七
「皆、楽にしてくれ。この祝い席は私ではなく、景虎に用意したもの。我が息子を盛大に祝ってやってくれ」
そう、少し遠くで快活に告げる御前に、祝い席に出席した者たちがゆっくりと頭を下げる。各地に散らばる一族の当主やその息子、娘。広い敷地に所狭しと並ぶ彼らの数に、それだけ一族が多いのだと気づく。その一族の頂点に君臨する虎一族。そして御前の息子であり、次期当主といわれる虎影様が、一段上から私たちを見ていた。
父と私はというと、門から一番近い席に腰掛け様子をうかがう。御前のご挨拶が終われば、これから一族の序列順にこちらかのご挨拶が始まる。一族の序列とは、その力の強さとともに虎一族への忠誠の度合いが高い順のことだ。忠誠の度合いとは、一族の力による援助、そして金での援助のことを指す。
どの世界でも金で世は回っている。そして力の強いものが強者となる。
ぞろぞろと並び出した一族の当主を遠巻きに眺めながら、父はいつ動き出すのかと考える。雨一族は辺鄙な場所にある島だし、そこまで財はないから金での援助はできない。それに分かりやすく力で示すこともできない。変化の術は、虎一族とその周囲、そして雨一族しか知らない力だからだ。
なので表立って権力を振るうことはできない。父も私もそれでいいと思っている。しかし他の一族からしてみれば、この祝い席にも参加できないほどの実力と権威しかない雨一族がなぜ出席しているのだと思うらしく、時折ちらちらと視線が向けられて、それが嫌だった。
「父上、あの姫は雨一族の梅雨姫ですか?泣き黒子が雨でした」
「ああ、そうだよ。どうして参加しているんだろうなぁ、御前のお情けだろうか」
「純白の振袖を召していますが、景虎様の許婚なのでしょうか」
「それはまずないだろう。雨一族の姫を妻にするくらいなら、お前を妻に娶るよ」
「そうですよねっ」
近くを通り過ぎた当主と姫がくすくすと笑っている。もちろんしっかりと会話の内容が聞こえていた私は、「どうぞ娶られてください」とため息をつく。
せっかく父が用意してくれた振袖を悪く言われるのは悔しい。確かに晴れ着として身に着けるには場所が悪かったかもしれないが、これだけ雨一族だと分かりやすい振袖はこの世に二つとないだろう。特にこのデザインを気に入っている私としてはそれだけが悔しい。
だけど父は娘を酷く言われたのが気に食わなかったようで、鋼鉄の笠をグッと掴んで俯いた。父よ、娘が可愛くて仕方ないんですね。ありがとう。
雨一族をよく知らない者の言葉に傷つく必要はないし、父もそこまで悔しがらないでほしい。私はそっと父の手を握ると、気持ち程度に微笑んだ。
「父様、そろそろご挨拶には行かないのですか?」
「・・・・私たちは次だよ。糸一族が済んだら向かうとしよう」
「糸一族・・・・・」
父の言葉と共に、視線の先を追いかける。するとそこには、あと少しで景虎様の前に到着する一族がいた。他の一族とは似ても似つかない着物。おそらく渡来物を真似ているのだろうが、前世の記憶を取り戻した私の言葉でいうとレースでごてごてだ。
糸一族の当主だろう男は袖に黒のレースをあしらっていて、髪が長いこともあり男性に見えなくもない。姫だろう少女も、首元を白のレースで覆っていて、着物もゴスロリですかと聞いてみたくなるほど所々レースで装飾されていた。成人式の振袖でも売られていないんじゃないかと思うようなごってごてレース仕様だ。
しかしそれこそ糸一族の印だ。糸とつくだけあって、あの一族は糸を操ることができる。人に糸をくくりつけて操り人形のようにできるのだとか。とりわけ衣類に武器を仕込むことに長けており、おそらくあの着物も振袖も中はしっかり厳重装備だと思われる。
その糸一族が御前と景虎様に挨拶をしている。それを見て頃合いかと思った父が立ち上がる。私も釣られて立ち上がると、振袖についた皺を叩いてから歩き出した。
「先に会釈をして、それから御前に、そのあと景虎様にご挨拶だぞ」
「はい、父様」
挨拶を済ませた一族同士が談笑をしている。島で生活している雨一族とは違い、陸続きで交友関係のある一族同士は仲が良いのか楽しそうだ。その間を笠を目深にかぶった父と共に通り抜ける。その時、足音をできるだけ立てないようにしてしまうのは、おそらく一族あるあるだと思う。
だけど純白の振袖はどうしても目を引くもので。
人と人の間を通り抜けようとした私に、誰かがぶつかった。そこまでの衝撃ではなかったけれど、体が一瞬ぐらつく。「あ」と声を出した時にはすでに体勢を崩していたので何か掴めるものはないかと無意識に右手を宙に向ける。すると誰かに掴まれる感触があった。
ぐい、と引き寄せられ体勢を整える。それからお礼を言おうと腕を掴んでいる人へ視線を上げる。
見たことのない、細目の少年だった。
私が今着ている純白の振袖のように透き通った銀髪。肌も白いので存在自体が薄らとしている気がする。それでも気味が悪いと思わなかったのは、白い肌に乗っている血色の良い唇と、その色と同じ紅の目が少しだけ見えたからだろうか。
惚けたまま少年を眺める。そうしていると少年がくすくすと笑いながら私の頭に手を置く。ああ、びっくりすると凝視してしまう癖は直した方が良さそうだ。変な誤解を与えてしまう。
「大丈夫?」
「あ、・・・・はい」
「ごめんね、前を見ていなくてぶつかっちゃった」
「いえ、私も注意して歩いていなかったので」
「そっか。・・・・ね、君ってもしかして雨一族の梅雨ちゃん?」
「はい・・・そうですが・・・・」
「やっぱり!僕一度会ってみたかったんだぁ」
「・・・・・私にですか・・・?」
「うんっ」
私はこの少年を知らなかったが、少年は私を知っているらしい。だけど会ったことはなく、誰かから話を聞いたことがある程度だったのだろう。だから本人が目の前にいることを喜んでいるらしい。色素の薄い少年は側から見たら景虎様に匹敵するだけの美少年だから、そういう類に喜んでもらえると女子としては少し嬉しくなるが、それは喜んでもらえている内容にもよる。
「あの・・・どちら様ですか?」
「あれ?分からない?」
「そう、ですね・・・・」
「僕は梅雨ちゃんだってすぐ分かったよ。その泣き黒子と振袖の模様ですぐ分かった」
「そうですか・・・・」
「梅雨ちゃんは?ちゃんと僕を見て?」
「・・・・・」
少年は自分の着物の袖を掴んでひらひらと揺らす。どうやら着物にヒントがあるらしい。私はまじまじと少年の着物を眺める。色素の薄い少年には少し不釣り合いな深緑の着物。その着物の胸元には金色の糸で刺繍された印。それは犬のような、何か動物があしらわれている。
犬か、犬一族なんていただろうか。父や兄からは聞いたことはない。ううん、と唸りながら少年を見る。細目の少年が少しだけ紅の瞳を向け、にんまりと笑う。なんだろう、なんとなく連想できたけれどそれは知識があったからというよりは、前世でありがちな設定だからという理由だから確証はない。
でも言わなければ解放されない気がする。私は間違っていたら申し訳ない、と思いながらも口を開く。
「狐・・・・?」
「そう!ご名答!」
「あ、よかった」
狐って、よく細目で表現されるよなぁ。と思ったが間違っていなかったらしい。少年は嬉しそうにその場でぴょんぴょん跳ねながら私の頭を撫でる。跳ねるか撫でるかどちらかにしてほしい。微妙な振動が頭に響くから。
「僕、狐一族の狐薊。長いからあざみでいいよ」
「は、はい。あざみさん」
「あざみでいいよっ、僕梅雨ちゃんと同い年だから!」
「はい、あざみ」
「敬語も嫌だ!」
「うん・・・・分かった、あざみ」
随分ぐいぐいくる狐だな、と内心頬をひくつかせる。だけどこのあざみという少年は悪気はないらしい。まだ子供らしい性格をしているし、無下に扱うのも可哀想だ。
私は差し出された手に重ね、握手をする。この世界でも握手ってあるんだなぁ、それは乙女ゲームの補正かなぁなんて考える。その間もにこにこと微笑む少年は、嬉しそうに私の手をぎゅうと握ると細目から紅の瞳を覗かせた。
「僕ね、梅雨ちゃんに会ってみたかったんだ」
「そうなんだ」
「梅雨ちゃんも景虎様のために力を使うでしょ?僕もそうだから、数少ない友達だと思って」
「・・・・え、力って・・・」
「え?力ってあれだよ、変化の力。僕も狐一族だから他人に化けーーーー」
「ま、待って」
待て待て待て、一族の中でもトップシークレットをこんな場で何ぺらぺら喋っているのか。子供だからって許されることではないぞ。
思わず私はあざみの口を手で覆って静止する。急にそんなことをするとは思わなかったあざみはぴたりと動きを止めて私を見る。だけどすぐににんまりと目を細めた。
その表情に、こいつ分かっていた喋ったなと理解する。やはり狐はどの世界でも侮れない存在のようだ。私は若干父のように眉を顰めながらあざみを見上げる。同い年とは言えど、あざみのほうが頭一つ分大きい。今は関係ないが、そんなあざみより景虎様は頭ひとつ分大きい。今は関係ないが。
「あざみ、それ言っちゃいけない話だよ」
「むむ・・・むむー・・・」
「もう言わない?」
「むむ」
「・・・・言わないでね」
「うん、言わない」
手を離すと、あざみがにっこり笑う。嬉しそうにあざみの口を押さえていた私の手の平を指で擦る。その行為に何か意味があるのかは知らないけれど、あまり近づきたくない相手だなと本能で思った。
掴まれた手を離し、一歩あざみから離れる。あざみはいまだににこにこと笑うばかりだ。何がそんなに楽しいのか私には分からない。
そんな怯えた表情をする私に、あざみは口元で弧を描きながら呟く。
「ねぇ梅雨ちゃん」
「・・・・・なに」
「僕たち同じ穴の狢だよ。この世に二つとない穴に一緒に住んでるんだ。だから切っても切れない縁で結ばれているんだよ」
「・・・・・」
「一緒に景虎様を守ろうね。梅雨ちゃんも守ってあげる。大事だもん」
「・・・・・・」
「だから梅雨ちゃんも僕を守ってね。何よりも大事にしてね」
こいつ、ヤンデレ属性か。そう思わずにはいられない。纏っている雰囲気が他の少年とはまるで違う。影で生きることのできる人間しか纏えないものを持っている。
私は狐一族についてよく知らないが、おそらく雨一族のように虎一族を陰で支えていくことを生業にしているのだろう。じゃないと、雨一族が変化の力を持ち、汚れ仕事を行ってきた経緯など知るはずもない。
同じ穴の狢とはつまりはそういうことだ。あざみも、いずれ大きくなれば景虎様の指示により誰かを殺すこともあるのだろう。
悲運な定めにある少年だ。私は父の言葉もあり、汚れ仕事をしない人生を選択した。だけどあざみはその暗い道を進むことを選択したようだ。すでに決意も固まっている。だからこそ、同志である私と仲良くしたいらしい。同志、同志か。
「(あれ、そういえばゲームにも梅雨の仲間がいなかったっけ・・・)」
悪役姫の手となり足となり邪魔者を排除する存在がいたような。うろ覚えだけど、ちゃんと名前もあった気がする。あれ、そのキャラも髪色銀髪だったな。あれ、ゲームの中で梅雨はそのキャラのことなんて呼んでたっけ。
ーーいやぁ、あざみんもついに攻略完了か。ヤンデレ最高!
「あ」
隣の病室の女の子が嬉しそうに叫んでいた光景を私が思い出した頃、物思いに耽る私にゆっくりと歩み寄っていたあざみがにんまりと微笑みながら手を伸ばした。
とんでもない重要人物にまさかここで出会うことになるとは、と驚愕する私は伸ばされた手に気づかずに反応が遅れてしまう。絡みとろうとするあざみの指が肌に触れる。そうして手首を掴まれそうになる瞬間、別の腕が伸びてきた。
そのまま、その手に掴まれる。
「梅雨」
「あ、・・・・景虎様」
突然現れた景虎様に驚いて固まる。それはあざみも同じようで、珍しく紅の瞳をしっかりと見せた。
その紅の瞳に射抜かれる景虎様は特に気にしている様子もなく、むしろ私を気にかけているようであざみから視線を外すとこちらを見下ろした。
「梅雨」
「は、はい」
「挨拶になかなか来ないから探し歩けばこんなところで何をしているんだ?」
「申し訳ありません、景虎様」
「・・・・待っていたんだよ」
「・・・・・申し訳ありません」
掴まれた腕に少し力を込められる。さすがは虎一族の嫡子。軽く力を入れただけなのだろうが、簡単に振り解けないだけの状態になる。
嫡子を怒らせてしまったと私は口を閉ざす。父もきっと心配をしているだろうし、景虎様を怒らせたと知れば私を叱るかもしれない。
私はもう一度謝ろうかと景虎様を見上げる。だけど景虎様は再びあざみへと視線を向けており、どう形容したらいいのか分からない感情をその虎のような瞳に乗せていた。
「お前は狐一族の狐薊か」
「はい、景虎様。お久しゅうございます」
「・・・・梅雨に何か用があったのか」
声をかけられたあざみは嬉しそうに頭を下げる。それから景虎様の「何か用があったのか」という問いかけに少しだけ顔をあげ、私をじっと見た。そのねっとりとした瞳に、私だけでなく景虎様も口を閉ざす。
「梅雨ちゃんは僕と同類なので、挨拶をしたくって」
「・・・・・その話はこの場ですべきではない」
「はい。ただのご挨拶です。それ以上は何も」
「・・・・梅雨、行こう。父上も梅雨と話をしたいと言っている」
「はい、景虎様」
景虎様に腕を引かれ、その場を後にする。その間、あざみはずっと頭を下げたままだった。
あざみはゲームの登場人物だ。しかも主人公の攻略対象。ああ、もう後出しで思い出すのはやめてほしい。どうしてこんな近いところに攻略対象がいることを思い出せなかったのか。
雨一族と同じく、虎一族を陰で支える狐一族。ゲームでは梅雨の指示に従い、あざみが主人公や攻略対象を傷つけるシーンがあった。決して自分では手を下さない梅雨の代わりに、一番に被害を受けたのはあざみだ。
ーーーあざみは攻略ルートに入らないと、最悪死んでしまう。
「梅雨の代わりに」
「ん?・・・・梅雨?」
「あ、いえ・・・なんでも・・・・」
景虎様に腕を引かれ祝い席の中を歩く私に集まる視線は多い。だけどその視線を感じられるほど、私は冷静ではいられない。
新事実が浮上し、できれば今すぐ頭を抱えて三日三晩悩み倒したい気分だ。私が悪役になりたくない理由が、ひとつ増えてしまった。私が悪役だと、あざみを利用してしまう。利用すると、あざみに全ての罪がかかり最悪殺される。それはダメだ、私の周りで死人なんて出したくない。私は穏やかに過ごしたいんだ。自分のせいで誰かが死んだなんてことになったら、心は穏やかにはなれない。
「なんてこった・・・・」
この世界、地雷も死亡フラグありすぎます。
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