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経済の話

MMT(理論)を通貨循環モデルから語ってみる

 関西国際空港は大阪湾を埋め立てて造られています。だから、この空港にアクセスする為には、そこにかけられてある連絡橋を渡る必要があります。

 ところがこの橋、不可解な点があるそうなのです。

 この橋は片側3車線(両側合わせて6車線)もあるのですが、交通量を考えると、明らかに広すぎるそうなんです。いえ、そもそも、この橋に接続する陸側の高速道路は、片側2車線しかないので、どう考えても3車線もある意味がないようにしか思えないのだとか。

 ……実は、この橋、当初の予定では片側2車線だったのを、政治家から声がかかって、3車線に変えられてしまったらしいです。

 橋を大きくすれば、それだけ工事を請け負う企業の利益が大きくなり、政治家はその見返りとして献金を受け取れるようになるからですね。

 その結果として、この橋の通行料は初期1500円に設定されました。この橋は4キロほどしかありませんから、かなり高いですよね。このままでは空港の運営にも支障があるからでしょうが、この橋は結局、国が買い取ることで料金が下げられました。

 (参考文献:「日本の恐ろしい真実 財政、年金、医療の破綻は防げるか? 著者:辛坊治郎 角川SSC」104ページ辺りから)

 つまり、“税金で賄われた”という事です。はっきり言って、かなりの“資源の無駄遣い”です。とんでもない事がまかり通っちゃっていますよね。ですが、この程度の資源の無駄遣いは日本ではまだまだ序の口なんです。

 上記の関西国際空港は、反対の声を押し切って造られました。何故なら、大阪の経済圏には、既に伊丹(大阪)空港と、神戸空港があるからです。

 こんな狭い地域にこれだけの数の空港が集まっていれば、客を食い合ってしまって、それぞれの空港の経営が難しくなるのは簡単に分かると思いますが、様々な利権や思惑が悪く作用した結果、3つの空港はそのまま存続していて、やはり経営が厳しくなってしまっています。

 当然の話ですが。

 空港を一つに集中させて、スケールメリットを活かせば、アジアでも有数のハブ空港となっていた可能性すらもあったのに……

 これなんかは、連絡橋を超えるとんでもないレベルの資源の無駄遣いです。いえ、無駄どころか害になっているのですがね。

 (参考文献:「日本の恐ろしい真実 財政、年金、医療の破綻は防げるか? 著者:辛坊治郎 角川SSC」153ページ辺りから)

 「何やっているんだ?」って、思わず文句を言ってしまいそうな話ですが、規模はこれほどではありませんが、もっと馬鹿馬鹿しい話もあります。

 大阪都構想で話題になっていたのですが、かつて大阪府と大阪市は仲が悪く、互いのメンツの為にビルの高さを競い合い、その費用に2000億円に近い税金が使われてしまったそうです。

 当然、そこでも資源が無駄遣いされています。

 関西の話題ばかり出してしまいましたが、似たような資源の無駄遣いは、日本中で行われています。

 例えば、夕張市は財政破綻してしまいましたが、これは使われない無駄な施設を造りまくっていたからです。北海道の奥尻島は、公共事業として復興事業が行われた結果、衰退してしまいました。

 こんな事を長年続けている社会は衰退して当然ですよね? そして実際に世界に目を向けると、日本は随分と衰退してしまっているのが分かるのです。

 1989年、世界全体の日本が占めるGDPの割合は15%もありました。が、その30年後の2019年には、なんと6%にまで低下してしまっています。

 因みに、アメリカは28%から25%とあまり変わっていません。

 (参考文献:「大マスコミが絶対書けない事 この本読んだらええねん! 著者:辛坊治郎 光文社」231ページ辺りから)

 多くの先進諸国や発展途上国が経済成長を遂げてきた中、明らかに日本は成長が鈍化してしまっているんです。

 ですが、もし仮に、こういった膨大に浪費して来てしまった貴重な資源を、もっと別の経済が成長する事の為に使っていたなら、どうだったのでしょう? 今でも30年前と同規模の経済力を維持していたのではないでしょうか?

 例えば、太陽光発電。今では、世界中でシェアが伸びていますが、かつて日本はその技術力で世界をリードしていました。そのまま技術力を伸ばしていれば、かなりの利益になっていたでしょう。車の自動ブレーキの機能を世界で一番初めに開発しのたは実は日本です。その開発を官僚が抑えこんでしまったのですが、もし、それを伸ばしていたなら、今頃、どれだけ日本社会に利益をもたらしていたか分かりません……

 

 ところで、今までこのエッセイで、僕が“資源の無駄遣い”と表現して来たのに気付いた人はいるでしょうか?

 “お金の無駄遣い”ではなく、“資源の無駄遣い”という言葉を、僕は意図的に使ってきたのです。

 資源を利用する為にはお金が必要なので、“お金の無駄遣い”でも良いのじゃないかと思う人もいるかもしれません。以前は僕もそのように考えていたのですが、最近になってその考えを改めました。

 何故なら、最近世間では「“お金の無駄遣い”は存在しない」と主張する人が増えて来ているからです。

 その理屈はこんな感じです。

 

 『お金は使えば必ず誰かが受け取る。それは失われているのではなく、必ず誰か他の人の利益になっているのだから、社会全体を観れば、無駄遣いは有り得ない』

 

 さぁ、どう思いますか?

 確かに、これ、理屈は正しいんです。先ほど挙げた公共事業による資源の無駄遣いの事例でも、その工事で企業は利益を得ています。もちろん、その分はGDPにも含まれていて、GDPは増えています。更にそれで使ったお金を税金で回収してしまえば、その無駄遣い分を取り戻せます。仮に国が借金をして資金を調達していたのだとしても、増税さえしてしまえば何の問題もなさそうです。

 だって、使った分は(海外に流れていない限り)、絶対にこの国の何処かに存在しているのですからね(いえ、大量に燃やされたりしない限り、ですが)。

 もちろん、これは、国が回収しなければ、民間部門のどこかにお金が存在し続ける事を意味してもいます。

 つまり、国が借金をすると、民間の資金が増えるって事です。もっとも、借金をし過ぎると物価が上昇インフレし過ぎてしまうかもしれませんから、そこは気を付けなくてはいけないのですが。

 今までの話をざっとまとめるとこうです。

 

 1.国がいくら借金をしても、増税さえすればそれを取り返せるので気にしなくて良い。

 2.国の借金は民間に資金を提供する事を意味する。

 

 はい。

 これは主にMMTと呼ばれる経済の理論によって主張されているものです。

 MMTとは、現代貨幣理論の略なんですが、MMTだと何の事やら分からないからか、MMT理論なんて表現しているものも多いです。MMT理論だと、理論が被っちゃっているのですがね(自分もかつては同じ理由からそう表現していたのですが、そろそろ有名になって来たので大丈夫かと思って、MMTに変えました)。

 このMMTは、会計理論を基にして成り立っている経済理論で、上記のような主張を展開しています。

 ただし、だからと言って、「無尽蔵に借金しまくれ」と主張している訳ではないのですけどね。

 飽くまで「インフレ懸念がないのなら、気にしなくていい」です。

 

 さて、話を元に戻します。

 国が借金しなければ、民間部門の資金はプラスにはなりません。一応断っておきますが、別にこれは民間企業に資金がまったくないって意味ではありません。

 全ての民間の借金と資金を全て足し合わせると、民間部門の資金はプラスマイナスでゼロになるって意味です。非常にシンプルな会計の基礎から導き出される結論ですね。だから、国が借金をしなくても、民間にだって資金は存在し得ます。

 例えば「どこかのIT企業が、AIの開発資金を得る為に銀行に社債を売って資金を得る」なんてケースですね。この例だと、IT企業の資金と銀行にある社債を足し合わせれば、ゼロになります。

 ですが、それでも国が借金をすれば、それが民間の資金になりはします。これをもって、多くのMMT派の人達は、(全員かどうかまでは知りませんが)「国が借金をする事で民間部門に資金を提供するべきだ」と主張しています。

 「その資金が、経済を成長させるのだ」

 と。

 

 ……ごめんなさい。

 傲慢を承知で正直に告白すると、この話を知った時、僕は「何を言っているのだろう?」と思いました。

 経済が成長するか否かは、借金の有無で決まるものじゃありません。もっとずっとシンプルです。「資源を経済成長の為に有効活用できているかどうか」だけです。

 これは自明ですよね?

 どれだけ借金で資源を調達しても、馬鹿みたいな事に投資をしていたら、経済は成長しません。投資した分だけGDPは増えるし派生効果もありますが、そんなものは短期間で終わります。逆に自前の資金を用いていて借金ゼロの場合でも、有効な投資をすれば経済成長を引き起こせます。

 だから、経済成長の為に国が借金をするかどうかを判断するのに重要なのは、「国と民間、どちらが資源を有効活用できるのか?」という点である事になります。

 そしてこれは、その社会がどんな状態なのかによって変わってきます。

 例えば、人口が多く、商業などが発達する見込みが充分にある場所に道路がなかったなら、道路を造ればまず間違いなく経済成長を起こせますが、こういった事業の場合、国が行う方が適しています。

 大規模な事業は民間では難しいですし、様々な土地の所有者と話を付けるのも難しい。国は投資が成功するかどうかを見極める能力が低いのですが(と言うよりも、失敗しても自分達で責任を取ったりしないので、真剣に見極めようとしないというのが正しいのかもしれません)、この場合は、投資を行いさえすればほぼ間違いなく成功するので、あまり問題になりません。

 つまり、“インフラ設備が整っていない経済が未成熟の状態”では、国が借金をして、資源を活用した方が良いことになります。

 ですが、経済がある程度成長しているインフラ設備の整った社会では、このように分かり易い投資は少なくなり、より繊細な判断が求められるようになります。

 この状態に移行すると、国の大雑把な判断では適切に資源を有効活用する事は難しくなるでしょう。

 次代の技術活用の可能性。チャレンジ精神。リスクとリターンのバランスの判断。今までのしがらみを切って捨てる覚悟などなど……

 成熟した経済社会の投資には、こういった様々な能力が求められますが、そのどれもが国には欠けています。だから、国ではなく、民間に資源を活用させるべき場面が多いのですね(もちろん、それでも国が資源を活用した方が良い場合もありますが)。

 この何よりの証拠は、日本社会です。

 日本はこれまでに何百兆という規模の公共事業を行ってきましたが「失われた10年、20年」とどんどんその期間が延びています。つまり、国は資源の有効活用に失敗をし続けて来たんです。

 もっとも、その失敗続きの数十年の間に、光明が見えた時期もありました。小泉政権時代の構造改革です。この構造改革で、国は借金を減らし、民間に資源の活用を任せました。すると、明らかに経済は成長をしたのです。

 (参考文献:「日本経済の真実 著者:辛坊治郎 幻冬舎」160ページ辺りから)

 これはMMTが主張する内容と真っ向から異なる事実です。国が借金を減らして、経済が成長をしているのですから。

 (ただし、だからといって、MMTが間違っているとは限らないのですがね。恐らく、MMTは間違っているのではなく、観点が欠けている……、或いは、説明が不足しているのです)

 もう一度繰り返します。

 経済成長に成功するかどうかは、資源をその為に有効活用できるかどうかにかかっています。決して、“国が借金するか否か”ではありません。借金は、飽くまで資源を手に入れる手段に過ぎません。民間に資源を活用してもらうのに、“国が借金をする”は、決して必要条件ではないでしょう。別の手段を執れば良いだけの話なのですから。

 ただ、ですね、これ、「当たり前だろ」って話でもあるはずなんですよ。わざわざ説明するまでもないくらいの。

 では、どうして、こんな当たり前の話を経済の専門家達が忘れ、「国の借金が、経済成長に必要かどうか」という議論をしているのでしょうか?

 どの本かは忘れてしまったのですが、「経済学は数学を用いることによって、数式に囚われ、生の経済を見ることを忘れてしまっている」という批判を読んだ事があります。

 その時はピンと来なかったのですが、「或いはこういう事なのかもしれない」と、今は思っています。

 

 ところで、今まで経済成長という言葉をたくさん使って来ましたが、それがどんな現象をいうのかを説明してきませんでした。とても重要な概念であるにもかかわらず、世間一般的にも明確な説明はあまり聞いた事がありません。

 ですが、経済が成長するか否かを論じている訳ですから、これを明確にするのは非常に重要であるはずです。

 なので、ここでそれを“通貨循環モデル”を用いて説明してみたいと思います。

 通貨循環モデルというのは、僕が提唱している(こう書くのは、自分でも恥ずかしかったりするのですよ?)経済のモデルで、これを用いると色々と分かり易く経済を捉えられるようになります。

 では、説明を始めます。

 

 たった5人の経済社会があるとします。彼らはAという生産物を一日に1個生産して、経済社会を成立させています。

 仮にこのAが一つ10円だとすると、この社会の一日当たりのGDPは50円になります。

 この経済社会で、投資によって資源が活用され、生産性が上昇したとします。そうですね。機械が開発され、生産物Aの生産性が5倍になったとしましょうか。すると、一日に5個しか生産できなかったAが、一日に25個生産もできるようになります。

 もし仮に、この25個が全て需要されるのなら、250円分の売り上げです。この場合、この社会のGDPは五倍に増えています。

 ただ、もし生産物Aが一日に社会全体で5個しか需要されなかったのなら、生産物Aを生産するのは一人だけでよくなり、後の四人は失業者になってしまいます。

 これを放置すると、経済社会はデフレスパイラルという状態に陥り、委縮してしまいます。つまり、不況ですね。

 これを解決する為には、失業者となった四人が新たな生産物を生産するようになる必要があります。仮にその生産物をBとしますが、その生産物Bを社会が需要するようになれば、やはりGDPは増えます。どれくらい増えるかは、Bがどれくらい生産可能で、またどれくらい需要されるかに因りますが、とにかく、GDPは増えます。

 はい。

 この“GDPが増える”が、経済成長を意味しています。そして、この簡単なモデルから、それには大きく分けて二つのパターンがある事が分かります。

 何かの生産物の生産性が上がって、生産量が増えた分だけの需要が社会にあれば、その生産量が増えた分がそのまま経済成長。

 もう一つは、生産性が上がった事で生まれた失業者…… つまり、労働資源を活用して、新たな生産物を生産し、それを社会が需要したなら、その生産物がそのまま経済成長。

 先の例の生産物Aにしろ、生産物Bにしろ、それぞれに“通貨の循環”がありますが、その通貨の循環が増える事が、経済成長ってことです。

 つまり、経済成長とは“通貨の循環量が増える事”なのです。

 そして、“通貨の循環量が増える”には、生産量が増える事が必要で、一つ一つの生産物には需要の限界がある事を考えるのなら、経済が成長する為には、“生産物の種類が増える事”が必要であると分かります。

 つまり、経済社会にとって生産物は“通貨の循環場所”だって事です。それを増やす事こそが、経済成長の本質です。

 その昔、日本の農家で稲作技術の向上が起こりました。これにより、労働資源が余り、野菜や養蚕といった他の生産物の生産が可能になりました。すると、それを基にした数多の多様な文化が生み出され、社会はどんどん豊かになっていったのですが、これは先のモデルで起こった「生産性の向上によって生産物の種類が増え、経済が成長した」と同じ現象です。

 また、人間社会は工業化の時代に入り、生産性が一気に上昇しましたが、それによって自転車、車、パソコン、携帯電話、ITサービス等々と様々に生産物の種類が増えています。これも、同様の現象です。

 更に、ここでもう一つ注意点です。

 “通貨の循環が増える”という事は、通貨を供給しなくてはいけません。通貨の循環場所が増えているのに、今までと同じ通貨量のままでは、うまく経済が機能しなくなってしまいますから。つまり、経済成長に伴い、通貨を供給しなくてはいけないのですが、これは“成長通貨”と呼ばれ、今までもずっと行われ続けています。

 多くの経済専門家があまり重視していませんが、この“成長通貨”は非常に重要です。

 そして僕はこれを考えた時、直ぐにこのような応用方法を思い付きました。

 

 「労働資源が余っているのなら、それを活用して新たな生産物が生産できる…… ならば、その新たな生産物を、社会問題を解決できるような生産物にしてしまえば良いのではないだろうか?」

 

 はい。

 余った労働資源…… 失業者の存在は社会問題ですが、その社会問題を解決する事で、別の社会問題を解決することもできるのです。一石二鳥ですね。

 例えば、太陽光発電システムの生産に失業中の労働者を当てたなら、失業問題とエネルギー問題、環境問題を同時に改善する事が可能になります。

 具体的には、太陽光発電システムに対して公共料金か、または税金かで「お金を払わなければならない」というルールを設ければ、それが可能になります。

 国に税金を払う方法でも原理的には可能ですが、国に任せると利益に群がる政治家や官僚が事業を失敗に追い込んでしまう危険が高くなるので、僕は民間企業に公共料金を支払う事で市場原理を活かす方を提案します。

 この話はここからが肝なのですが、太陽光発電システムを生産するようになれば、通貨の循環場所が発生します。ならば、その新たに発生した“通貨の循環場所”の分ならば、新たに通貨を増刷する事が可能になるはずです。

 通貨需要が増える分、通貨を供給するから、悪性の物価上昇は発生しないのですね。

 つまり、最初の一回分に関しては、生活者達はお金を払わなくても良いってことです。もちろん、新たな“通貨の循環”が発生すれば、景気が上向きます。そうなれば、収入が増えるので、二回目以降はその増えた分の収入からその太陽光発電システムの料金を支払う事ができます。

 “支出が増えた分、収入が増える”って事ですね。

 通貨は循環しているので、当たり前ですが。

 最初の支払い一回分の期間を一年分くらいにすれば、収入が増えるまでのタイムラグも問題にならないでしょう。

 もちろん、これは福祉や児童虐待の防止といった様々なタイプの他の生産物でも応用が可能です。

 資源が余っているのなら(その中でも、特に労働資源が重要ですが)、その資源を活かす為に通貨の循環場所を発生させる事で、社会問題を解決できるって事です。

 現在、人間社会には、地球レベルでの存続の危機が迫っていると言われていますが、この方法を用いれば、それを乗り越えられる可能性がかなり上がります。

 だから、まぁ、僕は随分前からこの方法を訴えているのですがね。

 

 実は、僕がMMTに興味を持ったのは、この通貨循環モデルの応用方法が切っ掛けです。MMTでは、雇用保障プログラム(JGP)と呼ばれる経済政策を提案しているのですが、この雇用保障プログラムの原理は、僕の主張している政策とまったく同じだからです。

 ですから、大いに賛同しているのですが、そのMMTの主張の全てに納得をしている訳ではありません。何点か、どうしても疑問を感じてしまったものもありました。

 それで僕はMMTを学び始めたのです。果たして、MMTは正しいのか間違っているのか? 間違っているとすれば、それはどのような点なのか?

 ネットでも調べたりしましたが、主にその為の勉強に使ったのは、

 「MMT現代貨幣理論入門 著者:L・ランダル・レイ 東洋経済」

 「MMT 現代貨幣理論とは何か 著者:井上智洋 講談社選書メチエ」

 「財政赤字の神話 著者:ステファニー・ケルトン 早川書房」

 の三冊です。

 その結果、書いているのが今回のこのエッセイなのですがね。

 ただし、正直に告白すると、それら書籍に書かれてある内容の全てを正確に理解できている自信はありません。

 僕が行ったのは、先程の通貨循環モデルを念頭に置いて、そこからMMTを考察するというものです。MMTは、会計理論を基礎としていますが、その部分についてはだからあまり触れないようにしている点はどうかご了承ください。

 

 では、話を元に戻します。

 随分と遠回りをしてしまったので、忘れてている人も多いかと思いますが、MMTでは「国の借金は気にしなくていい」とされています。

 「国は通貨の発行権を持っているので、債務不履行(借金の踏み倒し)は有り得ない。借金を返したいと思ったのなら、いつでも通貨を発行して返すことができる。心配するべきなのは、それによって引き起こしてしまう問題になるレベルの物価上昇インフレの方だ……」

 理屈上は正しく思えます。

 が、実はこれ、世間一般の考えとは少しばかりズレがあるようです。

 何故なら、国が通貨を発行してもたらす物価上昇は、実質的には債務不履行だと見做している人が多いからです。

 例えば、物価が二倍になれば、実施的に借金は二分の一になります。つまり、借金を半分ほど踏み倒してしまっているのです。

 もちろん、それは「通貨の発行による物価上昇」をどう表現するのかといった些末な問題に過ぎません。現実的には、確かに過度な物価上昇に注意さえすれば、そこまで大きな問題はなさそうです。

 ですが、ここで疑問にするべき点があります。果たして、どの程度、通貨を発行すれば、物価は上昇するのでしょうか?

 ここで、先程の通貨循環モデルを思い出してください。

 通貨を発行できるのは、“通貨の循環場所”がある分だけです。これは活用可能な資源がある事によって生まれます。つまりは通貨の発行が可能なのは、“活用可能な資源の限界まで”という事になります。

 要するに、活用可能な資源がないにもかかわらず、通貨を発行し過ぎてしまったなら、過度な物価上昇が起こる危険が出て来てしまうのです。

 ただし、これは飽くまで実物経済での話です。金融経済においては成り立ちません。ですので、仮に通貨を発行してしまったとしても、現在、とんでもない規模にまで膨れ上がってしまった金融経済に呑み込まれて、物価上昇が起こらない可能性は大いにあります。

 (因みに、アベノミクスであれだけ金融緩和を行ったにもかかわらず、物価上昇がそれほど起こらなかった原因の一つは、恐らくこれではないかと思われます)

 仮に、です。「通貨が発行可能なのは、有効活用可能な資源の限界まで」というこの考えが正しかったのなら、MMTの「国の借金は気にしなくて良い」という主張はやはり間違っている事にはならないでしょうか?

 「増税すれば、借金を減らせる」という理屈は正しいですが、現実的には増税はそんなに簡単できるものではありません。また、国の借金の恩恵を受けた人以外の、発言力のない弱い立場の人達が、増税の対象にされてしまうという懸念もあります。

 また、MMTでは、「クラウディングアウトは起こらない」とされているのですが、これにも疑問を抱くべきです。

 クラウディングアウトとは、(少し違うのですが、イメージを分かり易く伝えると)国が資金を奪ってしまう事で、民間の資金を奪ってしまう事を言います。

 通貨がいくらでも発行できるのなら、確かにこんな事は起こりません。が、実際にはその通貨には資源の裏打ちが必要です。いえ、もっとシンプルに、国が借金をして資源を奪ってしまったなら、民間が活用できる資源はなくなってしまいます。

 そして、実際にこれは起こっています。

 オリンピック2020の工事が盛んに行われていた時期、民間が資源不足で設備投資が行えないという問題が発生してしまいました。足りない人手を海外に求めたりしていたのですが、この場合、支払った労働賃金が海外に流出してしまいますから、国内の経済政策としては問題があります。

 もちろん、これは正確にはクラウディングアウトではないのかもしれませんが、それでもかなり近似した現象ではあるはずです。国の借金によって、民間の活動が抑制されるという事実は同じなのですから。

 もし「クラウディングアウトは起こらない」と主張したいのなら、「資源が充分にある」という前提が必要でしょう。国が活用してしまっても、まだ民間で使う分の資源が余っているのなら問題にはならないはずですから。

 

 はい。

 もしかしたら、気付いている人もいるかもしれませんが、この話は、実はこのエッセイで何度も語っている「経済成長するかどうかは、資源を有効活用できるかどうかにかかっている」という主張と同じです。

 

 “資源を活用するのが国であるべきか、それとも民間であるべきか?”

 

 「色々と語っておいて、結局はその話かよ」

 って、感じかもしれませんが、これはとても重要な話ですし、本来シンプルな話であるはずものが、通貨を絡ませると問題が複雑になって見え難くなってしまうのですよ(それもあって、僕は最近、“資源の無駄遣い”と表現しているのですがね)。それを示す意味でも価値があると思って書いてみました。

 そのついでに、もう一つ似たような話をします。

 資源を経済成長の為に有効活用する。

 これに成功した場合、通貨の循環量が増えます。すると、当然ながら税収が増えます。

 公共事業に成功した場合でもこれは同じです。だから本来の理想的な流れは以下のようなものになります。

 国が借金によって資源を調達する → その資源で公共事業を行い、その成功によって経済成長を起こす → 税収が増え、それで借金を返す。

 ところが、現実には国は公共事業に失敗をしてしまっているのです。経済成長は起こっていません。その為、税収も増えない。それで仕方なく、増税を行ったり通貨を発行したりして借金を返すしかなくなって来ている……

 これって、債務不履行という事になりませんかね?

 民間なら、事業に失敗して破綻した場合、他で余裕がなければ債務不履行に追い込まれてしまいます。国は増税を行ったり、通貨を発行したりが可能なので、その意味での債務不履行はあり得ませんが、「事業の失敗によって借金を返せなくなった」という点に着目するのであれば、これは本来、債務不履行と呼ぶべきもののように思えます。

 これに無自覚だからこそ、野放図な公共事業が軽々しく行われ、社会全体に損失を与え続けてしまっているのではないでしょうか?

 要するに、国の借金が増え続けている場合、“国によって資源が長年無駄遣いされ続けてている事を警戒するべき”という話です。

 (もちろん、資源が経済成長以外の目的で使われているケースもありますが、流石に規模が大き過ぎる場合はこれは考え難いです)

 膨大に膨らんだ国の借金は、“資源の無駄遣い”のシグナルなんですね。

 ――ただし、です。

 それでは、MMTが資源の重要性を理解していないのかと言えば、どうもそんな事はないようなのですが。

 

 これはMMT派の経済学者達自身が語っているのですが、MMT派は説明が下手、或いは説明が不足しているのだそうです。その所為で世間から誤解されている。

 実際、先に僕はMMTの勉強の為に使った三冊の本を挙げましたが、「MMT現代貨幣理論入門」では、通貨をいくら発行できると言っても資源の限界の制約を受ける点が明記されありました(356ページ辺りから)。

 いえ、それどころか、国が資源を奪って民間の成長を妨害してしまうことに対して、警鐘を発してすらいます。

 「財政赤字の神話」でもそれは同様で、普通に読んでもすぐに分かるくらいに資源が重要だと何度も強調しています

 恐らく、誤解からくる数多くの批判を浴びて来たからだと思われます。

 多分、MMTはとても誤解され易いんです。

 実は僕自身も、最初にMMTの主張を知った時は、「通貨を発行しても資源が増える訳じゃない。いくらでも通貨を発行できるなんてトンデモ理論だ!」と勘違いをしたくらいですから。

 「MMT 現代貨幣理論とは何か」という本では、資源の重要性に触れた記述は見つけられませんでしたが(僕が見つけられなかっただけだったら、ごめんなさい)、この本の著者はそもそもMMT派の経済学者ではなく、中立派の人がMMTについて解説している本なので、致し方ないかと。

 因みに、本自体はMMTを分かり易く、そして面白く解説してある良書でした。そんな本ですら資源の重要性について書かれていない事からも、MMT派の方々の説明が不足している点が分かると思います。

 ……MMT派の主張はセンセーショナルなものなので、そこにばかり注目が集まってしまって誤解を受けているという面もあるのかもしれません。

 ただし。

 MMTの「国の借金はいくらでも増やせる」という主張には明らかに考慮が不足している点があります。

 それは、“金利”です。

 国は借金の為に国債を発行するのですが、国債が大量に発行され、それを金融機関が購入した状態で金利が上昇すると、金融機関は大ダメージを受けてしまうのです。

 もう少し具体的に説明します。

 銀行などの金融機関は、預金者などから借りているお金を利子付きで返さなくてはなりません。そして、その為に他の企業などにお金を貸して、それ以上の金利で儲けるというのが一般的な業務になります。

 ここでそのお金を貸す相手が国だった場合、先に説明した国債を購入する事になるのですがね。

 仮にその国債の金利が0.1%だったとしましょう。この場合、預金者へ払う利子はそれより下でなくてはなりません。つまり、0.1%未満である事が求められるのです。そうじゃないと、預金者に返すお金の方が多くなってしまって、金融機関は損をしてしまうからです。

 所謂、“逆ザヤ”というやつですね。

 ――さて。ならば、もし仮に、この0.1%の国債が大量に金融機関に買われた状態で、社会全体の金利がそれを超えて上がってしまったなら何が起こると思いますか?

 国債で得られる利子収入よりも、預金者へ返さなくてはいけない利子の方が多くなり、国債を抱える金融機関は、莫大な損失を抱える事になってしまうのです。

 更に、ここでもしその損失を恐れた金融機関がパニックを起こして、国債を売りに走るような事になれば、どんどん国債金利の価値が下がり、売りが売りを呼んで、国債価格は暴落してしまいます。

 詳しい説明は割愛しますが、この状態は国債金利の上昇と同義です。

 すると、実質的に通常の手段では、国は借金を返せなくなります。通貨を発行するか、増税を行うか…… この状態を国家破産と呼ぶかどうかは意見が分かれるでしょうから、ここではなんとも呼びませんが、少なくとも経済が大混乱する事だけは確かです。

 実は莫大な額の国の借金を抱えた日本経済は、もうずっと前からこれが起こるかもしれないという危ない状態が続いているのです。

 もし、金利が上がってしまったら、ピンチなんですね。

 ただし。

 日本の金融経済は、社会主義的な面がかなり強くあり、金融機関が財務省や金融庁の言いなり状態なので、「揃って国債を売りに走る」という危険は少なく、更に、アベノミクスで日本銀行がかなりの額の国債を金融市場から買い上げているので、先に挙げたような形で問題が表面化する事はないかもしれません。

 それでも地方銀行は危ないのじゃないかと言われているのですが、安倍政権時代から再編が始まっていて、その負荷に耐えられるだけの体力づくりが試みられてもいます。

 ただし、それでも絶対に限界はありますけどね。金利が上がって問題になるのは、低金利の債券全般で、決して国債だけではありませんし。

 

 と、話が長くなりましたが、このように国の借金が膨大になった状態で金利が上がるのは問題なのです。

 しかし、この問題をどう乗り越えるのか、MMTからの納得のいく説明を僕は目にした事がないのです。

 「MMT現代貨幣理論入門」では、その記述をまったく見つけられませんでした(僕が見逃してしまっただけかもしれません)。

 「財政赤字の神話」では記述がありましたが、それは「金利は中央銀行がコントロール可能なので心配いらない」といったようなもので、その根拠の説明は経験則のみしか語られてはいませんでした。

 通貨量のコントロールは、MMT派の言う通り、通貨主権を持つ国ならば可能と言ってもしまっても構わないでしょう。ですが、金利は国際情勢の影響を受けます。これは常識であるばかりでなく、同書籍内でもそう述べられてありました。

 また、好景気になれば、金利が上がり易くなるというのも常識です。「金融政策の「誤解」 著者:早川英男 慶応義塾大学出版会」という本では、(266ページ辺りから)金融抑圧…… つまり、金利を低く抑え続ける事が困難な試み(不可能ではありませんが)である事が述べられていますから、少なくとも「金利は中央銀行がコントロール可能」というのは世間的には認められていない主張であるのは確かでしょう。

 ただし、近年の日本においては、現在までのところ、確かに金利を低く抑えられている点は事実ですが。

 ……まぁ、“2008年問題”など、危うい場面はありましたがね(検索をかけると簡単にヒットするので、興味のある方は調べてみてください)。

 また、もし仮に、「金利は中央銀行がコントロール可能なので心配いらない」というのが事実であったとしても、“金利を低く抑え続けなくてはいけない”という制約がその社会には課せられてしまいます。

 つまり、“金利を上げる”という政策は執れなくなってしまうのです。

 もっとも、MMTでは、そもそも金融政策を重要視していないので、それは気にしていないのかもしれませんが。

 MMTでは、金融政策の効果は限定的、或いはあっても不安定とされています。だからメインではなく、飽くまで補助的な政策として行うべきだとされているのです(中には「金利は固定の方が良い」という極端な意見もあるようですが、流石にこれはやり過ぎだと思います)。

 その証拠として、日本が挙げられる事が多いようです(MMTだとよく日本は引き合いに出されるのですがね)。

 ここで、それを軽く説明してみたいと思います。

 

 ――アベノミクス。

 あまりにも有名な安倍政権下における経済政策ですが、その様相が初期とそれ以降では大きく異なっている点に気付いている人はそんなに多くないのではないのでしょうか?

 日本という国は、規制でがんじがめで、民間企業の自由な活動を縛っている社会主義的な側面が強い体制になってしまっています。

 アベノミクスの骨子は、その縛られている民間企業の力を規制緩和、改革によって解放し、そこで生じた資金需要を、金融緩和によって満たすというものです。

 (もう一つ、公共事業もあるのですが、前述した通り、民間が使うべき資源を国が奪ってしまうので、実は相反しています)

 これは、このエッセイで散々語って来た「民間企業に、資源を有効活用してもらって、経済成長を成功させる」という事を目指すもので、だからもちろん、充分ではないと思いつつも僕は賛成していました(ただ、どこまで規制緩和ができるのかはかなり疑っていましたが)。

 ところが、実際には期待していた規制改革はあまり行われませんでした。つまり、民間の資金需要は増えなかったのです。そして、本来ならば資金需要が増えるのに合わせて資金供給を行うべきなのに、金融緩和によって資金供給だけは大胆に行われ続けたのです。

 つまり、実質的にアベノミクスは、金融政策だけになってしまったのですね。

 金融政策の効果で、金利は非常に低く抑えられましたが、肝心の資金需要を増やす為の規制改革は行われていません。ならば、普通に考えて、資金は…… つまり、資源は有効活用されません。

 ならば、成功するはずがない。

 はっきり言って、こんなのは直感的に分かる話です。だから、規制改革を行わないまま次々と大胆な金融緩和を行い続ける安倍政権に対して、僕は危機感を持ったのですが。

 「もしかしたら、安倍政権は暴走してしまっているかもしれない」と、心配になったのですね。

 この頃の安倍政権の行動の理由は謎ですが、「金融政策の「誤解」 著者:早川英男 慶応義塾大学出版会」という本では(37ページ辺りから)、「医療で言うところのプラシーボ効果のようなものを狙ったのではないか」といったような指摘がされています。

 経済では、「理論が間違っていても、皆が信じていればその通りになる」という現象が時折起こるのですが、それを狙ったのではないかというのですね。

 だからこそ、自信満々の姿勢を見せ、次々と大胆な金融緩和を行っていった…… そして、それが一部の人達(僕も含みます)に「暴走しているのではないか?」という不安を抱かせてしまったのかもしれません。

 真相は分かりませんが、とにかく、アベノミクスで約束されていた規制改革は充分には行われず、金融政策だけが行われました。そして、今のところは、充分な成果を出せてはいません。

 もちろん、「アベノミクスは成功した」と主張している人達もいますが、諸外国との差を観れば、日本の経済成長率が低いのは明らかです。また、「民主党政権時代に比べてGDPが増えている」という主張もありますが、そもそもGDPの算出方法が民主党政権時代と変わっていますから、比較する事はできません。

 これはMMT派の「金融政策にはそれほどの効果はない」という主張の通りです。

 これは僕も概ね同意見です。理論的な限界から、金融政策の効果はとても不安定なもので効果は保証できないと考えています。

 根拠もちゃんとあります。

 “ゲーデルの不完全性定理”って、ご存知ですか?

 「私は嘘をついている」

 これが真ならば、私は嘘をついていない事になってしまうので文章と矛盾し、これが偽ならば、嘘をついてはいない事になってしまうのでやはり文章と矛盾する……という、自己言及があるというメタ的な要素で矛盾が生じる有名は解なし命題ですが、ゲーデルの不完全性定理はこれと似ています。自己言及の要素があると、理論は不完全なものになってしまうのですね。

 そして、実は金融経済は「お金自体を商品として扱う」というメタ的な分野なんです。これが最も顕著に現れる事例は“バブル経済”です。

 通常は、需要と供給のバランスで商品の価格は安定しますが、「売って儲ける目的」で何かの商品を買う場合は、価格が上がっても「売って儲けられる」というモチベーションを更に強くしてしまい需要が増加し、常識では考えらえないような規模にまで何かの商品価格が膨らんでしまうことがあるのです。

 理論がどう足掻いても不完全になるのだから、金融政策の効果はどうしたって不安定になってしまうはずです。それに、金融経済は決して合理的とは言い難い、人間心理の影響も受けますしね。

 (因みに、従来の数学では、矛盾があると“解なし”として、それ以上を考えてはきませんでしたが、最近はそこから先を考える試みも為されているようです。もっとも、実用段階に達したという話は知りませんが、もし仮にこの試みが実用段階にまで至れば、金融経済は更に進歩するかもしれません)

 ――ただし、僕は社会の状況によっては金融政策が大きな影響力を持つ場合もあるのではないかとは思っています。金融政策が効果を発揮する状況もあれば、そうじゃない状況もあるのではないでしょうか?

 

 因みに、アベノミクスで約束していた規制改革、緩和が行えなかったのは、「既得権益を確保したい官僚達の抵抗にあったからだ」という声もあります。

 安倍政権を引き継いだと言われている菅政権で、「規制改革」という言葉が復活をしました。すると、その途端、様々な政権批判に結びくスキャンダル問題が起こり始めました。日本学術会議任命拒否問題。何故か、今更リークされた桜を見る会問題。自民党議員の養鶏業者からの資金提供疑惑……

 政治家は叩けば埃が出る人がほとんどで、だから邪魔だと思ったら「スキャンダルをリークして政権の邪魔をする」という方法で潰す事ができるのだそうです。

 こういったニュースの数々を見ると、「既得権益を確保したい官僚達からの抵抗」は、本当なのじゃないかと思えてしまいます……

 

 話がまた逸れました、元に戻します。

 MMT派は金融政策は有効ではないとしている。それでは、どんな政策が有効だと主張しているのでしょう? やはり、規制緩和? いえ、これも有効な政策ではありますが、規制が厳しい社会という前提があります。MMT派が主張しているのは、もう少し普遍性が高いものです。

 先に少し述べましたが、MMT派は雇用を保障することで、経済を安定させる策を唱えています。JGP…… 雇用保障プログラム(訳者によっては、就業保障プログラムとする場合も)と呼ばれるものがそれに当たり、この政策によって、職を失ってしまった労働者に職を与えるべきだと主張しています。

 デフレスパイラルという現象があります。

 これは失業者の発生(労働賃金の減額でも同じ)によって消費需要が下がり売上が減少、結果更なる失業者の発生を招いてしまい、それが更なる消費需要の低下を招くという悪循環によって、経済社会がどんどん委縮してしまう現象をいうのですが、この雇用保障プログラムにはそれを防ぐ効果があります。言うまでもなく、失業者に職を与えるからですね。

 また、もちろん、“労働”とは生産活動ですからGDPが上昇しますし、その生産活動を何か世の中の役に立つ事…… 例えば、環境問題解決や福祉などにすれば、様々な社会問題を改善する事ができます。

 肝心の財源ですが、これは当然ながらMMTでは問題にしません。高過ぎるインフレにさえならなければ、どれだけ通貨を刷っても構わないというのがMMTの主張です。借金で調達するという手段もあるだろうし、そのまま通貨を刷ってしまっても構わない。

 僕がこの雇用保障プログラムで気になったのは、初回ではなく、二回目以降、このプログラムを利用している労働者達への支払いをどうするつもりなのか?でした。

 インフレになる兆候が表れるまでは、通貨を供給し続けるのか、それともそれは初回のみでそれ以降は税金で賄うのか。

 もし、初回のみだというのなら、僕の通貨循環モデルで提案している方法と完全に原理が一致します。

 一応、おさらいしておくと、「新たな生産物が誕生した場合、最初の一回分の支払いには通貨を増刷して充てる事ができる」というのが僕の主張している内容です。新たな通貨循環量が増える分…… つまり、通貨需要が増える分、通貨を供給するので、悪性のインフレにはならないのですね。

 「MMT現代貨幣理論入門」、「MMT 現代貨幣理論とは何か」では、どちらなのか記述を見つけられませんでした。ですが、「財政赤字の神話」には書いてありました(101ページ辺り)。初回以降は税金で賄うと、少なくともこの著者は考えているようです。

 ならば、僕の主張との違いは「国でやるのか、公共料金という形にして市場原理が活かせる民間でやるのか」という点だけになります。

 僕が「民間でやった方が良い」と判断する理由は、出来る限り“社会主義的な体制で起こる可能性のある問題”を回避できる方法が好ましいと判断したからです。

 前述した通り、官僚や政治家達が利権に群がって、制度自体を駄目にしてしまいかねないですし、もっと根本的な問題として、競争がない状況下で仕事をする事で、品質が低下してしまいかねないという問題もあります。

 人間は恵まれた環境にいると劣化しますからね。努力しても努力しなくても同じであるのなら、モチベーションはまず上がりません。すると、生産性が上がりません。

 通貨循環モデルを用いた経済成長の説明で述べましたが、経済成長の源泉の一つは生産性の向上です。それを怠ると、経済の停滞を招いてしまう危険があります。

 もちろん、これが先ほど挙げた、社会主義的な体制での問題点なのですが。

 

 何故、MMT派が「国が行う」という方法を主張しているのかは分かりません。MMT派の経済学者達自身は、MMT自体に資本主義や社会主義といったイデオロギーは関係ないと述べています。どちらの主義でも用いる事ができる、と。

 ならば、その主張にはイデオロギーは関係ないはずです。そしてだから、僕はこのように考えました。

 

 「MMT派が雇用保障を「国が行う」としているのは、“経済成長”の概念を、自分達の理論に巧く組み込めていないからではないだろうか?」

 

 もちろん、常識としては理解しているはずですが、それを理論で表現し切れてはいないのではないか?と。

 或いはMMTは会計理論が基礎ですから、難しいのかもしれません。

 そう思った切っ掛けは「MMT現代貨幣理論入門」に、「中国が世界一の経済大国になるのは確実……」といったような事が書かれてあったことです。

 確かに中国の経済成長への意欲は物凄く、貪欲なまでに多くの先進技術を取り込み続けています。脅威を覚えるほどに。既得権益の確保の為か、先進技術を拒絶しているかのような日本とは雲泥の差です。

 ですが、それと同時に中国は物凄い規模の膨大な資源の無駄遣いもしているんです。「ゴーストタウン 中国」で検索すると、視覚的にも分かり易くその事例がヒットします。そして当然ながら、その裏返しとして、中国の借金は物凄い額になっています。

 資源を無駄遣いしてしまっているので、投資を行っても、それに見合った経済成長が起こらず、税収が増えない為、借金が莫大になってしまっているのですね。

 MMTの立場からすれば、「国の借金は気にしなくて良い」のだから、MMT派の経済学者達はこれを問題にしていないのかもしれませんが、普通に考えて、“資源の無駄遣い”が経済成長の足枷になるのは自明でしょう。

 しかも、まだまだその中国の“資源の無駄遣い体質”は治っていません。

 これを踏まえるのなら、「中国経済がこのまま成長をし続けるかどうかは分からない」とするのが妥当だと思われます。

 「貪欲に取り込み続ける先進技術の効果が上か、それとも資源の無駄無駄遣いの負荷が上か?」

 ですね。

 MMT派が、これを読んだから、何らかの反論をするかもしれませんが、この考察は、国が資源を意図的に有効活用したいと思った場合に、「借金して通貨を得るべきか、それともそのまま通貨を増刷するべきか」という疑問のヒントを与えてくれます。

 経済成長を起こす目的で資源を用いる場合は、継続性はあまりなく、また(成功さえすれば)後に経済成長によって税収が増えて借金を返せるので、借金によって通貨を得るべきだと僕は主張します。

 何度も述べて来た通り、だから国の借金が多くなるのは、“資源が無駄遣いされているシグナル”と見做せるのですね。

 それに対し、通常の生産物の場合は、継続性があるので、通貨を循環させ続ける事が可能です。つまり、料金や税金としてそれを設定し、長期間消費する生産物として定められるという事です。例えば、電気料金や水道料金のように。だから、通貨を増刷する事によって供給するべきだと僕は主張します。

 

 ……この内容は、MMTの足りない部分を補っているのではないかと自分では考えています。

 

 今まで話して来た“通貨の循環場所”を新たに発生させるという方法は、当然ながら、新型コロナウィルス(以下、コロナ19)禍における経済政策にも応用が可能です。コロナ19禍の影響で、失業者が増えていますが、その失業者達に新たな仕事の場を提供できるからです。

 ただし、現在(2020年12月)の日本は、既に借金をし過ぎているので、借金という手段は執らない方が無難でしょう。

 新たな公共料金を設け、そのサービスの為の投資は民間に任せるべきだと思います。

 ですが、借金に頼る方法でも、有効ではないかと思える方法もあることはあります。コロナ19の影響で生活が困難になってしまっている人が世の中にはたくさんいますが、そういった人達に対しての救済措置に利用できます。

 MMT派は「インフレになったなら増税を行って通貨を回収すれば良いのだから、借金は気にしなくて良い」という主張をしていますが、これはあまり現実的ではないと僕は判断しています。

 前述しましたが、増税はそんなに迅速に行えるものではありませんし、税を誰から取るのかといった問題もあります。

 仮に借金によってAという人にお金を配って、Bという人から税でお金を回収してしまったなら、絶対に反発が出るでしょう。結果的には国が強制的にBという人からお金を奪って、Aという人に与えているのと同じ事になるのですから。

 ですが、これに少し手を加えるとこれら問題点をクリアできます。

 仮にAという人が生活に困っていたとしたら、Aという人に対してお金をあげるのではなく、無利子でお金を貸すのです。インフレになった時にお金を回収するのは、そのAという人からにするのですね。もちろん、「借金を返す」という形式で。

 この方法ならば、迅速にお金を回収できますし、税の恩恵に与る人と税負担を受ける人が違うという問題点をクリアできます。すると、予算規模を一気に増やせます。

 また、何のリスクも負わずにお金を得られると人はダメになってしまうものですが、この方法ならば、「借金を負う」という責任を与えられるのでその予防ができます。

 一応断っておくと、スタグフレーションでない限り、物価が上昇するのは好景気になった時です。流石にその状況ならば、多くの人が仕事を見つけられているはずです。ですから、多くの人がその借金を返す事が可能になっているはずです(どうしても無理な場合には、先に挙げた方法でその人に職を与えるなんて手段も考えられますが)。

 この方法でも、金融経済を多少は混乱させてしまうかもしれません。ですが、それでも人を死なせてしまうよりははるかにマシでしょう。

 

 最後に、MMTに関するこぼれ話をしてこのエッセイを終えたいと思います。

 

 MMTとは、本来、貨幣に対する理論であって、今回このエッセイで取り上げたMMT派の主張の数々は、その理論を応用したものに過ぎません。

 そして、その理論の骨子は「通貨の価値は国家がその通貨を税で受け取る事によって発生する」というものです。

 通貨とは取引に用いられるだけの生産物で、それは触媒であって、本来は何の価値も持たないものです(硬貨には金属としての価値がありますが、それも実態とはかなりかけ離れています)。

 MMTでは、通貨が通貨として機能するのは、「国家が税をその通貨で受け取るからである」としています。

 果たして、これは正しいのでしょうか?

 先に挙げた、「MMT 現代貨幣理論とは何か」という本では、これに疑問を呈しています(126ページ辺りから)。

 確かに通貨が成立するのに、「国が税で通貨を受け取る」というのはとても重要かもしれないが、唯一の手段ではないのではないか?と。

 そして、“渡来銭”の事例をその証拠として紹介しています。

 昔、日本でもこの渡来銭は通貨として流通していたのですが、鎌倉時代には税として納められないどころか禁止すらされていたのに、それでも通貨として流通していたらしいのです。

 僕もこれには同意見で、通貨とは社会が創発したものではないかと考えています。

 “創発”とは、その下位の層では観られず、上位の層で初めて出現する事象を言います。

 例えば、H2Oの三態…… 氷、水、水蒸気という状態はH2O分子一つをいくら観察しても見出せません。H2O分子とH2O分子の関係性によって初めて生じるものです。

 通貨も、この創発によって人間社会に初めて登場したものなのではないでしょうか?

 そしてだからこそ、それはボトムアップによって自然と発生し得るものであるはずなのです。つまり、必ずしも国の存在は必要ない。

 その証拠として、経済の専門家ではあまり知らないだろう事例を提示しておきます。ただし、それは人間社会の事例ではありません。いえ、そもそも現実世界ですらなく、コンピューターのシミュレーション世界での話なのですが。

 「複雑系入門 知のフロンティアへの冒険 井庭 崇、福島 義久 NTT出版」という本(162ページ辺りから)で紹介されているのですが、各エージェント(そのシミュレーション世界での人のような位置づけをそう呼びます)が物々交換を行っていると、それが不効率であるが為、自然と皆が需要する生産物が媒介物の役割を果たすようになる現象が起こるそうです。

 通貨とは取引の媒介物ですから、これは「通貨が創発された」と表現する事が可能でしょう。

 つまり、国が存在しなくても、通貨が自然と創発されているのです。

 

 MMTは現在、様々な場所で議論されている古くて新しい経済理論です。一部ではトンデモ系のように扱われていますが、その中身は実は常識的な事を語っているに過ぎず、応用方法を見てみても、現実的な主張をしているように思えます(もちろん、その主張の全てをそのまま受け入れる訳にはいかないでしょうが)。

 多くの誤解を生んでいますが、それは本人達が語っているように説明不足や説明の下手さからくるものです。

 ただ、それを踏まえてもまだ足りない視点があると考え、今回、こんなものを書かせていただきました。

 恐らくは“通貨の循環”という概念で、MMTを補完できるのではないかと僕は考えています。

 

 もう既に述べましたが、今現在、人間社会が直面している多くの問題を解決するには、それと同時に経済の問題を解決しなくてはなりません。

 経済を成長させる事で、経済を成長させるような試みが必要なのです。

 そして、ここで提示して来た方法を使えば、それが可能かもしれないのです。

 

 コロナ19への対応で思ったのですが、日本ほど従順な社会は他にありません。そして、ここで提示して来た方法を用いるのには、その日本人の特性が非常に適しているのです。

 もし成功したなら、非常に重要なモデルケースとなるでしょう。それは日本社会にとっても、人間社会全体にとっても大変大きな利益になります。

 新たな試みを人は恐れるものですが、勇気を出して一歩踏み出さなくては何も解決しません。

 

 ――どうか、勇気ある判断を。

参考文献は、作中に書いたので省きます

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