悲しみの理由は…
とても、悲しいことがあった。今、まさに目の前で、それが起きた。
今までにも悲しいことはあった。それはそうだ。人生というものにおいて、常に順風満帆でいられることの方が少ない。山あり谷あり。それが人生というものなのだ。何が起こるかわからない。それゆえに心の準備ができぬままに、不意を突かれてしまうことは誰にでもある。今回は、たまたま…そうなったというだけのこと。そう、今回たまたま自分だったというだけで、誰にでも平等に起こりうることなのだ。
だが、それを理解していても、いざ直面してしまえば途方に暮れてしまう自分がそこにあった。大事なものが失われ、一気に身体の力が抜けていくよう感じ。この感覚は何度経験しても慣れない。いや、慣れてしまってはいけないのかもしれない。
悲しみというのは、決して気持ちのいいものではない。経験しても何もいいことはないとすら言えるかもしれない。だけど、こういった悲しみを経験することは、他の人の気持ちを分かってあげることに繋げることができる。経験したことのないことはあまり理解できないが、自分が経験したことなら相手の気持ちもさらに理解ができるからだ。そう考えれば、この悲しみもきっと何かの役には立つ日が来るのかもしれない。
そうだ。将来、同じ経験をした人を慰めてあげる時とかに。
思えば、かつて自分が今回とは別の悲しい経験をしたとき。自分を励ましてくれた人も、以前に同じ経験をしたことがある、その気持ちはよくわかる、と理解を示してくれた。辛い気持ちをわかってくれる人がいるというのは、それだけで心がどこか救われるような、そんな感覚があった。その時は、色々考える余裕がなかったから反応することもできなかったけど。後になって思えば、確かにどこかで少しだけ気持ちが安らいだように思える。
それなら、今回の悲しい出来事も、きっと誰かの助けになるだろう。それがいつになるかはわからない。だがこうして得た経験は必ずどこかで役に立つもの。無駄になることはない。
でもそれはそれ。何をどう考えたとしても、今目の前で起きたこの出来事の衝撃から立ち直るには時間がかかりそうだ。それはそうだろう。悲しみという負の感情によるダメージは決して小さくないのだから。悲しみという感情が残す傷痕は、決して軽いものではない。それが大切なものだったり、かけがえのないものだったりするのなら、なおのこと…。
認めたくなない。だが状況は何も変わらない。今もなお、それはその場にある。この悲しみの元凶となったものがそこに。目をそらしたい気持にもなるが、これが現実だ。だから、覚悟を決めて向き合うことにした。
そっと視線を向ける。
そこには、今月のなけなしのお小遣いで買った高級アイスの、地面へと落ちた無残な姿があった。