れようとしない。それを見て無迅がリオの両足を払うように蹴った。足の支えを失って体重が一気に首へかかって見張りごと尻餅をつく。

 相手と密着するように短く蔓を握りしめながらリオは身をよじって締め上げる。もがくように動いていた見張りは少しして動かなくなった。

「ふぅっ……ふっ……ふっ……き、気づかれて、ない……?」

「あーあ、多分な」

 握りしめていた蔓を手放し、そっとリオは倒れた見張りの首筋に指の腹を当てる。

「……死んでる……?」

「念のためだ。首も切っとけ」

「そんな――」

「いいんだぜぇ、(オイラァ)はよォ。背後からてめえがしたように殺されたってな」

 そんな脅し文句を聞くと、死んでいることに確証を持てなかったリオは死体をさらに切るということをせざるをえなかった。


 横穴の中に見張りも明かりもなかった。壁に手をつきながらそっと歩いていくと、曲がり角にさしかかる。そこを曲がると、また曲がり角があった。そこに僅かな光が当たって見えたのだ。

 ここにも見張りはいるかも知れないと思いながら慎重にリオは進んだが、それは杞憂に済んだ。二度目の角を曲がるとすぐに格子をはめただけの牢屋めいた場所に出たのだ。蝋燭一本だけが蝋の外に置かれていて、格子の中で巫女の姉妹が眠っている。

「鍵……鍵、ないのかな……?」

「切れば済むだろうが」

 木製ではあっても囚人を捉えるための檻は太い角材でがっちりと組まれている。切れるのだろうかと不安になりながら、リオは澄水を抜き構えた。

「っ……無理」

 力いっぱいに澄水を振り下ろしてみたリオは、その手応えが硬すぎて瞬時に言い切る。

「はぁあああ~……」

 そして横で無迅は額を押さえて呆れ返った。

 工具か何かのように刀を叩きつけ、押し切ってみたり、引き切ってみたり、あるいは削ったりして、ようやくリオは格子の一箇所を外すことができた。

 そこを這ってどうにか中へ入り、巫女の姉妹の肩をそっと揺する。

「あの、すみません、おはようございます……。起きてもらえますか……?」

 刀としてはめちゃくちゃな扱いをされたにも関わらず、澄水は刃毀れすることもなく清浄な光を反射していた。


 ▽


「もう、ぼちぼち空が白けてくるぜ。闇討ちするなら今が好機だ。眠りが深い」

「……怪我はないですか?」

「はい。ありがとうございます、リオ様。お姉様、お体の具合はどうですか?」

「ええ……立って歩くくらいならば」

「もうすぐ明るくなってきちゃうので、早く逃げましょう」

「逃げんのかよ、つっまらねーの!」

 ペッと唾を無迅に吐きつけられてリオはがんばって無視しながらおしんに手を貸す。外に出ると確かにまだ暗かった。

「ここを上って茂みに隠れて行った方がいい、のかな……?」

「リオ様、ちょっと壁に手をついてしゃがんでいただけますか?」

「え? こう? でも何――ふげっ」

 中腰になって手を壁についた瞬間、おりんに飛び乗られてリオは思わず崩れかかったがどうにか耐える。すぐに彼女は壁の上に飛び移ってしまう。

「リオ様、もう少ししゃがんでいただいて……。で、お姉様、リオ様を台にこちらへ。上から引っ張りますから」

「しかし……」

「だ、大丈夫ですので、どうぞ……」

 されるがまま台に甘んじてどうにか巫女の姉妹を上げてから、リオは自分が上がる方法について考えざるをえなかった。引っ張り上げてもらおうにも、そもそもの手が届かないし、女の子のおりんに手を借りても逆に一緒に落っこちてしまうのではないかと思ってしまう。


「よう、リオ坊。どうやら気づかれたみたいだぜ? 背中向けて逃げりゃあよ、まぁーた矢ァ射かけられるだけだ。親玉ぶっ殺す方がよっぽど手間がかからねえと思うぜ?」

 無迅に囁かれてリオが振り返ると蛇の目と思しき武器を持った一党が走って来ていた。

「2人は逃げてください。僕が食い止め……られるだけ、やってみるので」

「お前それ、逆に逃げる側が逃げにくいんじゃあねえの?」

 そう指摘されると、確かにそうかも知れないと思い至ったがリオは返事を聞かないことにして澄水を抜いた。

「何だァ? こんな程度しかいやがらねえのか? 100人くれえは出てもらわにゃあ斬りごたえがねえだろうに。なあ?」

「少なければ少ない方がいいに決まってるよ」

「多い方がいいだろうがよ――」

 槍を握った男が駆けこんできてリオが澄水を握りしめようとしたら、その考えに反して手の力が刀を取りこぼさない程度にまで抜けてしまった。

「俺様が退屈すらァ」

 無迅に体を強奪されたと気づいたのは、自分の口から意図せぬ言葉が発せられた時だった。

 繰り出された槍を澄水で下から擦り上げるなり、懐に入ってその脇をすり抜けるように歩いていく。それとともに槍を持った男は胴を斬られて倒れ込んでいく。

「はあああっ!」

 裂帛の掛け声とともに刀を振り落とした男は刀を握りしめる逞しい両腕を切り飛ばされて無造作に首へ刀を突きさされて絶命する。

 腰だめに刀を構え駆けこんできた男は、無迅(リオ)を目前にしてその姿を見失った。足と腰を使って体の軸を変え、ただ横向きに立っただけだった。それだけであるのに、突進していた男は姿を見失ったのだ。そして刃が首筋に当てられて、ぷつりと皮膚の上から静脈をピンポイントで切られて血を噴きながら倒れる。

「何でい、何でい、雑魚しかいやがらねえのかァ? 親玉はどこだ、さっさと出てきやがれってんだ。手応えなくってつまらねえじゃねえか」

 素足のままにぺたりぺたりと、無迅は本堂を目指して歩いていく。

 蛇の目の衆は歩みを一定に保ちながら次々と仲間を斬り殺されて恐怖していた。刀の間合いに入ってしまえば何をしたところで逆に切られるという悪寒で体を縛られて戦意さえ失ってしまっている。

「雁首揃えてビビり散らかしやがってよ。どうせてめえらもヤクザ(もん)だろうがよ。悪いこたァ言わねえから、俺様に斬られて死んじまいな」

 及び腰になっていた蛇の目に、無迅は今度は自分から襲いかかった。

 大きな歩幅で走り寄っていき、澄水を防ごうと持ち上げられた刀を、瞬時に躱し切る。相手の刀をすり抜けたかのような一振りだった。先に刀を動かし、相手に反応させたところで、相手の刀の反対側に剣を持ってきて振り切るのだ。刀の切り返しがあまりに速く、目に留まらせないので切られた側は自分の刀がすり抜けたかのような感覚を持ってしまう。しかし、死によってそれを理解する暇は与えられない。

 無迅からすれば技と呼ぶほどのものでもない、単なる動作に過ぎなかった。

 だがそれだけでたちまち、5人が切り伏せられる。

 返り血を着物の柄であるかのように着こなして無迅は本堂に上がる。


「よう。てめえが親玉か? 俺様がぶっ殺してやらァ、有難く思え」

 本堂の中央には大太刀シャガが鎮座されている。

 その前にいた男はリオの口と体から発せられた無迅の言葉に振り返る。

「……巫女とともにいた小僧というのはお前か」

「いんや? 違うぜ? そいつは今、押し込めてる。

 (オイラ)は無迅だ。抜けよ、その大太刀。それはとんでもない代物だって聞いてんぜ?」

「身の程知らずめ。……だが、いいだろう。いまだ、完全ではないが、シャガの力を試したいところだった。それに貴様の命で、強情な巫女どもが封印を解くやも知れぬ」

 男はシャガの柄を掴み、持ち上げると鞘からその刃を抜いていく。

「大層な太刀だな。……が、見てくればっか立派でもよォ、持ち主がクソじゃあ意味ねえんだぜ? 分かってんだろうなァ!」

 床板を踏み走り、無迅が男に迫る。ゆっくりと肩の後ろへ振りかぶるように男はシャガを持ち上げた。

「シャガの力を見よ」

 振り落とされた大太刀から発せられたものが、無迅に襲いかかる。

 常人であれば無条件に恐怖し、足を竦ませ発狂させかねないほどのおぞましい気配だった。だが無迅には驚くべきものでも、慄くものでもなかった。超えてきた死線の数だけ彼はその程度の体験はしていた。

 澄水とシャガの刃がかち合い、次の瞬間に無迅が受け止めた太刀を受け流した。シャガは床にその切っ先を落とし、無感情に、無慈悲に、無迅が舌打ちをする。

「その程度かってんでい。雑魚がイキりやがって」

 首の半ばにまで澄水は食い込み、そのまま切り裂かれた。

 声も出せぬまま男は倒れて事切れてしまった。

「……はあーあ、期待してたのにつまんねえ。が、とりあえずは終いだな。ようリオ坊、3日はあの姉妹を放すんじゃあねえ。そしたら姉ちゃんの方は俺様が……ひっひひひ」

 やましい企みがあるということだけを理解した瞬間、体が戻ってきてリオは軽く驚いた。

 しかしふと、無迅に体を貸していた時に感じていた昂りが今度はなかったと気がつく。それからまた、先日に巫女の姉妹と出会った時にもなかったかも知れないと思い出した。

 最初は激烈な快楽を伴っていた。

 だというのに今はそれがない。その違いは何だろうと思いながら、床に落ちているシャガを見る。

 確かに長い、大きな太刀だ。無迅が対峙している時に、瞬間的にシャガが撒き散らした怖ろしい気配をリオも感じ取った。無迅だったからこそ何ともなかったのかも知れないが、自分だったら恐怖に呑まれていただろうと思わざるをえないものだった。

「……ねえこれ、触って平気かな? 呪われたり……」

「はあああ? 呪いなんぞがあるわけねえだろうが。だったら(オイラァ)とうにくたばってんぜ」

「いや……すでに死んでるでしょ」

「あん? ああ、そうか。だが呪いなんぞで死んだわけじゃあねえやい。だからない」

 暴論にもほどがあるし、今の状況は無迅か澄水かに呪われているせいではないかとも思った。

 だが主張したところで無迅を相手にしては無意味と悟っている。すでに澄水か無迅かに呪われているのだから、さらに呪われるなんてことはないだろうと思ってシャガを恐る恐る持ち上げようとする。

「重っ……」

「そんだけ長けりゃ重いのは当然だろうが」

「それにしたってこれ……」

 片手ではとても持てず、両手で持ち上げてみても先っちょがふるふると震えてしまう。鞘に納めようにも両手でないと支えられないので文字通りに手が足りない。

『面白いものを持っているな』

「あれ? ……何か変な声出した?」

「あん? 何も喋っちゃねーぞ?」

「でも……」

『頭がなくとも器にはなる。良い働きをしたぞ、小僧』

「やっぱり。聞こえた」

「だーから何を?」

「何って、何、からかってるのはそっち――」

「手え放せ!」

「へっ?」

 どうにか持ち上げていたシャガを無迅の怒鳴り声でリオは意図せず取りこぼす。

 床に落ちたシャガにおぞましい気配を感じてリオは澄水に手をかけながら後ずさる。ガタガタと勝手にシャガが振動するように動き出してしまう。

「うわ、気持ち悪っ」

「何してくれやがるんだろーなァ?」

 ガタガタと音を立てながらシャガは滑り動き、無迅が手にかけた男の手に戻っていった。かと思うとシャガを死体の手が握る。

 握られた柄から黒煙めいた何かが噴出されて死体を覆い込む。

 黒煙は凝縮されたように死体の表面で固まって、光を反射しない黒一色の鎧武者を形作った。兜の下の額から一本、角が生えてしまっている。

「か、かか、か、怪物だー!」

「こいつが鬼かァ? いいじゃねえか、俺が――やっべ、もうできなかった」

「何してくれてんの、この悪霊!?」

「誰が悪霊でい!」

「いつもいつもいつもっ、考えなしに勝手に僕の体使っちゃって、肝心な時に役立たずでさ! もっと具体的に現実的に僕のこと助けてくれたりするなら、百歩譲って守護霊的な感じに受け入れられるかも知れないのに!」

「俺様は俺様の好きなようにしてるだけでい、関係あるかってんだ!」

「関係大ありでしょ! あのまま逃げてれば良かったのに、勝手に乗り込んで、勝手に何かこう、何あれ、ゾンビ!?」

「ぞんび? 何だそら?」

「死んでるのに動く死体!」

「おお、なるほど、そらゾンビってえやつだな」

『ゾンビ――悪くない響きだ。我はこれより、ゾンビ・シャガと名乗ろうではないか。

 器をくれたこと感謝するぞ、小僧。横の妖霊ともどもな』

「何でい、(オイラ)のこと分かんのか、こいつ? 殊勝じゃあねえか。いいやつかもな」

「お礼の言葉ひとつでそんなに気を許せるの……?」

 ゾンビ・シャガと名乗った黒い鎧武者は元の死体よりも大きな体躯となっている。

 本体であろう大太刀を片手に握ればしっくりきてしまうほどの巨躯。面で隠れている下で双眸が赤く光っている。それは炎のように揺らめく、しかしただの火には見えぬ赤い炎光である。

『礼として、貴様の命、我が糧にしてくれようぞ』

「……この人、もう死んでますけど……?」

『……ああ、語弊があったようだ。命は副産物、魂さえあれば良い』

「……どうぞ」

「やいこら、リオ坊! (オイラ)を差し出すたァどーいう了見してやがらァ!!」

『貴様もだ、小僧』

「えっ?」

 無迅に胸倉をつかみ上げられていたリオがゾンビ・シャガを見ると大太刀を片手で高く高く振りかぶっていた。無迅がぱっと胸倉を放してリオの足がすとんと床につく。

「リオ坊」

「何」

「やっちまえ」

「……いや、無理ですから!」

『ふははははっ!』

 一目散に背を向けて逃げたリオの臆病風に吹かれた行動は正しかった。

 高笑いしながらゾンビ・シャガは大太刀を振り落とし、その剣の圧だけで彼の前方が丸ごと吹き飛ばされていく。リオもまた煽られて本堂から吹き飛ばされて外に転がり出てしまった。

「何あれ、無茶苦茶だよっ!」

「ほおーん、なるほどなあ。この日の本にゃ、あの手の類もいたか。惜しい。あれがいるって分かってりゃ前哨戦はお前に任せといてやったもんをなァ」

「何呑気なこと言ってんの! 気合いでも根性でも何でもいいから、僕の体好きにしちゃってよ!」

「できるもんならやってるてーの」

 耳くそをほじって指先のそれを吹いて飛ばした無迅に心底リオは腹を立てたが、怒りをぶつける場合ではなかった。

『逃げることを許す。久方ぶりに得た体だ。もっと、楽しまねばならん』

「分かるわ~」

 妙にさっきからゾンビ・シャガに親しげな態度を見せる無迅にリオは腹立たしくてたまらなかった。しかしゾンビ・シャガも半壊した本堂から出てきている。

「よう、リオ坊。野郎はまだ楽しんでるんだ。遊びだ。それがいいんだ、頭ァ冷やせよ」

「何、どういうこと?」

「だぁーから、遊びにつきあえ。満足すりゃあそれまでだ。お天道様もじきに昇らァ」

「お、お天道様……?」

「やいやいやい、ゾンビよぉ! 遊んでやるから、てめえ、その大太刀だけでやりやがれ」

『遊ぶ? 良い、褒めてつかわす。――すぐには死ぬな、手加減は苦手ゆえにな』

「どうしてそうなるの!?」

 リオの叫びはシャガ・ゾンビにも、無迅にも聞き届けられない。

 大太刀が横薙ぎに振り切られてリオは蛙のように這いつくばってどうにか避ける。すぐに刃が切り返されて叩き下ろされてこれも四つん這いから無様にジャンプして躱す。

『避けてばかりか、つまらん! 楽しませるのではなかったか!?』

「やいやいやい、こら、クソガキ! てめえ、何ビビってやがらァ!? それでもちんちんついてんのか、ああんっ!? それとも切り取られたいか、ちょん切ってラッキョウと一緒に漬けてやろうかァ!?」

「どうして二人がかりで叱るの! しかも無迅の方がキレてるよね、それおかしいよね!?」

 あまりの理不尽に叫びながらリオはどうにか起き上がる。

 ゾンビ・シャガは確かに手加減をしているようだが、その大太刀に釣り合うほどの巨躯には見合わぬ速さだった。片手で持ち上げた大太刀を軽々と振り回し、その後にはすぐ移動に移って追撃にかかってくる。あまりの大きさと速さは圧倒的の一言に尽きる。巨大質量が刃を携え、次から次へと仕掛けてくるのだ。お世辞にも肝っ玉が太いとは言えぬリオには恐怖の連続でしかない。

 その執拗で容赦のない連続攻撃は、毎晩の悪夢に見る無迅の姿と重なった。

 それでも――無迅はただ殺すことに特化しすぎていて、ゾンビ・シャガにはそれがなかった。手加減をして遊びたいからであるのかはリオに判別ができない。が、反撃に移る隙が見つからない。

「うっ、ああっ!? わっ!?」

 ゾンビ・シャガが大太刀を振るう。振るい、振るい、振るい続ける。

 それをリオは躱し、避けて、受けて、受け流し、弾き飛ばされて、躱し、受けたところを押し込まれ、眼前に大太刀の切っ先が迫った。後ろに背を逸らしたところで、叩き潰される。横に逃げても片手で大太刀を容易に軌道修正することで切られる。

「ひっ――!」

 及び腰になった体で地面に踏ん張り、リオも澄水を突き出す。

 狙ったのは大太刀の鍔だった。切っ先をそこに突き刺すとゾンビ・シャガの力とかち合って後ろに大きくリオの小さな体が吹き飛ばされる。

「はあっ、はあっ、はあっ……」

「悪かァねえな、この場は一矢だけでも報いてやれや――」

 瞬時にゾンビ・シャガはリオに走り寄ってきている。

 リオは悪夢での経験則という引き出しがある。ただただ無迅に殺し続けられる悪夢だが、息の根を止められるシチュエーションに同じものはない。数限りなく、あらゆる状況で無迅は人を斬ることができる。そしてあらゆる状況でリオは殺されてきた。その体験をもって、リオは同じ状況に相手を持っていくことを考えた。

 距離が開いて、相手が駆けこんでくる。

 無論、無迅を相手にリオがしたような未熟さはゾンビ・シャガにない。そっくりそのまま、同じ方法を取ることはできないが、そもそもとして、リオには無迅ほどの剣の技量など備わっていないから変える必要はあった。

 肩に担ぐように振りかぶった大太刀をゾンビ・シャガが振り落とす。

 その大太刀のリーチを活かした遠間からの一振りだった。

 意を決して澄水で大太刀を受けながら、リオは懐に潜り込もうと地面を蹴る。柄尻を前に出し、大太刀を乗せていた刃を外す。大太刀が地面へ落ちきる前に、柄尻を思い切りゾンビ・シャガの鳩尾へ叩き込む。背は高いが決して肥満体ではないので重心は低いところにはない。上を叩けば崩れる。加えて鳩尾は人体の急所のひとつでもある。確かに叩き込み、後ろへ崩れるところを切ろうとリオはそのまま押し込もうとした。

 だが、ゾンビ・シャガは見た目の通りに、唯人ではない。

 思い切り鳩尾を強打したにも関わらず手応えは鈍かった。硬いゴムの塊でも叩いたかのような衝撃が返ってきてリオは息を飲む。効いていないと悟った時に側頭部へ衝撃が来てリオは地面へ叩きつけられた。ゾンビ・シャガの単なる蹴りだったが、頭部を狙われたがゆえに頭は脳震盪で揺さぶられ、意識も飛びかけた。

「っ――あ、え……ぅ……」

「チッ、ここまでか……完全にのびたな、こりゃあ」

 意識はあってないようなもので目を回し、呂律も回らぬリオに無迅はつまらなそうに漏らす。

『遊びは終わりか。ならば……ぬ、うっ?』

「ようよう、化け物さんよ。半信半疑だったが、ほんとにお天道様は苦手かい?」

 とどめを刺さんとリオへ歩み寄ったゾンビ・シャガは不意に浴びた朝日にみじろぎをして両手を使って光を遮ろうとする。

「どうせ死にゃあしねえんだろうが今夜はそのまま眠っときやがれ」

『次こそは、必ず――うううう、あああああっ!』

 陽光に耐えきれなくなり、ゾンビ・シャガのその体を形成していた黒い煙状のものが形を歪めていく。少しずつ死体からそれは剥がれていき、大太刀シャガの中に吸い込まれて消えた。

 あとに残ったのは頭のない死体と大太刀シャガだけであった。

「……まったく、つまんねえ締まり方だぜ」

 そう無迅が吐き捨てると、逃げずにずっと隠れて様子をうかがっていたおりんがリオのところへと走り寄っていった。


 ▽


「あれっ? ……ゾンビは?」

「奴さんならお日様浴びて太刀ん中へかたつむりみてえに引っ込んでたぜ」

 いつもの悪夢の場所で気がついてリオが尋ねたでもない疑問をハッと口にすると無迅が答えた。

 せいぜいが足首ほどまでの高さの草が生え茂る河原である。たまに長く伸びて群生する下草の中には無数の死体が転がっている。その死体のいずれも外傷を伴っており、まだ肉が残っているものもあれば白骨化しているものまでバリエーションに欠かないが、共通しているのは刀でやられた傷で死んでいるものという点だ。

「夢……見てるってことは、僕、生きてる……?」

「恐らくはな。死人も夢を見るのかどうかは(オイラ)にゃ分からん」

「急に不安になってきた……」

 そもそも無迅はとうに死んでいるにも関わらず、必ずと言って良いほど夢に出てきてしまっている。あるいは自分も死んでしまったのではないかと思ってしまう。そうでないことを願って、深くは考えないことにした。

「にしてもよぉー、リオ。てめえ、こら」

「何……?」

「あの体たらくは何だァ? こうして俺様が稽古つけてやってんのによォ?」

 何だか馴染みのある恫喝だと感じ、そう言えばいつも虐めっこにこうして因縁をつけられていたんだと少年は思い出す。理不尽極まりない。

「だって、最初のあの攻撃見たでしょ! ぶわーん、ぐおーん、どしゃーって!」

「るっせえやい、そんなもんやりようはいくらでもあるだろうが!」

「ないから! じゃあ教えてよ、どうすればいいの! そもそもあのゾンビ、速いしデカいし力も強いし!」

「はっあぁぁー!? 俺様が(ナシ)つけて五分(ごぶ)にしてやったろうが!」

「五分ってつり合い取れてる状態でしょ! 何から何までっ、僕の方が圧倒的に弱いのにが何が五分だよっ!」

「ちゃーんと野郎もてめえの手足と刀だけ使ってただろうが! 火ぃ噴かれたり、風に煽られたりしねえんだから五分に決まってらァ!」

「五分の定義が違うんだよっ、僕と!」

「体ひとつに、剣一本! それで(タマ)ァ取り合うのが五分だってんだよ、ふにゃチン野郎!」

 怒鳴りながら無迅が振るってきた刀を咄嗟にリオは擦り上げた。

 夢の中であるために両者の手に握られている澄水同士が金属音を鳴らす。無迅の刀の軌道を逸らしながら振り上げ、リオはそのままに振り落とす。だが無迅の左手がリオの手を掴んでしまい、そのまま足払いとともに姿勢を崩されて転倒させられるとそのまま脇の下から心臓へと刃を突き刺されて、激痛と呼吸のできない苦しみとともにリオは殺された。


 ▽


「うあああっ! あ……い、いき、てる……? 生きてる……」

 結局、またもや何百と殺されて、いつものように唐突に目が覚めてリオは飛び起きる。じわりと全身に汗が滲んでいる。

「リオ様、良かった……目を覚まされたのですね……」

「あ、は、はい……」

 周囲を見渡し、半壊した建物を見つけてリオはゾンビ・シャガとやり合った廃寺を離れていないのだと気がつく。

 傍らにはおりんがいていきなり起きたリオの背をさすって心配そうに顔を覗き込む。

「何度も何度も、少しずつの間を置いてうなされていらっしゃったので気が気でなくて……お体の加減はいかがですか?」

「……ええと、大丈夫……? かな……? あ、でも頭痛い……こぶできてる……」

「他にはございませんか?」

「はい、多分……」

 細かな擦り傷や切り傷は多かったが、この程度の傷は最早、傷にも含まぬほどリオは短い旅でぼろぼろになっている。茂みに入れば必ずと言って良いほど、知らず知らずに葉っぱで肌を切ってしまっているのだ。

「あれ……おしんさんは?」

「お姉様は捕らえられていた穴倉の中でおやすみになっています。蛇の目の方ももういらっしゃいませんし、しばらくはここへ寄りつかないでしょうから」

「そう、ですか……。長い刀は? あの、大太刀……?」

「シャガは先ほど、できる限りで再び封じましたので、しばらくは問題ないはずです」

「良かった……怖いし、あれ……」

 できることならばもう二度と見たくもなかった。しかし終わってみて冷静に思い返すと、よく生きていられたなと思う反面で、死んでもおかしくなかった戦いとも呼べぬ一方的な争いだったのに、心のどこかで高揚感もあったかも知れないとリオは感じた。

 死ぬかどうかという一線に身を置いて、絶えず、迫りくる死の恐怖と対峙していたはずだったのに、それが奇妙に愉しかったかも知れないと思えてしまうのだ。ジェットコースターを楽しむ心理なのだろうかと、絶叫系アトラクションが大の苦手だった我が身を鑑みて首を捻ってしまう。


 と、そんなことを考えていたリオは不意におりんに自分の手を取られて顔を上げた。

「あの、リオ様……この度はまことに、何とお礼を言って良いのか……。何度もお救いいただいて、感謝の言葉もございません」

「い、いえそんな、別に、僕なんて……結果として、どうにかなりましたけど、一度は蛇の目に2人とも攫われちゃったし、もうちょっと朝が来るのが遅かったら、あのゾンビにやられてて、大変なことになっちゃっていたかもですし……」

「いいえ。それでもリオ様はお姉様とわたしをお守りしてくださいました。リオ様がいらっしゃらなかったら、今ごろどうなっていたか分かりません」

「あ、は、はい……どういたしまして……?」

 ぎゅっと重ねた手で握られてリオは気恥ずかしいやら、女の子に接近された照れやらで顔を逸らしてしまう。

「是非ともお礼をしたいのですが、わたしどもの里までいらっしゃっていただけませんか……? ご迷惑でしょうか?」

「えっ?」

 お礼と言われてリオは思春期にしてもスケベな想像を巡らせてしまって僅かに戸惑った。

 が、すぐにそんなはずはないと自分に言い聞かせる。そもそも無迅に乗せられた当初の口車では、お礼を期待してのことであった。ならばお礼をされてもいいはず、と開き直っていいものだろうかと考え込んでしまう。

「是非、いらしてください。そうでないとわたしどもの気が収まらないのです」

 またぎゅっと手を握られてリオは耳まで赤くしながら、こくりと頷いた。


 巫女の姉妹とともに目指したのは深森(みもり)なる、山奥の里山だった。

 急ぐ必要がなくなり、蛇の目という脅威からシャガを取り戻したこともあったので、旅路はのんびりとしたものだった。ペースそのものは遅かったがその分、野宿や、山歩きといったものを除けば心身への負担は少なく、体調を崩しかけていたおしんもだんだんと快方に向かっていた。

 深森というおりんとおしんの故郷について道すがらにリオは聞かされた。

 シャガという妖刀を封じる巫女の務めをこなす者がおり、その社がある他には、何の変哲もないお山の奥の大きな森の中だという。しかしそこが良いところなのだと姉妹は郷土愛を語った。

 人の手でよく手入れされた森の木々は伐採と植樹を計画的に行うので土砂崩れなどの災害はあんまり起こらないのだとか、年に一度のお祭りでは特別なご馳走を里の者が総出で用意して食べるのだとか、終いにはそのお祭りの日が近いからそれまでは逗留してほしいと毎度のように締められた。何度も聞かされてリオは暗唱できるのではないかと思うほどにまで覚えてしまった。

 おりんとおしんはリオのことも教えてほしいと話を何度か振ったが、リオは曖昧にしか話すことはなかった。

 今いるところとは異なる日本から来ただとか、あるいは未来の日本から来ただとか、そんなことを言っても頭がおかしいと思われるだけだという意識で喋ることができなかったというのが正しい。

 だが一本だけ持っていた澄水と、そこに憑りついている無迅という悪霊、そして悪夢を毎晩見ているということだけは話した。あるいは巫女であるならば、シャガのように澄水の力も封じられるのではなかろうかという淡い期待だった。

 しかしやってみなければ分からないという返事しか出てこなかった。

 仮に無迅を調伏なり、封じるなりができてもその後に不安が残るので熱心に頼むこともしなかった。いなくなればなったで毎晩の悪夢はなくなるのだろうが、トラブルに巻き込まれでもしたら1人だと心細いし、どうにもならなくなってしまいかねないという想像が働いていた。


 シャガは鞘に納められ、万一にも誤って抜けぬようにと鞘と鍔がしっかりと紐で結び止められ、それをリオが背負って運んでいた。また不意に出てくるのではないかと最初こそリオは不安だったが、そのような気配は微塵もなかったのでだんだんと背中の大太刀が妖刀であるという意識を失っていった。

 実際にシャガはぴくりとも動くこともなかった。

 しかし実際に目の当たりにした鎧武者を思い出すと、たまに妖刀だというのを忘れても、おいそれと雑な扱いをすることはできなかった。


 たまに獣が出てきて襲われかけたり、勝手に通行料を巻き上げようとする輩が出たりということはあったが、概ね、旅路は平和に終わろうとしていた。

 いよいよ深森の里があるという山の麓まで着いて、おしんの足取りも少しだけ軽くなった。

「今夜はちゃんとした床で眠れますね。終わってみると何だか名残惜しい気持ちが湧き起きてしまいます」

「おりんはずっと、里を出てみたいと仰っていましたからね」

「本当は使命なんてなく、気ままな旅をしてみとうございましたけれど……贅沢は言えませんね」

 自然とこぼれる姉妹の笑みを見ながらリオは故郷や、自分の家というものはある程度、どこでも、いつでも共通して嬉しいものなんだろうかと考える。

 リオからすれば自分の家というものには二度と帰れないのだろうが、特別に帰りたいと願ったこともない場所だ。言外に邪魔者だというのを感じ取ってしまうのが家という場所だった。かと言って、どこかに居場所というものを見出したこともなかった。

「リオ様の郷里はどのようなところでしたの?」

「えっ? ああー、うーん……何の変哲もない、つまらないとこだったよ。……うん」

「どの辺りですか?」

「……ど、どこだろうなぁー、何かこう、地理というか、土地というか、苦手だから……」

 露骨な誤魔化しを、正しくおりんは誤魔化しだと分かる。それでもどうして隠すのかが分からずに二の句を継ごうとしたが、その前におしんが遮ってしまった。

「この時季は川魚がとってもおいしくて、焼くとふっくらして、香ばしくて、たまらないご馳走になるんです。今夜はたくさん、召し上がってくださいね」

「あ、はい……」

「それから瓜もおいしいですよ。いつもなら瓜を漬けているころなのですが、今年はまだ漬けられていなかったので帰ったらすぐに漬けておきますね」

 話題が逸れてほっとしたリオと対照的におりんは少し不満そうにしていたが、おしんは妹に目配せしてふっくらと笑みを見せてたしなめた。


「そろそろ、里が見えてきますよ。あの峠を越えれば深森の里です」

「ようやく到着……?」

 昼下がりになっておりんが一本の大きな杉の木を曲がると、すぐにその先を指差して小走りで駆け出す。

「おりん、転ばないように気をつけて」

「はーい!」

 姉の心配をよそにおりんは元気に返事をしながら緩い斜面を駆けていく。

 とにもかくにも、ようやく落ち着けるのかと思うと感慨深いものがあってリオはおしんとともにゆっくりと歩いていったが、先を言っていたおりんが足を止め、何故か少しだけたじろぐように下がったのを見てしまった。

 先ほどまでの元気さが失われたかのように立ち尽くす背中を見て、リオは眉をひそめた。

「おりん、どうしたのですか?」

「……お姉様……里が……なく、なって……」

 おりんに追いついて峠の先に広がる光景に、おしんもまた足を止めて息を飲んだ。

 リオもまたその光景に目を疑う。


 山の中が切り開かれてささやかな家屋が建てられていた。

 それぞれの家の裏には畑と思しき耕作地があった。

 里の中を小川がせせらぎ、土と緑と調和しているはずだった。

 その峠の正面にはまた高くなっている小さな山があり、長い石段が小さく見えている。本来ならば木々に遮られて見られないその石段は剥き出しになっている。

 そこから見えた里山は全てが燃え尽き、黒く染められていた。

 くすぶる煙さえも残さず、何もかもがとうの昔に滅んだのだと見せつけるかのような光景だった。


「……こりゃ、2、3日前に焼かれたって感じじゃあねえな」

 特に感情もなく無迅が冷淡に言い、リオは恐る恐る、おりんの顔を見る。

 今にも泣き出しそうな、だがまだ受け止め切れていないというような、脆い顔をしていた。

 何と声を出せばいいのかも分からずにリオもまた立ち尽くしていると、おりんがふらりと一歩踏み出す。転ぶのではないかと思ってリオは支えかけたが、彼女はそのまま、一目散に走り出してしまう。

「おりんっ……!」

「い、行きましょう」

「リオ様、あの子をお願いします。あとから追いかけますから。きっと家に向かっているんです。向こうに見える石段の上ですから」

「あ、は、はい」

 おしんに頼まれてリオはおりんを追いかけるように走り出す。

 里は山の中の割と平坦なくぼ地に拓かれていた。そこを突っ切るように走りながら、リオは焼け落ちた家の中に小さな焼死体を見つけてしまう。まだ小さい兄妹だったのだろうかと、折り重なるようにして炭化しているそれに胸の奥が締めつけられるような切なさを抱いた。

 小川には上半身だけを水の中に浸した死体もあった。下半身は腰の少し下が切り裂かれていて、鳥に突かれたのか、中の肉が抉り消えていた。

 ある家の裏手には死体の山が築かれていた。どれもこれも酷く焼かれていた。焼死体をわざわざ寄せ集めたのか、あるいは、そうできあがるように火をかけられたのか。いずれにせよ、ただの火事などでは絶対にそうはならないような凄惨なものだ。

「これが珍しくねえことならよォ、これをした野郎は蛇の目かもなァ」

「でも、どうして……」

「てめえが背中に背負ってるもんが目当てに決まってんだろうが」

 指摘されてリオは背の大太刀シャガの重みが増したような気がした。

 里を横切って長い石段の下まで辿り着いてリオは息を切らしながら見上げる。随分と高い石段でおりんはすでに半分ほど上がりきっていた。こんなところを毎日上り下りしていれば足腰は鍛えられるだろうなどと思いつつ、走ってきて乳酸の溜まった体に鞭打つ心地でリオは石段を駆け上がり始める。


 ただ、酷い火事なだけで里の人は避難していたのではないか、なんてことを口にしなくて良かったと石段を息を切らしながら上ってリオは思う。

 焼き尽くされた深森の里を見た時、おりんにかける言葉が分からずにそんなことを脳内に思い浮かべていたのだ。

 口にしなくて良かったと思ったが、しかして本当に何と言えばいいのか分からなくなっていた。

 おりんもおしんも故郷に帰ることを楽しみにしていた。毎日のように楽しそうに語っていたのだ。だが久しぶりに帰ってみれば全てが焼けていた。放火だ。強盗もあったかも知れないし、殺人もあったのは見て取れた。死体から見て取れないだけで、もっともっと酷い死にざまだったかも知れない。

 どれほどショックを受けているのか、想像することもできなかった。

 どんな言葉を口にしたところでそのショックを、心に刻みつけられた傷を癒すことなんてできやしないのではないか。

 おりんに追いついて、どうすればいいのだろうと自問した。

「ねえ、無迅……僕、何て、声かけたらいいかな?」

「てめえの頭で考えやがれ」

 まともなアドバイスをくれない無迅だったが、それが一番正しいような気がしてリオはそれ以上を訪ねなかった。


「はぁっ、はあっ……ここは、無事……?」

 石段を上りきると鳥居があり、奥には厳かな社が佇んでいた。

 周りの木々は焼けてしまっていたが社は焼けておらず、参道らしい石畳でおりんは足を止めている。彼女に近づいて、乳酸が溜まりまくった疲労感の強い足をリオは止めてしまう。

 無事だと思った社の軒下に、人が吊るされていた。

 首に縄をかけられて梁から吊るされ、腹を引き裂かれて内臓がこぼれている。それはすっかり乾いていたが、やはりこれも鳥についばまれたのか、引きちぎられたような中身が下に散らばっている。

 そして社に上がる階段に1人の男が腰かけていた。無感情に冷めた目の、白髪頭で――しかし若い男だった。白い羽織に袴をつけている。羽織の両肩にある紋を見てリオは澄水に手をかけた。

 立ち尽くすおりんの前に出てリオは、静かにそこに座っている紋付袴の男を睨みつける。

「……お前が、焼いたのか」

 込み上げてくる吐き気より、それまで感じていた戸惑いよりも、そこにいた男への怒りがリオの中で膨れ上がった。

 そのリオの問いかけを受けて白髪の男が腰を上げる。

 腰に朱塗りの鞘に収まった刀を佩いていた。下緒のついた刀に男も手をかけ、階段を降りる。

「シャガを寄越せ」

「渡さない」

 即答してリオは素足のまま、じりと少し前へ出る。

 男は目を細めて刀を抜き放つと、そのまままっすぐリオへと歩いてくる。だが、あと五歩というところで足を止めた。抜き身の刀を反対の手へ投げるようにして握り直す。

「その刀。鞘は粗末だが、中身に興味がある。……差し出せば命は見逃す」

「よう、リオ坊。こいつァけっこう、やるぜェ? (オイラ)にやらせろよ」

「……何をしても僕が許さない」

「ほぉーん……? 言うじゃあねえの、そんならやっちまえや」

「立場を弁えろよ、小僧。――許しを乞うのはそちらだ」

 瞬時に男は距離を詰めて刀を振るっていた。

 無迅がリオの後ろ襟を掴んで思い切り引いていなければ反応することもできず少年の首は斬り飛ばされていただろう。

 すかさず男はさらに一歩を踏み込んで大きく刀を切り上げたが、リオは澄水を抜き打ってそれを弾く。硬い刃がぶつかり合って火花が散ったのをリオは見た。そして、その火花が膨らむのも見た。

「お前の手にゃ余るぞ!」

 爆炎に吹き飛ばされて転がったリオは無迅の声を聞き取れなかった。

 炎の後に上がった黒煙の中から男が出てきて、起き上がりかけていたリオに刀が振り下ろされる。受けたらまた爆発が起きるのではないかと、全身の火傷の痛みと、目の当たりにしてしまった超常現象へのショックでリオの体は竦む。

「っ――」

 死んだと思った錯覚は、無迅に体を奪われたことも一因だった。

 澄水を落とし、無手になった無迅(リオのからだ)が相手の刀を挟み止め、そのまま真横へグイと男の体ごと倒す。一瞬のことだった。落としていた澄水を逆手に瞬時に掴み取って無迅はさらに振るう。

 だが男は見事な受け身で地面を転がって無迅の追撃を躱していた。

()っぶねーじゃねえか、てめえ」

「気配が変わったな……」

「おうともよ。天下にその名を轟かし、泣く子ははしゃぎ、悪党は小便ちびって腰をつく、天下無双の大剣客、無迅様たぁこの俺よ!」

 名乗りを上げた無迅に男はしばし無言でじっと見つめてから、腰を上げる。

「知らぬ名だ」

「……仕方ねえだろうが、俺と出会って生きてる野郎がそもそもいやがらねえんだからよォ」

「面白い。蛇の目が一人、火途(かず)巳影(みかげ)だ。

 天下無双の大剣客とやらの力、見せてもらう」

 静かに巳影は踏み込み、片腕で刀を振るった。――かに見せて、刀を持ち替えていた。まるで刀がすっぽ抜けたかのように振り下ろした手の中から刀は消えており、もう片方の手が捕まえて振り切っていたのだ。曲芸のような動きでありながら、それは精緻な技だった。

 虚を突いて仕掛けられた一撃を無迅は釣られることなく、巳影と呼吸を揃えたかのように静かに受ける。我が子を抱く母の手がごとくやさしさで巳影の刀をゆっくりと弾いていた。

 そこだけ時間の流れが停滞し、遅延しているかのような穏やかな応酬である。しかし決して見るものに緩慢さというものを感じ取らせることはない。美しい舞いであるかのようでもあった。

 ただ自分の体を通じて見て、考えるしかできなくなったリオはこのやり取りに強い違和感を抱く。

 無迅がその実力を見抜いたのだから、壮絶な斬り合いが始まるものと予想していたのだ。それにリオは初めて、自分のためではない憤りを感じて巳影に敵意を剥き出しにしていた。無迅に取って代わられるまで、今こそ澄水で切ってやると攻撃的になっていた。危うく瞬殺されるところであったが、それでも退くものかと滾っていた。だからこそ、始まった無迅と巳影の立ち合いが静かで、穏やかなものであることに一層強い意外性を感じ取ったのだ。


 しかし。

 ほんの一瞬でそれは加速した。

 無迅が澄水の切っ先で小円を描いて振り落とした途端、再び何もないところから炎が爆ぜた。巳影の持つ刀がそれを引き起こしているという、信じたくなかった予想は当たっていた。刃と刃が触れ合うと火花が生じ、それがどういう理屈か、膨れ上がって爆散するのだ。

 高速で振り放たれた無迅の一振りを巳影は受け流し、それで生じた火花から再び爆炎が起きていた。だがそれを無迅はさらに速く切り返した刃で炎ごと切り裂いていた。さらには巳影の刀へわざと澄水をぶつけていた。

「ハッ、勝手に膨れるってえわけじゃあねえのかよ」

 切り返して巳影の刀へぶつけた一撃で、爆発は起きなかった。

 それを確かめて無迅は挑発するように吐き捨てる。

「技量は認めよう。その極致に至れる者は他にいまい。

 だが、それだけか? 大剣客殿よ」

「他にゃいらねえよォッ!」

 獣の如き迫力、その剣幕に当てられて巳影は怯むことも、たじろぐこともなく、ただ微笑を浮かべた。放たれた無迅の一撃を刀で受けて押し返すとともに、再び爆炎が無迅を飲み込んで今度は吹き飛ばす。身軽に無迅は高くへ放り出されたにも関わらず両足で膝をクッションにして着地する。

棘炎一把(かくえんいっぱ)

「っ!」

 黒煙を破るように突き抜けてきた赤いそれを無迅は澄水で弾き落とすが、刀を握る手が焼ける。炎を押し固めた杭のようなものだった。凄まじい熱を伴ったそれは弾き落とせても熱だけで皮膚は焼かれてしまう。

 さらに、同じものが僅かな時間差で次々と無迅へ射出されてきた。

 叩き落とすのは悪手と、動かせないのに共有している痛覚でリオは悟ったのに無迅はそれをまた澄水で次々と叩き切る。だが今度は先ほどの熱がなかった。刀の切っ先だけを使って、手から遠いところで全てを払ってしまったのだ。それも、巳影へ向かって駆けながらの神業である。

「熱いじゃねえの、燃えてくらァ――」

 炎の杭を全て撃墜して無迅は巳影に肉薄する。

「まだ、ぬるかろう?」

 巳影の刀が火を噴いていた。澄水の刃とかち合うと、それが無迅の体へ纏わりつくように引火しようとする。瞬時に着物が燃え上がったが、無迅は僅かに重心を後ろへずらすことで巳影の姿勢を崩して、片手を放して裏拳をぶち込んだ。横っ面に拳を叩きつけ、さらに澄水を振るう。喉笛を切り裂きにかかった一振りだったが首の下を薄く引っ掻く程度にしかならなかった。裏拳を叩き込まれた時点で巳影は後ろへ下がって距離を取っていたのだ。

 着物を破り捨てるように脱いで無迅は息を吸い込む。着物に引火した時点で炎が酸素を奪い、呼吸ができなくなっていた。

 その酸欠の苦しみを一呼吸で持ち直して無迅は尚も前へ出る。

 だが、その一呼吸の間だけで巳影も立て直していた。刀を地面と垂直に天へ向けて握っている。

 仏の後背にある、輝く光輪であるかのように、巳影の背後に炎を凝縮した杭が浮かび上がる。その数は先ほどの十倍にもなろうかというほどだった。巳影の背に出現したそれらが、巳影の持つ刀と連動したように動いて無迅へ先端を向ける。

棘炎十把(かくえんじっぱ)

 百を数えるそれらが一斉に無迅へ降り注ぐ。

 いくら無迅であろうと、それらを一つずつ打ち落とすことは不可能な物量攻撃だった。駆ける無迅を灰に帰そうと、あるいは葬送しようと、それらは密度を持って迎え撃とうとしたが、あろうことか、無迅は後ろへ跳んだ。

「無駄だ」

 炎杭は紡錘状に収束して無迅を抉り貫こうとしたが、人斬りの口元には笑みが浮かんでいる。

 柄の一番下を片手で握り、もう片方の腕も伸ばして無迅は構える。手の内側を相手に向けるような構えを取ったかと思うと、突っ込んできた、密度と熱量を増した炎塊を無迅は散らしにかかった。

 円を描くような、あるいは螺旋を両手で作り上げるような、腕を外へ広げていく動作で炎塊を受けた端から外へ外へと弾くように、払うように、撒くように、逆に突き破り、食らい尽くすかのように散らしてしまった。

「よう、何が無駄だって?」

「……頭が沸いているのか」

 初めて巳影の顔が驚愕に染まる。

「ヒッヒヒヒ……あーあ、そりゃ、しゃあねえだろ? 脳みそなんざ泡吹く寸前だぜ。どんだけ熱いと思いやがらァ?」

 嗤う無迅に巳影は悪寒を抱く。

 身一つ、刀一本のみで、どうして生きているのかと喉まで疑問が出かかった。

「だがよォ、殺し合いってえのはこうでなくちゃいけねえよなァ?

 雑魚をいくらぶっ殺したところで芝刈りしてるも同じだもんなァ?

 てめえの首ィ掻き斬れたらよォ、そん時ゃきっと、スカっとすんだろうなァ?」

 着物は焼け、皮膚には火ぶくれができ、煤と血にまみれ、貧弱な少年の体を器にしながら嗤う無迅に巳影は感動と恐怖、それから大いなる興味を向けていた。なかなか見れるものではない、紙一重で狂人の側に立つ人間。

「欲に身を任せるのも良いが、今は優先すべきことがある。またいずれ、(まみ)えよう」

「ああーん? 逃げようなんざ、つれねえこと言うんじゃあねえよ!」

 駆けこんでいって無迅が横薙ぎに剣を振り切るが巳影は単調だと言わんばかりに見切って顎を引きながら躱す。だが無迅は即座に澄水を反対の手へ投げ渡すなり、また振るう。

 最初に巳影の見せた技そのものだったが、無迅は体を軸に一回転してさらに斬りつける。二度目までは巳影も防いでいたが、付け加えられた最後の一撃が巳影の左目を引き裂いた。

「目ん玉の次はどこだァ?」

 顔を押さえてたたらを踏む巳影へ無迅が血を求めるように襲いかかろうとしたが、不意に無迅は足を止めて何もない背後を振り返った。


『嗚呼、良い心地だ。

 血の匂い、煤の香り。

 ここは死が満ち満ちている』


 戦いの最中に打ち捨てられ地面を転がっていたシャガから黒煙が上がっていた。

 それが凝固し、人の形を模していく。黒い鎧武者が、煙の中で立ち上がって大太刀シャガが握られる。

『待たせたか。今宵こそ、心ゆくまで遊んでくれるのであろう?』

「順番くれえ守れってんでい……」

 苦い、しかし笑みをぶら下げた表情で無迅は嘯く。

「お待ちなさい、シャガ」

「あん?」

 巳影とシャガの間で舌なめずりして、人斬りの算段を立て始めていた無迅は凛と通った声で肩の力を抜く。

「シャガを封じることこそが巫女としての務め。解き放つことはできません」

『巫女。くだらん。……あとで相手をしてやる。黙って見ていろ』

「いいえ。それは罷り通らぬことでございます」

「邪魔はさせん、巫女」

「……順番だな、こりゃあ。蛇の目ェ、まずはてめえからだッ!」

 おしんが片手で印を結ぶ。それを阻止せんと巳影の背後に炎杭が出現し、放たれたものを無迅が叩き落とし、獲物の横取りと捉えたシャガは巳影へ向けて大太刀を振るい上げる。

 鬼が互いを食らおうとする地獄絵図に似ていた。

 飛び交う炎に、血を求める白刃、異形の黒鎧が放つ一振りは地面を抉り、巫女の法力によって迸った雷が武者を焼く。

 天災を全てその場に寄せ集めたかのような暴力の渦ができあがっていた。

「ハァッハハハッ! 祭りみてえで楽しいじゃあねえか! たまにゃあいい!」

「火祭りだな」

『血祭りである』

「こ、こんなもの祭事ではありません!」

『邪魔をするのであれば巫女、貴様から葬るまでだ』

「おいゾンビィ、その女ァ(オイラ)が狙ってんでい、手え出すんじゃあねえ!」

「巫女もろともに消え失せろ、大剣客。――棘炎百把(かくえんひゃっぱ)

 先ほどよりもさらに増した炎の杭が、シャガからおしんを庇おうとした無迅に降り注ぐ。猛烈な劫火の雨そのものだった。

「いやおいこいつぁちょっと」

「おさがりください、わたくしが!」

「はっ?」

 印を変えた手をおりんが前へ出すと数え切れぬほどの炎の杭がいきなり彼女の前で弾かれて飛び散っていく。透明の傘が広げられたかのような光景だった。

「はえー……巫女てえのはこんな法力があんのか」

 あらかたの炎杭が弾かれるがシャガが大太刀を振り上げていた。それが叩きつけられると、炎杭ではビクともしなかった結界が砕け散る。しかし今度は無迅が、地面へ叩きつけられたシャガの大太刀を踏んで跳んでいた。胸元を澄水で深々と切り裂いてもシャガは一歩、足を後ろに踏むだけで倒れることはしない。

『誉めて遣わす、愉快であるッ!』

「気が合うじゃあねえのッ!」

 無作為に払いのけようとシャガが振るった腕を無迅は避けきれずに羽虫か何かのように叩きつけられる。だが一方的にやられようはずもないとばかりにシャガの腕を半ばまでその刹那で切り裂いていた。

 その場にいる中では明らかに無迅が最も傷ついていた。火傷に裂傷、数え切れぬ擦過傷と打撲痕。しかし骨は折らず、致命傷も負わず、誰よりも果敢に刃を振るっている。

 誰よりも無迅が愉しんでいた。終始嗤い続けていた。


「お姉様、わたしも」

「ええ。シャガを封じます。リオ様――いえ、無迅様、お力添えをお願いします」

「ああん? どーだっていい、んなもん。ま、だが、順番変えるだけだってんならやってやらァ」

「お頼み申し上げます、無迅様」

 それまでずっと、体調不良や心労で弱った顔をしながらも穏やかな微笑を絶やさなかったおしんだが、今は凛と背筋を伸ばして旅疲れなど微塵も感じさせぬ覇気を伴っている。

『封じられてたまるものか。巫女ども、ここで手ずから滅してやろう。永劫、我が身を縛る者など現れぬように』

 大太刀をシャガが横薙ぎに振り切ると猛々しい暴風めいた破壊が刃から発せられた。

 地面を抉り迫ったそれはおりんとおしんが張った結界に阻まれる。巻き上げられた砂塵の中に赤い光が生じ、結界を張るべく腕を前へ出していたおしんの手が後ろへ押し返された。

「っ……!」

「お姉様……!」

「いいえ。これで良いのです」

 攻撃を受け止めていた結界がへこむ。そこにシャガは巨大な体躯を揺らして迫って結界へ刃を叩きつける。しかしそれとともに、形が歪んだことで突出していた箇所がシャガの後背へうねり、受け止めていた攻撃をそこへ収束させた。

 地響きさえ起きていた。シャガは結界の圧と、結界の受けていた衝撃の一切がその一点で爆ぜた。結界は耐え切れずに破壊される。

 だがシャガはその鎧の一部を壊されながら健在だった。

『ぬるい。所詮は封ずることに長けただけの者に過ぎぬ!』

 シャガの動きには到底、おしんもおりんもついていけないが無迅がいた。

 横入りしながら澄水を振り下ろして大太刀を弾くが、すぐにシャガは人を圧倒する膂力によって無迅ごと剣を切り返して前方の一切を薙ぎ払う。


「――ぅ、う……」

 おりんはかろうじて顔を上げる。

「お、お姉様……?」

 彼女の視界に倒れている姉の姿が映った。おりんは体を起こそうとしたが利き腕に激痛が奔って痛みに歯を噛みしめる。本来、曲がらぬ方へひしゃげた自分の腕を見れば平時であれば血の気を失っていただろう。しかし深森の里の惨状や、蛇の目の巳影と無迅の戦い、復活しかけているシャガとの戦いなどでとうにアドレナリンが満ちている。痛みは感じても卒倒することはできなかった。

 這いつくばりながらおりんは必死に倒れる姉の方へ進む。

「お姉様……ご無事、で……?」

「……おりん……」

 どうにか姉のところへ這い進んでから、おりんは顔を歪ませる。

 いつにも増して青白い姉の顔に鮮やかな血の色が妖しく映えていた。

 死の際である。おしんの腰の少し上が切り捌かれていた。血液を失い、生気を奪われて、まさに事切れる寸前――生というものが失われようとする間際であるのに、おしんは今生の美の頂へ至っていた。しかしその美は萌える若草に見出せるものではない。今まさに散りゆく花弁が備える儚いそれだった。

「心残りは多々ありますが……あなたさえ、無事に、健やかに、してくれれば……あとはもうかける望みはありません……」

「嫌、嫌です、お姉様……そんなこと言わないで……」

 巫女の姉妹が生き別れようとする傍らで戦いは続いている。

 まるで2人のことなど気になっていないとばかりに無迅はシャガと切り結び、巳影の攻撃を受け流して二対一という状況に胸を弾ませている。

「あなたは……最後の、巫女になるのです……。務めを立派に……果たせるものと……思っ……」

 だんだんとおしんの言葉はか細くなり、とうとう途切れる。

 込み上げた臓腑からの震えがおりんの鼻頭を熱くさせて涙腺も緩ませる。

 本当ならば今ごろは楽しい時間を過ごしているはずだった。

 しかし里は焼かれ、里の人々は虐殺され、帰りを待ってくれているはずの父は無惨な死体となって吊るし上げられていた。

 おしんはようやく、ずっと想い合い続けていた人と結ばれるはずだった。誰から見てもお似合いの二人が幸せな家庭を築くことをおりんも心待ちにしていた。

 今はもう、何もなくなっている。

 家族も、故郷も、里の人も。拠り所というものの全てが失われたおりんは、涙を必死にこらえた。


「まだ、息があるか」

 姉の遺体の手を掴み打ち震えていたおりんは巳影の声できっと睨み上げるように顔を上げた。

「年端もいかぬ小娘であろうと、巫女は残しておけん」

「……殺生は忌むべきことです……けれど、あなたを、決して、許せはしません」

 折れていない腕で上体を支えて、背を丸めながら体を起こし、重心を後ろへ移動させる。そうして膝をついたまま背筋を伸ばし、おりんはゆっくりと立ち上がる。

「放っておいても死ぬ身なれば、何でもできると? ふ、ぬるい――」

 いたぶるように巳影は一息で刀を振るい、おりんが咄嗟に庇って上げた腕を切り裂く。切られた腕は瞬時に熱を持つと、傷口が爆発を起こす。

 悲鳴を必死に、食いしばった歯の内側に押し殺すようにしておりんは這いつくばって唸る。右腕はひしゃげ、左腕は半ばから爆発によって千切れ飛んで消えた。僅かでも歯と歯を合わせる顎の力を抜けばその激痛に泣き叫びそうで彼女は途絶えがちに息を切らす。

「ふ、ふぅ、ふぅぅっ、ふぅっ……」

「シャガは我らが用いる。封印はまだ完全に解けていないようだが、この程度ならばまだ御しやすかろう。……巫女の役はもう不要、ここで消えよ」

「うううあああっ、ぐ……ぎ、ぐ……!」

 おりんは不意に、自分の右手を噛んだ。

 悲鳴を上げぬための健気な行為かと見透かして、巳影はその生き汚さを侮蔑の眼差しを向けた。女に過ぎぬ、まだ子どもに過ぎぬ身ではあるいは立派かと思えども彼にはやはり生き汚いという印象を与えた。

 だが不意に巳影はおりんの狂気じみた瞳を認めた。

 また、視線の先に自分がいないことも悟った。

 死に瀕して何を見るのか――興味のまま、彼は振り返る。


 シャガの首に、澄水が突き刺さっていた。

 足でシャガの顔を踏み、体をねじるようにして刃を振り抜いて無迅がその巨体の首を掻き切っていく。常人ならば致命の一撃となるがシャガは大太刀を本体として怪異の化身である。その程度で死ぬことはない。

 が、巳影は察知してしまった。

 自分の前で芋虫のように這いつくばる娘は、巫女である。長き年月、シャガを封じ続けてきた巫女の末裔。彼女達が最も得意とするのはシャガを封ずること。

「シャガはここで、滅します――!」

 折れた右手を動かすことはできなかったから、彼女は自分の口で強引に指だけを動かして印を結んでいた。巳影は即座におりんの首を刎ねようとしたが結界がそれを阻んだ。

 清浄な光がドーム状におりんを中心に広がり、巳影を押し、次の瞬間に彼は抗えぬ力で吹き飛ばされた。それは一気に広がっていき、重力に引かれて落ちかけた頭を片手で支えようとしていたシャガに触れる。

『ぬ、ぐう……!?』

 シャガの体を形成するものが細かくヒビ割れ剥がれていく。

「はあああああっ!」

 目を見開いておりんが法力を強めると、シャガの体が脆い炭のように大きく崩れた。

『どこまでも、邪魔をする……! 巫女、巫女め! 何故(なにゆえ)に、貴様らはァッ……!』

 怨嗟の声を吐き散らし、シャガの体が崩壊して消え去った。

 結界もまたそれで消え去り、地面に大太刀が突き刺さる。

「――お姉様……わたし、きちんと、巫女の……務めを、果たせまし……」

 事切れておりんが力なく倒れる。


「はあ? ……おいゾンビィ、終わりか?」

 無迅が信じられないとばかりに愕然と呟く。

「まだだ。シャガの刃は健在している。これさえあれば再びシャガは――」

 巳影が大太刀シャガへ近づいて手を伸ばした瞬間、それが半ばからいきなり砕け折れた。

「……折れちまったぞ……」

「……巫女め」

「はぁぁー……仕方がねえか。だったら、てめえをぶっ殺して憂さ晴ら――し、うお、とと……」

 澄水を肩へ乗せて無迅は巳影へ向かおうとしたが足がふらついてよろけてしまう。

「チッ、体が追っかねえな、こりゃ……」

「……やむなしか。シャガは失われようと、収穫はあった。大剣客、貴様の刀、いずれもらい受ける」

「あ、待ちやがれっ、まだやれるってんでい……!」

 言葉と裏腹に無迅はとうとう膝をついてしまい、澄水を杖のようにして体を支える。そうしながら悠々と去っていく巳影の背を睨みつけた。


 どこにも勝者のいない激闘は幕を下ろした。


 ▽


 世の中というのは総じて不条理である。

 昨日までの当たり前が今日には消え去ってしまう。

 明日の楽しみは秒で崩れ去り、迎えてしまった今を嘆きたくなる。

 残されたものは痛みばかりで、あまりに痛くて、感情さえ動かなくなる。


「……痛った……」

 動く気にさえなれない、全身の傷の数々。そのどれが痛んだかも分からなかったが、不意に奔った痛みでリオは呟く。

 巳影が去ってからもう5日が経とうとしている。

 リオはまだ焼失された深森の里に残っていた。無迅がたっぷりと作ってくれた全身の傷のせいで歩くのも億劫だった。傷が多少は癒えるまで、と無迅に言いつつ、リオはずっと体を休めてばかりもいなかった。

 社の裏手に穴を掘って、そこに巫女の姉妹の遺体と、吊るされていた男性の遺体を埋めた。

 長すぎるほどの石階段を降りて、そこら中に転がっている遺体を一箇所に集めて埋めた。

 重労働だったが時間をかけてリオはせっせと、黙々と弔った。

 そうしながら初めて、葬式というものは生きている人間のためのものなのだろうとぼんやり悟った。別にそこら中に死体を転がしたままでも困ることはないだろう。

 だが気分が悪い。

 酷く気分が悪くさせられる。

 それを和らげるために、他にどうすればいいかも分からないからただ土を掘って埋めた。お経なんて知らないし、死者の霊魂を慰める祈りの文句なども知らない。

 だから土を被せた遺体に手を合わせておいた。


 全身余すことなく傷だらけだが、時間をかけてリオは目につく限りの遺体を全て弔った。

 そうしてようやく、唯一焼けずに残っている社で過ごした。


「また……あの、変な刀持った人、来るのかな……?」

「さあーてな。逃げやがって、あん畜生め。もう(オイラァ)知らねえやい」

 へそを曲げたような無迅の言い草にリオは嘆息する。

「はあ……痛い……。人の体だと思って……」

(オイラ)がやらにゃあお前なんざ二秒で消し炭だったろうが」

 無迅の言葉は正しいものの、かと言って快く受け入れるなんてことはできようはずがない。戦いさえ終われば無迅は幽霊の体に戻ってぷかぷか胡坐をかきながら浮かんで煙管をふかしてばかりである。その呑気な姿を何度も何度もリオは恨めしく睨んだが、当人はまったくもって気にする様子などなかった。

 結局、この人斬り無迅はどこまでいっても悪霊なのだと何度目かも分からないが再認識するだけだった。

「蛇の目、かあ……。何が目的なのかな」

「さーな」

「こんなにたくさんの人を殺してまで、欲しかったのが刀一本でしょ? そんなに価値があるのかな、刀って」

 おもむろにリオは澄水を抜いて、その刃を眺める。

 乱れ波紋はいつ見ても惹きこまれそうな妖しい魅力を放つ。胸の奥を掻きむしりたくなるような、焦燥にも似た欲望を感じさせられる。美しくて、恐ろしい。

「……そもそも、どうやって澄水を手に入れたの?」

「あん? ああー、ん-、どうやってか……。色々あって、それまで使ってた刀ァ折れちまって、どっかで見つけたのがそれだ」

「適当だなあ……」

「刀なんざァ、折れず、曲がらず、欠けず、(なま)らず、それだけでいいんだよ。澄水はそいつだけをしっかり守りやがる。火ィ噴いたり、地震を起こしたりよ、そんな特別なもんはいりゃあしねえ。

 だから澄水(そいつ)は最高なんだ」

 折れず、曲がらず、欠けず、鈍らず。

 改めてリオは澄水という刀は異常な代物と気づいた。

 どんな扱いをしても刃毀れひとつせず、折れるどころか、歪みもしない。研いだ覚えもないのにずっと刃は鋭利に光を放ち続けている。

「……十分、特別じゃない?」

「何たって(オイラ)の魂も同然だかんなァ」

「魂ねえ……」

 ゆっくりと鞘に納めてリオは仰向けに転がる。


 おりんも、おしんも、巫女として、その務めに殉じて死んだ。

 死んだはずなのに化けて出ている無迅は、何物にも影響を受けぬ静謐の刃を備えた刀を己の魂という。


 どうしてこうも、責任やら、使命やら、魂やら、そういったものを皆して抱いているのかとリオは不思議だった。

 傷つくくらいならば逃げればいい。

 死ぬくらいならば(おもね)ればいい。

 きっと、その方が人として自然であるはずなのに、立ち向かい、傷ついて、終いには命を落とす。そうしなければならないという決意のせいで。

 そんなものなくていいじゃないかと胸の内でリオは呟く。

 死んでしまうよりずっといい。

 それが少年の導く結論で、だからこそ納得がいかないし、世の中なんてと嘆きたい心地にもなる。

「誇りだとか、使命感だとか……いると思う?」

「いらねーよ、そんなもん」

「……じゃ、どうして、無迅はめちゃくちゃボロボロに傷つくのに、戦うの?」

「決まってんだろうが。楽しいからだ」

 やっぱり悪霊である。

 だが、その方がよほどリオは得心がいったし、それならば理解も及んだ。

「笑って死ねりゃあ、それが一番だろう?」

「……確かに」

 火傷や裂傷、捻挫と、打撲。それらで皮膚の色がめちゃくちゃになっている手を上げてリオは見つめる。

「一眠りするから、夢で会お」

「待っててやらァ」

 何百回と殺されまくる悪夢を見るべく、リオは下ろした腕を顔に置く。

 悪夢ではあるが何も考えずに過ごすのであれば悪くはなかった。

 加えて。

 いつ、誰が死ぬとも知れない世界で、少しでも生き残れる可能性を広げるためには効率的だという考えがあった。

 自分だけでなく、誰かとともに生き延びるには必要なことのはずだった。



 <人斬り無迅と妖刀シャガ・了>


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