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13.一滴と山

「まあ、働きに出るのですか?」


 真横から声がして、花夜子はびくりと体を震わせる。いつの間にか紫鶴子さんの“出勤時間”になっていたらしい。花夜子の書いていたノートを覗き込んで彼女が言った。


「自分の役割を増やしたいと思ったの。それが、自分を変える手っ取り早い方法だと思って。――だから働いてみたいんだけど、花夜子は、今まで1度も働いたことがないんだ」


「――まあ。それじゃあ、学生結婚をしたということですか?」


「ううん、卒業はしたよ。それと同時に結婚したの。だからね、働くのは未知の世界というか、――とにかく不安なんだ。なにもわからないところに飛び込んでいくのも怖い。スタートが遅いっていうのも不安」


「そうでしたか……」


 そういえば、と思い出す。紫鶴子さんの年齢から考えると、彼女が働いていたのは、今と違って、女性が仕事を持つのが当たり前ではなかった時代ではないだろうか。


「わたくしは、働いていた良かったと思いました。料理や家事が好きだったので、家にいてもたぶん楽しくやれたとは思うんです。子どもたちと過ごす時間も好きでしたし。折り紙を教えたり、一緒に料理をしたり……。それでも、わたくしが、わたくし個人である時間がほしくて働いていました。


 子どもたちは母にみてもらっていて、そのことをよく思わない人もいましたし、それで罪悪感もあったのです。でも、誰かのためではなく、自分のために働いていたからこそ、家族のことにもっと責任を持って頑張ろうと思えました」


 そう言って微笑む紫鶴子さんの、きりっとした切れ長の瞳は、強い意志と、恐らく家族を思い出しているのであろう優しさに揺れていた。

 それは花夜子にはないものだと思った。


「迷っているときは、とにかく手を動かすのがいいですよ。無心になって、一旦忘れたほうがうまくいきます」


 紫鶴子さんがそういうので、その日は久しぶりに片づけに励んだ。






「だいぶ捨てたと思ったのに、気がついたらものが増えているなあ」


 封筒の山を見て花夜子は言った。


「それはそうですよ。生活をしていくためには、ものが必要です。ものを買ったらレシートをいただきますし、包装されているのですからそうしたゴミも増えます。毎日届く郵便物やチラシもそう。一つずつ、なるべくこまめに捨てていかないと、こんなふうに山になってしまうのですよ」


 それは、花夜子の心の中も同じなのかもしれない。

 一滴の不安が、どんどん降り積もっていく。そうして不安の山になる。その結果が今の、複雑に絡まった、漠然とした不安なのではないだろうか。


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