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5.幽霊の花嫁修業(中)

「ぐうたらな性格は仕方がありません。あなたの性根なのでしょう。何よりも問題なのは、やるべきことをしていないことです」


 紫鶴子さんは、部屋の中をぐるりと見渡して言った。その目には呆れの色が見えた。


「物事には3つあるのですよ。自分がやりたいこと。やるべきこと。むだなこと。あなたは自分がやりたいことと、むだなことだけをしています。」


 その指摘はもっともだった。花夜子はうなずきながらメモを取る。最初はぼうっと聞いていたのだけれど、紫鶴子さんに叱られてから、慌てて筆記用具を出してきた。


「いいですか、まずは、やるべきことをおやりなさい」


「やるべきことってなあに?」


花夜子がそう尋ねると、紫鶴子さんは一瞬目を見開き、そして、頭を抱えた。幽霊にも喜怒哀楽のようなものはあるのね、と花夜子は思った。


「――家を整えることです。まずはそこから始めます」


「掃除するっていうこと?」


花夜子の問いに、紫鶴子さんは首を横に振る。


「あなたは掃除をするのが億劫だと思っているでしょう。それはどうして?」


「――面倒くさがりな性格だから」


「いいえ。――いえ、厳密にいうとそれもあるのですが、面倒くさがりな性格だからこそ、その前の段階までできていないとやる気が出ないのです」


「その前の段階?」


「そう。――たとえば、ここに掃除機をかけるにはどうしますか?」


「ええと... 掃除機を探す?」


紫鶴子さんが深くため息をつく。


「そうですね。

それから絨毯のうえにあるものをすべてどけなければいけません。ごみはくずかごへ。ペンやノートは素の場所に戻すか、まとめておくかしましょう。先ほども言いましたが、コップはキッチンへ持っていてそのまま洗えばすぐに済みます。でも、片づけ終わるまでにやることの種類がいろいろあるでしょう。

花夜子さんが掃除をしないのは、片づいていないからです。だから、落ちているものをいちいちどかさなければいけない。あなたの場合、あろうことかご主人が家事までも担当しているようですが…… そうでなければ、きっと目も当てられない状況になっているでしょう。そうなっていたら、きっと、掃除道具もそのあたりから発掘することになったでしょうね」


花夜子は引き続きメモを取る。


「つまり、家事の基本は片づけることなんです。それが出来ていれば、どかしたり、探したりすることから始めなくてもいい。

でも、ひどく散らかってしまえば、一朝一夕でどうにかすることはできないでしょう。今の状態だってひどいものですよ」


紫鶴子さんは、ふう、と息をつき、それからふわりと宙に浮かんだ。こうして見ると、彼女はとても幽霊らしかった。


「だから、まずは、あなたがやるべきことを洗い出してみましょう」


「掃除?」


「ええ。どの場所を掃除するのか。もののお手入れもありますよ。ほら、テレビがほこりをかぶっている。

それに、仮に今すぐできないとしても、ごはんしたくだって、ゆくゆくはきちんとしなければいけませんよね。今はいいかもしれませんが、いずれ赤子が生まれたら、洗濯の回数も増えます。<br />

そういう家事のすべてを洗い出すのです」


それから花夜子は、家のなかをくまなく回りながら、思いつく限りのことを書き出してみた。


「書き出してみると、案外少ないのね。もっと膨大な数だと思った」


「そうです。日々することは意外とありません。

もちろん、毎日家じゅうを磨き上げたほうが気持ちがいいですが、困らない程度だったなら。――どうですか、書き出してみて思うことはありますか?」


「思ったんだけど、花夜子は『やることが山積みだ』って今まで考えていたの。だから『今はやりたくない』っていう気持ちになってた。

でも、『とりあえずこれと、これとこれ』ってわかったらできそうな気がする」


それから3日間で、片づけを進めたり、今までは知ろうともしなかったものの置き場所を確かめながら、改めてひと通りの家事を書き出してみた。



そして、紫鶴子さんに言われて、まずは洗濯を回すところからはじめてみることにした。「洗っている間にほかのことをできるでしょう」という。それから彼女は「わたくしの若いころは、ここまで便利ではありませんでしたよ」とぼやいた。


それから洗濯が終わるまでの間、要らないものを捨てて、ものを元の場所に戻す。そして、とりあえずできる範囲で掃除をする。


いつもはスウがやってくれていたのだ。それでも、彼が家を離れている今、花夜子の散らかすスピードに飲まれるようにして家はどんどん汚れていった。


「少しずつだっていいのです。暮らしを変えていきましょう」


紫鶴子さんはそう言ってほほ笑んだ。はじめて見る優しげな表情だった。





ベランダに出るのははじめてだ。眼下に広がる東京の街と、きらめく海。潮のにおいをかすかに含んだ風がさわさわと髪を揺らす。タオルを何度も振りさばき、ふわふわにする。シャツは形を整えながら干す。


そうしてかごいっぱいの洗濯を干し終えたあと、花夜子はなんともいえない気持ちになっていた。大げさだけど、やり遂げたような、そんな感じだ。


「――性格って、言い訳だったんだね」


いつも家のなかにこもってばかりいたから知らなかった。

空ってこんなに明るいんだった。

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