10.春色のクローゼット(2)
「そうだ、本屋さんに寄ってもいい?」
エリカちゃんが目を輝かせる。
小学生のころは図書委員だったエリカちゃん。本好きは昔からで、いつもおすすめの本を貸してくれていた。大人になってもそれは変わらないのだと眩しく思えた。
花夜子には、好きだと思うことがあまりない。やりたいことや、夢のようなものも思い当たらない。同時に嫌いなこともそんなにないけれど、人生として考えると寂しいことなのかもしれなかった。
「最近は、どういう本を読んでいるの?」
花夜子が尋ねると、エリカちゃんは目を輝かせた。いつものしっとりと落ち着いた大人らしい雰囲気とは違い、子どものころと同じその表情が眩しく思えた。
「恋愛小説だと夢咲フユカ先生の『なずなの恋』は、雑草みたいだと蔑まれていた目立たないヒロインの成長していく様子がすごく応援したくなるからおすすめで、南田理湖先生の『ラムネの壜』はお互いに思い合っているのにすれ違う二人が切なくて推せるし、異世界系……ってわかるかな? 別な世界の、ちょっとファンタジーな感じの物語だと夏目花純先生の『妖精女王の二度目の人生』がとても好き。頭のなかに映像が思い浮かぶような臨場感で有名なのは朱原楼先生の『召喚』シリーズで、読み応えがあってこれもめちゃくちゃおすすめ。それから海月賀津也先生の『闇姫の祈り』は、行方不明になった女の子と、その家族の視点で交互に描かれるの。それでね……」
花夜子がにこにこと見ていると、エリカちゃんはぱっとうつむいて顔を赤くした。いつも落ち着いている彼女が、身振り手振りを交えて話す様子は新鮮で、とても微笑ましく思った。
「私ばかりたくさん話しちゃってごめん。よかったら、貸すね」
「うん! ファンタジーな感じの本よりは、恋愛小説に興味があるな」
花夜子が言うと、エリカちゃんは瞳を輝かせて頷いた。
「今度、仕事の帰りに寄ってもいい? おすすめの本届けるね。――それじゃあ、ごめん、ちょっと新刊を何冊か買ってくるから待っててくれる?」
窓の向こうを行く新幹線にぼんやりと目をやりながら、エリカちゃんを待っている。駅に向かってせわしなく歩いていく人々は、花夜子と違う時間を生きているように見えた。いつもそうだ。凪いだ心のうちに、取り残されたような寂しさを感じることがある。
花夜子の目の前の棚は、先ほどエリカちゃんが言っていたものなのだろう、ここではない、別の世界を舞台にした物語が並べられているようだった。
ふと、その中の一冊に目が止まる。静謐な洞窟の前で、祈っているのか、うなだれているのか、伏せた少女の後ろ姿だ――。
「花夜子、おまたせ!――これ、遅くなったけど誕生日おめでとう」」
エリカちゃんが、ほくほくした顔で戻ってきた。ここの本屋さんの包みが一つと、バッグから取り出した紙袋と、二つを手渡してくれた。
「ねえ、エリカちゃん。そこの本の表紙を見て思い出したんだけど、昔、洞窟に行こうって話したことあったよね。覚えてる?」
花夜子が訊くと、エリカちゃんは一瞬、黙った。
ややあって「そうだっけ?」と訊いた。その声は、静かに夕暮れの中へと溶けて行った。