14.悪意
「――お遊びで働くなんて、いい身分だわ」
棘のある声は、聞こえるか聞こえないかくらいの小ささだった。履歴書在中と書かれた封筒を預けたあとのことだ。はっと振り返ると、梅室さんと目が合った。色素の薄い三白眼に光はなく、ベージュのくちびるはきゅっと結ばれている。ややあって、機械的に吊り上げるようにその口が弧を描いた。そして、彼女は美しい会釈をしてみせた。
再び前を向くと「働きたくないけど働いている人のほうが多いのにね」と、静かに声が落ちた。花夜子は、今度は振り返らなかった。
夕方、スーパーで買いものをするとき、花夜子の頭はせわしなくいろいろなことを考えている。安くておいしそうなお惣菜についてだったり、切らしそうな消耗品のことだったり、夕飯で試してみようと思うことだったり。でも、その日は違った。
彼女の口からこぼれた言葉と、あの瞳のことで頭が真っ白になっていた。
なんとか買いものを済ませてマンションに戻る。当たり前のことだけれど、エントランスには変わらず梅室さんが立っていた。彼女の姿を見とめた途端、胸が激しく波打つような感覚を覚えた。家に帰りたい。でも、彼女の横を通りたくない――。
しばらく立ちすくんでいると「花夜子?」と声がした。スウだった。
「スーパーから帰ってきたところ?」
そう言うスウも、同じ店の袋を持っている。平日の朝食はスウの担当なので、帰りに必要なものを買ってきているのだった。2人がそれぞれ買いものに行くのは無駄だと思ったものの、彼はその日の食材や体調を見て材料を選んでいるそうで、あらかじめメモは渡せないから――と、今の形に落ち着いた。
花夜子がこの時間にスーパーに行くのは、紫鶴子さんの授業が終わったあとだからだけではなく、たまに彼と帰りが一緒になるからでもあった。
「――どうした?」
袋の中身を見て、スウが怪訝な顔をする。はっとして見ると、卵と小松菜、にんじん、お惣菜のほかに、たくさんのお菓子が入っていた。無意識に手に取っていたようだ。
「なんだか甘いものが食べたくて」
花夜子が笑うと、彼は花夜子の持っていた袋を手に取り、荷物を片手でまとめて持ち、手を差し出した。花夜子はその手にしがみついた。そして、彼女と目を合わせないように家に戻ったのだった。