6.幽霊の花嫁修業(下)
紫鶴子さんには「出勤時間」がある。
毎朝9時になるとふわりと玄関を抜けてきて、一礼をして部屋に入ってくる。そこから彼女の授業がはじまる。
学校の時間割のように、1時間ごとにすることが決まっているのだ。
まずはホームルーム。きのうまでの宿題ができたかどうか確認しながら、今日することを決めていく。
宿題にはいろいろあるけれど、大体は3つのタイプに分かれている。
ひとつめは行動するもの。
たとえば、冷蔵庫の中身をすべて出して、消費期限の切れたものを捨てること。引き出し1段分の要らないものを全部捨てること。
ふたつめは調べるもの。
これはまさに「宿題っぽい」ものだ。たとえば、洗濯記号の意味を調べることや、レシピを読んでいまいちぴんとこない用語の意味を調べてみる。
そしてみっつめは考えるもの。
たとえば、部屋のなかで特にものが散乱している場所とその理由。ものを捨てられない理由。そしてどうしたら改善されるかというもの。これをレポートのようにまとめて、紫鶴子さんにみてもらう。
10時になったら身体を動かす。まずは窓を開けて空気を入れ替え、テーブルの上になにもない状態にする。そして今日の「片づける場所」に沿って片づけを進めていく。
スウが整えてくれている領域はかんたんだ。中にしまってあるものを出して、点検し、棚などをきれいにして、戻す。これで終わり。でも、花夜子のクローゼットは違った。途方もない作業に感じられた。
クローゼットといっても、ウォークインタイプになっていて、4畳ほどの空間になっている。花夜子は捨てられないものをすべてここに詰め込んでいた。中学生のころのジャージだとか、当時描いた作文なんかも残っていた。
とても1日では終わらなかった。
一度休憩を挟む。休憩時間は、晴れていれば外に出る。遠回りしてスーパーへ行って帰ってくる。そして、11時からは引き続き片づけの再開。
11時45分になったら、またテーブルの上にあるものをなくしておく。
12時は休憩。かんたんな昼食を用意して(紫鶴子さんにいきなりいろいろなことを始めるなと言われたので、今はお惣菜で済ませている)、食べる。
13時になったらまた換気からスタート。休みなく掃除をして、片づける。
「主婦って毎日こんなに忙しいの?」と花夜子が尋ねると、紫鶴子さんは、首を振る。
「忙しいのは忙しいでしょうが、あなたのしていることと、中身は違うはずですよ。
花夜子さんの場合は、部屋が散らかっているから、まず片づけが必要なのです。この作業が必要のない人は、その分を自由に使えます。
でもそのかわり、花夜子さんのしていないこと…たとえば、きちんとごはんを作ったり、もっといろいろな場所の掃除をしたり、子どものいる方だったらお世話などもあるでしょう。人によって時間の使い方も、やるべきことも違うのです」
14時からは座学。今は掃除のいろはを教えてもらっている。
なんとなく耳にしたことのある「掃除は上から下へ」のようなことだったり、掃除道具の選び方だったり。花夜子はもともと勉強が好きだから、この時間が一番にたのしい。
15時になったら休憩。
お菓子をつまみながら紫鶴子さんと話す。話題はさまざまだ。
「みんなこんなふうに時間割に合わせて家事をしているの?」と尋ねると、「おそらく違うでしょうね」と答えが帰ってきた。
「わたくしは教師として働いていたときの感覚があるから、1時間ごとに時間を区切ると行動しやすいのです。学校の時間割がそうなっていますからね。
それに、花夜子さんはいつも家で過ごしていますが、主婦とひとくちに言っても、外で働いている方もいれば、子どもたちの世話に追われている方もいる。
そうなると、家事に費やせる時間が少なかったり、自分の思い通りのペースや順序で動けなくなるので、区切ることが難しい人も出てくるでしょうね。
花夜子さんも、最終的には、自分なりのやり方を見つけていくんですよ。それが大切なのです」
16時になったら、明日の宿題についての話と、きょうの総合評価がある。
こうしてみると、ほんとうに学校みたいだ。でも不思議と苦痛ではない。紫鶴子さんが来てからというもの、毎日があっという間に終わっていくのだ。
時計を見て、1時間ごとにすることを決めていく。この方法はもしかすると、花夜子にはうってつけだったのかもしれない。毎日学校で過ごしていたときのような、わくわくする感じがある。
人にいうと変な顔をされそうだから、スウ以外のだれにも言ったことがないけれど、花夜子は宿題もテストも勉強も全部好きなのだ。学ぶことは、すごくたのしい。
17時になると、紫鶴子さんはいつものように家を出ていった。
幽霊はどこに帰っていくのだろう。夜は眠るのかな。
紫鶴子さんに聞いてみたいことはいろいろあるけれど、花夜子は宿題をこなすだけでも精一杯で、そこまで追いつかないのだった。