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想ふ事おほし。  作者: kasetsu
祝い席の紫雲
4/11




雨一族は、その名がついた頃から隠密活動を行うことに長けていた。長けていたからこそ、その名がつけられたのかもしれない。


前世のような世界にはなかったが、この世界には魔法に似たものがあって、その一族ごとに扱えるものが違う。虎一族は御前がお話されたように、術こそ使えないものの強靭な体と力を持ち、どの一族よりも戦に強いとされている。


虎の国に入る前に立ち寄った鷹の国。あの国は鷹を意のままに操ることができ、その姿を人を乗せることのできる大きさに変化させることができる。


他の国にもそれぞれ特長があると父は言っていた。まだ目にしたことはないけれど、聞いた話では火を操ったり、虫を操ることができる一族もいるのだという。


とにかく、雨一族は水を操る術を持つ一族だ。そしてその術の中に、別人に化けるものもある。術者が目にしたものを、自分の顔に水で塗って変化させることができるのだ。水面に映る自分の顔が変わるような感じだろうか。前世の世界からしたら摩訶不思議である。理解できなくても仕方ない。


一番重要なのはそういう力を雨一族は持っていて、私がその力を扱えるということだ。


そうやって人に紛れ、必要な情報を得たり、時には暗殺なんかもしてきたらしいが、父の代になってからはそういうことはやっていないと聞いた。今は御前のおかげで泰平の世だから、そういう仕事も減っただけなのかもしれないが。


簡単に言うと、汚れ仕事だ。影に隠れて汚い仕事をする。そうやって、虎一族を今まで支えてきた。


その血筋を引いていることに、前世を思い出した私は激しく引いてしまう。こんな状況で引いてどうするのかと思ったが、摩訶不思議ワールドの当事者に生まれ変わった自分に驚く。健康体で生まれただけではなかったんだなぁ。



「なに、梅雨よ。取って食ったりはしない。幼子のお前に仕事を与えるほど、世も乱れていないからな」


「・・・・・・」



随分と考え込んでいた私に、御前が子を持つ父の顔で微笑む。その表情に私もほっとすると、父が後ろから私の名を呼んだ。どうやらそろそろ戻ってこいと言いたいらしい。


私はすぐに立ち上がると急いで父の横に座り、御前を眺める。御前は相変わらず胡座をかいたまま肘掛に腕を置いてにんまりと笑っている。虎のような縦長の目がぎらぎらとこちらを見るのは、居心地が悪かった。



「梅雨の力も分かったことだし、挨拶はこれくらいにしておこう。雨笠、いつまでこの国にはいる?」


「景虎様の祝い席が終わりましたら、国のことも気になります故明朝には戻ります」


「それは残念だな。久しぶりに旧友と酒を交わそうと思っていたのだが」


「祝い席で酒を交わすではありませぬか」


「堅苦しい席は嫌いなんだ。他の国からも当主が来るからな、そいつらの世話をすると思うと頭が痛い」


「・・・・・御前」


「はは、分かっている。もう私はただの虎斑ではないな。御前らしく席に座って相槌を打つとする」


「・・・・・・」



笑う御前に頷く父。その二人の様子はやはり気の置けない仲なのだろう。雰囲気がなんとなくそんな感じだ。父の眉間の皺も少し柔らかくなっているから、似顔絵を今書くとしたら父は笑顔だと思う。


なんとかご挨拶も済ませられたようで、私も少しずつ緊張がほぐれてくる。先ほどまでの仕事モードの空気も今はない。できれば今すぐ畳の上で寝転がりたいが、この広間を出るまではそうはいかない。


早く父も切り上げてくれないかな、できれば御前は退出してくれないかな。と思いながらぼんやりと父の背中を見ていると、御前がひょいと父の背中から顔を見せた。なので私は驚いて肩を跳ねさせる。



「梅雨」


「は、はい」


「景虎には会ったか?」


「景虎様・・・にですか?」



まさかここで景虎様の名前が出るとは思わず、御膳に対してオウム返しをしてしまう。そのことで父の眉間の皺が再び増えた。


慌てて視線を下げ、ふるふると顔を横に振る。御前はそんな私と父を見て、ケラケラと笑うと頬杖をつきながら私に言った。



「どうせなら顔を合わせたらいい。明日は景虎も挨拶回りで忙しないだろうからな、ゆっくり話すなら今しかない」


「・・・・・・」



おそらく御前は気を遣って、なのか提案してくれたのだろう。だけどここに来る前、父には「景虎様と不用意に話すな」と言われている。私も、話さないほうが今後の人生のためにも良いと思っている。せっかく健康体を手に入れたのだから、今までできなかったことをしたい。


思わず父へと目配せをすると、父もどうすべきか悩んでいるようで口を一文字に結んだまま私を睨んでいる。睨まれても困る。睨みたいのは私も同じだ。


そんな父と私を置いて、自由気ままな御前はケラケラと笑うと広間の隅で待機していた従者に声をかける。



「景虎を呼べ」


「はっ」



ま、待ってくれ。そう思ったのは私だけではないだろう。父も御前を見たり、従者の背中を追ったりと視線が忙しない。かくいう私も、父以上にパニックで意味もなく両手を胸の前に出して降参の一歩手前になっている。万歳では決してない。


どうしたらいいのか、会ってしまえば挨拶をしないわけにもいかない。顔を見ないわけにもいかない。わざわざ祝い席の前に顔を合わせ、言葉を交わすともなれば、顔を覚えられる可能性だって十二分にある。というか、私だったらひと月は忘れない。


落ち着け。腹を抱えて、いや違う。腹を据えて待つしかない。できるだけ穏便に、できるだけ記憶に残らないようにとりとめもない会話をしよう。それしかない。もしくは術で顔を変えてしまおうか。いや、それだと御前に変に思われてしまう。


ああ、どうしようどうしよう。と内心慌てている間にも時間は流れ、いつの間にか先ほど出て行った従者が広間に戻ってきた。そして「景虎様がいらっしゃいます」と告げる。


私と父は「何事にもなりませんように」と願いながら、再び横に並び頭を下げる。そうしていると、再び足袋が擦れる音がして、御前がパンと何かを叩いた。その音はどうやら、ご自身の膝を手の平で叩いた音のようだ。癖なのだろうか、人の顔を叩いたのかと思っていた。



「景虎」


「父上、何用ですか」


「景虎、雨一族の当主雨笠とその娘梅雨だ。挨拶をしろ。雨笠、梅雨。面を上げろ」


「はっ」



父の言葉を合図に、私も顔を上げる。結局変化もできず、そのまま前を見る。ああ、何事にもなりませんように。そうもう一度心の中で呟いて、景虎様だろう人を目に捉える。


瞬間、目を見張った。


虎一族と言えば、強靭な肉体を持ち御前のように筋骨隆々な方が多い印象だった。父からも、そのように言われていたからきっと景虎様もそうなのだろうと思っていた。


しかし御前の座敷の一段下、できるだけ御前に近い場所に座るその少年は細身で、まるで虎一族とは思えない風貌をしていた。ただそれでも虎一族だと認知できたのは、目が御前と同じ虎の眼をしていて、毛先が橙色に染まっていたからだ。


景虎様は奥方に似ているのだろうか。御前は黄色の髪に橙色を交えているが、景虎様は黒の髪色だ。おそらく奥方の血を濃く受け継いでいるのだろう。顔の作りも御前には似ていないし、どちらかと言えば女性の輪郭を持っているというほうが正しいような気がする。


簡単にいうと、美少年というやつだ。


思わず見惚れていると、御前が私の様子に感づいたようで景虎様の頭をがしがしと撫でながら「俺に似て女に持て囃されるなぁ」と言った。それを嫌そうに受ける景虎様は、私の父のように眉間に皺を寄せながら私を睨む。なので、私はすぐに視線を逸らす。



「景虎様、この度はおめでとうございます」


「雨笠殿、お久しゅうございます。遠路はるばる祝い席に出席いただきありがとうございます」


「景虎様とお顔を合わせるのは七つの祝い席以来ですので四年ぶりでしょうか」


「もうそこまで月日が経ちますか」


「早いものでございます」



父のナイスプレーにより、私は顔を上げたままではいるものの景虎様と言葉を交わさずに済んでいる。景虎様も久しぶりに雨一族の当主と会話をしているので、そちらに夢中なようだ。


このままいけば、挨拶も早々に退出ができるかもしれない。私はできるだけ物音を立てないように、そして相槌も打たないように身を挺する。しかし、嗅覚が獣並みに鋭いのか知らないが今まで父と景虎様を眺めていた御前が、急にこちらへと視線を向ける。そしてにやりと笑うと、わざとらしく景虎様の肩に手を置いた。なぜだ。



「景虎、雨笠とばかり話していては梅雨が寂しがるだろう」


「か、げとら様。七つの祝い席では演習を行いましたが、この度も行うのですか?」


「え?ええ、そうでーーー」


「雨笠、お前は少し黙っていろ。愛娘をそこまで隠したいか」


「・・・・・・」



父がなんとか気をそらせようと奮闘したが、それさえも御前にはお見通しなようでケラケラと笑いながら父を黙らせてしまう。父も「ここまでか」と項垂れている様子で、これ以上のフォローは願えそうにない。


景虎様がこちらへと視線を向ける。虎のように縦長な眼が、しっかりと向けられる。だけど御前のように息もしづらくなるような威圧感がないのは、まだ彼が少年だからか、それとも雰囲気が柔らかいからかは分からない。


私は意を決し、膝の前で手をつくとゆっくりと頭を下げる。これなら顔を見なくても挨拶だと思われて許されるはずだ。私は決めた。この広間を退出するまではもう顔を上げない。ごくり、とつばを飲み込み言葉が震えないように気をつけながらゆっくりと声を出す。



「景虎様、この度はおめでとうございます」


「・・・・・梅雨だったか」


「はい」


「・・・・父上、雨馬島を訪れた際に梅雨という名を耳にした記憶があるのですが」


「当然だろう。梅雨と遊んだことを忘れたか?」


「・・・微かに覚えがあります」


「梅雨ももう今年で七つだ。ああ、いやお前が十一になるのだから、八つか」


「・・・・大きくなりましたね」


「ははっ!お前が大きくなるのだから、梅雨も大きくなるだろう」


「・・・・・・・」



ケラケラと笑う父に、景虎様は喧しいそうに眉を顰める。それからもう一度こちらへと視線を向け、何を思ったか足袋を擦らせながら歩み寄る。父が何かを言いたげに私を見ている気がするが、御前のにやついた顔を前に何もできないでいるらしい。父よ、どうかお助けください。


その間にも景虎様が私の前まで来た。そして御前のように胡坐をかく。私の視線の端にもそれが見えて、思わず目を瞑りたくなるが、御前の嫡子を前にそのようなことはできない。



「・・・・梅雨」


「は、はい」


「顔を見せろ」


「・・・・・・」



万事休すとはこのことか、と思いながら顔を上げる。この時ほど、何か天変地異でもアクシデントでも起きて顔を上げずに済まないかと思ったことはない。しかし運命とは悪戯で、いや悪戯でも何でもないが滞りなく、何事も起きずに景虎様と目が合う。それも、先ほどよりもしっかり見える目の前で。



「・・・・・・」


「・・・・・・」



お互いに何も発しない。ただただ景虎様は私の泣き黒子を見ていると思う。雨一族にしか遺伝しない、雨模様の泣き黒子。その形と同じように、私は「くすん」状態だ。ぴえんでもいい。


私も見るしかないから、虎のような眼を見る。日の光が入るこの広間では、瞳孔が収縮して細い。その瞳を隠すように長い睫毛が何度か瞬く。御前のように日に焼けた肌ではなく、奥方に似たのか白い肌に黄色の目はひどく目立つな、とよそで思った。



「梅雨」


「は、はい」


「書物で読んだが、雨一族は変化できるのだろう。見せてはくれないか」


「こら景虎、雨一族の力を無闇に使うな」



どの口が言うのか、先ほど私に力を使わせたのは誰だ。と私は思うが口にしない。父も同じように口を一文字にして押し留めたようだった。


しかし、使わなくて済むならその方が印象にも残らないだろうし今回は御前に感謝すべきだろう。景虎様も御前に言われてしまえば、それ以上何も言えないだろうし。


そう思ったが、景虎様は絶賛反抗期中なのかムッとした表情になると後ろを振り返り、御前を睨む。そして声変わり前の声色で、言わなくていい一言を言った。



「父上、次いつ梅雨に会い見られるか分かりません。今のうちに見てもいいでしょう」


「だったら許婚にでもするか?」


「な、」


「・・・・・」



父と私は絶句。そしてやはり御前は御前だった。景虎様の言葉に、いらない一言を返した。驚いたまま固まる私と父に、御前は一人ほくそ笑む。確かに虎一族にとったら、雨一族の力は手にして置いたほうがいい。それを見越して父と私も動く予定だった。


出端を折るとはこのことだ。言われた景虎様も急なことで驚いているようだ。驚いた拍子に私へと視線を向ける景虎様に、私は「どうぞ聞こえなかったことにしてください」と心の中で祈る。だけど虎一族は本当に自由気ままというか、思ったことを口にする一族のようで、この後景虎様が放つ言葉に雨一族を代表して当主と姫は絶望した。



「ふむ・・・それも確かに一理ありますね」


「ははっ!そうだろう、雨笠の娘を娶るなら私も異論はない」


「ご、御前!」


「はははっ!そう慌てるな雨笠」



これはまずい。このままでは国頂点である虎一族の仲間になってしまう。そうなれば危険が倍増する。できれば穏便に、楽しく生活をしていたい私としては危機的状況だ。なんとしても阻止しなければ、私はまた大往生もできずに早死にしてしまう。


せっかく健康体に生まれ変わったのに。


それだけは嫌だ。私はなんとしてもこの危機的状況を打破するべく画策する。前世の私は外に出ることもできないから、よく本を読んだ。それだけ知識もある。この世界では役に立たないような知識も多いが、看護師に屋上で休憩したいから行かせろと伝えるため、交渉術に関する本を読み漁った記憶がある。あれが使えるはずだ。



「・・・・か、景虎様」


「ん?なんだ、梅雨」


「・・・お望みであれば、今お見せしましょう。景虎様は一国の主である御前の嫡子です。私の力を見たいがために許婚にすると今お決めになるなど早すぎるかと。この世には、私以上に稀な力を持つ一族の姫もおります。伴侶を持つのであれば、じっくりとお考えすべきだと梅雨は思います・・・どの顔をお望みですか?一度見た顔なら変化できます故、お申し付けください」



早口にぺらぺらと喋る私に、景虎様と御前が眉を上げる。今まで必要最低限の発言しかしなかった娘がこれほど饒舌になれば驚きもするだろう。父だけが、私の言葉にうんうんと頷いていた。


さあ景虎様言ってくれ。それが好奇心が満たされるならいくらでも力を見せよう。そんな気持ちで景虎様を見る。すると景虎様も好奇心がくすぐられるのか、顎に手をおいていくらか考える。


だけど突然、わくわくした様子が萎れる。長い睫毛を伏せ、ぼんやりと畳を見つめる景虎様の横顔はとても悲しそうだ。



「・・・・ならば」


「・・・・・・」


「妹のゆき・・・虎耳草(ゆきのした)に変化できないか」


「・・・・・景虎」



景虎様の提案に、御前が無意識のうち声をかける。急に萎れた景虎様と同じく、威厳のある姿を隠した御前に私が不思議に思えば、わけを知っている様子の父が眉間の皺を増やしながらこちらを見た。



「梅雨、虎耳草様は景虎様の後に生まれた姫だ」


「ゆきが生きていれば、梅雨と同い年だったな」


「え・・・・・」



突然のショッキングな話題に思わず固まる。どうしたもんかと目の前の景虎様を見れば、今にも泣きそうな顔で視線を落としていた。その表情に、今まで画策を進めていた私もこれ以上は何も言えまいと黙るしかない。今はそんな雰囲気ではないのだ。


景虎様の前に静かに正座し、じっと眺める。そうしていると景虎様もこちらを見る。そしてご自身の首に手を回すと、うなじを押さえながらぽつりと呟いた。



「虎一族は強靭な肉体をもって生まれるが、時にそうではないものも生まれる。私の兄の虎視も同じだ。・・・・特にゆきは体が弱かった。風邪をこじらせ、そのまま死んだ」


「・・・・・」


「元気になったら、城の後ろにある丘まで歩いて行こうと計画をしていたんだ」


「・・・・・・」



その言葉に、前世の記憶が重なる。


この手術が終わったら、検査が終わったら。そうやって未来に夢を託して、恐怖を拭った。テレビで特集していた素敵な場所に家族で出かけようと伝えた翌週の休日死んだ私と、どうしても重なった。


私は死ぬ側だったから、残された家族のその後を見ることは敵わなかった。でもこの世界に来て、初めてそれを見た。同じ家族ではないが、御前や景虎様の悲しむ表情を見れば、前世の私の家族の表情もなんとなく想像がつく。


そんな顔させたいわけじゃないんだけどな。


もっと明るく過ごしてほしい。もともと長くはないと医者には宣告されていた。それでも懸命に生きて、余命よりも長く息をし続けた。時間を引き伸ばして得たものは、決して悲しみではなく『死を覚悟するまでの時間』と、『家族への感謝』だったと思う。


こんな気持ち、前世の記憶を取り戻さなければ抱かなかっただろう。でも他人事とは思えない。これも、生まれ変わった私に記憶が戻る理由の一つなのなら、私がすべきことはーーーー



「・・・・虎耳草様のお顔が写された掛け軸などはありますか?」


「・・・・梅雨?」


「私の力は、自分の目で見た者でなければそっくりにはなれません。・・・絵ではそっくりとまではいきませんが、少しは似せることはできます」


「・・・・・・」


「どうぞ、ご用意ください。できるだけ似せて見せますので」



にこり、と景虎様に微笑む。前世の世界に残してきた家族が安らかな気持ちになってくれたらいい。だけどそれはもう今世に生まれ変わった私ではできないから、せめて御前と景虎様が笑ってくれたらと思う。


他人事とは思えない状況に、私は驚く父を置いたまま準備を始める。御前もやはり愛娘に会えるならという気持ちが強いのか、すぐに従者へと声をかけると掛け軸を持ってくるように伝えていた。


その間、景虎様は驚いた表情のまま動かない。私を見てぱちぱちと瞬きを繰り返している。いや、そんなに目に焼き付けるように見なくていい。少しだけ我に返った私は、今更ではあるものの印象に残らないようにとそっぽを向いてその時を待った。



「梅雨、用意できたぞ」


「ありがとうございます、御前」


「景虎、梅雨の邪魔になるからこちらへ来い」


「・・・・はい、父上」



まだ惚けたままの景虎様を呼び寄せ、御前が一段上の座布団からこちらへと一歩歩み寄り、座った景虎様の横に胡坐をかく。そのようなこと、客人が来ている前ではあり得ないことだ。客人と同じ段に座ることは許されない。


だけどそれを咎める者は誰もいなかった。従者も食い入るようにこちらを見つめている。父はというと、この広間の中で一番冷静なようで、急いで歩み寄ると従者から掛け軸を受け取った私の顔を覗き込む。



「梅雨、一人でできるか?まだ絵から変化したことはなかっただろう」


「何度か練習をしたことはあります。・・・父様は虎耳草様にお会いしたことがありますか?」


「ああ、ある。・・・・私が虎耳草様に変化しようか」


「・・・・いえ、私が言い出したことですから」


「・・・・では助力しよう。術を使いなさい」


「はい」



心配そうな父の表情を眺めたあと、もう一度掛け軸へと視線を向ける。虎耳草様だろう少女が、掛け軸からこちらへ微笑みかける。とても可愛らしいお顔だ。景虎様と似ているから、奥方の血を濃く受け継いでいるのだろうか。だけど、景虎様のように御前の強靭な肉体を受け継ぐことはできなかった。だから死んでしまった。まだこんなに小さいのに。もっとやりたいことがあったはずだ。


私はゆっくりと顔を手で覆って、今見た絵を真似てみる。そしてその顔を父へと向けると、手直しをしてくれるようで顔の前で手が何度か動いた。ぎちぎちと皮膚が引っ張られる感じがする。父が御前に言っていたように、私の力は「まだまだ修行が必要」なようだ。



「・・・・どうですか?父様」


「・・・・・似ているよ」



父が悲しそうに私を見る。きっと虎耳草様にそっくりなのだろう。虎耳草様を知っているようだったから、父も悲しいのだと思う。


でも、悲しませたいわけじゃないから。



「梅雨、こちらを向いてくれ」


「はい、御前」



御前の声に従い、ゆっくりと後ろを振り返る。すると、御前とその横に座っていた景虎様が目を見張った。それだけ虎耳草様に似ているからだ。


御前は困ったように眉を下げ、額に手をおく。景虎様は今にも泣きそうな顔で私を食い入るように見つめた。私はその様子に、悲しませたくも、困らせたくも、泣かせたくないともう一度思う。


だから、虎耳草様の顔で微笑んだ。あの掛け軸のように。



「”ゆきは幸せでした。どうかゆきと同じように、笑ってください”」


「ゆき・・・・」


「・・・ゆき・・・・」


「・・・・以上です。これ以上は力が保てません」



再び顔を手で覆い、ゆっくりと深呼吸をする。他の一族も同じだろうが、力を使うと疲れる。まだ私は七つだし、一日に何度も行ったり、数分と言えども長い時間変化したままを維持することは難しい。


少し浅い息を落ち着かせながら顔を手で隠し、そのまま頭を下げる。きっと虎耳草様でなくなった私の顔を見たら御前や景虎様は辛いだろうから。笑ってと言われて、すぐに笑えるなら亡くす痛みも自力でどうにかできただろうから。


そうやって頭を下げたままでいると、父だと思われる手が肩に触れる。そのまま体を起こされ、私の少し青白い顔を見るやいなや、御前へと鋭い視線を向けた。



「御前、そろそろお暇をいたしたく。梅雨を休ませたい」


「あ、・・・・ああ。分かった。梅雨、礼を言う」


「・・・・・・」



御前に頭を下げ、立ち上がった父の横に並び広間を進む。本来であれば御前と景虎様がいなくなってから広間を出なければならないが、今回ばかりは誰も何も言わない。


従者が前に立ち先導してくれる。最後に襖の前で頭を下げると、そのまま廊下を進んだ。すでに昼を過ぎた空から日の光が廊下に注がれる。その温かさに少しずつ体力も戻ってきているように感じた。


父の心配そうな表情に、私は気持ち程度に笑みを浮かべる。予定では、御前へのご挨拶をするだけだったがとんだ目に遭った。まあ、最後の行いは自ら望んだものだったので御前も景虎様も悪くないが、ここまでしてしまうと印象に残らないほうが難しいのではないだろうか。



「父様、申し訳ありません」


「いや、私は鼻が高い。お前の力が御前にも認められた。梅雨はしっかりできたよ」


「よかった・・・・」


「ただ・・・あれだけのことをすれば、景虎様も梅雨をそっとはしてくれないかもな」


「そうですよねぇ・・・・・」



はぁ、と父と同じタイミングでため息をつく。その前を歩く従者は聞こえているのかいないのか、ただただ角を曲がったり階段を降りたりと忙しく動く。行きは何人か案内役を代えたが、帰りは違うのかそのまま一気に玄関まで進んでくれるようだ。


それならありがたい。早く城から出た方が良いに決まっている。


従者を追い越す勢いで通った気もしない廊下を父とともにぐんぐん歩く。そうしておそらく一階についたところで、ダンジョンを抜けるような開放感を感じていると、どこからか瓦を叩くような軽快な音が聞こえた。


なんだろう、と音のする方を見れば廊下の横に枯山水を見渡せる中庭があった。このような時でなければ、その美しさにしばらく詫びさびを感じることもできただろうが、今は不穏な音に怯えてそれどころではない。


思わず父の着物の袖を握りしめる。父も鋼鉄の笠を握りしめる。親子共々、震えていたに違いない。隠密一族が聞いて呆れるくらい、怯え震えていた。



「梅雨・・・・ーーーー!」


「・・・・・・!?」



突然名前を呼ばれ、あたりを見回すが誰もいない。飛び跳ねた肩がそのまま硬直してしまう。父も鋼鉄でできた笠を潰してしまうのではないかと思うくらい、強く握ったまま固まっていた。従者だけは「こういうことは日常茶飯事なんです」と言いたげに耳を済ませて声のした方、つまり中庭の上を廊下から見上げる。


見上げるとは、どういうことだろうか。



「梅雨っ!」


「なっ、わっ、え、か、景虎様・・・・」



従者と同じように、しかし恐る恐る廊下から中庭の上へと視線を向けるとそこには虎一族の真骨頂と言うようにぴょんぴょんと瓦の上を跳ねる景虎様がいた。


どうやら、この城の一番上、御前とお会いした広間から飛び降りて来たらしい。雨一族も隠密をする以上、身体能力は通常の人間より良いが、虎一族の力は人間を凌駕している。


髪色と同じ黒の着物を揺らしながら飛び跳ねる姿は、その容姿も相待ってとても美しい。美しいが、あまり喜ばしくお迎えする気にはなれない。


そう考える私と父を他所に、景虎様は枯山水の中でも一際大きい岩の上に音も立てず片足で飛び乗ると、その勢いもそのまま跳躍し、廊下へと舞い降りる。もし私が同じことをしたなら、どんと大きな音を立てて廊下に落下したが、まるで音がしなかった。さすがは虎一族の嫡子だ。



「梅雨」


「は、はい」


「礼を言えていなかった。ゆきの代わりに声をかけてくれたこと、感謝する」


「い、・・・・いいえ、そんな・・・・」



にこり、と口元で弧を描く景虎様はその容姿もあり、とても美しい。これでまだ十一の子供だとは見えない艶やかさがあるように思えた。


思わず見惚れて景虎様を眺めていると、その視線に気づいたのか景虎様の笑みが濃くなる。そして何を思ったか一歩私へと近づき、手を掴んだ。



「梅雨」


「は、はい」


「明日の祝い席、参加するな?」


「はい、・・・参加いたします」


「そうか」


「・・・・・・」


「その折は一番に声をかけよう。もっと話がしたい。梅雨の話を聞かせておくれ」


「え、わ、私の話ですか」


「ああ。先の礼もしたい。欲しいものがあれば言ってくれ、用意しよう」



いやいや、待ってください。そんな権力にものを言って本当になんでも用意しそうな顔で言わないでほしい。思わず父に視線を向ければ、「これはいかん」と額を押さえていた。私もできればそうしたい。


だけどキラキラと虎のような目を輝かせる景虎様の前でそのようなことはできない。私はできるだけ笑顔がひくつかないように気をつけながら、お気持ちだけで十分だと伝えようとするが声が上擦ってどうしようもない。一族の存亡は言い過ぎだが、それぐらいの緊急事態が起きているのだからしっかりしろ私。



「い、いえ、そんなことは・・・・祝い席に参加させていただくだけで・・・・」


「・・・・・梅雨は私と話をするのは嫌か?」


「い、いいえそんなことは!」



できるだけ穏便に、と思ったのだが景虎様は別の意味で捉えたらしく急に寂しそうに眉を顰める。御前の嫡子を悲しませたともなれば、罪に問われてもおかしくない。これはまずい。なので手をぶんぶんと振って違うんだと伝える。


そうすると、まるで今までの寂しそうな表情が嘘のようにぱっと明るくなる。その瞬時の切り替えに、「あ、これは嵌められたな」と子供ながらに気づいた。



「では構わないだろう。何が欲しいか、明日の祝い席までに考えておいてくれ」


「ですが、景虎様・・・・」


「話は以上だ」


「・・・梅雨、行くぞ」


「・・・・・失礼いたします」



これ以上は何も言わせない、と景虎様がにこりと微笑む。その子供とは思えない策略的な笑みに私だけでなく父も言葉を失っていた。さすがは御前の嫡子である。そう嫌味を言うことしかできない。


どうすることもできない状況に、父は堪えていたため息を無意識に溢しながら私の背中を押す。私もにこにこと微笑む景虎様に会釈をすると、案内役の従者のあとに続くことにした。


だけどそんな背中の丸まった私と父に、廊下に意気揚々と立つ景虎様が追い討ちをかける。



「梅雨」


「は、はい」


「”虎は決して獲物を逃さない。仕留めるまで歩みは止めない”」


「・・・・・・・」


「分かったね?」


「・・・・・」


「また会おう」



そう言って、景虎様は瞬く間に廊下から姿を消した。唖然に取られる私に、父が可哀想なものを見る目でこちらを向く。従者だけが楽しそうにくすくすと笑っていた。


そうこうしている間に玄関まで戻り、並べられた父と私の草履を見下ろし随分と草履を脱いだのが過去のように感じた。本来なら御前へのご挨拶だけで終わったはずなのに。



「(どうしてこうなった・・・・・)」



なんの悪戯か前世の記憶を取り戻したがために、虎耳草様の代弁をしようと思い立ってしまった。それが全ての始まりだったように思う。


前世の記憶を取り戻した今だから思うが、こんな摩訶不思議な世界存在するなんて信じられない。魔法のような力もあるし。そういえば前世ではそういう魔法を題材にした漫画とかゲームがあったなぁ、と草履を履きながら思い出す。



「ん?・・・ゲーム・・・・?」


「梅雨?どうした」



ゲームで思い出した。そういえば隣の病室の女の子が、毎日ゲームをしていた。内容はうろ覚えだけど、確か乙女ゲームと呼ばれるものだったような。まだ車椅子に乗って部屋を出られるだけ元気だった私は、当時女の子の部屋に行ってはゲームの話を聞いて、たまに助言もしていた。


ーーそのゲームでも、虎だとか花だとか一族の名前が出ていたような。



「・・・・・・・あれ?」


「梅雨、どうしたんだ」


「・・・・・父様」



父の顔を見上げる。だけどその顔は幻覚なのか景虎様に見えた。


先ほど、景虎様は何と言っただろうか。不敵に微笑み、意味合いが違ったら私殺されるんじゃないのと思うような言葉を吐かなかっただろうか。



「”虎は決して獲物を逃さない。仕留めるまで歩みは止めない”」


「・・・・・梅雨」


「・・・・・・あ!」



その言葉を口にして、ようやく前世の記憶を再び思い出す。そうだ!隣の病室の女の子がやっていたゲームでも、同じ言葉が出てきた。国を支配するお殿様が口にしていた言葉。その姿は今思えば確かに景虎様に似ていた。


今日、顔を見ても思い出さなかったのは年齢が違うから。


ゲームの中の景虎様は、すでに成人されていた。今よりも背も高くなり、凛々しさを増していた。美しさはそのままだけれど、お立場が違うから気づかなかった。


ーーー景虎様って、あのお殿様だ。



「・・・・なんてこった・・・・」


「梅雨、本当にどうしたんだ?」


「え、えぇ〜・・・・?もしかしてここ、ゲームの世界なんですか」



ゲームの世界に、私転生しちゃったってことなんですか。


信じられない新事実に、私はそのあと数十分人様の玄関先で呆然とするのだった。



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