12.待ち伏せ(2)
ページに落ちてきた影を見て、料理が届いたのかと顔を上げた。
花夜子は、思わず本を取り落した。その人は気にした様子もなく、まるであらかじめ待ち合わせていたかのような普通さで椅子を引いて、隣に腰掛けた。
「花夜子ちゃん」
「――須藤くん……」
花夜子は、身体を少し端に寄せた。
「会社帰りなんだ。今。ちょっと話したいことがあって、偶然見かけたから……」
彼は悪びれた様子もなくほほ笑む。少しだけ怖くなった。バッグの中で、手探りでスマホの通話ボタンを押す。エリカちゃんとやりとりをしていたから、たぶん、つながるはず――。きちんと押せていれば。
「――す、須藤くんは、うちの近くに勤めてるんだね。ここのイタリアンにはよく来るの? 駅から十五分くらいかかるから、花夜子は今まで来たことがなかったの。ミートパイが看板メニューらしいんだけど、食べたことある?」
花夜子は、上ずった声でまくしたてた。
あの予知夢のような能力は、自分のことでは発動してくれない。家への来訪も今も、唐突にこんなことが起きてしまった。それがとても恨めしかった。
「いや、俺は……」
須藤くんは視線を落とす。どう答えようか迷っているという感じだった。
花夜子は昔から、彼をきらいではなかった。どちらかというと好ましく思っていた。昔も今も爽やかで、今も紳士な印象だ。でも、どうしてだろう。心が警鐘を鳴らしている感じがあるのだ。
「勤めてるのはここの駅じゃないんだ。乗り換えもある。今日は、この前の続きを話したくて来たんだ」
「スウが不倫しているかもしれないって?」
そのとき、ちょうど料理を運んできたお店の人が、気まずそうに視線をさまよわせた。そして「こちらが前菜の盛り合わせになります」と、それだけ言って戻っていった。
「須藤くんは、どうしてそれを花夜子に話すの?」
花夜子は尋ねた。
「花夜子ちゃんが心配だからだ。佐々木に騙されてるんじゃないかって」
「どうして須藤くんが心配するの? 中学を卒業してから、一度も会って無かったよね?」
「――それは……」
須藤くんがうつむく。
「そもそも、結婚したって聞いたときから心配だったんだ。花夜子ちゃんは、いつも佐々木とだけ一緒にいたから、本当の恋を知らずに、ただ流されるように結婚したんじゃないかって。もしそうならうまくいかないだろう? あいつがどんな奴なのか花夜子ちゃんは知らない。知っていたら一緒になんていない筈だ」
「須藤、――仮にそうだったとして、あんたに何の関係があるの?」
少し息を弾ませたその声に、ぱっと顔を上げる。エリカちゃんと、知らない男の人が立っていた。
「桜原……なんでここに……」
「それはこっちの台詞だよ。花夜子を待ち伏せしてたんだよね……? 自分が何をしてるか、わかってる?」
「俺はただ、心配で……」
「花夜子から聞いたけど、推測で決めつけるのは間違ってる。それに、私もそうだけど、須藤だって部外者だよ。夫婦の問題でしょう」
須藤くんは何も言わず、うつむいて謝ると、帰っていった。
「エリカちゃん、急にごめんなさい。ありがとう」
「ううん。ちょうどこっちのほうに向かって歩いてたから、すぐに駆けつけられてよかった」
エリカちゃんは、花夜子の肩を抱くようにして言った。
「あと、こんなタイミングになってごめん。ちょうど二人でいたから念の為来てもらったんだけど、――この人は生駒くん。私が今、一緒に暮らしてる人」
そう言ってエリカちゃんは、一緒にいた男の人を紹介してくれた。少し長めの茶髪に、ゆるいパーマをかけた、きれいな顔の男の人だった。
「生駒航です。今日は災難でしたね……」
「あの、デート中にごめんなさい。びっくりしてしまって……」
「いや、気にしないでください。エリカだけだと危ないかもしれないと思ったので、一緒について来ちゃったんですけど……。せっかくだし、三人で夕飯を食べませんか」
やや吊り目がちで猫みたいなのに、笑うととたんに優しげな雰囲気になる不思議な人だ。
運ばれてきたレモンクリームパスタは、あんなに楽しみにしていたのに、あまり味わうことができなかった。花夜子の胸には、須藤くんの言葉がずっと刺さっていた。