19.ふたり(1)
バターの香りに花夜子は目を細めた。目の前には、ホテルのような洋朝食が並んでいる。
こんがりと焼けたじゃが芋と鮭のガレット。きのこたっぷりのホワイトソースがかかったオムレツに、色とりどりのサラダ、トマトと野菜のスープ、ジャムとフルーツが乗ったヨーグルト。
ただ不思議なのは、どうしてだか朝食が三人分用意されていることだ。
「どうして無言電話のことを言ってくれなかったの?」
爽やかに晴れた水曜日の朝だ。けれども、リビングの雰囲気は陰鬱だった。スウはにこにこと笑っているけれど、声の温度が低い。
花夜子はうつむいてあれこれと言い訳を考えた。けれども思いつかなかった。
彼は昨夜遅くに出張から戻ってきたらしかった。
日付が変わる少し前までは、相変わらず無言電話が続いていて、気味の悪さから目が冴えていたのだけれど、いつのまにか眠ってしまったらしい。真夜中の電話が久しぶりになかったことで、花夜子はこれまでの分を取り戻すかのようにぐっすりと眠り込んでしまったようだ。
パジャマのまま寝室から出てきたのだが、時計は九時過ぎを指している。紫鶴子さんの出勤時間をやや過ぎているけれど、彼女の姿は見当たらなかった。
「会社は……?」
「今日は午後出勤。だから問題ないよ。ゆっくり話を聞かせてくれる?」
「――着替えてからでも、いい?」
花夜子が訊くと、スウはほほ笑んで頷いた。その笑みもまた溶けることはなかった。
冷たい水で顔を洗う。急がなければと思うのに、花夜子はいつもよりゆっくりした動作で、少しでも時間を引き延ばそうとしていた。何をどう切り出していいかわからなかったからだ。
そのとき、インターホンが鳴った。
「桜原さん、朝早くから悪かったね」
スウがにこにこして迎えたのは、エリカちゃんだった。
「花夜子、勝手なことしてごめんね」
彼女は少しばつが悪そうにこちらを見たが、やがて何かを決めたかのように、きりりと表情を引き締めた。
「でも、このままの状況は良くないと思うの。だから、私が知っていること、気になっていることは、佐々木くんに伝えておいたよ」
エリカちゃんの言葉に、スウがうなずく。
「俺が聞いたのは三つ。ほとんど毎日無言電話があること、須藤に付きまとわれてること、それからコンシェルジュの梅室さんが花夜子にきつく当たってることだ。間違いはない?」
スウは静かな声で、――でもその中に言い知れぬ冷たさを感じさせながら、そう言った。花夜子は力なくうなずくしかなかった。
そして、ややあってから、一つ間違いがあることに気がついた。
「あ、あの、梅室さんのことは大丈夫。誤解だったの」
「――花夜子、でも」
エリカちゃんが眉を吊り上げる。
「本当なの。何日か前に、実は、須藤くんに待ち伏せされてたみたいで。それで教えてくれて、ご飯を買ってきて謝ってくれたの。いろいろ話したらさっぱりしたいい人だった」
エリカちゃんは納得がいかない様子だったけれど、スウが「わかった」と言った。
「花夜子がそう言うなら、信じるよ。とりあえず他の問題を考えよう」