九
景虎様は祝い席で演習をするからと戻って行った。
私と父も元の席に戻り、その様子を眺めているが私は景虎様というより辺りの景色を視点の合わないまま見ている状態だった。父も娘の突然の乙女モードを見てしまい言葉を失っている。
ーーーこのままだとまずい。
後出しで思い出す前世の記憶をここまで憎んだことはない。いや、もっと私が全体を俯瞰して見ることができれば違ったのかもしれない。
もし私が思い出さないままだった場合の未来を考えるとぞっとする。せっかく妹の虎耳草様に対して前向きに捉えることができるようになった景虎様が寿命を全うできずに死ぬなんて、不憫すぎて無視できない。
「(どのルートでも死ぬってそんなのあり?そんな雑魚キャラじゃないよ景虎様は・・・)」
梅雨という立場になり、ゲームの当事者となったからこそ景虎様の素質や物腰の柔らかさは雑魚キャラではないし、死ぬ理由などないと思ってしまう。
これから御前の後を継ぎ、前世で言う殿様のポジションに君臨する景虎様が道半ばに死ぬなんて可哀想だ。
私だって死にたくない。穏やかに大往生をするのだ。ゲームの中の梅雨になることは絶対にない。だったら景虎様もそうあるべきだ。ご自身で破滅を望まないのだったら、私は全てのフラグをへし折って助けたい。
「・・・・・・」
助けたいって、何だ。私はいつから景虎様のために尽力するような姫になってしまったのだろうか。やはり意識していないと言っても雨一族の姫だということが、そう自然と考えさせてしまうのか。それとも景虎様のご容姿に惹かれ、お力になりたいと思っているのか。
違う、そういうものじゃない。もっと根本的なところが、そうさせる。
ーーーもう、私のそばに、親しい人のそばに死があるのは嫌だ。
「・・・・・父様」
「・・・梅雨、今は景虎様の名は出すな」
「・・・・・・・」
娘を思う父の横顔に、思わず笑ってしまいそうになる。いつも新聞で顔を隠していた前世の父も、こうやって実は私の身を案じて、私が死んだ時は泣いてくれたんだろうか。部屋の隅で、声を押し殺して泣いたんだろうか。
「・・・・・・」
もう誰も悲しませない。幸運にも私は雨一族の姫。紺の髪色も、泣き黒子も、そして力も受け継いでいる。できることは多いはずだ。全員、私の見知った人は寿命を全うさせる。できるはずだ。転生し、チート並の先読みの力を手に入れた私ならできる。
ーーーいや、やってやる。
せっかく手に入れた第二の人生、自分の大往生のためにも、周りの健やかなる人生のためにも。
「父様、私・・・景虎様の影武者になりたい」
「・・・・・・梅雨」
梅雨、七歳。人生で一大決心した瞬間だった。
皆が演習に目が釘付けになる中、父と私だけはお互いの目をじっと見つめる。『影武者』という雨一族の一部でのみ通じる言葉を私が告げたことで、父は父ではなく雨笠の顔をした。それだけ重大な発言をしたのだと、言った後から緊張してしまう。
影武者とは、その名の通り景虎様の影となり暗躍し、時には身を挺して景虎様をお守りする。雨一族の遺伝である変化の力を使用し、姿を景虎様に変え本来降りかかるはずの火の粉を私が引き受けるのだ。
それだけ危険も隣り合わせになる。だけど想定できる乙女ゲームのフラグは回避できるから、危険分子がことを起こす前に阻止することができる。それ以外にゲームとは関係のない事象が発生する可能性もあるが、その確率は低い。なんといっても、ゲームのシナリオが進まなければこの世は泰平だからだ。
「・・・御前や次期当主候補の景虎様から汚れ仕事を仰せつかることもあるんだぞ」
「覚悟しています」
「・・・・・・」
私が今父に進言している内容は、『役目』を担うのと同じだ。本来『役目』は虎一族からの招集があった際や、当主が必要だと判断した時に与えられる。だけど影武者ともなれば、虎一族の指示や当主の判断がなくとも、自分で考え景虎様を守ることになる。
『役目』よりも重い任につくのは、私もできれば避けたかった。『役目』だって、なりたくない。だってその方が雨一族のしがらみを感じる必要がないから。でも、転生して、前世の記憶を取り戻したのには何か意味がある。その意味が景虎様を守ることなら、私が長生きするためなら。
「・・・・本気なんだな」
「・・・・はい」
「影武者にならずとも、お前であれば景虎様も妻にしてくれるかもしれないんだぞ」
「妻だと守れないんです」
「守るって・・・・・梅雨、お前はまだ七つなんだぞ」
前世も加えたらとっくに成人している。もしかしたら父よりも年上かもしれない。とは言えないので、「私やります」と強い意志を伝えるために父を見上げる。
するとやはり雨一族の雨笠という立場もあるからか、才能ある娘が望んだのだったらその道もあるかと納得してくれたらしい。信じられないほど長いため息を吐きながら、父は腕を組んで目を瞑った。
でもその時、意外なことにも眉間に皺は寄せられていなかった。
「分かった。景虎様と御前には私から伝える。お前は島に戻り次第、雨苑と共に精進しなさい」
「はい、父様」
「・・・・これからは当主と呼びなさい」
「はい」
「・・・・今は・・・島に戻るまでは父様と呼んでいい」
「はい・・・・父様」
困ったように眉を下げる父は、それでも優しく頭を撫でてくれた。近くからは演習を終えた景虎様に向け拍手喝采が起きているが、雨一族はまるで気にしていなかった。島に戻るまでの、最後の親子関係を大事にしたいとお互いに思ったから。
少し親離れをするには早いが、私はこうして雨一族の一人として暗躍する道を選んだ。
祝い席の片付けを行う中、父が御前と景虎様に私が影武者になりたいことを伝える。御前は聞いた瞬間驚いていたものの、次には盛大に笑い、そして大きく頷いた。景虎様は何か腑に落ちないような顔をしたが、御前に「梅雨が修行を終えればこの城に住むようになるぞ」と言われるとすぐに機嫌を直した。
「梅雨」
話が終わった父が手招きをするので急いで駆け寄る。父が私の肩に手を置き、御前へ頭を下げるので私も釣られて会釈をする。すると御前は「よい、よい」とケラケラ笑いながら私へ頭を伸ばしくしゃくしゃと撫でた。その乱暴な手つきに思わず目を瞑ると、御前はやはり笑う。父も優しく笑う。
ああ、この父の笑顔を守りたいな、と思った。
ぼんやり父の顔を見上げていると、ふと前に影が差す。そちらへ顔を向ければ眉をへの字に曲げた景虎様がいた。何か言いたげな景虎様は御前により乱れた髪に触れると、そっと直してくれる。それから頬を手の甲で撫でた。
「梅雨、どうして影武者になろうなどと考えたんだ?」
「・・・その方が良いと思ったまでです」
「では影武者にならなかったら、どうなる」
あなたが死にます。最悪の場合、景虎様が暴走してせっかく私がなぎ倒してきたフラグを再構築してバッドエンドへと導いてしまうかもしれないです。なんてことは言えない。
何か良い言葉はないか、と考える。だけど今世での知識など知れたものでなかなか思いつかない。なのでここぞとばかりに前世の記憶を頼る。何か良い例えは、景虎様が納得するような言葉はないかと探していると、病室のベッドで眺めていたテレビで特集されていた海の生き物を思い出す。
私はその生き物を頭の中で思い浮かべ、できるだけ穏やかに微笑む。交渉術の本には、相手を納得させるためにはこちらが冷静でないといけないと書いてあった。
「景虎様はアメフラシという生き物をご存知ですか」
「アメフラシ・・・?さあ、聞いたことがないな」
「その生き物は海で生活をしていて、形は蛞蝓のようだと言われています」
急に生物の話を始めた私に、景虎様だけでなく父や御前までもが首を傾げる。父に至っては今日一度だってまともじゃない娘にはらはらしているようだ。
それでも私は言葉を止めず、続ける。これは、とても重要な言葉だから。
「蛞蝓のようですが、その体内には貝殻があるとされています。決して魚などは食べず、海藻を食するそうです」
「・・・梅雨、話が見えないな。それがどうした?」
「・・・・アメフラシは、外敵から身を守る際に紫雲のような液を体外に放出します。まるで雨雲のように見えることから、アメフラシと呼ばれるようになったそうです」
「・・・・・・」
だからそれが何なんだ、と答えを急かす景虎様の視線に私はお望みどおりにと微笑む。これからは景虎様の影武者になるので、景虎様が望めば私は従うようになる。
ーー最高の結果をお届けできるように頑張ります。
「アメフラシの当て字は、雨虎」
「・・・・・・」
「景虎様はお優しい方だと梅雨は思います。妹の虎耳草様を思い浮かべる姿を見てそう思いました。ですが雨虎のように外見は柔らかくお優しくとも、その芯は貝殻のように強く、何者にも屈さぬお心をお持ちだとも思います。そんな景虎様が健やかにお過ごしになれるよう、雨一族の梅雨が雨雲で覆い隠しお守りします」
「・・・梅雨・・・・」
「私が影武者にならなかったら、あなたの姿を敵から見えなくする者がおりません」
「・・・・・」
「味方は多い方が良いでしょう。なのでその方が良いと思いました」
「梅雨・・・・」
「ふむ、梅雨は言葉選びがうまいな。雨笠もそう思うだろう」
「・・・娘の成長には驚かされるばかりです」
すみません、テレビでやっていた内容をそのまま引用しました。とは言えないので、照れた真似をする。それでも御前や父には伝わったのか、うんうんと腕を組んで二人とも頷いている。旧友だと言っていたが、確かにそうなのかもなぁ、と思った。
さて、景虎様はどうだろうか。と視線を戻す。すると景虎様は顎に手をおいて考え込んでいた。あれ、まだ納得できるだけの話ができなかったか。
だけどもうストックがないぞ、と景虎様を見上げる。ちょうどその時景虎様も考え込むのを止め、私を見下ろす。
「なるほど、雨一族と虎一族をかけたのか」
「・・・・・・」
「雨虎・・・きっと見た目はあまり良くはないんだろうな」
「・・・そうですね、蛞蝓ですから」
「でも・・・・・」
そこで言葉を止め、景虎様は私の目線まで屈む。ぐっと寄せられた顔に異性だと意識そうになって私は仰反る。それを見て御前がケラケラと笑い、父は娘の行末を心配した。
景虎様が腕を伸ばして頭に手を置く。照れ隠しの代わりに仰反る私の態度に気付きながらも間近で優しく微笑む。
とても優しい、虎の目だった。
「嫌いにはなれないな。梅雨と私は同心だという比喩に使ったんだろう?」
「そう、ですね」
「なら、嫌いにはなれないと言うよりむしろ好きだ」
「そう、ですか」
なんだか素直に頷けなくて小首を傾げながら返答をする。もしかして、今の返答は「雨虎をお気に召されてよかったです」とか言った方がよかったのかもしれない。
私が内心汗を垂らしていることに気づいていた上で景虎様は微笑む。どこか清々しい雰囲気を携えながら。
「梅雨が味方なら私も心強い。お前が私を守るように、私もお前を守るよ」
「え?・・・いや、それでは意味が・・・・」
「決めた。父上、よろしいですよね」
「ああいいぞ景虎。影武者だろうが娶ることもできるしな。梅雨なら大歓迎だ」
「御前・・・・・っ」
「雨笠、景虎は嫁に似てねちっこいからな。それでいて俺のように諦めが悪い」
「御前・・・・」
父が眉間の皺を倍増させながらため息をつく。虎一族の二人はただただ盛大に笑ったり、にんまりと笑った。私はと言えば、なんだか思うように進まないぞと未来の打ち消すフラグたちの強靭さを想像し、笑ったまま困惑した。
大人二人の対応に何も言えない私に景虎様が屈んだまま頭を撫でる。
「修行が終わる頃、迎えに行く」
「え、いや・・・景虎様はお待ちになっていれば・・・・」
「いいや行く。そこまで弱くないからな」
「(弱くないから、暴走しないか不安なんです・・・・)」
こうして、私のフラグぶった切り作戦は開始された。
ーーー全ては大往生のために。
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これにで第一章完結です。ありがとうございました。
次話からゲーム開始直前です。よろしかったらお付き合いください。
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