8.ラベンダーの花言葉(5)
花夜子の住むマンションで来客を知る方法は3つある。
1つ目はエントランスにあるインターホン。ここで部屋番号を入力して呼び出しボタンを押すと、室内のモニターにその様子が映し出される。
次にコンシェルジュからの連絡。中に入るときは、コンシェルジュデスクの前を通る必要がある。
最後が居室の外にあるインターホン。これは飾りのようなもので、近隣の引っ越しの挨拶だったり、マンション内の防災点検のときなどにしか使われることがなかった。玄関のインターホンが鳴るときは、モニターに表示されることがない。
だから、昨日と同じ、居室前のインターホンで初めて知る来客に、話しかけるか悩んでいるところだった。
「わたくしが見てきましょうか?」
紫鶴子さんが尋ねた。昨日のことは、ぽつりぽつりと話していたから気をつかってくれたのだろう。彼女は茶目っ気のある笑顔を見せると、泳ぐように浮かびながら扉を抜けて行った。いつもとは違い、わざと幽霊らしく振る舞っている。恐らく、不安な花夜子の気をそらそうとしてくれたのだろう。
「女性でした。受付の方です」
戻ってきた紫鶴子さんが言う。
「――一応、ご主人に連絡だけしては?」
花夜子はうなずき、来客を告げるメッセージを送ろうとした。けれども、どうしてもボタンを押せずに、そのまま受話器へと手を伸ばした。その瞬間、どんどんと乱暴に扉が叩かれた。紫鶴子さんは「まあ」と眉をひそめ、花夜子は思わずびくりとした。
『佐々木様? コンシェルジュの梅室です。ちょっと今よろしいでしょうか?』
梅室さんは、扉を叩いた仕草からは考えられないくらい、落ち着き払った丁寧な口調で言った。
「あの、ええと……ドアは開けなくても大丈夫ですか? 家に人を入れないように言われています」
『――部屋が散らかってるのかしら。専業主婦のくせに』
聞こえるように、それでも小さくひとりごとめいた口調でそれは告げられた。花夜子は身のうちにもやもやしたものが広がっていくのを感じたが、黙っていた。
花夜子が反応しないでいると、焦れたように彼女が言った。
『わかりました。それでは単刀直入に言わせていただきますね。昨日、男性が訪ねていらっしゃいましたけれど……。何かあっては困りますので、こちらのほうで佐々木様にご連絡いたしました。――奥様、不倫でもなさってるんですか?』
花夜子は、次の言葉を継げなかった。
「まあ……! あの方は常識が足りていないのではありませんか?」
すぐ横で紫鶴子さんが憤慨している。幽霊だから顔色の変化はないのだけれど、顔を真っ赤にして怒ってくれているような感じが伝わってきた。
「あの方の仕事の領分を超えていませんか。こうやって言いに来ることだっておかしいですし、万が一そうだったとしても、あの方が責めるべきことではないでしょうに……」
花夜子も同じ意見だった。
でも、強い言葉を使わずにどう言えばいいのかわからなくて「そうですか、それでは」と、否定も肯定もせずに受話器を置いた。その後も何度かインターホンが鳴っていた。花夜子は嫌になってしまって、インターホンそのものを切ってしまった。




