18.母の味
「花夜子さんには、母の味のようなものはありますか? よく作ってもらったものだとか、何の変哲もない料理だけどやけに好きだったものだとか」
「花夜子のママは、子どものころに死んだの。だから、料理は家政婦さんが作ってくれたものを食べてた」
首を振る花夜子に、紫鶴子さんは不思議そうな顔をしていたけれど、母がいないことを知って、その顔がさっと青ざめた。
「ごめんなさい、花夜子さん……」
「花夜子は小さかったからあまり覚えていなくて、――だから、平気だよ」
母の顔は思い出せない。美しい人だったような気がする。自分ではあまりわからないけれど、花夜子の素顔は整っているらしく、それは母親譲りなのだと聞いたことがある。とはいえ、いくら素顔がよかったとしても、おとなになった今は、お化粧で美しさの底上げはいくらでも可能だ。それをしていない今の花夜子は、没個性的な顔立ちだと思う。
高校生だったころの写真なんかを見ると、素顔でもそれなりに見られるのに、今は、化粧っ気のない顔と服がなんだかちぐはぐだ。かといって、何からはじめていいかもよくわからないので、そのまま過ごしている。
昨夜、水出汁を仕込んでおいた。花夜子は昆布と鰹節で出汁をとろうとしていたのだけれど、それはどうやら“一段とばし”らしい。顆粒でも液体のものでも、いろいろな手軽な出汁があるから、まずは味噌汁をつくる習慣をしっかり根付かせたほうがいいのだと紫鶴子さんは言う。
その上で、かんたんなものを教えてくれた。それが水出汁。お味噌汁をつくる水に、煮干しを数個入れて、ひと晩寝かせるだけ。作るときは煮干しを取り除く。腸や頭を取るといった下ごしらえも要らない。
ただし、寝かせる時間が必要だから、顆粒だしは一応買ってある。
今日の味噌汁は、この間、紫鶴子さんが話していたものを真似た。薄切りにした玉ねぎを水から煮る。沸いたら油揚げを入れる。玉ねぎが透き通っていたら食べごろ。ちぎったキャベツを加えてさっと煮て、火を止めて、味噌を溶かす。
甘めの白味噌を選んだせいもあるかもしれないけれど、素朴でやさしい味わいの味噌汁だ。玉ねぎの甘さをかすかに感じる。油揚げは噛むとじゅわっと味噌汁が染み出してきておいしい。きゃべつはかさが減ってしまったので、どんどん食べられそうだ。もっと入れてもよかったかもしれない。
花夜子がいつも頭に描いている味噌汁とは少し違う具材だったけれど、おいしくて気に入った。――ふと、何かに思い当たる。この懐かしさはなんだろう? もうひとくち食べる。喉の奥がぽっと温かくなる。そして思い出した。この味は、母の味噌汁の味ではないだろうか。やさしい味で、なにかの風味があった。それが煮干しだったとしたら。そう考えると、花夜子は得意げなきもちになった。