11.不安の原因
花夜子は、役割についての話を思い出しながら料理をしていた。
妻としての役割しかないからこそ、きっと感じている閉塞感。それならば役割を増やせばいいのだろうと思うけれど、一体どうしたものか――。
一番手っ取り早いのは、仕事を始めることだろう。でも、花夜子は生まれてこのかた、一度も働いたことがない。父が過保護だったのでアルバイトの経験もない。特にここ数年は人との会話さえほとんどなかったから、働きに出ようと頭に浮かんだ考えはすぐに打ち消した。
今月は青菜を研究することをテーマにした。
まずはレンジでの加熱方法についてだ。この間、レンジでゆでる方法を教えてもらったけれど、加熱した後に切るのがどうしてか面倒に感じられた。そこで、鍋でゆでるときと同じように、最初にカットしてしまうことにした。
まな板に青菜を乗せて、根本を切り落とし、3cmくらいの幅に切っていく。それからボウルに水を張って、しばらく置いておく。野菜をみずみずしくするためには、調理をはじめる前に水につけておくといいと紫鶴子さんが言っていたのだ。最低でも10分。できれば30分以上。
それからよく洗って、水けを軽く切り、耐熱性のガラスボウルに入れる。スーパーで買ってきた1束に、水大さじ1とオリーブオイル小さじ1、塩をぱらぱら振って、ラップをふんわりとかけて加熱する。とりあえず1分。
見た目にあまり変化はない。次に追加でもう1分。――どうしてだろう、やっぱりあまり変化がない。さらに1分。花夜子の頭の中は疑問符のマークでいっぱいになる。
そのときインターホンが鳴った。花夜子はボウルにとりあえずラップをかけ直し、玄関へ向かう。
宅配の受け取りを済ませて戻ってみると、先ほどは見た目にほとんど変化がなかった青菜が、ほどよくしんなりとしていた。
花夜子は、キッチンの横に備え付けておいたメモ帳に、今日の実験結果を書き込んだ。
正しいゆで方じゃなくても、ちゃんと食べられるものができた。
最近気づいたことがあった。花夜子の感じる「面倒くささ」には、手が汚れることが関係しているのではないかということだ。
たとえば、肉をカットするのが憂うつだった。それは手が脂でべとべとして、洗ってもなかなか落ちないからだ。それだけじゃない。青菜もゆでた後のしんなりと水分量が多いものに触れるのはなんとなく億劫に感じられた。水洗いも済ませていないものより、ゆでた後のほうが、だ。
手が汚れることだけじゃなく、何度も手が濡れて、洗って、拭いて、また濡れる。そのくり返しも面倒に感じるようだった。
不安だったり面倒だったりするものには、なにか原因がある。それがわかれば、対策も考えられるわけで……。花夜子が今漠然と抱えている、働いてみたい、でも怖いという不安だって、一つずつ原因をつぶしていけばいいのではないだろうか。
花夜子は、冷蔵庫から紙パックの紅茶を出してきてグラスに注ぎ、新しいノートを開いた。
キッチンに試作用のノートを置いておいたらとても便利でした。プレレシピノートと呼んでいます。
http://365kaji.blog.jp/archives/20200625.html
レンチン小松菜の1分ごとの様子はこちら。
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