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手帳

作者: 綾瀬えみ

「結実。もうすぐ新学期だろう。これを使いなさい。」

寒さが厳しい冬休み。暖かい日差しがカーテンの隙間からささる昼下がりのことだった。

口下手な父は、私にずいと黒っぽい革の手帳を押し付け、部屋を出ていってしまった。

私は父からもらった手帳をひらくと、中はスケジュール帳のようになっていて、月を示す数字の隣に添えられた黒猫のイラストが大人っぽくておしゃれだった。

だが、春が訪れた今も、私の手帳は真っ白だった。

幼いころからひっこみじあんで、自分の意見も言えない。だから友達も少ない。

私はこんな自分の性格が大嫌いだった。

中学3年生となった今でもその性格は直らず、ろくな友達もいなかった。

私は昼休みに手帳を開いてみるのだが、やっぱり手帳の中は真っ白で、手帳を見るたびに私はため息をついた。

「その日、予定無いの?だったらオレの試合見に来てよ。」

後ろからふいにかけられた言葉に心臓が跳ね上がる。

「里見くん...。」

振り向くとそこには、同じクラスで野球部キャプテンの里見直也くんが私の手帳をのぞきこむようにして立っていた。

里見くんは、私とはまるで正反対のような人で、私とは縁がないと思っていた。だからこそ心底驚いたのだ。

「オレ、その日野球の試合があるんだ~。ウチの学校のグラウンドでやるからよかったら見に来てよ。」

「えっ。」

「ダメ?」

「大丈夫だけど...。」

「良かった。じゃあ、ちゃんと予定に書いといてよー。」

彼はそう言って満面の笑みでどこかへ走っていってしまった。

まだ心臓がドキドキいっている。だって、あんな風に話しかけられるのは、すごく久しぶりだったから。

私はいまだに震える手で、手帳に「試合見に行く」と書いた。

初めての予定だった。


そして里見くんの試合当日。

私は試合開始の30分前に学校についた。

早く着きすぎちゃったかなぁ。

そんなことを考えながら、グラウンド全体が見渡せるベンチに腰をかけた。

なんで里見くんは私を試合に誘ってくれたんだろう。優しいのは前から知っていたけど...。

今日の私、変じゃないかな?里見くんのこと大きな声で応援できるかな?里見くんはきっとかっこいいんだろうな。早くはじまらないかな。

途中で私はおかしなことに気づく。

なんで私は、こんなに里見くんに会えるのが、里見くんを見れるのが、こんなにも楽しみなんだろう。

グラウンドから吹く風は少し土っぽく、暖かかった。

ピーッ。

試合開始のサインのホイッスルが鳴り響く。

はっと私は我に帰り、試合に集中する。

序盤は接戦で相手チームが少しリードしていた。だけど里見くんはやっぱりすごくて、どんな球でもその場に応じて拾いに行く。運動神経がいい人って言うのは、間違いなく里見くんを指すだろう。

ソシテ迎えた7回裏。後攻の私たちの学校は3対2で負けていた。

ツーアウトで何とも危機的状況の中、最後のバッターは里見くんだった。

里見くんはバッターボックスに立つと、鋭い眼差しでピッチャーを見据える。

1球目。里見くんの振ったバットは大きく宙を切った。

2球目。またも空振り。

3球目。カキンとバットが鳴る。里見くんは地面を蹴って走り出す。私は思わず立ち上がった。息を大きく吸い込む。

だけど、声が、出ない。

里見くんがスライディングし、指先がベースにつくところで、ショートが送球したボールがファーストに届く。

審判は親指を立てた手を、大きく空に掲げた。


試合が終わり、野球部は部室へと帰っていった。

私はその姿を見送る。結局、何も応援することはできなかった。私があの時、里見くんを応援していたら、何かが変わったのだろうか。

春の暖かな日差しは、いつの間にかオレンジ色に染まり、自分の影が大きくなる。

「あれっ結実ちゃん。まだ残ってたの?」

私はビクリとして振り向くと、いつもと変わらない里見くんが立っていた。

目が少しだけ赤いのは、夕日のせいだろうか。

「お疲れさま。」

里見くんは、ありがとうと短く答えると、私の隣に腰かけた。

「今日、かっこわるいとこ見せちゃったなぁ。結実ちゃんにはかっこわるいとこ見せたくなかったんだけど。」

野球帽をまぶかにかぶった里見くんの表情は分からない。でも少し、声が震えていた。

私は里見くんに元気になってもらいたい。心からそう思った。里見くんが元気になってくれるなら、変に思われてもいい。

「私、里見くんに試合に誘ってもらえて本当に嬉しかった!里見くんの試合が手帳に書いた初めての予定だったから!今日の試合見て、あんなに一生懸命な里見くんを見て、かっこいいとしか思わなかったよ!」

言っていることはめちゃくちゃだった。でも、これが私の本心だった。

私は一息つくと、か細い声で後から付け足した。

「今度の試合も、また誘ってくれないかな...。今度はちゃんと応援するから...。」

私は思わずうつ向いた。多分、私の顔は夕日と同じぐらい赤く染まっているだろう。「もちろん!」そう答えた彼は笑っていた。

「結実ちゃん。オレからもお願いがあるんだけど。」

私はそっと目を上げた。こっちをまっすぐ見つめる里見くんの目はすごく綺麗だった。

「結実ちゃんの手帳をオレとの予定でいっぱいにしてほしい。...いいかな?」

急に自信が無くなったような里見くんの声を聞いて、私は笑いながらこう答えた。

「もちろん!」

最後まで読んでいただきありがとうございます!

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